いつものように書類に目を通していた時。 シュッ と軽い音を立てて入口のドアが開き、その前に立っていたサイファーを招き入れた。 別段これと言って用も無さそうな雰囲気で踏み込んできたものだから俺の方もこれと言って反応する事も、相手をする事も、気にかける事も無く仕事を続けていたのだが。 「今良いか?」 何をするではなく、何を言うでもなく…ちょっとした会議と言う名目の雑談用にセルフィとキスティスが室内に持ち込んだ簡単なテーブルセットに腰掛け、知ったる勝手でコーヒーを淹れてただ黙ったまま…どうやら今までは俺の様子を覗っていたらしい。 そんな風に押さえた静かな声で話しかけてきた。 サイファーが持ち掛けて来る話は大体何かしら裏が有ったり、面倒に巻き込まれる事が多いというのが身に染みて解ってる俺はどうにかしてその話をうやむやにしようと思っていた。 「長くなりそうなら後にしてくれ」 「テメェが屁理屈捏ねてる間に終わる」 先手を打たれた事に気付き、思わず溜息を溢して…本当は集中など出来ていなかった書類のファイルを閉じると改めてサイファーを見る。 「…何なんだ」 「ほら、やる」 問いかけには言葉と共に逆光になるせいでよく見えない…角張った何かが放り投げられて。 反射的に目の前に広げた掌の中にコントロール良く、吸い込まれるように飛び込んで来た衝撃に少しだけ眉を顰めると手の中に納まってるそれに視線を落とした。 手の中に有った角張った何かは…小さな木箱。 それも表面に細かい細工彫りが施されていて、丁寧に塗られたニスがまるで何年も大切に使い込まれていたかのような光沢を放っている。 “これは?” と問いかける様に少しだけ視線を投げるとサイファーはニヤリと笑って。 「今日はホワイトデーだろ?だからそれはお前にやる」 何がどうなってそうなるのかが解らない。 第一、ホワイトデーと言えば通例的にはバレンタインデーに女子から貰ったチョコの礼をする為の日で…俺は女子でも無いし、サイファーにチョコを渡した覚えも無い。 だったら何がどう繋がってこれが俺に贈られると言うのか。 (何か裏が有るな…) その意図を探ろうとこっそりとサイファーの気配を覗うとやはり何かを企んでいる時に感じる特有の楽しさを滲ませた雰囲気が満ちている。 それを感じて、また溜息が零れた。 「今度は何を企んでるんだ、アンタ」 「企む?…ああ、まぁそうなるのかもな。だが別に悪さしようって訳じゃねぇよ」 「どうだか…」 「疑り深ぇな…兎に角、話の続きはお前がそれ開けてからにしようぜ?」 その言葉に何が含まれているのかを探りながら手の中に納まってる木箱の蓋を閉じている同じ様に細かい細工彫りが施された小さな金属に手を掛けた。 (中から出てくるのは…鬼か蛇か…) ただこの小さな木箱の蓋を開けるだけだと言うのにそれはまるで任務にあたる時のようなそんな高揚感を齎してくる。 まるで爆弾を処理する時のようにゆっくりと慎重に。 その小さな金属を押し上げて留めを外すと中から何が出てきても大丈夫な様に構えながら、蓋を開いた。 …中から出てきたのは…鬼でも蛇でもなく…ワルツのリズムを刻む軽やかで柔らかな音楽。 掌の上の小さな箱の中で忙しなく回ってるプロペラ。 小さな突起の付いたドラムがゆっくりと回って細い鈍色の金属を弾き、音楽が奏でられている。 「…何でオルゴールなんだ?それもホワイトデーだからって…」 「解らねぇか?」 「ああ」 その後は沈黙。 バレンタインの時の夜の様に室内には不思議と静かでそれでいて重い空気が満ち始める。 だか今日はそれだけじゃ無い。 まるでその沈黙を和らげる様に手の中のオルゴールが優しい音色で音楽を奏でていた。 どこかで聞いた事が有るような気がするそれは今の流行と言う訳でもなく、普段から耳慣れるようなものでもない。 なのに何故かそのメロディーは記憶の底で僅かながらその存在を示す様に響いていた。 「しょうがねぇな、ヒント出してやる。ホワイトデーと言う日が持つ意味とその曲のタイトルが答えだ。どうだ、簡単だろ?」 「アンタが今言えば良いだろ」 「そういうロマンティックの欠片もねぇ事言うんじゃねぇ。大した手間取らねぇだろうから暇な時に片手間で自力で調べろよ?」 「…何で俺が…」 「テメェが調べねぇと意味がねぇんだよ!くそっ…もう一つヒントだ。その曲はクラシックだ。じゃあ、後でな」 半分ヤケクソのように叫んだサイファーはそうやって俺にクイズを残してさっさと部屋を出て行ってしまった。 残されたのは掌の中で俺のブルーになりそうな気持ちなど知らないと言うように軽やかに鳴り続けるオルゴール。 そしてクイズだ。 「ホワイトデーの意味と曲のタイトル…?」 掌の中から机の上に場所を移動したそのオルゴールが奏でるその曲は確かにどこかで聞いた覚えのあるもので…だがそのタイトルとなると普段大して興味の無い分、咄嗟に出てはこない。 「…結局こうなる訳か…」 その後、予測通りに面倒に巻き込まれた俺は目の前に有る書類よりもサイファーが残したクイズの方が気になって…結局仕事が手に付かないと言う事態に陥り、今、気分転換と称して図書館に向かっていた。 曖昧になってる記憶を探るよりも調べれば簡単に見つかりそうな事から先に手を付けた方が建設的だ。 場合によってはその答えがもう一つの答えに繋がっている場合だって有る。 だからまずは “ホワイトデーの意味” とやらを先に調べる事にした。 視聴覚室でクラシックを片っ端から洗いざらい聞き続けるよりもこっちの方が明らかに早く答えが見つかるのは一目瞭然だ。 …だが別に俺はホワイトデーの意味を知らない訳じゃ無い。 ただ縁が無い上に関わりたくも無いし、生きていく上では詳しく知る必要も無いと言うだけで。 (バレンタインデーのお返しをする日…だよな、普通は) それは “一般的な回答” だ。 だがサイファーが持ってきたクイズの回答がそんなに簡単な訳が無い。 図書館の入口を潜ると意識して作られた静寂が支配していた。 この雰囲気は好きだ。 そのどこか戦場に居る時に似た緊張感のある静寂の中、任務をこなす時の様な気持ちで本棚の間を縫うように歩き、区別に分けられた本のタイトルを目で追う。 余り硬い本には書いて無いだろう内容だけに普段は立ち寄る事の無い雑学の本を集めたコーナーに足を向けると大して数も無い薄い雑学の本を手に取った。 最初に手にした本の項目をパラパラとナナメに読んで、それを戻すとその横に有った別の本を手に取る。 (記念日の由来…これに有りそうだな…) 本と言うよりも既に雑誌のような薄さのそれを手にして目次に記されているページを開くと “ホワイトデー” の文字を探した。 (…これか?) その記述によると3月14日、すなわち “ホワイトデー” とはバレンタインデーにチョコレートを貰った男性が “お返し” の意を込めてキャンディを贈る日として全国飴菓子工業協同組合の総会で決議採択され、全飴協ホワイトデー委員会が組織され、そして2年間の準備期間を経て世に生まれ出されたと有った。 それは所謂、戦略的でかつ通常、常識的に誰もがが知っている形のホワイトデーが形成された由来だった。 更にその下にはご丁寧にどうしてホワイトデー=キャンディを贈る日となったかと言う事まで記されている。 (…これじゃ無いな…) 溜息をついてパタン とその表紙を閉じると元有った場所に再び戻し、他の本には載ってないかどうかを調べていた俺の所に図書委員の一人が返却されてきたらしい本の中の一冊を俺が今見ている本の納められている棚へと戻して、ぺこりと頭を下げて行った。 黙って見送って…その後姿が見えなくなった途端に手に持っていた本を棚に戻して返却されてきた他の雑学書よりも明らかに違うハードカバーの歴史書の様なそれを手にした。 ずっしりと重いそれを裏返して巻末を開いたのは直感だ。 そこに収められている図書カードを引き出して確認した、一番最後に記されていた名前。 (Seifer Almasy…これだ) この本が今返却されてきた事、そしてこれが見かけはハードカバーの歴史書の様なものだったとしても内容実は雑学書だと言う事、そして記された名前。 答えはこれに載っていると確信した俺はその本を手にして閲覧席に移動するとその分厚い表紙を開いた。 目次の項目に有るのは雑学的なそれと歴史的なものが入り混じったもので…どうしてサイファーがこんなものを見つけたのかという事も併せて気になった。 (いや、今は答えが先だ) 残念ながら目次にはホワイトデーと言う文字はなく、代わりに “記念日の由来と云われ” と言う項目が有った。 そのページ数を確認すると巻末から最後のページ数を見て、およそその辺りだろう予測を付けて大胆に開くと後はページを追いながらパラパラと目的の項目まで捲っていく。 この本は1月1日から始まるカレンダー上の祝日、世間一般的な記念日から非常にマイナーな記念日の始まりと由来、云われまでを網羅しているようだ。 目的の “ホワイトデーの日付” に辿り着くまで全てに目を通していたらそれなりの時間がかかりそうだと判断した俺は、3月の祝日が記されている場所まで一気に読み飛ばして…漸く希望のそれを見つけ出した。 ≪3月14日 ホワイトデー≫ 3月14日 ホワイトデーの云われは、バレンタイン司教の殉教からひと月後、バレンタインデーに結ばれた男女はあらためて二人の永遠の愛を誓い合ったという話に由来します。 この故事はヨーロッパをはじめ世界中の多くの人々に語り継がれて「ポピーデー」「フラワーデー」「ホワイトデー」「クッキーデー」などと呼ばれてきました。 当初は「マシュマロデー」と呼ばれたりしましたが、「若い人たちの爽やかな愛には白がぴったり」と、「ホワイトデー」に決められたそうです。 この日は男性から女性へのお返しの意味も込めてプレゼントされます。 そこに記されてるものの中で…答えになりそうなものは沢山有るように見えた。 だが。 (…バレンタインデーに結ばれた…?) その感覚は不意に訪れた。 誰かが髪に触れてきたような感覚。 体の芯がそれにぞわっと反応したのを感じ、慌てて手にした本を元有った場所に戻すとまるで逃げるように図書館を後にする。 (くそっ…何でいきなり思い出すんだ!) ───その始まりは必ず何故か髪に口付けられる。 まるで何かに誓うように。 そしてゆっくりと囚われていく。 普段は人に触れられる事でさえ嫌悪を覚える時があるのにその時だけは願ってしまう。 もっと触れてくれ。 俺の傍に居て、と。 闇を取り込んだ翠の瞳が時々ちりちりと輝く金を伴って俺をその瞳の中に、その腕の中に、その感覚の中に閉じ込めていく。 自分が誰だとか、どういう立場だとか、そんな全てを吹き飛ばして白く染め上げて…感じるものの全てがアイツに…サイファーに向かっている様なその瞬間─── IDを通すのももどかしく、キーを押す手が不自然に震える。 普段は何も考えなくても手が覚えてるようなそれは早くその中に逃げ込みたい俺を嘲笑うかのように何度も間違えて。 …何度目かのチャレンジで漸く正しいキーを入力する事が出来た俺はロックが外れる音と共にシュン…と軽やかに開いたドアの中に転がり込むように駆け込んだ。 不自然に乱れた鼓動と呼吸がまるであの時の自分のもののようで…訳もなく叫びたくなる。 「くそっ…!」 ドンッ と机に八つ当たりして…俯いたまま未だ自分の身体を支配しているような感覚からどうにか気を逸らそうと机の上に視線を走らせて見つけた…置いてきた時のまま俺を待っていたかのように佇むオルゴール。 何を考えていた訳じゃ無い。 ただ機械的に…そう、サイファーが残したクイズの続きを解いてしまえばこの感覚もその内忘れられるんじゃないかとそう思ったのかも知れない。 黙ったまま、火照る体を持て余して使い慣れた椅子に腰掛けると再びその小さな金属を押し上げて、蓋を開く。 …流れ始めた音楽に天井を仰ぎ、目を閉じて耳を澄ます。 優しいメロディー。 静かな室内を癒すようなそれは少しずつ不意に思い出してしまった感覚をゆっくりと薄れさせていった…。 ネジが終わりかけてはまた巻き直し、そしてまた目を閉じて耳を澄ます。 そんな事を何度繰り返しただろうか。 俺は未だに記憶の中からその曲名を思い出す事が出来ずに居た。 (…?) 不調和音の様に…澄ました耳に届いてくるのはどうやらピアノ。 思わずオルゴールの蓋を閉じてその音に耳を傾けて…跳ねるようにオルゴールを掴んだまま駆け出した。 その曲は多分誰かが演奏しているのだろう。 どうやら位置からすると教室の辺り。 ピアノが置いてあるのは視聴覚室と講堂だけで講堂は全く逆の方向だと言う事からその音が視聴覚室から聞こえてきているという予測は簡単に付いた。 一歩近付くたびにはっきりと聞こえてくるその音楽は、正に俺が今、その曲名を求めて何度も何度も繰り返し聞いていたこの手の中のオルゴールの曲だった。 静かに優しく感情を込めるように演奏されていた曲が終わりに近付き…俺が視聴覚室の前に辿り着いた時に丁度、楽譜の最後の音を押さえた所だった。 軽く上がっている呼吸を整えている間にも室内からはパラパラと数人の拍手の音がして。 意を決するようにドアを潜るとそこに居たのは…キスティスとサイファーと年少の生徒達。 その幼い瞳がいきなり割り込んできた俺を一斉に捕らえ、次の瞬間にはわっと拍手が沸いた。 「スコール、どうしたの?年少の授業に貴方が顔を出してくれるなんて珍しいわね?」 ふわっと笑ったキスティスがそう尋ねてきたのは余り耳に入ってなかった。 サイファーがその横に…今正にピアノから離れて並んだのが見えたからだ。 「…今の曲、あんたが弾いてたのか…?」 「驚くでしょう?普段は戦いの事しか頭に無いみたいなのにこんな特技も有ったなんて」 「うるせぇな…別に俺は年中戦ってばっかりって訳じゃねぇんだ。義親がやれって五月蝿かったからしょうがねぇんだよ」 「あら、悪いなんて言ってないわ。ただ狂犬みたいな貴方のイメージとは到底想像も出来ない特技があったって事を言いたかっただけよ?」 「… …」 「テメェ…ホントいい根性してやがるな?」 俺の呟きは二人には届かなかった。 「ふうきいいんちょー、もっとひいて!!」 わっと騒ぎだした年少の生徒の声にヒーロー気取りで笑ってリクエストを募るサイファー。 その横で笑ってるキスティス。 俺が知らない、サイファーの顔。 …訳もなく居た堪れなくなって黙ったまま騒がしい室内を静かに後にすると授業中のせいでやけに静かな廊下を歩く。 どんどん離れていく俺の背を追うように…再び軽やかなピアノの音が流れ始め、その曲がさっきも聞いたこの手の中の、いつの間にか握り締めていたオルゴールの曲だと言う事に気付くのに時間は要らなかった。 ワルツのリズムのオルゴールで聞くよりもずっと華やかなその曲が離れていく俺の耳に纏わり付く。 何故か胸が締め付けられる。 呼ばれているような錯覚。 囁きかけるような音色。 無意識の内にシャツを強く掴んでいた。 …そうして無いと前に進めなくなりそうで…。 どこをどう歩いたのかいつの間にか中庭に辿り着いていた。 だいぶ西に傾いたそれでも僅かに温かい空気を残して、僅かに陽の当たっていたベンチに腰を下ろすと俯いたまま、手の中のオルゴールを眺めていた。 (どうして俺は逃げてきたんだ?) もう聞こえないピアノの音は、しかし未だ傍で奏でられているかのように耳の奥で鳴り続けている。 結局何も手に付かない内に今日と言う日付が終わりそうだという事実も、俺が知らないサイファーが居ると言う事実も…何だか上の空だった。 静かな空気が息苦しくなって手の中のその箱の蓋を開く。 蓋を閉じたその時のまま、そこから不意に始まるメロディーは今の複雑な俺の心とは裏腹に軽やかで優しい。 「…班ちょ?」 どうやらぼーっとしていたらしい。 すぐ傍で呼ばれた声にいきなり意識を引き戻されて顔を上げれば、すっかり暗くなった中庭と俺の前で不思議なものを見るような顔をして見詰めてくるセルフィ。 「何…」 「 “何” やあらへん。班ちょがさっきからずーっとここに座ってんのが丁度うちの部屋から見えんねん。真っ暗になっても全然動く気配無かったさかいもしかしてここで寝てもうてるんやないかって心配になって様子見に来ただけ〜」 「ああ…」 「班ちょ疲れてるん?ぼーっとしてるやろ」 「…今何時なんだ?」 「うちが部屋を出た時が丁度20:00で〜す。こんな所でぼーっとしとらんと、早よ食堂行かんと夕飯無くなってまうで?」 「ああ、そうだな…そう言えば今日はまだ何も食べてない」 「うわっちゃ〜!食べんとあかんやろ!ホラホラ、うちも今から食べに行く所やから早よ立って!」 今までの訳の解らない落ち込んだ気持ちさえどうって事でも無いとでも言うように急かすセルフィに苦笑して。 少しだけでも笑えた事で幾分か胸でもやもやしてる事が軽くなった気がした。 二人並んで食堂まで歩く。 程なく辿り着いた食堂はピークを過ぎて人影もまばらになり、案の定 “本日のお奨め” などの人気メニューは既に品切れになっていた。 「あ〜!今日はオムライス食べたかったのにもう無いやん!くやし〜!」 そんな風に口にするセルフィは実の所そんなに悔しがっては無いように見えた。 まるで軽いゲームを楽しんでいるかのよう。 「オムライス、どうしても食べたいのか?」 「ん?うん!どーしても食べたかったねん。せやけどもう無いんやったらしょうがないね〜」 「…頼んでやろうか?」 「は?頼むも何ももう売り切れてるやん!」 「明日の朝食の為に玉子が一定個数確保されてるのは解ってる。見た所ご飯が無いという訳でも無いし、ケチャップが切れてると言う訳でも無いらしい。予定数出たから既定通りに売り切れという風にしてるだけで作れない事は無い」 そう説明しながら自分のメニューを決めてカウンターに近付く俺の背にセルフィの “流石、班ちょは違うわ〜” と言う感嘆の声が追いかけてきた。 …頼んだメニューがそれぞれのプレートに乗せられて出て来たのを確認して振り返るとセルフィはちゃっかりと人影の少ない、俺が良く好んで利用しているテーブルに腰掛けて手を振ってきた。 どうやら席を取って貰った替わりにこれは俺が運ばなくてはならないらしい。 少し苦笑して両手にプレートを掲げてセルフィが待っている席へと移動する。 「ありがとね〜vvうわぉ、ホンマにオムライスや〜vv」 まるで年少の生徒のように目の前に置かれたプレートに乗せられたオムライスを見て、小さく手を叩いて喜んでる姿にまた苦笑すると向かいの席に自分の分のプレートを置いて腰を据えた。 互いに空腹だった事から暫くは無言。 いや、セルフィは一口食べる毎に “やっぱここのオムライスは最高やわv” などと呟いてはいるが別にそれは俺に同意を求めている訳ではなく、ただの独り言としてその場の空気を和やかなものにしていた。 「ん…せや、さっき班ちょが持ってた木箱って何やの?」 頬張っていたオムライスを慌てて飲み込んてそんな風に切り出して来られても不快に感じなかったのは多分それまでの気持ちよりもずっと穏やかな気分で居られたからだろう。 「オルゴールだ」 「班ちょとオルゴールって不思議な組み合わせやね〜。何の曲やの?」 「…知らない」 「は?知らんって何で?」 「知らないものは知らないんだ。俺が選んだ訳じゃ無いしな…」 「って事は誰かからの贈り物〜?うわ〜さすが班ちょ、相変わらずモテモテやね!良かったらそのオルゴールうちにも見せて〜v」 「…ほら」 他人事だから楽しいのか…そんな風に茶化しておきながら軽く頼まれて、断る理由も見つからずにポケットの中に突っ込んでいたそれをテーブルの上に置く。 セルフィがそれを手にするのと同時。 「やっほ〜!僕も一緒に座っても良いかな〜?」 「あ、ええよ〜。アービンもまだやったんや?」 「さっき任務から戻ってきた所だったからさ〜もうお腹空いちゃって倒れそうだよ〜」 「お疲れ様やね〜!」 「ありがと〜」 俺の返答は全く感知せずにテーブルに着いたアーヴァインとセルフィが交わす相変わらずのやり取りを気にする事も無く食事を続けていた俺の耳にオルゴールが奏でる音楽が静かに届いた。 「オルゴール?」 「うん、班ちょが貰ったんやって。イイ曲やね〜」 「本当だね〜…でも今日ってホワイトデーだよね?それにしては “je te veux” なんて、凄い曲を選んできた人だね〜」 アーヴァインが溢したその言葉に思わず食事の手が止まる。 「je…?何やのそれ」 俺の聞きたい事はセルフィが代弁してくれた。 そしてアーヴァインが自慢気に返したウンチク込みのその曲名は…俺を硬直させるのには十分な威力を持っているものだった。 ───不意に味がしなくなった食事をどうにか平静を装って続け、プレートを返却する為に立ち上がった俺の忘れ物は、それに気付いたセルフィがわざわざ追いかけてきて渡してくれた。 再び手の中に納まったオルゴール。 その後はどう歩いたのか、気付いたらいつの間にか学生寮の俺の部屋が有る階だった。 その事実に気付いたのは…。 「よぉ、指揮官の癖にどこほっつき歩いてたんだ?」 俺の部屋のドアに寄りかかっていつからそこに居たのか…よりにもよってサイファーが待ち構えていて、声をかけてきたからだった。 「アンタには関係無い。どいてくれ」 動揺を押し隠そうとすればするほど辛辣になる言葉をサイファーはどう受け取っているのか、しごくあっさりとその場を譲り、俺が部屋のロックを解いてるのを黙って見ている。 その視線に脅かされてるかのように震えだしそうになる指先を駆使してロックを解除すると扉の前に立ち、そのまま黙って真っ暗な部屋の中に進もうとした俺は咄嗟に避ける事さえ出来ずに…腕の中に納められていた。 「答え、解ったか?」 後ろから髪に口付けるような近さで囁かれる言葉に体が反応しそうになる。 「簡単だった…って訳じゃねぇみてぇだな?」 「アンタが持ってくる問題はいつも厄介だ」 「どうして俺があの時その曲弾いたか解るよな?」 「…」 「何で逃げた?それとも何か?ソレは、やっぱ受け取れねぇか…?」 抱き締められた背中が温かい。 背後から囁くようなその声はサイファーの胸を伝わって背中にも届く。 呼吸さえ上擦りそうになるほど酷く緊張してるのは俺だけじゃ無いとその声が伝えているようだった。 今なら解る。 あの時どうして引き止めてしまったのか。 あの時どうして逃げ出してしまったのか。 (体は俺が思ってるよりも正直だったんだな…) 手にしたオルゴールをゆっくりと掌から放すと俺を抱き締めてるサイファーの手に手を掛けて外す。 ゴトッ と鈍い音を立てて床に転がった弾みで開いた蓋から零れだす音楽。 振り返って見たサイファーは今までのどんな時よりも真剣で、それで居て瞳に縋ってくる子供のような色を滲ませてその中に俺を映していた。 真っ暗な室内で真っ直ぐ見詰め合ったままで居るとそれは俺を抱いてる時にだけ見せるその瞳と同じものだと言う事に気付く。 「…オルゴールは要らない」 そう告げた時にサイファーの瞳に走った痛み。 “そうか” と低く答えて背中を向けたサイファーのその体に素早く腕を巻きつけて、上擦りそうになる呼吸整えると…小さく深呼吸した。 「その替わり、 “アンタが欲しい”」 サイファーが残したクイズの答えを自分の言葉に言い換えて静かに唇に乗せる。 返答は返ってこない。 替わりにゆっくりと俺の腕を解いた震える手がそのまま息が苦しくなるほどきつく抱き寄せてきて…俺からも背中に回した腕でその存在を確かめるようにすると今まで感じていたものとは違う感情が胸に溢れてくるのを感じる。 静かな暗闇の中で “貴方が欲しい” と名付けられたその曲が優しいワルツのリズムに合わせて流れていた。 ---あとがき--- 私にしては珍しく甘くなりました。 砂と言うか…砂利、吐いて良いですか?(真顔/勝手にしろ Special thenks:Seth様、北様 |