あの後…そう、ホワイトデーの夜の事だ。 俺はずっと気になっていた事を目の前にある裸の胸に額をくっつけるようにして呟いた。 「…あのオルゴール、あんたが買ったのか?自分で?」 「あ?…ああ、当たり前だろ」 (…どんな顔して買ったんだ、アレ…) 想像すると可笑しい。 多分オルゴールを売ってるような場所と言ったらやはり女子が行くような雑貨店だ。 そしてそういう場所と言ったら俺には到底近づく事さえままならないような可愛い物が溢れかえっているに違いない。 そんな場所にサイファーが居たのだと言う事実を想像するだけでも笑いが込み上げてくる。 俺よりも男らしい作りの顔と体躯をしたこの男がそんな場所でオルゴールを選んだのだ。 そしてその手にあの後、結局俺の部屋のデスクの上に乗る事になった手の込んだ細工の施されたあの木箱のオルゴールを持ってレジに並んだのだろう。 はっきり言ってギャグかあるいは罰ゲームか何かのような光景に店員も驚いたんじゃないだろうか。 想像し始めるとどんどん笑いが込み上げて来て…俺はいつの間にか身体を揺すって笑っていた。 「コラ、テメェ…何想像して一人で笑ってやがるっ!」 「くっ…だってアンタ…アレ自分で買ったっ…んだろ?…ぷっ」 「顔を逸らしてまで笑うなっ」 「顔見たら尚更に笑えるんだっ、ふっ…しょ、しょうがないだろ」 勝手に色々と想像して笑ってる俺に呆れたのか…サイファーはいきなり身体を起こすと俺の横を離れた。 不意に開けた空間はまだ闇が支配していて…窓から差し込む月明かりがそこに黙って立つサイファーの後姿をぼんやりと浮き立たせている。 その光景がまたそれでなくとも整った体躯をしたサイファーのその姿を尚更に幻想的な光景に仕立て上げて…それは芸術品であるダビデ像を思い浮かばせるような光景になっていた。 裸のままで寒くは無いのか…別に構う仕草も見せずにそのままの格好でおもむろに俺の机に近付き、その上に乗っていた例のオルゴールを開く指先。 サイファーの大きな手には似つかわしくないその小さな木箱の中から流れてくるのは日中の間、嫌になるほど聞き続けた 『je te veux』 。 その軽快なメロディーを少し聴いていた横顔が少し笑って、そのまま俺の椅子に裸の腰を下ろして足を組み、机に頬杖付いて…どうやら俺に笑われ続けるよりもその曲を聞く事にしたようだ。 目を伏せて曲に聞き入ってるらしいその横顔を月光が柔らかい明かりをもって何かの意図が有るかのように浮かび上がらせている。 その光景にいつの間にか目を奪われていたと気付いたのは…サイファーが小さな声で流れるメロディーに併せて聴きなれない言葉を紡ぎ始めたからだった。 それは授業の中でほんの少しだけ学んだ、ごく限られた地方でのみ使われていた言語。 俺でさえ話せと言われても咄嗟に使う事ままならない、今はもう既に使われる事のない言語をどうしてサイファーが…それも歌う事など出来るのか。 答えは俺が聞きもしないうちにサイファーの口から聞かされた。 「…義父がな、いきなり荷物を送って来た。俺の部屋に有ったヤツだ」 それは今まで聞いてみたくても聞けなかった…サイファーが引き取られてから、ガーデンで再会するまでの空白の時間。 俺の知らないサイファーの姿。 「俺の部屋を片付けたらしい。跡形もなく綺麗にしたみてぇだな…送って来やがったものに添えて有った手紙に “一人で生きてくれ” って書いて有った」 苦いものを吐き出すような表情でぼそぼそと歯切れの悪い言葉が続けられるのをベッドの上でただ黙って聞いてるしかない俺は…そう、逃げ出したい気分だった。 元から人の泣き言を聞くのは好きじゃ無い。 聞いても何も出来ないし、何より俺が何かしたからと言ってその現状が変わる事などないからだ。 起こってしまった事を悔いて愚痴を聞かされるよりは先に進むアドバイスを求められた方がまだマシと言うものだ。 そして俺がそういう性格だと言う事を知ってる筈のサイファーがこんな事を口にし始めるのは酷く珍しい事で…その点でも何故か拒む事を憚られる気がしていた。 「俺が魔女の騎士になった事が原因らしいな…まぁ元々大して帰る気にもならなかった家だ。構わねぇんだけどよ…その荷物の中にコイツの楽譜が有ってな。ああ、そう言えば嫌になるほど弾かされたな、とかまぁ色々思い出した訳だ」 そう言って苦笑いを浮かべると不意に穏やかな微笑みを浮かべてじっとこっちを見詰めてくる。 それまでも確かに逃げ出したい気分だったが…今はまた別の意味で逃げ出したい気分に襲われた。 こんな風に酷く穏やかな顔をして…包み込むような眼差しで見詰められるなんて事、今まではなかった筈だ。 その居た堪れない気分と言うのが顔に出てしまったのか、それともただ話の続きに戻りたくなっただけなのかは解らないが…不意に酷く男らしい色気の漂う表情で笑ったサイファーは視線を再び目の前で鳴り続けているオルゴールに落とす。 「その楽譜見てたらな…この曲に付けられた歌詞も一緒に思い出して、そう言えばこの歌詞を初めて知った時に “いつかこの曲を俺の好きなヤツに贈りたい” そう思ってた事も思い出したって訳だ。時を越えた願いがタイミングよく思い出されるなんて、ロマンティックだろ?」 …そうして俺は漸く、サイファーがどうしてこう言う回りくどい事をしたのか、と言う思い付きの始まりを知り…何故だかやけに疲れを感じて溜息を漏らした。 「ロマンだろうがアマンだろうが構わないからそういう事に俺を巻き込まないでくれ」 「ちっ…相変わらず可愛げのねぇヤツ…」 「男が可愛くてどうするんだ…気持ち悪い」 「…確かにな」 噛み殺したような笑いが室内を静かに支配していた。 満たされているような…そんな気分のするとても穏やかな時間。 「…さっきの、もう一回歌わないか?」 そんな風に切り出したのは…多分この悪くない雰囲気に俺もどうかしていたのだろうと思う。 断られるのを覚悟の上で切り出した事への返答は返らず…代わりにいつの間にか途切れていたオルゴールのネジを巻く音だけが暗闇に響いた。 流れ出した音楽。 カタッと小さな物音を立てて流石に今までずっと裸のままでそこに居たのは寒かったのか…再び元のように俺の横に潜り込んできた冷たい身体。 「冷たいっ、くっつくなっ!」 「お前が温めてくれよ。代わりに歌ってやるから」 「アンタが裸のままであんな所に座ってるのが悪いんだろ?!」 「じゃあ歌わねぇで良いんだな?」 狭いベットの上で男二人が揉み合うのは多分滑稽だろうが…今はそれどころじゃ無かった。 だが腰に腕を回されながら、そんな風にからかうような声で笑いながら顔を覗き込んでくる気配は…嫌じゃ無い。 「…冷たいからまだくっつくな…」 「まぁお前にしては譲歩した方か…りょーかい、指揮官殿」 そんな風にからかう口調で言われて。 何となく目の前に有った胸板に元の様に額を押し付けると不思議と安心する。 そしてそれからサイファーは俺が望んだとおりに耳慣れない言葉を囁くような声で歌い。 俺はそれを聞きながら目を閉じて、次第に温まっていく温もりに包まれながらゆっくりと眠りに落ちていった。 ───それから数日後。 古い記述に残されていたその歌詞の意味を知り、その歌を…その場の雰囲気に流されたせいだとは言えど、事も有ろうかねだってしまった自分に自己嫌悪を覚えたのは言うまでもない。 WDイベントに出させて頂いた 『je te veux』 の続きとして書き上げたものです。 ちなみにこのエリック・サティ作曲の 『je te veux』 には歌詞が付いてまして。 男性が歌う歌詞と女性が歌う歌詞(こちらの方が一般的にも知られている)の2種類の歌詞があるのですが、私は男性の歌詞の2番が特に好きです(笑/聞いてないから |