アクア
東京封鎖六日目、夜。一人きりで空を見上げていると、何通かのメールがCOMPに届いた。
それぞれがそれぞれに思い描く道を共に歩み行かんという誘いのメールを読み、レスを返すでもなくレンはただCOMPを閉じる。
決断の時だとわかっていた。
タイムリミット前日。もう迷うことはしない。後に悔やむこともあるかも知れないが、レンの答えはとうの昔に決まっていた。ただ、それを先延ばしにして現状に甘えていただけだ。

同じ道を歩む人には今夜中に行けばいい。
その人物はきっと、レンがどこにいようとどんな行動をしていようと、会う必要さえあれば、必ず遭遇することが出来るはずだ。
だから出来るだけ後回しに、先延ばしに。せめて最後に自分と係わった人に会って話したい。
それがやはり決断を先延ばしにしていたことと同じく甘えだということはレンにだってわかっていたけれど、誰かの望んだ道を共に行くというのは、他の誰かの望みを絶つことだから、その誰かとはもう会うことがないのだ。そう思えばやはり最後に、という気持ちが勝ってしまう。
そして、レンが選ぼうとしている道はメールの差出人と自分だけが歩く道で、少なくとも、レンはそうでなければならないと思っていた。

だから、COMPをポケットに仕舞い込んでたった一人歩き出した。
ユズやアツロウにさえ何も告げずに。

そして今、本来高校生である自分が出入りするようなところではない店の扉の前にレンは立っていた。
小洒落た造りの扉にそっと手をかけて開く。電気がない所為で暗い室内でもわかるほど、自分は闇に慣れてしまっていた。六日だ。順応するには充分な時間だったと思うし、それ以外の理由(たとえばベルの力に因るものだとか)もあったかもしれないけれど。
とにかくカウンターの奥にいた目的の人物を見つけることが出来たので声をかけてみた。

「ジンさん」

名を呼ぶと、目を凝らしていたのか数秒間があって、それから、お前か、と返された。
中に入り扉を閉めると本当に真っ暗で、相当近づかない限り相手の表情は読み取れない。それでも迷いなくカウンターの椅子に辿りつき、了承も得ずにそこへ座る。

「こんばんは」
「ああ」
「…何しにきたんだって聞かないの?」
「聞いてどうするんだ?」
「だって」

アヤが愛した街を元の形へと、悪魔のいない東京へ戻したいと、そうメールを出したのはジンだ。
訪れたからには共に行くと思われても仕方がない。だから聞く必要がない。過程だけを見ればそう思っているのだとレンだって思うのに、どうも彼の声には寂しさのようなものが見え隠れするから、そうではないのだと思う。
だって、ともう一度繰り返し、続きを口にしようとしたレンをジンが遮った。

「お前はもう、決めてるんだろ?」

ジンが望んだものではない道を。

「…ジンさんてやっぱり大人なんだね」
「伊達に年食ってねぇってことだ」
「じゃあオレが何しにきたかもわかってるの?」
「そこまではさすがにわかりゃしないさ」

息を吐いてそう言ったジンの肩が竦められたようだった。
それがなんだかおかしくて小さく笑い、それから、あのね、と切り出した。

「最後にわがままを言いにきたんだ」

自分が歩もうとしている道を考えたら、ひどく不似合いな言葉。けれどそれも今日で終わり。自分に甘えを許すのも、誰かに甘え切るのも。いつまでも子供では選ぶと決めたことは成し遂げられない。
封鎖中、無条件で誰かに甘えることなど出来なかった。しようとも思わなかった。
ユズは守らなくてはならない女の子で、アツロウは少しでも甘えを見せれば際限なくレンを甘やかしてしまっただろうから。
肉親であるナオヤだってあんなもので、毎日毎日いつ死ぬかと考えながら、それでも必死で立っていたから。
東京封鎖が行われるまでは、甘えることも甘やかされることも日常だった。それはそれぞれに形は違っていたけれど。食べ物も寝る場所もあって生きることが当たり前だった生活は、それ自体がすでに恵まれていたのだと今ではわかる。
この件に関して、レンは自分が随分と甘ったれで、随分と周囲に甘やかされていたのだと自身で恥じている。そう思っているのはレンだけだったけれど、それを知らないレンはただ恥じるばかりだった。
だからこの時も、どこか引け目を感じながら言った。
封鎖と同時に捨てなければいけなかった甘えを、内に向けてとは言え残してしまっていた甘えを、人に向けることに申し訳ないと思う気持ちがあった。

「…ジンさんの作るカクテルを飲ませてほしいんだ」

フルーツが腐ったならそれを使わないカクテルを。
氷がないなら、水にブフ系のスキルをかければいい。
断りを入れられる前に、と矢継ぎ早にレンは言ったけれど、ジンは少し考えているようだった。

「…普通、高校生が飲むモンじゃねえって叱るところなんだろうな」
「ジンさんだって、未成年の時から飲んでたんでしょ?」
「まあ、な」

呆れたように笑って、彼は諾と言った。
電気の通っていない闇の中出歩くような人間は悪魔使いくらいだったし、それこそこんな状況でジンの店に客が来る訳もない。誰が咎める訳でもない。今時の高校生が本気で酒を口にすることがないとジンだって思っている訳ではないのだと思う。よほど真面目な人間ならそうかも知れないけれど、レンは一度だって自分が真面目だと思ったことはない。
そしてそれよりおそらく、レンが口にした『最後』と言う単語にジンは反応したのだ。

「なんでもいいのか?」
「うん…と、…あんまり苦くないやつ」
「曖昧だな」
「うん」

しばらく考えるようにしてから、ジンは品名が見えている訳ではないだろうに、危なげなく瓶を取り、ストレーナーに入れていく。
カウンターに伏せながらそれをレンはぼんやりと見つめていた。冷蔵庫らしき中に、氷があったことには驚いたけれど、彼だって悪魔使いだ。ブフ系のスキルであらかじめ作ってしまっていたのかも知れない。
氷あったんだ、と言うと、暑いからな、とジンは笑った。時に苛烈なほど冷たくなる瞳だけれど、笑うと存外にあたたかい色になるので、暗闇だと言うことをその時ばかりは惜しく思った。
そうこうしているうちに手早く作り終えたカクテルをジンがグラスに注ぎ、つい、と目の前に差し出される。

「待たせたな」
「ううん。これはどんなカクテルなの?」
「俺の勝手なイメージの押し付けだ」

闇の中ではほとんど色がない。わかるのはグラスの形状と透き通った印象だけだ。レンが訊ねると、ジンはCOMPを開き、それから漏れる光でカクテルの全容が明らかになった。

「…きれい」

透き通ったブルーのカクテル。嘘のように綺麗な海なら、こんな色をしているかもしれない。宝石のような蒼。
一口飲んで、そのすっきりとした飲みやすさに驚いた。一気に飲むと後が恐ろしいことはレンにだってわかっているので、もう一口だけ飲んで疑問を口にする。

「ねえ、ジンさんのイメージしたものって何?」
「俺の中のお前」
「ふうん」

………。

「え?」

間の抜けたレンの声が音楽も何もない店内に響く。その反応がよほど面白かったのか、彼にしては大仰に笑って見せ、それからレンの頭に手を置いた。
大きな手のひらがレンの髪をくしゃくしゃと撫ぜる。

「客のイメージでカクテルを作れ、なんてリクエストはよく受けるんだけどな。実際そんなモン店に来ただけで把握出来るモンじゃねえ。出来るってんならよほどの天才かよほどの馬鹿だ。お前のことだって全部知ってる訳じゃねえから、これは俺の勝手なイメージなんだよ」

目の前のカクテルとジンの言葉と手のひらの感触に、レンは何も言えずに黙り込んだ。
COMPの蓋は閉じられていて、一瞬でも光があった分、闇は深くなった。それを惜しむ自分と、安堵する自分がいてどうしたらいいのかわからない。

(オレはこんなにきれいじゃないよ)

(オレは、そんなイメージを抱いてもらえるような人間じゃないよ)

そんなことを考えながら、カクテルを口に含む。
ジンはどこか惜しむようにレンの髪を撫でていた。

「お前はな、優しいが時に甘過ぎる。それを愚かだと思うか、澄んでいると取るかは人次第だが、俺はお前のそんなところが好きだと思うよ」

まるで妙齢の女性を口説くかのように言うので、レンは笑った。
けれどジンの手が離れたのを見計らったかのように何故だか涙が溢れてきて少し焦る。これ以上の甘えを、自分に許すことは出来ない。
他愛ない談笑を交わしながらカクテルを飲み干し、涙が彼にバレてしまわないうちにレンは席を立った。

「…元気で」
「お前もな」

それだけの言葉で、いっそ呆気ないほどにレンはジンと最後の別れを告げた。

ジンの店を出てすぐ、レンは走った。しばらく走って、立ち止まる。走った所為でアルコールが回ったのか、少し眩暈がした。
本当に限界がきていたが、あの場で泣き声をあげなくてよかった。暗闇でよかった。感情を推し量ることが出来るのは声だけで、その声だけは完璧に作りきれた自信がある。
誰が見ている訳でもないのに手の甲で眼を隠し、レンはもう少しだけ、と自分に甘えを許した。

ひとしきり泣いて、しばらく歩いていると、計ったようにナオヤが立っていた。

「…目元が赤いな。泣きでもしたか」
「ううん、カクテルを一杯飲ませてもらったから…ちょっと酔ったのかも」

そうか、とだけ言って、それ以上言及されなかったことに安堵する。
相当な慧眼の持ち主である従兄にはおそらくバレているとは思うけれど。

「オレ、ナオヤと行くよ」

レンがそう言うと、彼は、知っている、と傲慢に言って笑った。この選択が、誰かを悲しませなければいいと思った。

        

(母なる海のようにすべてを癒そうとする人よ)
(何にだって限界があることも知らないですべてを包み込もうとする人よ)

(悲しみを吸い込んで、優しく包み込んで、ではお前はどこでそれを消化する?)

              


海は悲しみを吸い込んでくれるけれど、優しくすべてを包み込むけれど、では海の悲しみは誰が吸い込んでくれるんだ。

悲しいことを吸い取って未来へ進む手助けをしてる感じが海のようだという話。

アクアとゆー名前のチャールストーンブルーとゆーリキュールとグレープフルーツジュースとトニックウォーターで作ったカクテル。
なんかいいのないかなーと探してたらあまりにも綺麗な蒼だったので(どっかの店のメニューらしいけど)勝手に使ってみたり。しちゃったり。
本来ならナオヤのとこにみんなで行くのすら曲げてまで書きなぐったもの。この後ナオヤとアツロウたちのところに行くんだと思ってください(笑)。

2010/10/26 改訂

              

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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