魔王を知る者
人は今、とても弱い存在だった。
数ヶ月前東京封鎖が行われ、その後天使と悪魔の存在が公表されてから、捕食者という立場から捕食される側になった。
人を守ることをやめた天使は悪魔と大差なく、人は天使をも恐れ、悪魔も魔王となった者を恐れた。
彼が魔王となった経緯を知らない人間たちは、彼のことを歴史に名を刻む独裁者のように噂した。
曰く、人の命を命とも思わない冷徹な人間で、世界征服を目論んでいる。
曰く、悪魔どもを従え、暴虐の限りを尽くし、気に入らないことがあれば辺りを破壊して回っている。
曰く、その魔王が元人間である為に天使は人間を見限り、人への加護を解いた。
経緯を知る僅かな人間はそれを聞くたびに、そうではないのだと訴えたい衝動に駆られ、けれど生き抜く為に曖昧に頷いてそれを流した。
凶悪で非人道的で、まるで恐ろしい破壊神のように噂する人間は、自分たちが天使に見限られた理由をどうにかして魔王という存在に押し付けたいようだった。

   

「ねえ聞いた?オレ、化け物みたいな扱いされてる」

雑誌を読みながらレンが笑って言う。
ちらりとその雑誌に視線を移して見てみると、でかでかと魔王の実態!恐怖の魔界潜入!などと書かれた見出しがあった。

「魔界、そんなに怖くないのにね。みんな優しいし」
「ああ、まあふつーの人にとっては怖いんじゃね?」
「襲っちゃダメだよって言ってあるし、もし誰か来たら教えてねって言ってあるから、これ多分嘘っぱちなんだけどね」
「え、そうなの?」

ほら、とレンから雑誌を渡され、アツロウはそのページを読む。
記事には過去東京であった場所は血の海で出来ており、異形のものが闊歩する恐ろしい場所だったと書かれている。
血の海って、と半ば呆れながら読み進めていくと、取材中化け物に襲われただのと書かれ、悪魔の恐ろしさをこれでもかと伝えている。
これでは何も知らない者が見れば、魔界はさも恐ろしい場所で、悪魔は文字通り悪としてしか伝わらないだろう。
読んでいくうちにアツロウの眉間には皺が寄っていったが、魔王について、という欄を読み、更にその皺は深くなった。

「アツロウ、すごい顔してる」
「いや、ちょ、オマエこれ見たんだよね?!なんでそんな普通にしてられんの?!」
「えー?」

醜い顔をした背の高い男は黒いマントを羽織り、慇懃に言った。魔界に足を踏み入れるな、と。言うが早いか男は数名の悪魔に命令し、我々取材班を襲った。おそらくあれが魔王だろう。記者のうち、二名ほどが重症を負い、現在も治療中である、と書かれている。
醜い?身内の欲目で無くレンは美しい造作をしているし、この細ッこくて、背が低い背が低いと言われ続けてきたアツロウよりずっと背が低くて、戦っている時以外はぼんやりとしていることの多い、こんな子供みたいなレンが、およそ魔王らしからぬレンが、言うに事欠いて醜い顔をした背の高い男?しかも人を襲わせただって?誰の話だ、これは。
ひどく憤慨した様子のアツロウを、レンは不思議そうに見る。
まるで、記事のことなど知らないとでも言うように。

「レンは、こんなんじゃねえのに、こんな勝手に記事作って、勝手にレンを悪く言うなんて、オレは嫌だ」
「アツロウは優しいねえ」
「…オマエは腹立たねえの?」
「怖いもの、悪いものがあったら、自分たちのしたことを忘れられるでしょ?オレの所為にすれば、みんなが犯した罪のことなんて些細なことで、オレがすべての元凶になる。人は弱いから。こうなるだろうなってわかってたんだ、仕方ないよ」
「けど、そんなのってあんまりだ!」

かつて人であったレンは、人の弱さを知っている。でっちあげた記事ですら笑って流せてしまうほどに。
確かに彼は悪魔を守りたくて魔王になった。けれどそれだけではない。人を好きな彼は人が傷つかぬ道をも模索して日々を必死に生きているというのにどうしてこんな言われようをしなければならないのか。
それなのにレンは傷ついていないはずはないのに、それでも笑って言った。仕方ないんだよ、と。
どうしても納得のいかないアツロウはやり場の無い怒りをぶつけられる場所も見つけられずに唇を噛んだ。

「そんなに気にしなくていいよ、アツロウ。オレ大丈夫だから」
「……」
「少なくとも、アツロウはわかってくれてるでしょ?ナオヤも、カイドーも、マリ先生も、魔界にいる悪魔たちだってそう。オレが悪魔に命じて人を襲わせるような魔王じゃないってこと、知ってくれてるでしょ?こんな記事、嘘っぱちだってわかってくれるでしょ?だから大丈夫」

よく浮かべる、感情を悟らせない為の笑みではなく、心の底から信頼している者にしか見せない柔らかな微笑みで笑うので、アツロウはそれ以上何も言えなかった。
こんなに優しい魔王を、アツロウは他に知らない。悪評を甘受して、それでも凛と前を向き、わかってくれる人がいるから誰が何を言っても平気だと笑う魔王の、その優しさと強さと心を知らずに、好き勝手なことを言ってレンを貶める。
平気だと笑ったって、本当は傷つかないはずなんてないのに。

       

「レンは、そんなんじゃないのに」

レンとアツロウが読んでいた雑誌を広げ、小さく呟いたのは一人の少女だった。
封鎖中、魔王となった少年と共に行動し、彼の歩もうとした道を恐れ、彼から離れた、彼が魔王となった経緯と彼の人となりを知る数少ない人間がその場には集まっていた。
ユズの言葉に、ミドリが同意する。

「おかしいよね、この記事!あたしね、この間、そうじゃないよって言ったの。蓮さんは、あたしたちを守ってくれてるんだよって言ったの。でも聞いてくれなかった」

魔王イコール悪だと思っていたミドリも、数ヶ月の時を経てレンの選んだ道の意味とレンの思惑を理解したようだった。
その事実に気づいた時には、どうして話してくれなかったんだろう、とユズに泣き付いたが、あの時のミドリは説明されたとしても理解はしなかっただろうと自身でも気づいていたので、その時以来、六日めの夜の話題は彼女らの間ではなされなくなった。
正しいことを正しいと理解してもらうことは難しい。ネーミングが悪いからだ、魔王なんて、とミドリは自身の訴えが理解されない要因をそこに押し付けた。

「少し考えればわかることなのにね」

女の子に挟まれ、どこか居心地悪そうにケイスケが言う。

「僕らは天使の加護がない。見放されたんだ、自分たちの罪の為に。けれど人は未だにその種を絶やしてはいない。それは水城君の加護があるからだ」
「仲魔がいなければ、戦えないもんね。人間なんてこの数ヶ月の間で死んで絶滅してたっておかしくない…」

ユズは自分の言ったことに怯え、少し肩を奮わせた。
そうならずに済んでいるのは他でもないレンのおかげだ。天使が悪魔と交戦しているところに出くわしても、悪魔はうまく人をよけて天使を屠るし、その所為で命を落した人間もいない。怪我までは面倒見切れないのか、多少の負傷者は出ていたけれど、天使と悪魔の戦いの激しさをその身で知っているユズたちはそれだけで済んでいること事態が奇跡に思えた。ハーモナイザーがないのだから、ほんの一撃で命を奪われることだって充分にある。
そして悪魔が表立って天使と敵対することで、天使たちは人間への粛清を後回しにした。
それなのに、圧倒的な力を持つ異端の者というだけで悪魔は恐怖の対象で、魔王となったレンは諸悪の根源のように言われている。
レンが可哀想だ、と付いていかなかった自分たちを棚に上げて嘆いた。
さすがに最初からレンの思惑を理解した上で、付いていけないと言って袂を別ったケイスケは嘆くことも出来ず、困ったように笑みの形を作っただけだったが。

「水城君は、すべて覚悟していたのかもしれない」
「自分が悪く思われることも?そんなのおかしいよ!」
「だって考えてもみてよ、僕らが付いていかないって言ったことを水城君は責めたかい?哀しんだかい?僕らが付いていかないことも、魔王になることを否定するだろうことも彼は気づいてた。僕らが思うよりずっと、水城君は先を見通してた。それでも魔王になると言った彼が、それを予想していなかったなんて思えない」

ケイスケの言葉を噛み締めるように幾ばくかの間を置いて、ユズは悲しそうに口を開いた。

「わたしたち、ほんとにレンのこと何にもわかってなかったんだね…」

魔王になるということ自体が恐ろしくて、一緒に行けないと言った。
魔王というものは悪でしかないと思って袂を別った。
その思いを知りながら、付いてはいけないと共に行くことを諦めた。
きっと、アツロウは彼を本当に理解していた。アツロウはレンと共に行くことに何の迷いも抱かなかった。それを今更ながらうらやましく思う。

本当は今すぐにでも魔界に飛び込んで言いたいことがあった。
ごめんね、ありがとう、離れてごめんね。わたしたちはもうわかってるよ、どんな気持ちで魔王になったか、ちゃんとわかったよ、と。
けれどそれを言う資格がないことも、悲しいかなわかっていた。
自分たちに今出来ることは、ほんの少し勇気を出して、レンを悪く言う人たちに、そうではないよ、と注意することだけだ。所詮聞き流されて終わりだろうが。

「そう言えば谷川さん、日本、出るんだって?」
「…うん、魔界が日本全土を包み込む前に、引っ越しましょうってママが」
「ユズさんもいなくなっちゃうんだ…」
「仕方ないよ。悪魔が人間に手を出さないとはいえ、天使はそんなことを知ったことじゃないし、天使でさえそうなんだからって、普通は思うだろうし」
「ケイスケくん、もしまたアツロウから連絡あったら教えて、わたし、そろそろ行かなきゃ」
「ああ、わかったよ、またね、谷川さん」

二人きり取り残されたミドリとケイスケは、ぼんやりとユズの出て行った扉を見ていた。

「…ケイスケ、あたしも、もうすぐ引っ越すんだ」
「そう」
「悪魔が怖い訳じゃないよ、蓮さんが怖い訳でもないよ」
「わかってるよ」
「でも、自分の力の無さを痛感させられるのは、怖い、かな。だから」
「その点では僕も同じかな。でも僕はここに残るから。大丈夫、連絡があったら、また教えてあげるよ。またみんなで集まろう?」
「きっとだよ?絶対だからね?」

天使と戦うことを決め、人で無くなった者たちが抱くものとは違う苦しさを共有できるのは、かつて魔王がまだ人であった頃を知り、袂を別った者だけだ。
知らなければ他の人間と同じように、魔王を非難し、自分たちはとばっちりを食っただけなのだと嘆いたかもしれない。
けれど、その嘆きは、今の自分たちの嘆きよりも、ずっと軽いものだったろう。

    

魔王を知る者だからこその憤りと苦しみを味わうのは、彼と共に歩むからでも、彼と道を違えたからでもない。
彼ら以外が魔王を知らなかったからだ。
彼ら以外が、魔王の優しさを知らなかったからだ。

そして彼らが、魔王の強さと弱さを知っていたからだ。

              


外から見える魔王ってどんなイメージだろう、と思って書いてみたら、途中で力尽きた…。
ちょっと不完全燃焼気味なんでまた多分同じ感じのを改めて書くと思います…(へたり)
でも実はケイスケ好きなので、書けてうれしい。

2010/10/26 改訂

              

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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