いつか、約束の地で
救世主となって悪行をなした者を裁くようになってまだ日も浅い。
神の眷属らしく白い羽を授かったレンは持っていた本をぱたんと閉じた。きゅう、と空間を圧縮させて本を消す。それから大きく伸びをした。
白い羽がそれと連動するように広がって、やはりまだ慣れない、と溜息を吐いた。
ベルの王たるレンは羽などなくとも飛べるし、大抵の悪魔の持つ力はレンだって持っていたけれど、イメージ戦略とでも言うのか、神はレンの背中に羽をつけてしまった。
地上にあって、人前に現れ、白い羽を持つ者はレンだけだ。自ら救世主です、と公言しているような羽はやはり相当に居心地が悪かった。
悪行をなした人間たちは自分たちの罪が裁かれるほどのものなのかと怯えた目でレンを見るし、信心深い一部の人間からはやたらと敬われ、貼り付けるのに慣れていたはずの曖昧な笑みさえ疲れが滲んできた。
頬をぺちぺちと叩き、疲れている場合ではないと叱咤する。

「今日はあと八人」

先ほど消した本は裁かれるべきと判断された罪人のリストだった。
けれど天使の基準とは曖昧で、罪を犯した人と罪を犯そうとしている者の区別もつけずにリストに載せるものだからレンとしては仕事がしづらいったらない。
犯罪が起きる前にそれを阻止するのが今のレンの主な役目だ。そして、罪を犯した者を断罪することもまたレンの役目だった。

一般に噂されている救世主は、罪人にとって死刑執行人のような扱いだ。
それはレンだって知っている。けれどそんなものにはなりたくないと思う。
間違ったことをしたら裁かれる。それは当然の理屈で、間違ったことをされた者からすれば当然の報いだ。
けれど死を以って償わせるだけでは人の数が減るだけで、まるで恐怖政治ではないかと思う。
まして今まであったように警察がそれを検挙し、裁判官が法に照らし合わせて裁き、刑務所で服役するという訳ではないのだ。
それらはすべてレンが担っている。
より良く人が生活できる環境を整えるのは思った以上に大変な仕事だった。
罪を犯そうとする者の元へ訪れて、環境を少しだけ変える。やろうとしていることは悪いことだと諭す。定期的に見に行ってはその者が正しく生きているかを見る。
罪を犯した者にはその重さを悟らせ、ある一定の善行を積めば許した。それも出来ないようなら容赦なくその命を奪う。あまりやりたくはない手段だったが、それも務めだと諦めた。
その分代わりに更生が可能である者相手であるなら、レンはそれこそ身を粉にしてまで手を差し伸べ続けた。
命を無闇に刈り取るような真似だけはしたくない。ケイスケのやり方を見て、悲しいと思ったレンは、救世主という役割を与えられた今でさえ悲しいと思うから。
一生懸命レンは人に伝える。

「怒られるから悪いことしないように、じゃなくて、ちゃんと自分が悪いことをしたんだってわかってほしいんだ」

「悪いことだからしたくないって強く言えるようになって欲しい」

「悪いことだとわかっていて、どうしてもそれをしてしまったなら、もう二度としないようにがんばっていこう」

「一緒にがんばろうね。大丈夫だからね」

一人一人根気強く説得して、精一杯走り回って、終わりのない務めに奮闘する。
ほんの少しでも手を抜けば、この世界に蔓延る悲しみの種はどんどん芽を出していってしまうのだ。
悲しみは人の心を負の感情へ誘いやすい。負の感情は怒りや恨み、苦しみを呼び、結果犯罪は増えていく。
細い細い糸の上に立ち続けているような気分だったが、レンはそれを選んだのだ。仕方のないことだと思う。
神の言うまま努めれば確かにもっと楽だった。言われるまま道を踏み外した者の命を奪い、そうでない者にだけ加護を与える。そうすれば彼らは命を失いたくないが為に善行を積むだろう。それは確かに正しい世界かもしれない。
けれどレンはそんなのは嫌だと思う。
戻れるようならちゃんと戻してあげたいし、出来るなら奪う命の数は少ない方がいいと思う。恐怖で支配して出来上がった世界は、がんじがらめの楽園だ。
それではいけない。
レンがあの日願った未来は夢物語のままで終わってしまう。
怖れるあまりに正しく生きて善良な者を装うのは本当に正しい世界ではないし、正しくありたいと願ってそう生きなければいつかは破綻してしまう。それでは意味がない。
人も天使も悪魔も、等しく幸せになる権利があって、安らかであれる世界は、そんながんじがらめでは作れない。

リストにあった一人の青年の前に降り立った。
憔悴した様子の青年はレンの白い羽を見咎めた瞬間怯えたようにレンを見、殺さないでくれ、と懇願した。
(…こんなの、可哀想)
落ち着かせるように笑顔を浮かべ、ゆっくりと話しかける。

「大丈夫だから、よく聞いて」
「頼まれたんだ、そうしないと殺すって、だから俺は…!」
「うん、それもちゃんと知ってるよ。あのね、あなたはわかってるよね。悪いことをしようとしてるって。それでもその悪いことをしなければならない状況に追い込まれてるんだよね?」

優しく諭すように言いながら、レンは青年の傍にしゃがみこんだ。
青年は少し驚いたようだったが、それでも大人しくレンの言葉を聞いていた。

「その状況を、オレはどうにかしてあげられる力があるよ。状況が変わっても、あなたは悪いことを悪いことだと知っていて行ってしまうほど弱い人?」
「俺だってやりたくない、助けてくれ!」
「じゃあ大丈夫。普通に生きて、普通に笑って暮らせるようにがんばろうね」

約束だよ、と青年の手を取って指切りをする。
呆然と視線を返す青年に自分の羽を一枚手渡して、また来るからね、と立ち上がって帰ろうとすると、青年はようやく我に返ったのかレンを呼び止めた。

「どうしたの?」
「あんた、救世主じゃないのか?」
「一応救世主ってことになってるよ?」
「だって、救世主ってのは、その、俺らみたいなクズを…排除、するんじゃないのか」

その言葉にレンは眉を下げて微笑み返した。
そう思われているからこそのあの怯え方だったことはわかっていたものの、言葉にされるとやはり悲しい。
けれどどうにか笑みを貼り付けてレンは言った。

「あなたはクズなんかじゃないよ。悪いことをしようとしたけど、ちゃんと留まったでしょ?悪いことはしたくないって言ったでしょ?」
「あ……」
「あなたがこれから先、その気持ちを忘れずにがんばろうってしてくれるなら、何度だってオレは助けてあげる。でもあなたががんばってくれない限り、オレがどんなに状況を変えたって堂々巡り。何も変わらないし、変わらなければその時は…命を以って償ってもらわなければいけなくなるかもしれない」
「……」
「けどね。オレはこれでも救世主だから、そうならないようにあなたみたいな人を応援したいんだ」

レンがそう言うと、青年は今にも泣きそうに顔を歪めて、先ほどレンが手渡した羽を握り締めた。
ありがとう、と掠れた声で言う青年を見て、彼は大丈夫だとホッと息を吐く。
柔らかく笑って手を振り、青年を唆した者の元へ行く為、レンは飛んだ。
おそらく、その者は手遅れだ。わかっている。他者を食い物にして罪を犯させ、自分はのうのうと生きているような者をこそ、レンは命で贖わせなければならない。
嫌な役目だけれど、それも仕方がないことだ。
行いだけを見て裁くのは、きっと今よりずっと楽で、ずっと効率的な仕事が出来るのだと思う。けれど、結果だけでなく経過や発端となった出来事もちゃんと鑑みて、助けられる命ならば助けてあげたい。そして今のようにちゃんとわかってくれる人の為にも、自分がしたことを棚に上げてレンを買収しようとするような輩は淘汰せねばならない。
けれどいつだってレンは最後に問うのだ。

「あなたは、悪いことをしたんだって、誰かに謝ることが出来る人?」

助かりたいが為に嘘を言っても、何故かレンにはそれがわかる。
言った言葉が偽りであれば、泣きながらでもレンはその者を断罪した。
本当に後悔して、本当に自分の過ちを正したがっている者はどんなにひどいことをしてきた人でも更生への手助けをした。
甘いのだとは自覚していた。
きっと、夢見た未来を実現するのはとても長い時間がかかることもわかっていた。
けれど寿命や不慮の事故でなく命が誰かの手によって奪われることはあってはならない。
それでは悲しみや憎しみが連鎖していくだけで、本当の安寧には程遠いのだ。

だからレンは飛ぶ。白い羽を羽ばたかせて。
怖れる者もいれば、敬う者もいる、すべての人と悪魔と天使の為に。
誰もが、幸せになる権利のある世界の為に。
人が本当の意味で安らかであれる世界の為に。

君と約束した世界の為に。

              


救世主ルートで奮闘する主人公。
警察とか裁判所とか刑務所とかそゆもの一手に引き受けてる感じで。
そのうち過労で倒れそうです、この主人公。
一応「彼がすべてを望むが故に」の続きな感じで、クフと約束した世界の為にがんばってるつもりで書いたんですけど、クフさんまったく出てきてないですよね(笑)。

2010/10/26 改訂

              

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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