奇跡
美しいものは長い年月を生きてきただけあって幾らでも見てきた。
けれど、真実心を動かされたものはあったかと言うと、自分はただ一つしか記憶にない。
蒼玉の瞳を持ち、それと同じ色身の髪はまるで希少価値の高いスターサファイアのように光り輝く、儚さと強さを併せ持つ美しい少年。
彼を少女と見紛う者はいなかったが、男とも女とも言えない、不思議な見目をしていた。
そっと伏せられた睫は長く、頬に影を落すほど。強い力を放つ指先は、どれほどの戦場を経験しても白く美しいまま。華奢な身体に見合わぬ強大な力を制御し、どんな時も背筋を伸ばし、凛と立つ姿は神よりもいっそ神々しくあった。
彼には白が似合う。決して何にも染まらぬ真白こそが彼に相応しい。彼の名の由来である水辺に咲く花が決して泥に穢れぬように、彼もまた何にも穢されぬ不可侵の色が似合う。
彼ほど清らかな存在を知らなかった。だから彼をこそ美しいものだと思う。初めて心動かされた、奇跡のような存在だった。
クーフーリンにとってレンは神よりもずっと尊く、そして崇拝に近い感情を持って彼を見ていた。

けれど彼が神などではないことをクーフーリンは知っている。
神のように無機質で無慈悲な残酷さを彼は持たず、強いけれど決して完璧ではない弱さがあった。
傍にいて欲しいとねだる弱弱しい声。手を繋いで欲しいと甘えるあどけない顔。髪を撫でるとまるで子猫のように目を細めた。
時に迷い、時に悩み、それでも彼は前を向き、決して立ち止まらない。ただ、その弱さや幼さを垣間見るたび、彼を愛しく思う気持ちが溢れていった。
彼の涙を見るたびに泣かないでくれと願い、同時に彼の宝石のような涙を見られることに喜びも感じていた。
いつからか、彼は自分の主であるというだけでなく大切な存在になっていった。凛と咲く花が手折られぬよう無我夢中で駆け抜けた。幾つもの戦場を潜り抜け、どうにか彼を守れるだけの力を手に入れた。数多いる彼に傅く悪魔の中でも彼に信頼される悪魔になりたい一心だった。
その願いの元となる感情にクーフーリンは気付いていたけれど、必死に気付かないふりで彼に傅き続けた。彼に従順な下僕でありさえすればそれでいいのだと。
それでも彼の傍に居る時間が長くなればなるほど、赦されない感情は強く深くなっていった。

彼に名を呼ばれるたび、自分が特別なものになったような気がした。
彼の為に戦うたび、ゲイボルグは今まで以上に殺傷能力を増し、刃毀れ一つせずに妖しく光り輝いた。
彼が戦場の功を労ってくれるたび、これ以上もなく自分の武を誇らしく思った。
けれどそのたび彼を想う感情が暴れだし、いつしか彼に牙を向けるのではという危惧も強くなった。

そんな気持ちを知ってか知らずか、いつからか彼はクーフーリンの為だけに歌ってくれることが増えた。
なぜだと不思議に思う気持ちがなかったかと言えば嘘になるが、問うて彼の歌が聞けなくなるのは嫌だった。
美しいものからは美しい旋律が生まれるのだと彼の歌を聴くたびに思う。
月夜に照らされた彼はこの世のものとは思えない様相をしていて、いつも幻なのではないかと不安になった。自身の願いが見せた幻想ではないかと。
歌い終わるとはにかんだ笑みを浮かべてぺこりとお辞儀をする。神性も魔性もないただの少年のようでいて、その全てを内包するような無限の可能性を彼は魔王になった今でさえ持っていた。
拙い賛辞しか贈ることが出来ないのに、それでも彼は嬉しそうに微笑む。
だから彼が喜ぶだろう全てのことをしてあげたい。何か、そうせめて感謝の気持ちを贈れないだろうか。言葉を巧く扱えない自分にも出来る何かがないだろうか。戦場で功を立てるだけではなく。
そう考えた時、彼と同じ名を持つ白い花を贈ろうと思いついた。

その日、クーフーリンは蓮の花を探しに出かけた。水辺に咲く花は案外と簡単に見つかり、決して枯れぬよう萎れぬよう魔力で時を止めた。
魔力が高い訳ではないクーフーリンにとって、花を探すことよりも花の時を止める魔法をかけることの方が労力を要したが、それでもどうしてもレンにその花を贈りたいという思いが実ったのか、目論見はどうにか成功した。
後はその花を彼に贈るだけ。それだけだ。けれど、かの悪魔のように贈り物を贈ることに慣れていないクーフーリンはどうやってレンに渡せばいいのかわからなかった。
急に贈り物など迷惑ではないだろうか。それも、普段そんなことをしない自分が贈るのでは変に思うのではないか。
そんなことを思いながら、やや持て余し気味に花を持って城内を歩く。すると背後からぱたぱたと軽い足音を響かせて彼がやってきてしまった。

「クーフーリン!」
「…主」
「驚いた?ね、驚いた?」
「ああ、驚いた」

ぽん、と両手で背を叩かれた。どうやら自分を驚かせたかったらしい。小さく笑みを浮かべて頷いて見せると、疑わしげな目を向けて唇を尖らせた。
けれどすぐにそんな表情は引っ込めて、レンはクーフーリンの持っている花を見てことりと首を傾げる。

「どうしたの?それ」
「…主に」
「オレに?」

そう言って半ば押し付けるようにレンの手に花を乗せる。
せっかくならもっと巧い言葉を添えたいと思うのに、クーフーリンの口から出たのはそんなそっけない言葉だけだった。それを歯痒く思う。どれほど思っていても言葉としては形にならない。そんな不器用さをクーフーリン自身恥じていた。
それなのに。

「うそ…」
「?嘘は言っていない」
「クーフーリンが?オレに?」
「気に入らないだろうか」

何度も何度も確かめるように訊ねて、それからレンはほろりと透明な宝石のような涙を零した。
そんなに気に入らなかったのだろうかと一瞬不安に思ったのだが、それはレンの表情が否定していた。
嬉しそうに嬉しそうに微笑んでいた。今まで見た中で、一番きれいに彼は微笑んで、ぎゅうっと抱きついてきた。それからありがとうと繰り返す。

「…主よ」
「ん」
「抱き返してもいいだろうか」

小さく笑う感覚がしてレンが頷いたので、そろそろと手を添えて抱き返す。
そこに確かにある命の鼓動を直に感じて、愛しさにどうにかなってしまいそうだった。
崇拝に近い感情を持っているだけにその思いはひどく後ろめたくて、強く抱きしめることが出来ずに深く溜息を吐く。

「主よ。もし私が主にとって取るに足らない存在ならば寄り添ったりしないで欲しい」
「え?」
「夢を見てしまう」

いつか想いが赦されるのではないか。いつか想いが叶うのではないか。誰が赦しはしなくとも、レンは赦してくれるのではないか。そんな夢を見てしまう。
美しいだけでなく残酷なほど優しい彼は、クーフーリンの葛藤をわかっているのかどうか、突き放しもせずに腕の中にいる。
そして腕の中で先ほどクーフーリンが渡した蓮の花を大事そうに見つめた。

「魔力を込めてあるの?」
「主のようにずっと美しいままあるように、と」
「あはは、初めて聞いた、クーフーリンのそんな台詞」
「似合わないだろうが…そう願いを込めた」
「そっか…ありがと、オレと同じ名前の花だね」

そう呟くように言って、レンは指先に魔力を込めて花を自分の髪に固定する。思った通り彼には白がよく似合った。穢れない白は彼そのもの。そう感じた瞬間、こうして抱きしめていることさえも彼を穢すことになるのではないかと恐ろしさが浮かぶ。
実際そう口にすると、彼は堪え切れないといった風情で笑い出し、言った。

「あんまりオレを神聖視しないでよ。肩凝っちゃう」
「主は穢れない存在だ。私が保証する」
「そう言ってくれるのはうれしいんだけど」

少し言い辛そうにレンが続ける。そっと髪につけた花に触れながら彼は視線を落として呟いた。

「オレは元人間だから愚かだし…魔に身を落したから欲望にだって正直なんだよ」
「そうは見えない」
「クーフーリンが知らないだけだよ。…ほんと、にぶくって嫌になっちゃう」
「?」
「君の幻想をぶち壊してやりたくなる。どんな気持ちで寄り添ってるかも知らないで平気でひどいこと言うんだから」

そっと胸に手を付いて距離を取るレンの表情には深い悲しみのようなものが浮かんでいた。
傷つけたのだろうか。けれど何が彼を傷つけたのかわからない。
窺うように腰を屈め彼の表情を覗き込めば、突然に唇を塞がれた。余りに唐突で、理解が遅れる。その隙にレンはクーフーリンの腕から抜け出してしまった。

「あ、主?」
「あはは、その顔いいね。さっきの驚いたって言った時の顔よりずっと驚いてるもの」

くすくすと笑うレンの表情はあどけない子供のそれだ。先の悲しみの影など微塵も感じさせない。
あれは幻想だろうか。自分の願いが生み出した都合の良い幻ではないだろうか。そう思わずにはいられなかった。
けれどあの悲しみを帯びた表情も、唇に僅かに残る感触も幻想にしては精巧過ぎた。
呆然と見つめるクーフーリンにレンは笑って返し、背を向けて行こうとする。気付けばクーフーリンは彼の腕を掴んでしまっていた。

「…なあに?」
「主、私は」

何をしているのだろう。普段の自分からすれば不敬に過ぎる行為だ。
何を言おうとしているのだろう。言っては取り返しがつかなくなる。
この感情に名前をつけてはならない。彼は自分にとって神にも等しい、いや、神よりも尊い存在ではなかったか。彼を想うのならば彼の従者に徹するべきだ。それでも充分に身に余る栄誉ではないか。彼の手駒となれるのだ。そんな素晴らしいことはない。
けれど、願わない日はなかった。赦しを請わない日はなかった。奇跡のように美しく残酷なほど優しい彼を想わない日はなかった。
円らな瞳は価値ある蒼玉よりも美しく輝いて、戸惑いを浮かべたクーフーリンを鏡のように映していた。
駄目だと、わかっているのに。

「私は、夢を見ていてもいいだろうか」

低く掠れた呟きが引き留める理性を凌駕して零れ落ちた。所詮悪魔だ。願いを、いやそれよりももっと薄汚れた、欲望と言ってもいい感情を抑えることが出来ない。いっそ浅ましい願いを一笑に付してくれたらよかった。罵倒されたってよかった。
けれど一縷の望みを捨て切ることが出来ずにいるクーフーリンに、穢れない真白の花を髪に飾った、自分が唯一心を動かされた少年は。

「幻滅しない程度にね?」

それこそ奇跡のようにきれいに微笑んで、ゆっくり、けれどしっかりとした動作で頷いて、クーフーリンの願いを赦してしまった。
まるで、それが当然のことのように。

             


ジャンヌのレッドゾーンを聴いててふと浮かんだ話。
「取るに足らない〜」の辺り。全体的に見るとまったく違うイメージですけど。

なんだかレンが普段より美化されているような気がしますが、大抵悪魔たちの間ではこんな見解です。
レンに鬱陶しいくらい愛を注いでみようとトチ狂ってみました。

2010/10/26 改訂

           

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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