彼の怒り
人は感情豊かだ。
その中で、彼は異質なほどとある感情が欠落していた。
怒り、だ。
嘆きや歓びは他と大差なく、いや他よりも豊かに感情を覗かせる。
けれど、彼を見ているうちに気付いた。彼は怒りという感情が薄いということに。
恐怖すれば顔が歪み、歓喜すれば瞳が和らぐ。だから誰も気付かない。
彼が、まるでどこかに忘れてきてしまったように怒りの感情を露にしたことが無いことを。
だから自分も、それに気付いたのは彼と出会って、随分経ってからのことだった。

「ご機嫌麗しゅう。魔王様」
「うわ、また出た。いい加減その胡散臭い挨拶どうにかしてよ」
「じゃあ、今日も可愛いね、蓮君、の方がよかったかい?」
「出会い頭に万魔の乱舞くらいたいならどうぞ」
「おやおや、怒らせてしまったかい?」

彼が魔王となって、ロキ自身彼に傅く悪魔の一員となってしばらく経った頃、彼の感情の欠落にようやく気付いたロキはレンを今まで以上に細かく見つめることが多くなった。
不機嫌そうな顔を作ってもレンは本当の意味で怒ったりはしない。
感情豊かで誰からも愛される珍しい魔王が怒りに顔を歪めた時、それは一体どんな表情になるのだろう。
それ自体に興味はあったが、その時にはロキはレンを好いてしまっていたので甘い表情をどうにか引き出すことは出来ても本気で怒らせることをどこかで怖れてもいた。

どうすれば彼の怒りの表情が見られるだろう。
八方塞がりに近く矛盾した願いを持ちながら日常をレンの為ばかりに過ごしていると、御誂え向きにそれは起こった。

それは悪魔たちが集まる噴水近くの広場でレンとレン御付きの悪魔が談笑していた時のことだ。
珍しくロキに対しても機嫌の良かったレンがクーフーリンとオーディン、レミエル、ロキの前で慰労の歌を歌ってくれていた時だ。
彼の歌に聞き入っていた悪魔の表情が一瞬、強張った。完璧と言っていいレンの旋律が一つ外れた。
即座に歌を止めたレンは何も言わず、城へ飛んだ。細かな事情は飲み込めなかったものの、良くない何かがあったのだと気配で察したロキたちは彼の後に続き城へ飛んだ。

城の中は凄惨なものだった。
間の悪いことにナオヤもアツロウもカイドーも出かけてしまっていた為、対抗する手段がなかった所為だろうか。違う。そうではない。
破壊されつくされた城の中、悪魔の血でデコレーションされた玉座ににこりと微笑んでレンがいた。
そしてそれと相対するレンがもう一人。
側近であるロキたちはどちらが本物かだなんて一目瞭然だったが、そうではない悪魔の方が多かったのだろう。それくらいに偽者と本物は似ていた。
人であった頃より幾分伸びた髪も、真白な指先も、それらしく見えるようにとロキが贈ったクラウンも、すべてが同じだった。

「遅かったな、呪われし神の子」
「………」
「どうした。怖ろしくて声も出ないか」

黙ったままのレンは決して気圧されている訳ではなかった。

「れ、…!?」

まさに壮絶としか表現できない表情だった。
本当に真実美しいものは負の感情を浮かべてさえ美しいというのは知識として知っていた。幾人か、それらしい悪魔や神、天使も見てきた。
けれど、そんな生易しいものではない。
レンの怒りは冷たく凍える青い炎のようなオーラをしていて、触れたら最後、氷のオブジェにでもなってしまいそうなほどだった。
そして表情だけが変わらない。口の端に僅かに笑みを乗せ、言葉の冷たさと背負い纏うオーラだけが怒りを滲ませていた。
幾千の修羅場を駆けた経験のあるロキでさえ、ぞくりと底冷えがし、自身の顔から表情が失われていくのがわかった。
それでも尚、彼は美しく、気高くあった。
城の床が大地ごと震え、壁に穴が空いている訳でもないのに攻撃性を孕んだ突風が吹き荒れる。ロキでさえどうにかその場で踏ん張っているのがやっとなほどの強風の中、レンはまるで穏やかな風に舞うように宙を歩いていた。
空気が冷え、雨粒らしきものが天井から落ちてくる。それはまるでレンの怒りに凍らされたように雹になり、怒りに震える破壊された床に音を立てて落ちていった。

「久しぶりだねメタトロン」
「ほう、我が幻術を即座に破るか」
「わかるよ。お前は清廉で潔白で、気持ちが悪いほど生きているものの匂いがしないもの」

絶対零度に近い声音で、笑顔を作りながら現在神の一番近くに侍る天使にレンは声をかける。
表情などないはずのメタトロンの顔に、一瞬僅かな怖れが見てとれた。

「君はオレの大切なものを穢した。薄汚いその神の代行の手で。ふふ、これから何が始まるかわかる?ねえ、愚かな天使さん」
「汝の存在は我らが唯一神の憂いだ。それを排除する為には多少汚い手を使ってもやむを得まい」
「言い訳?そんなの聞いてないよ。オレが聞いたのはこれからどうなるかわかる?っていうこと」

ひゅん、と風を切る音がした。
ロキが認識できたのはそれまでだ。おそらく他の、そう、レン御付きのクーフーリンやオーディン、レミエル辺りならばロキと同じところまでは認識できただろうが、それ以外の、まだどうにか息があり、物陰に隠れている悪魔たちでは何が起こったのかさえわからなかっただろう。
ただ、次の瞬間には鋼に近い物質で作られているはずのメタトロンの身体が千千に裂かれていた。
大量の血が噴出し、破片が震える床であった場所に落ちていく。その上から雹というには余りにも大きな氷の塊が計ったように破片に突き刺さった。

「破片があれば再生してもらえるんでしょう?あ、無くても再生できるんだっけ。オレ再生に関しては素人だからわかんないや」
「……」
「ほら、早く再生してもらいなよ。そしてまたおいで。同じように何度も絶望を与えてあげる。ほら!唯一神さん?早くしてあげなよ!」

レンは狂気染みた笑顔でそう言って、空を仰ぐ。
彼の怒りは欠落しているのではない。沸点が高く、高いがゆえに誰も止められない。おそらくレン自身であっても。
そして理由なく怒りに任せて奮われるものでもない。堕天使であるレミエルがメタトロンであった破片を見つめているだけに過ぎないのもその所為だ。元同胞だというのに。

終わった。圧倒的過ぎる力の為に護衛に付いたこちらが手を出すような暇なんてどこにもなかった。
クーフーリンとオーディンが駆け寄り、レンに何事か声をかける。けれどロキはレミエルとは違った意味でその輪に加わる気がなかった。

「は、はは…!」

無意識に笑いが零れていった。
いっそ神々しくさえあるレンの怒りは今まで見た中で一番ロキを興奮させた。
彼が強いことは知っていた。今でさえ十二分に唯一神に対抗できる力があることも知っていた。
ただ、争いを好まない彼はなるべく犠牲を少なくする方法を模索していただけだ。それもわかっていた。
ぞくぞくする。先ほどの怖れからくる背筋の寒さなど比ではないほどに彼を我が物にしたいと願った。

微笑めば甘い香りのする天使。
歌を歌えばまるで聖母のように。
嘆きは穢れない乙女のような涙。

そして彼の怒りは、狂気に塗れていて悪魔を興奮させる麻薬のようだった。

             


ふとロキ主を書こうと思ったらなんかダークに…。おかしいな。予定では甘めのお話だったんだけどな。
まあ普段怒らせない人ほど怒らせたら怖いって言う典型。キレるとちょっと危ない子になります注意って感じ。

2010/10/26 改訂

           

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル