バベルの塔
「ねえ、レミエル。たとえばこの紅茶にスプーン一杯の砂糖を入れたとして…人によって味覚の差があるから一概には言えないけど、当然紅茶は甘くなるよね?」
「ええ、そうですね」
「でももしこの紅茶がティーカップじゃなくてたとえばバスタブみたいな大きな入れ物に入ってたらどうかな。スプーン一杯の砂糖でちゃんと甘みは感じられるかな?」
「それは…」
「無理だよね。紅茶の量と砂糖の量が合ってないもの。同じ甘みを感じようと思ったら砂糖も同じ対比になるように増やさなきゃいけない」
「ええ」
「逆に言えば、スプーン一杯の砂糖で甘みを感じようとするならそれにあった量に調節しなきゃいけない。…このカップに入るだけの量とかね」
「そう、…ですね」

ある日突然レンにお茶会に呼ばれたレミエルは、促されるまま椅子に腰掛けると、お茶に誘われた時がそうだったように唐突に話を切り出され、意図の読めない会話に曖昧に相槌を打った。
レンの視線は紅茶ではなくレミエルに注がれている。静かな視線は自分に何かを問うているのだろうと察するけれど、その問いが何であるかがわからず視線を僅かに逸らし用意された紅茶を手に取った。
テーブルの上に並べられたものは全て人間の嗜好品でしかない飲み物と食べ物だ。レンの許に降るまでこんなものとは無縁だったし、今でさえそれらを摂取する意味を見出せないのだけれど、問われて答えられる何かを見つけられなかったレミエルは仕方無しに目の前に置かれたティーカップを手に取り紅茶に口をつけた。
レンという存在はレミエルにとって全てが規格外で、性質の悪いことに彼は神性も魔性も身の内に宿し、人の子らしい狡猾さをも持ち合わせているのだ。堕天しても尚、謀ることに慣れないレミエルにとって、遠回しな物言いも言外に滲ませた意図を読むこともやはり不慣れなものであり、レンが望んでいるだろう言葉をすぐさま返すような芸当は不可能だった。

「身構えなくてもいいよ?」

言われ、知らず肩に力が入っていたことを知る。
くすくすと肩を揺らして笑う様はまるで無邪気な子供のようにも見えたけれどその裏側には底知れぬ何かがあるのだ。

「ただ人はそうやっていつの時代も適宜間引きされていくのかなって思っただけ」

笑顔のはずだ。彼が浮かべている表情は笑顔以外の何物でもないはずなのに、ぞくりと背筋を冷たい何かが走る。手に持ったティーカップの中で紅茶が非難がましく揺れた。
一見のどかに思える昼下がり、柔らかな日差しの下で微笑みながらティーカップに口をつけるレンはそれでも決してレミエルから視線を外さない。全てを見透かされているようで、別段後ろ暗いことがある訳でもないのに居心地悪く感じた。否、それどころか、いっそ射殺されてしまうのではないかと一瞬錯覚をしたほどだ。
数瞬の間をあけてようやく気付く。そう感じるのは彼の瞳の奥が笑っていないからだということに。美しい蒼の瞳は何かを責めているようだった。
間引き、と彼は言った。
不穏な物言いだった。普段の彼ならば、決して生ある者に対しては使わないような言葉だ。
それを歌うような節回しで続ける様はレミエルの目に異様な光景として映っていた。

「決してある一定以上増えすぎないように、一定量に達したらそれ以上は省いていく。一つ増えたら一つ減らし、二つ増えたら二つ減らす。そうやって試練とい名の間引きを繰り返して、本当に美しい世界になると思ったのかな」

どこか悲しげにぽつりと呟き、次いでカップをソーサーに置いてレンが立ち上がる。
くるりと舞うように背を向けて腕をいっぱいに広げ、視線だけをこちらに寄越すように振り返って笑った。
笑顔のはずなのに、どこか胸が苦しくなるのは何故だろうか。

「ねえレミエル、これが全知全能の神が創った失敗作の世界だよ」

赤の混じった空を背にレンが言う。

「光と祝福を与えて創られた世界と人間なのに、どうしてこんなに悲しいものになったんだろうね?」
「御主、…いえ、神が全知全能の存在ではなかったから、だと?」
「ふふ、それは穿ちすぎだよ。オレは別にそこまでは言ってない。…まあそれに近いことは思ってるけどね」

そこでレンは表情を曇らせて一つ息を吐くとレミエルにきちんと向き直り、言った。

「美しいだけの世界にはならなかったけれど、それでも一生懸命美しい世界にしようとしたんだと思うよ。かわいそうに、一人でがんばったんだろうね」

可哀想。レンは神を快く思っていないはずだ。それには数々の理由があり、その理由の中にはレミエルですら共感出来るものがあったが故に今自分はここにいる。いや、それは今は問題ではない。とにかく神を快く思っていないレンが口にした言葉は、嫌悪や怒りではなく、真実哀れむようなものだった。
思わず言葉を奪われたレミエルが瞠目したまま見つめ返すと、レンは、だけど、と続けた。
ああ。おそらくそれに続く言葉はきっと優しくないものなのだろう。容易に想像することが出来たけれど、まさか耳を塞ぐ訳にもいかず、レミエルはせめて気を落ち着かせようと冷め切った紅茶を嚥下しレンの言葉を待った。

「本当にいつからこうなったんだろう。必要不要を取捨選別して間引きを繰り返して試練を乗り越えられた人間だけを残せば必ず美しい世界を創れると思ったんだろうね。けれど世界は須らく全てに優しく、そして厳しい。誰か一人の思い通りに全てがうまくいくなんてそれこそ夢物語だ。たとえその『誰か』が創世の神であろうともそんなことは有り得ない」
「…そうですね」
「夢物語を望む気持ちはわからなくはないけれど、手に負えなくなったから創り直そうなんて酷い話だよ」

返せる言葉をレミエルは持たなかった。
いつになく饒舌に神を語る彼は、ただ神を凶弾したいだけではないのだろう。そうでなければ彼が、堕天した、謂わば神を愚かなまでに信じていたレミエルに語るはずがない。そしてまた、彼がこんなにも哀しみを音に乗せて言葉を吐く理由がなかった。

「オレは神を倒したい。滅びるも栄えるも誰かの所為でなく自分たちの所為でなら、オレだって神に対して文句なんてない。けれど勝手に創って勝手に終わらせようだなんて我慢ならないし、だったら土くれのまま命なんか吹き込まずに朽ちさせてくれたらよかったんだ」
「けれど、神がいなければ貴方は存在しません…」
「わかってるよ。だからいっぱい、いっぱい考えたんだ」

きっと、歩み寄ろうと思ったのだろう。理解しようと考えたのだろう。
彼はいつだって最大限の努力をして最善を掴もうとする。無論彼の中での最善であるから、必ずしも全ての者にとっての最善ではないのだけれど、とにかく考えたのだ、両者が歩み寄れないかどうか、必死に考えたのだ、きっと。
けれどやはり、無理だった。
許せなかったのだ。愛する者たちを苦しめ続ける神のことが。彼は聡く、時に複雑な思考回路を持つけれど、願いはいつも、とてもシンプルだ。
いつだってただ、愛する者たちが幸せであってほしいだけ、これほどシンプルな願いはない。

「ねえレミエル」
「…はい」
「オレは、神を殺すよ」

神を倒すということと、神を殺すということは、同じことのようで決定的な違いがある。
それをレンは今までレミエルに対して明言したことは無かった。レミエルもあえてそれを問いただしたりはしなかった。
けれど今、レンは神殺しの大罪を背負うと、明言した。
レミエルがこの時言葉を失ったのは、決して過去の自分の在った場所や自分が崇めた神の為に心を砕いたからではない。
ただ、彼を抱きしめたかった。愛する者たちの為に魔王となり、やはり愛する者たちの安寧の為に神殺しというこれ以上ないほどの大罪さえも犯そうという彼を抱きしめたかった。その衝動をやり過ごすのに必死で言葉が紡げず、拳を硬く握り締めていたのだ。
けれどそういったレミエルの様子をどう曲解したのかは定かでないが、レンは今にも泣きそうに眉を顰めて視線を逸らしてしまった。

「やっぱりレミエルは反対?」

先ほどまでの強さが嘘のように言葉に覇気がない。
幾つもの言葉がレミエルの脳裏に浮かんでは消えていく。けれどその消えていった言葉の中、何一つとして元天使らしい言葉はなかった。
浮かぶのはただ、彼を守る為の言葉ばかり。
だって、レミエルは自らの目で見てしまった。自らの耳で聞いてしまった。レンが望んだ通り、自らの足で立ち自らの意思を元に行動することを知ってしまった。
昔であれば、レンと出会う前の自分であれば、きっと悲しみと憤りに眉を顰めてレンを凶弾することも出来たはずだ。
けれどもうレミエルは堕ちてしまった。自分は自分の意思でレンの御許へ堕ちてきた。
ならば彼を守る言葉以外に何が言えるだろう。

「…反対など、しませんよ」
「悔いはない?」
「私は貴方が唯一神に取って代わればいいとすら思っています」

幾分強い口調で言うと、一瞬レンは驚いたように目を見開いて幾度か瞬きをした後、ようやく翳りない笑みで笑った。

「君も随分魔界に毒されてきたね、まるで悪魔みたい」
「私が毒されてきたのは貴方にですよ」

神の御許を離れ、レンの御許で生活を始めて随分と経つけれど、彼は本当に不思議な存在だった。
自分の目で見、全てを決めよと言った。付くも付かぬもお前次第だと言った。契約に応じ、現れたレミエルにそれでも最後の判断を委ねた。
天使として神の御許に在った時は神の言葉のみが全てで自我など大した意味がなかった。
けれどあの時、自分は自分の意思で、彼の求めに応じたのだ。彼の中に、真実があるような気がして。
その判断は間違いではなかったと思う。そしてきっと、今も自分の判断に間違いはないのだ、そう、思う。

「貴方が創ればいいのです。紅茶の量に見合う砂糖が用意出来る世界を、貴方が悲しいと思わない世界を創ればいいのです。間引きせず、破壊せず、少しずつ変質させていけばいいのです」
「紅茶の量を減らさずに?砂糖が全てに行き渡るように?」

紅茶は生者、砂糖は幸福という加護。彼が最初唐突に語った言葉の意味をレミエルは今、正確に理解している。
回りくどい言い方はもしかしたら兄譲りなのかもしれない。思わずくすりと笑みを零しながらレミエルは続けた。

「ええ、そうです。貴方は全知全能ではないけれど、神に出来なかったことも貴方になら出来ると私は思っています」
「やけに過大評価されてない?オレ」
「いいえ?私は貴方ほどロマンチストではないですから、至極真っ当な評価しか出来ませんよ」

きっと、彼が望むまま世界を創ったら、風味なんか吹き飛ばされてしまうほど甘ったるい紅茶が出来上がるのだろう。
自分はそれを、見てみたい。己が眼で。

「―――神を殺しなさい、蓮」

そして誰も成し得るはずのない夢物語を現実にすればいい。

              


バベルの塔=実現不可能な計画=夢物語
この場合はレンの思うように世界が変質すること。

超難産です。
書いては消して書いては消してを繰り返して、もう途中で何が言いたいのかわかんなくなってきて、結局この形に落ち着くまで二ヶ月以上かかりました。

           

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル