あちらとこちら
『消えちまえ』

「…え?」

先ほどまで熱心に読んでいた雑誌から目を離しレンは顔を上げた。
どこからか、憎悪に近い感情のこもった声が聞こえたのだ。それも、自分ととてもよく似た声質の誰か。
突然に顔を上げたレンにロキが不思議そうな視線を送る。レン自身よくわからなくて、なんでもないよと取り繕った。
きっと幻聴だ。でなければなんだというのだ。まさかあの鏡の所為でもあるまい。
そう思いながら、けれどそうであれば自分と似た声なのも説明がつく。
けれど結局真偽を正すには判断材料が少なすぎて、レンは先ほどまでの会話に戻ることにした。

「それよりこれ、チョコレートファウンテン!家庭用もあるんだね、今」
「ああ、蓮君好きそうだよね。甘いもの好きだし」
「別に…普通だと思うけど」
「そうかい?」

ウッカリ雑誌に載っていたチョコレートファウンテンにテンションが上がって指差してロキに微笑んでから、しまった!と口ごもる。
甘いものが好き、というのはやはりなんとなく恥ずかしい。今更恥ずかしがったって魔王軍にいる者の間では周知の事実だったし、仲魔たちから贈られる貢物も甘いお菓子やそれに合うお茶が多いのだけれど。
それでも、知ってるよ、と言わんばかりのロキの得意げな笑顔が苛立たしい。

「好きなら好きでいいじゃない。…食べたことはある?」
「……前にナオヤにどっかのホテルに連れてってもらった時に一度だけ」
「おいしかった?」

言われて素直にこくりと頷く。
だって、あれは小さなフォンデュ鍋でやるチョコレートフォンデュなんかよりずっと胸が躍る。やっていること自体はチョコレートフォンデュと大して変わらないのだけれど、とにかくその大きさやたくさんのチョコレートに圧倒される。
チョコレートの泉とはよく言ったもので、初めて見た時は思わず歓声を上げそうになったほどだ。
レンの答えに満足したのか、ロキはやけに嬉しそうに微笑んでレンの頭を撫ぜる。
不思議に思ってことりと首を傾げると、ロキは任せなさい、と笑みを濃くした。

「何を?」
「僕が用意してあげる。家庭用じゃなくて、お店にあるようなおっきいの」
「チョコレートファウンテンを?は、本気で言ってるの?」
「うん。超本気。だから…」

そう言って肩に回された腕に力が込められる。引き寄せられて危うく唇と唇がくっつきそうになった。まずい、このままではロキのペースに持っていかれてしまう。一瞬のうちにそう判断したレンは声を上げた。

「クーフーリン!!レミエル!!!オーディン!!!」
「ちょ、蓮君?!」
「すぐ調子に乗る…!!」
「えー、ちょっとくらいいいじゃない、ケチ」

あーあ、とこれ見よがしに盛大な溜息を吐くロキから距離を取ろうとしたレンの視界が突然ぶれた。
え、と思ったのと何かに身体を引き寄せられて抱え上げられるまでがほんの一瞬。気付けば目の前にいたはずのロキとは距離が開いていて、ロキの喉元には槍の先がひたりと添えられ、その足元には鈍く光る矢が何本か突き刺さり、ソファに座っていたはずの自分の身体は誰かに横抱きにされていた。

「え…」

光の矢飛んできた方角からレミエルがゆっくりと歩いてくる。グングニルを当てた喉元をオーディンの隻眼が睨んでいた。
光の矢と槍からか、それともロキからか、庇うようにしっかりと抱えるのはクーフーリンだった。

「主、大事無いか」
「あ、うん」

レンが呼んだ三人はまるで部屋の外に待機していたかのような速さで現れた。もしかしたら本当に部屋の前で様子を窺っていたのかもしれないが、ともかく。
優しく訊ねるクーフーリンに頷いて返し、どうにか状況を理解したレンにレミエルがロキから視線を離さないまま訊ねた。

「蓮、この者はどうしますか?殺しますか。」
「えっと、や、それはちょっと重過ぎると思うから…そだ、三人で付きっ切り三日間お説教コースとかどうかな…?」
「三日?短くはないか!?こいつのことは昔から知っているが百年くらい牢に閉じ込めてもぴんしゃんしてるぞ、絶対!」
「私も同意見だ。この者は主に気安すぎる。殺せとまでは言わぬがそれなりに罰するべきかと」

(…みんなのお説教は百年牢に閉じ込めるのと同じくらい威力があると思うんだけど…)
レミエルの説教と言えば元天使らしい正論に堕天した者らしい屁理屈を混ぜたやたらと難しい言葉で延々と続く。オーディンは勢い任せのところはあるけれど、あのハイテンションで熱弁を奮われればかなりの威力だ。
それより何よりこの中で一番怒らせたら怖いのはクーフーリンだ。魔王軍にいる者はレンに対して相当に過保護な人間が多いのだけれど、彼はその中でも別格で、ナオヤやアツロウに負けず劣らずレンに対して甘い。そしてその分だけ他の者に厳しい。
ルシファーと戦った時もそうだったけれど、ロキとクーフーリンはあまり仲が良くないらしいので、彼がロキを説教するとしたら相当濃密な説教だろうと思う。
レンだって彼ら三人に付きっ切りで説教される羽目になったら即座に脱走を企てるかどうにかそれを許してもらえるよう必死で泣き落しにかかるだろう。魔王軍では割とメジャーな罰だがレン自身は出来れば遠慮したいと思う。

「まあいい。行くぞ、ロキ!我が直々に説教してくれる!!ハーハッハッハ!!」
「あなたも少しは静かにしてください。下品です」
「なっ!?」
「蓮君またねー、今度用意しておくからねー!」

オーディンとレミエルに引き摺られていくロキはひらひらとレンに手を振っていて、あの調子では三日といってもその期間拘束することすら難しいかもしれなかった。
いや、たとえ三日間みっちりと素直に説教を食らったからと言って、今までだって無駄だったのだ、ロキの素行が直るはずもないだろう。
レンが曖昧に笑みを作って見送り、彼らが見えなくなった頃になってようやくクーフーリンはレンをソファに下ろした。

「主、私も御前を失礼する」
「あ、うん、ごめん、ありがとう」
「また何かあったら呼ばれるといい。すぐに駆けつける」
「…どこにいても?」

ちょっとした悪戯心で訊ねてみると、彼は当然と言った顔で頷いた。

「私は主がどこにいても主が呼べばその御許に馳せ参じよう。たとえそれが地球の裏側であっても」

律儀にそう言って、いつものように恭しく跪いて頭を垂れてからクーフーリンも去っていった。
レンは意趣返しをされたような複雑な気分でソファに身を沈める。他意がないらしいことがクーフーリンの場合は余計に厄介だった。
はあ、と一つ溜息を吐いてから気持ちを切り替え、ぼんやりと思うのはロキのことだ。
別にロキと仲良くするのが嫌な訳ではない。鬱陶しくて時々本当に面倒くさいけれど、憎からず思っているのは確かだ。一緒にいることに不満がある訳でもない。ただ、ああいった行動はどうにかならないものか。

「ロキも少しは懲りてくれたらいいのに」

どうだろう。三日間の説教を抜け出す気満々で受けるような者が心を入れ替えるようなことがあるだろうか。
(…あっちの世界のオレみたく、もっと強めに怒るべきかなあ)
けれど重く激しい攻撃を受けても嬉しそうに笑っていたあちらのロキを思うとそれも無駄かもしれないと思い直した。そもそもたかがロキなんかの為に労力を割くのは正直面倒くさいというのが本音だった。

「……」

なんとなく気になって、壁にかけられた件の鏡に手を伸ばす。
上部に嵌め込まれた石に触れるとやはり一瞬力が抜けて、その後映像が映った。
(……うわ)
好奇心で覗いてしまってから後悔する。前回見たあちらの世界の自分がナオヤにべったりと引っ付いて嬉しそうに笑っていたからだ。

「うわー…」

衝撃的過ぎて意味のある言葉が出てこない。
以前見たロキを攻撃していた少年と同一人物のはずなのに、やけに表情が甘い。
(こんな顔も出来るんだ。しかもナオヤ相手に)
なんだかむずがゆいような居心地の悪さを感じてレンは鏡から視線を外す。
どうせあれは違う世界のことだ。だからレンとシイナは別物で、彼が何をして誰にどういう感情を抱いても構わないのだけれど、パラレルワールドと言うのなら、あれも自分の中にある可能性の一つなのだろう。そう思って想像してみる。
ナオヤのことが大好きで、ナオヤにだけ甘い表情を浮かべ、ナオヤに触れられて心底嬉しそうな顔をする、自分。
(いやいや無理無理…いや、好きだけど、オレも…でもあれはなあ…そもそも誰か一人だけ好きになる自分とか想像出来ない)
レンはみんなが好きだ。それにはナオヤも含まれるし、一般的な友情だとか親愛で片付くレベル以上の感情すら持ち合わせている。
けれど誰か一人を選べない。だから誰も選ばない。恋愛というものを神聖視している帰来のあるレンは、自分がどこかおかしいのだということもわかっていたし、そんな自分を嫌悪してもいたので、それ以上の感情に発展することはなかった。
だから、シイナとナオヤの親密に過ぎる関係を見ても、自分とナオヤに当て嵌めて想像するには障害がありすぎて巧く形にならない。
故にすぐにその想像は重たい溜息によって断ち切られた。
これ以上見続けるのは人の秘密を無断で暴いているようで気が引けるし、自分の精神衛生上もよくない。なるべく映像を見ないようにして鏡に背を向ける。
しばらくの時間を置いて振り返ると、すでに鏡面には何も映っておらず、少しだけ安心した。
けれど妙な違和感を感じて、レンは注意深く鏡を観察する。細かく美しい装飾。上部に嵌め込まれた石は淡く光っていた。
(あれ?)
ロキが持ってきた時も、レンの魔力を吸い取った時も、この石は無色透明だった。けれどどうだろう、今は僅かに色味を帯びている。
違和感の正体は解決したけれど、今度はまた別の疑問が浮かび上がり、ロキを三日間お説教コースに処したことを少しだけ後悔した。
この鏡を持ってきたのも、不思議な魔力について調べたのもロキだ。彼なら何か知っているかもしれなかった。

                            

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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