あちらとこちら
この鏡の向こうに、別の世界があるのだろうか。
テレビの中に入れたら、とか小さい頃はよく考えたものだが、電気という人類が後に見つけ出したエネルギーと異なる物を媒体にしている所為か、酷く現実味を帯びている。
淡く光を放つ石は、オーロラのように形容し難い色で輝いて、手を伸ばして触れたくなる程に美しく。
いけない、とレンは思う。
ロキがもし此処にいたら、レンの行動を止めるだろう。
何か、踏み越えてはいけない境界線に、爪先を重ねているような、そんな気持ちになる。
ロキは、何を思ってこの鏡を持って来たのだろう。ただ、面白そうだから?
可能性の世界とは言え、鏡から垣間見たその世界は、レン達の世界と相当に違っているように見えた。
悪意を持った氷の巨人、あんな表情のロキを、レンは今まで一度も見た事が無い。
チョコレートファウンテン、それもとびきり大きいのを、用意してあげると、レンに笑って見せたロキを、レンは間違っても傷付けたいだなんて思わない。
しかし、あれはロキの可能性だ。
彼を傷付けたのは、他ならぬ自分の、一つの可能性であり。
名前が違う、だが姿は瓜二つ、そんな可能性は限り無く低く、二つの世界は縁遠いようにも思う。だから気にする事など何も無いと、そう思いたい。
だけど。
考えてもみろ。
違うのは、『自分』だけだ。ゾクリと、背筋を冷たいものが這いあがった。
仲魔達はレンの選択により存在するのだから、レンが異なる事によって、連れている者も変わってくるだろう。
だが、ナオヤがいる、ロキがいる。
レンとシイナが入れ替われば、それだけで二つの世界はそっくりそのまま、引っくり返る。
「…怖いな、…何だか…」
やはりロキを三日間お説教コースに行かせるべきでは無かった。
ロキがいれば、どうしてあんなものを見せたのか、その理由はすぐに確かめられて、
『そんなくだらない理由!?おどかさないでよ、もう…』
『あはは、ゴメンゴメン、蓮君がびっくりする顔が見たくてさ、手品みたいだろ?』
こんな寒さは、吹き飛ぶに違い無いのに。
「…ロキ…、……なんで、いないのさ…」
逃げようと思えば、すぐにでも逃げ出せるでしょう?僅かに俯き、レンは呟いた。ふーっと溜息を吐いた瞬間、クスクスと聞き慣れた声が、レンのすぐ傍で笑った。
「そんなに僕に会いたいんだねぇ、嬉しいなぁ」
「!?ロキ、戻って……」
顔を上げる。だが、おかしいとすぐに気が付く。声の方には、鏡しか無くて、
「やあ、コンニチハ」
ロキとそっくり同じ姿をしたその男は、鏡の中で、ニタリと口元を歪めて笑った。その笑みはレンを、安堵させるどころか、不安にさせる。
「蓮君、だったかなぁ、ナルホドナルホド、君、綺麗な顔してるねぇ」
「ッ!」
「あれ」
レンは鏡の傍から飛びのく。誰だ、コイツは。ロキでは無い。少なくとも、レンの知っているロキでは。距離を取り、レンはいつでも攻撃を繰り出せるよう、密かに魔力を集中させる。
「逃げないでよ、僕、君の事結構気に入っているんだからさ」
だが、途方も無い違和感に、すぐに心を乱された。
「そんなに見つめないで、…照れるなぁ、ねえ、蓮君」
足が、無いのだ。足どころか、そのロキとよく似た男は、まるで肖像画のように、綺麗に輪郭をカットされている。鏡の縁から、一ミリもはみ出さないよう、綺麗に。
「彼はナオヤ君にベッタリで、ちっともつれなくてさぁ」
くつくつと、ロキが耳に障る高い声で笑う。爛々と輝く気味の悪い瞳を、ゆっくりと細めて。
「君、悦さそうだよねぇ、甘い匂いが、するよ、チョコレートみたいな」

―――僕が用意してあげる。家庭用じゃなくて、お店にあるようなおっきいの。

そんな事で人の心が手に入るとも思っていないのに、不器用なロキは、レンに好かれようと、愛しくなるまでに必死なのだ。
そんなロキの口から聞きたくなかった言葉を、奴は当たり前に口にした。
「僕とさぁ、寝てくれない?」
「ッッ!!」
頭の中が、真っ白になったような気がした。
「ッぐ!」
指先から迸った炎の奔流が一瞬でロキを呑みこむ。だが、しまった、とレンは思った。
ロキがくれた鏡も、鏡の中のロキごと、炎の中に消えて行く。
何よりも、ロキと同じ姿形をしたものを攻撃してしまった事実が、レンの心を掻き乱した。
「…ロキ…」
違う、あれはロキとは違う。分かっているのに。
「ロキ!!!!」
声を限りにレンは叫んだ、間違っても炎に焼かれたもう一人を案じたのでは無い、ただ、彼に分かって欲しかった。こんな事、したくてやったのでは無い、と。
信じて、と。
その時、ピシッ、何かがひび割れるような音が、した。
「強い魔力を持つ者の言葉には、呪いより強固な魔法が宿る」
「!?」
炎の中から、低い声が響く。クスクスと、初めは小さく、しかし、それは哄笑へと変じた。
「君の魔力が、世界の境界にヒビを入れたようだよ、レン君!!!!さあ、おいで!!!!素敵な旅の始まりだ!!!!目を逸らしたくなるような最悪の可能性が、君を待っている!!!!」
何が起こったのか、よく分からない。炎が掻き消え、鏡の方から腕が伸びて来た。その時誰かが何かを叫び、レンの体をきつく抱き締める。瞬間、破裂音。
ガラスの破片が降り注ぎ、キラキラと光の雨のようで、綺麗だとぼんやりと感じて。
「蓮君!大丈夫!?」
「……ろ、き…?」
気が付けば、その破片で頬に切り傷を作ったロキが、レンを庇うように、覆い被さっていた。

     

                                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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