あちらとこちら
「ねえ蓮君…、僕、今にも息が詰まりそうなんだけど…」
もうすぐ別世界の魔王が訪れる頃合いだ、とナオヤは言った。その言葉の真偽はともかく、五分も経たない内にロキは根を上げて耳打ちをしてきた。
静かに、とレンは人差し指を自身の唇に当て、声は出さずにロキを諌める。今は下手に刺激を与えないのが良策だ、だがその考えこそ、自身の余裕の無さを裏付けるものであり、レンは晴れない表情のまま、唇をきゅっと噛み締める。
姿は見えない、だが、あのロキもまた、この世界にいるのかもしれない。
その事も、もう一人の自身との対面と並び、レンの心をざわつかせた。
ロキはナオヤの様子を横目で窺うと、何も言わずにレンの震える手を握ってくれた。
「!」
驚いて顔を上げると、ロキはウィンクをして『大丈夫』と唇の動きだけで伝えてくれる。
何てキザな真似をするのだろうか、レンはついクスリと笑ってしまった。大丈夫、そんな言葉一つで安心できる程、状況は易しくないように思う。
だけど、ロキが生きて此処にいてくれる事は、レンの弱った心を確かに勇気づけてくれた。
(もう、絶対にあんな事はしない)
強過ぎる力を、感情に振り回されて奮う事があってはならない。
―――僕とさぁ、寝てくれない?
レンの知るロキは、あんな顔をしない、あんな目をしない。
もっと、不器用で、率直なのに遠まわしで、見ていて歯痒くなる程に要領が悪くて。それが、レンがどうしても嫌いになれない、この暖かい温度を持った悪魔であって。
(大丈夫)
心の中で呟き、深呼吸をする。
まだ全てを割り切って納得する事はできない、まだ辛い、それでも、レンは一つを誓った。
(護る為に、この力を使うんだ)
その決意はレンの横顔に現れていた。不安に揺れる瞳はしっかりと前を見据え、ロキの手をぎゅっと握り返した。
「蓮、と言ったか」
「…ええ」
別世界のナオヤは涼しく告げる。視線はモニターへと注いだまま、しかしその目はしっかりとレン達を捉えている。
掴めない、敵意は相変わらず無いようだ、だが、何を考えているのか、少しぐらい見えてもいいようなものなのに。
無意識に、ロキの手を握る力を強めてしまう。
「そう怯えるな、仮にもお前は魔王なのだろう?万魔を束ねる王がその有様では、神を屠るなど夢のまた夢だぞ」
「べ、別に、怯えてなんか、」
揶揄するような口調が気に障り、レンは自身の世界でナオヤにするようにすぐに反論をしようとしたが、その言葉は突如遮られる。
「姿勢を低くした方がいい」
ナオヤはキーを打つ手を休め、やはり笑いを含んだ声で言う。
どういう意味だと問い返すより先に、キィ、と、ドアが外側から引かれ、開いた。
「ナオ兄」
「!」
甘えるような少し舌足らずな声が、その隙間からナオヤを呼び、黒い衣服を纏った少年が、呆気無く室内へと入って来る。
「アツロウいなかったよ?用事があって外に行ったって、アツロウのガルーダが言ってた」
「そうか、すまないな、無駄足を踏ませてしまったか」
「ううん。気にしてない……、……?」
(うわ…)
目が合った。円らな瞳だ。吸い込まれそうな濃紺が、ぱちぱちと瞬いてレンを窺うようにじっと見つめている。人形のように長い睫毛は、ユズが躍起になってマスカラを付けていたのを思い出すと、絶対彼女には見せられない。
何よどうなってるのよこんなの詐欺よ!!と彼女がパニックを起こす様子がありありと想像できた。
女の子みたいだと、陳腐な表現だがレンはまず真っ先にそう思う。自分もどちらかと言えば中性的と言われる容姿をしているのだが、たった今入って来たその少年は、前知識が無ければ少女だとしか思えない。
声も、高く柔らかい。いつ頃からか時を止めてしまったように、その少年は余りに透き通った存在だった。
レンと、瓜二つの容姿をしているにも関わらず。
別世界の魔王、カミシロ シイナ。レンはナオヤの予言めいた言葉の通り、彼と出会った。
「あ、あの、」
ついドギマギしてしまって、レンは何から話すべきかを見失う。だが、シイナの大きな目が、いつの間にかレンから僅かに外れている事に気が付いた。
「!!??」
ほぼ同時だ。レンは咄嗟に魔力を結び、護りの盾を眼前に出現させる。真っ白い光の矢が、レンの眼前で弾けて消えた。
何が起こった、今。分からない。急激に攻撃的な魔力が高まるのを感じ、半ば無意識に結界を張った。
「…一体、…今の、何…」
天使の攻撃かと思った、しかし、其処には天使の姿など無い。幾ら室内を見渡せど、敵の姿は見えない。切れ切れに呟いたレンを庇うように、ロキが前へと出た。
ロキの視線はとても鋭い、レンは恐る恐る、その視線を追った。まさか、また、あの、別世界のロキが現れたのでは無いか、そんな風に思った。
「鬱陶しいマネしやがって」
すぐには誰の声か分からなかった。しかし、その声には不思議と聞き覚えがあった。
「消えちまえばよかったのに、クソヤロウ」
部屋でロキと二人、雑誌を見て談笑をしていた時、不意に空から聞こえた呪いの言葉。
―――消えちまえ。
シイナの唇が、同じ形で動いていた。
整った人形のような顔は、怒りに歪んでも、やはり作り物のように、綺麗だった。

               

                                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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