あちらとこちら
ベタベタと恥ずかしげも無く肌を寄せ合う二人の様子を、警戒の意味で窺わなければならないのが大変に辛い。シイナは見られているのを明らかに意識して、ナオヤの頬にキスを落とすと、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて舌を出してきた。
(いや、別に羨ましくは全く無いんだけど…)
うんざりしているレンを気の毒に思ったわけでは無いだろう、クツクツと肩を震わせながら、ナオヤはようやっとレンの方に意識を向ける。
「異界の魔王、お前もやはり、神を殺す事を目的としているのだろう?」
「え」
レンはすぐに答えを返せなかった。確かに神とはいずれ戦う運命にある、だが、殺すと露骨な表現を使われると、頷く事には酷く抵抗があった。
「ナオ兄、こんな奴と話す事なんてある?」
と、会話にシイナが割り込んで来た。言い方はともかく、今は渡りに船に思える。
「ビジネス的な意味では、な」
ふぅん、と気の無い相槌を打ち、シイナは値踏みをするようにレンを眺め回した。
「なんか、…見るからに弱そ」
「っ……」
円らな目がパチパチと瞬いて、その度に長い睫毛が影を落とした。礼儀を弁えない横柄な物言いも、この容姿と重ねると憎み切れないのが恐ろしい。何となく、可愛らしく感じてしまう部分さえある。信じられない話だが、これがシイナのカリスマ性であるのかもしれない。
「言うな、しい。この者もお前と同様の試練に打ち勝った強者だぞ?」
「えぇ?バ・ベルが弱かったんじゃないの、あっちの世界の」
「はは、成程、面白い説だな。しかし、その可能性はあるまい。バ・ベルの弱体は即ち、他の魔王全ての弱体化を意味する、それ程の変化があれば、世界その物が変質しかねん」
「ふぅん、じゃあすごーく運が良かったんだ、きっとそうだね」
シイナがクスクスと高い声で笑い、背中からぶつかるように、ナオヤをぎゅーっと抱き締めた。コラ、と窘めながら、ナオヤはその腕を解こうとしない。
明らかに度が過ぎた二人の馴れ合いだが、其処に一切の隙が無い事にレンは気が付いた。
幾らナオヤが優秀でも、シイナが全くの子供であれば、魔王軍は破綻するだろう。その様子が見られないとなれば、シイナはナオヤ以上に油断ならない存在だ。
(ロキと、互角以上に渡り合っていたのだし…)
異界のロキの力がどの程度かは測りかねる、だがロキは仮にも魔王の一角を担う存在だ。其処らの悪魔とは比較にならない実力を持っているのは、確かだと考えていい。
何より、今のやり取りを聞いてレンは思い出す。
(この子だって、バ・ベルを倒して魔王になったんだ)
あの過酷な七日間を生き残った事が、シイナの強さを裏付けているのだと。
「ねえ、アイツらとは、どうなの?」
「アイツら…とは?」
シイナの鈴の鳴るような声が、突如レンに向けて発せられた。ナオヤに寄りかかったまま、何処か艶めかしい微笑で首を傾げている。
「天使。いっぱい殺せてる?」
「な…ッ…」
赤い唇が、事も無げに物騒な単語を口にした。目を見開いたレンを、シイナが面白い物でも見たように笑う。
「そんなにびっくりするような事?だって、その為の力じゃない」
「…それは…」
そうかもしれない、天使達の横暴さは目に余る物がある。人の世を護る為だとか連中は口を揃えるが、人に害を為していないレンの制御下の悪魔達も多く殺された。
だから、襲って来るなら迎え撃つ、仲間を脅かすなら倒す、その為にレンは惜しみなく力を振るった。だが。
「お前だって、ナオ兄の為に魔王になったんしょ?ナオ兄の為に、神を殺そうって思ったんでしょ?そっち、どうなの?勝てそうな所まで行ってるの?」
ナオヤの思惑に乗る形にはなった、だがレンは断じてそれだけの理由で魔王になったわけでは無いのである。
「…オレは、」
此処で『違う』、と異を唱える事は、シイナの逆鱗に間違い無く触れるだろう。
何かあったら呼んで。ロキの声が風に乗ってふわりと聞こえた。何かあれば、ロキは必ず来てくれる。盟約も何もかもを飛び越えて、レンの元にやって来てくれる。
だからこそ、呼べる、はずが無い。シイナはロキに対して一切の慈悲を持たない。絶対的な力を感情に任せて行使する事に、罪悪感を覚えてなどいないのだ。
いつまでも答える様子を見せないレンに、シイナの口端が次第に下がってくるのが分かった。返答に残された時間は、後僅か。
通常ならばこれと思える幾つものフレーズが、レンの頭の中で浮かんでは消えていく。
それらは交渉という名の言葉の戦場で、常に相手を納得たらしめるに足る台詞ばかりだ。
なのに、そのどれもが、口に出すには至らない。
シイナは恐らく、いや、確実に、レンの考え抜かれた言葉一つに対し、突飛な我流の理屈をぶつけてくるに違いない。どう足掻いても、レンを否定して掛かるに違いない。
つまりは、魔王となった己を支えてくれている大切な仲間達までが、無下に否定されるという事だ。
(オレは、それが嫌なのかな。だけどこのままじゃ、もっと悪い結果を招く事になるのが分かるのに…)
どうすればいい、どうするのが最良だ。
レンはまだ見えぬ答えを、脳内のデータベースから探る。
プライドを捨て、シイナの期待する答えを返すか?下手に出て、シイナの嗜虐心を満足させるか?
(それは、嫌だ…、でも)
何かあったら呼んで。
また、ロキの声がリフレインした。追い詰められているわけではない、きっとどうにかしてみせる。
(だからロキ、今は、来ないで)
何かあるはずだ。何か、状況を打開する、最高の、魔法のような言葉が。
「もしかしてお前、神を殺すつもりが無いの?」
だが遂に、シイナが決定的な一言を突き付けた。その瞳の奥にはどす黒い闇を宿して、レンを軽蔑に満ちた眼差しで睨んでいた。
体が竦む。
やはり予測した通り、レン自身のみならず、仲間達の行いすら貶すようなシイナの発言に、レンの中の負の感情が異を唱え始める。
いつまで、大人しく言われるままになっているつもりだ、と。
自衛の為に勝手に魔力が高まっていく。いけない、レンは理性でそれを押し留める。ロキが来てしまう、暴れるな。レンは膝の上で拳を握りしめて、じっと耐えるしかなかった。
「しい、余り虐めるな」
「だって、おかしくない?ねえナオ兄、コイツホントに魔王なの?」
「…ほう?何が言いたい?しい、もっと分かりやすく教えてくれないか」
ナオヤがシイナの耳元で囁く声は、レンの元にも微かにだが届いていた。レンは次に続く言葉を容易に予想できてしまう。
シイナが一瞬、忌々しげに奥歯を噛み締める。ナオヤの背にしな垂れかかったまま、シイナはレンを言葉の刃で貫いた。
「スパイなんじゃないの、天使どもが差し向けた」
息を呑み、レンは凍りつく。否定以外に、果たしてどんな言葉が返せると言うのだろう。
シイナが本気でその可能性を疑っているとは思えない、大きな目は笑みの形に細められ、レンの狼狽する様子を窺っている。
「ねえ、どうなの?スパイなの、お前」
シイナの言葉が二重にダブって聞こえる気がした。考え過ぎのはずが無い、余りに突飛なこの言動は、シイナの策に他ならない。
シイナはロキが飛び込んで来る事を望んでいる。要求に反するその乱入を盾に、害を為すつもりなのだ。

               

                                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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