あちらとこちら
「王、髪切ったの?だって」
無邪気に飛び回るピクシー達を遠くに眺め、シイナはクスクスと笑った。
アツロウはシイナと長い付き合いだ、だからシイナが何を思って笑うのか、裏側の目論見だとか、何となく会話をせずとも分かってしまう。だが今回は、少しばかり意外だと感じた。
「シィ、よく堪えたよな」
「堪える?何の事?」
あ、と、アツロウは思った。
シイナの方は、アツロウが言外に込めた物をすっかり見透かしているようだ。
何の事、と首を傾げながらも、シイナは妖しく瞳を細めている。アツロウはつい、帽子を目深に被り直した。
親友だし、ナオヤの次にシイナを理解しているつもりだし、封鎖の前も後も、大抵の人間が知らないシイナの、言うなれば裏の顔を見てきたアツロウだ。
だがそのアツロウであっても、シイナを恐ろしく感じる時がある。
「アツロウ酷いな、俺ってそうまで非常識に見える?ココって、仮にも他人の家だよ?俺だって、玄関で靴を脱ぐぐらいはちゃんとするよ」
笑い混じりの声は、アツロウが未だに恋をしている少年の物に他ならない。
だが布越しに、焼けるような熱さを感じる。
この瞳だ。とんでもなく魅力的なのに、直視する事ができない。逸らしたいのに見つめられたい、でも目を合わせれば、途方も無い危険が待っている気がして、それが恐ろしい。
眉間を貫く一筋の熱線は、もしかして冷気なのかも分からない。
陳腐な喩えだが、夏場によく世話になるドライアイスみたいに、余りに冷た過ぎて、アツロウの皮膚が火傷を負っているのかもしれない。
これ以上、この瞳に晒され続けては、どうかなってしまいそうだ。まず、返事をしなければ。
口の中がすっかり乾いていた。荷物の中にあったペットボトルの水を、アツロウはグビグビと飲む。
「っぷはぁ…」
少しばかり平静が戻り、やっとシイナに向き直る事ができる。
「や、なんつか、ゴメン、変な事言ってさ」
「もう、アツロウの中で、俺って一体どんな立ち位置なの?」
「うーんと…、たまに死ぬほど怖いデス…」
「ひどっ、友達なのに」
当のシイナはと言えば、アツロウの狼狽を面白がっているようで、口元に手を添え、お上品な笑いを零している。
「……」
何やら、これでは拍子抜けだ。
この世界にこれと言って恨みはないが、アツロウとてシイナを護る騎士を気取っている身分で、魔王の右腕と言っても過言ではない程の忠臣だ。
心は多少痛むが、シイナがやれと言えば、ガーデンを熱心に世話する可愛らしい妖精達を、片手で捻り潰す事だって厭わない。その覚悟で此処に来た。
いや、その前にシイナが、あの妖精達を見逃すはずがないと思っていた。
―――ねえ髪切ったの?
―――王が人間だった時みたいね
(アイツと一緒にされたら、真っ先にキレると思ったのにな…)
アツロウは虐殺を好んではいない。喜ぶべき事なのかもしれないが、緊張を解く事ができなかった。
シイナが異界の魔王を、このまま見逃すはずがない。それだけは確かな事だ。
(他の奴なら気を緩めるだろうけど…、ナオヤさんも無茶させるよな…)
狡猾を絵に描いたような師匠のしたり顔が脳裏に浮かぶ。だから自分だったのかと、アツロウは上機嫌に思えるシイナに油断無く気を配った。
笑い止んだシイナは、襟足を指で摘まんで、無邪気な調子で弾むように呟く。
「俺も髪を伸ばしてみようかな」
「っえ」
ギクリと、アツロウは目を見開き凍りついた。
シイナの短く切り揃えた髪の毛が、細い指の触れた箇所から次第に伸びていく。
見る間にシイナの髪は、あのレンという名前の異界の魔王の少年と、同じぐらいの長さになった。親しい者でなければ、一見すると区別がつかないだろう。遠目なら尚更に。
「似合う?」
「や、そりゃ、まあ…」
「ホント?後で写真撮ってね、ナオ兄に見せるから」
サラリと髪を掻き上げて、シイナは悪戯っぽく笑って見せる。思った以上によく似合っていて、アツロウは頬を染めてどぎまぎした。
その写真は是非自分の分も確保したいなと、思わず明後日の方向に思考がそれるのを、アツロウは寸手で留める。
「でもさ、シィ、髪なんて伸ばして、一体どうするつもり、」
「髪伸ばしたついでに、何だか、名前も変えてみたくなっちゃったかな」
「は…?」
シイナは長い髪を弄びながら、突飛な言動の意図を測りかねているアツロウに、妖しく瞳を細めて見せる。
「ねえ、レンって呼んで、アツロウ」
「…っ」
ゾクリと、体が震えた。
「そ、そんな事わざわざしなくてもさ、大丈夫なんじゃないか?」
慌てて視線を逃す先を探し、アツロウは色とりどりの花を、シイナの肩越しに見つめた。
妖精族の笑い声。咲き乱れる綺麗な花。
「そうかもしれないけど、念には念をって言うでしょう?それに、」
シイナは、花のように綺麗で、可憐で、だけど、
「もし何かあっても、全部アイツの所為にできるじゃない」
ザコに興味はないから、今は何もしない。シイナはそう続け、蔑むような視線を妖精達に投げかけた。
頼むからこっちに来るなよ、頼むから王とか呼ぶなよ、と、アツロウは胸中で何度も呟く。
「ホント、…ぬっるい世界…」
美しい花に見惚れて近寄って来たなら、最期だ。
シイナは食虫植物のように、容赦無く獲物を噛み砕くだろう。それでもシイナは綺麗に笑って、アツロウの名前を呼ぶに違いない。
「それじゃ、行こうか、アツロウ?」
「分かったよ、…レン」
このガーデンに、これ以上シイナを留まらせては、きっといけないのだ。

               

                                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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