あちらとこちら
「あれは…」

シイナのが見つめる先を辿って行くと、そこには色素の薄い髪と肌、血の色がそのまま透けたような赤い瞳。
見間違えようもない、ナオヤがいた。
そしてその隣には出来れば会わずにおきたかった最悪の相手、紫の悪魔が金糸を揺らしながら笑っている。
どこか親しげにも見えるその二人の様子にアツロウが何かを言うより早く、目の前にいたはずのシイナの姿が忽然と消えていた。
まずい、そう思った時には遅かった。

「シィ!」

レンと呼ばなければいけないとわかっていたのに、咄嗟のことに思わずそう叫んでしまう。
けれどその呼び名を聞き咎めた者はいなかった。
シイナの指先から閃光が放たれる。細く美しい指先が放った閃光は一ミリたりともぶれることなく二人を直撃したかに思えた。
まずい、戦争の原因となるには充分な攻撃だ、とアツロウは肝を冷やしたが、咄嗟にシールドを張っていたのか二人とも傷一つ負った様子はなく、けれど心持ち警戒した様子でこちらを見ていた。
アツロウがそれを視認するより早くシイナがそこへ飛ぶ。止める暇もなく、彼は次の攻撃を繰り出していた。
異界のナオヤと異界のロキを攻撃するシイナに微塵の躊躇いもない。まさか彼らが自分たちの世界の彼らだと思っている訳ではないだろうが、愛するナオヤと憎悪するロキという組み合わせはシイナにとって余程頭に来たようだ。
もしこれが異界のナオヤ一人であれば話は違ったのだろうが、シイナのナオヤでないナオヤがロキという存在と共にいるのは、想定していた中でも一番最悪な組み合わせだ。
シイナは『カミシロシイナとカミシロシイナの愛するカミシロナオヤ』というものに対し、ある種固定観念のように確固たるイメージを持っている。そのイメージを傷つける別次元の存在をシイナは絶対に許さない。

背後にいたはずのクーフーリンはすでにナオヤの前に立ち彼に攻撃が当たらないように庇っている。こちらでもロキの扱いは低いのか、特に誰もロキを庇うような素振り見せない。そうなると当然ロキの方に比重が傾く。シイナの放つ閃光がどこか甚振るような動きでロキを傷つけていった。
シイナは強い。ナオヤの為であればどこまででも強くなれる。シイナの感情のみを考えるのなら、アツロウに彼を止める理由はない。けれどこのままシイナに思う様攻撃させては本当にこちらから戦いを仕掛けたことに(事実だが)なってしまう。それはおそらくシイナの愛するナオヤにとっても本意ではないだろう。
お目付け役として同行したアツロウの今取るべき行動はと言ったら、シイナを落ち着かせてどうにかこの場を丸く治めること以外にはない。
けれど、次の瞬間に異界のナオヤから発せられた言葉にシイナの動きが止まる。それを警戒してか、異界のロキも動きを止め、結果その場にいる者全てが動きを止めるという事態になった。

「しい」

シイナを呼ぶ声も呼び方もシイナの世界のナオヤのそれだ。甘く優しくシイナを呼ぶ声。見た目だけでは判別しづらいし、こちらの世界にいるものだから当然異界のナオヤだと思ったのだけれど、まさか、そんなはずは。
アツロウは一瞬戸惑ったのだけれど、その僅かの可能性は一気に膨れ上がったシイナの怒りのオーラで否定された。
ロキに比重を置いていた攻撃が一転してナオヤに集中する。幾度かクーフーリンが防いでいたものの、堪えきれず吹き飛ばされ、シイナは一直線に異界のナオヤに詰め寄った。当然繰り出す攻撃の手は止まらない。

「クククッ…、お前の兄は教育に失敗したようだな。これではまるで凶暴な野獣だ」
「ナオ兄を悪く言うな!」
「残念だが俺も同じナオヤだ」
「オレのナオ兄じゃない!」
「当然だ。お前のような弟などこちらから願い下げだ、蓮と比べるべくもない」

挑発的な笑みをその貌に刻み、ナオヤはシイナの攻撃を受け止める。が、一層鋭さを増したシイナの攻撃にシールドなんてものは意味を持たず、ナオヤの服は割け、ぴ、と血が飛んだ。
けれど明らかに傷を負っているはずなのに、どこか余裕を含ませたまま、ナオヤが言う。

「俺を殺すか?異界の弟よ」

クククッと実にナオヤらしい笑い方でそう口にするナオヤの真意はどこにあったのか。
呆然と成り行きを見守る羽目になっていたアツロウをクーフーリンが呼ぶ。

「盾殿!」
「へ?たて?」
「すまない、それはこちらだけの呼び名か。……アツロウ、殿。シイナ殿を止めなくても良いのか。先ほどの様子を見るに今回こちらへ参られた目的は戦争ではないのだろう。これ以上叡智殿が傷つけば貴殿らの本意がどうであれ戦争を仕掛けに来たのだと思われよう。我が主は争いを好まないが愛する者が傷つけられることを決して許さない」

今こいつ一瞬オレの名前わかんなかったな、だとか、叡智ってナオヤさんのことか?とか、そもそも盾だの叡智だの仰々しい名前どうなんだ、とか、そう言えばいつの間にかあの紫の悪魔は消えてしまっているとか色々思うところはあったものの、シイナを止めなければいけないのは事実だったのでアツロウはシイナを大声で呼んだ。走り寄ってどうにか攻撃の手を止めさせながら説得する。

「シィ、やめろ!」
「〜っ!もう!レンって呼べって言ったのに!!」
「もうバレてんだから一緒だろ、とにかく落ち着けって」
「だってこいつ俺のナオ兄じゃないのにナオ兄と同じ呼び方しやがった!ナオ兄のこと悪く言いやがった!俺のナオ兄と同じ顔してる癖に…ッ!!」
「だから、ちょっと落ち着けって!な?ナオヤさんの困ることはしたくないだろ?」

シイナの行動の指針は全てナオヤだ。ナオヤに喜んで欲しい、褒めて欲しい、それ以外望まない。そしてナオヤを貶めるものは何であっても許さない。それが異なった世界のナオヤで、元を正せばシイナの世界のナオヤと同じ存在であっても。いや、同じ存在だからこそ、か。
このまま怒りが増幅し続ければ手遅れになるだろう。戦争の発端を作る訳にはいかないというだけでなく、シイナにナオヤを殺させる訳にはいかない理由があった。
それこそ海よりも深くナオヤを愛しているシイナだからこそ殺せないだろうとも思うけれど、間違って死んでしまうことだって有り得るのだ、これ以上はさせられない。
結局ナオヤの名前を出すことでしかシイナを止められないのは悔しいが、今は自分の感情など後回しだ。

「頼むよシィ、俺だってお前の望むようにやらせてやりたいと思うけど、別人とはいえこれ以上やって本気であいつ殺しちまったら絶対後でトラウマになる」

それはきっと、カインがア・ベルを殺した記憶と重なって、シイナの心を痛めつける。この場合立場が逆転することになるが、それをこそシイナは嫌がるだろう。
傷つけるくらいならいい。立場や状況を考えればそれすらも余り良いことではないのだけれど、とにかく、ただナオヤを傷つける程度なら傷はいずれ癒えるし、正直シイナの愛するナオヤという価値のない異界のナオヤなんてどうなろうと構わない。
だが、それ以上は駄目なのだ。
物事に動じないはずのクーフーリンが、偽りだと知って尚、己が主と同じ顔をしたシイナの表情に揺らいだのを先ほど見たばかりだ。
頭では理解していても本能が納得しない。シイナですらきっとその事実を拒絶してしまう。違うものだとわかっていても、脳裏にちらつく愛する者の顔、記憶。だからきっとシイナは殺せない。そしてそれを知るアツロウは殺させる訳にはいかない。特に全てを記憶しているシイナには絶対にさせられないのだ。
縋るようにもう一度名前を呼ぶと、大きく息を吐き出す音が聞こえて、次いでシイナは、わかった、と小さく呟き身体の力を抜いた。

「ナオ兄と同じ顔で得したね、異界のカイン」
「さて、どちらが得をしたのだと思う?案外貴様の方かも知れんぞ」

あちこち傷だらけだというのに相変わらず余裕たっぷりに笑いながらナオヤはくるりと背を向ける。
そして首だけこちらを向くようにして振り返りながら、ついてこい、と言った。

「晒して困るような手の内など持ち合わせてないからな。勝手に徘徊されるよりはいい。さっさとしろ」
「なんでお前なんかの言うことを聞かなきゃならないのさ」
「嫌なら構わんぞ。ただ、…そうだな、敵になるかもしれん相手の情報を得るには内側に入ることが手っ取り早く、そして貴様の兄にとって有益になるかもしれんと言うことだ。そして俺も貴様らにはいくつか聞きたいことがある。ギブアンドテイクだ」
「……」
「ああそれと」

まるで言い忘れていたとでも言うように軽い調子で今度は身体ごとこちらに向き直って言う。言葉と裏腹に剣呑な光を宿した紅玉の瞳がシイナを見据えていた。思わず庇いそうになったけれど、それをシイナに制され、仕方なく伸ばしかけた手をそっと下ろした。

「ククククッ…そちらのアツロウもやはりこちらと同じか…。まあいい、今は貴様らに危害を加える予定はない」
「何」
「…異界の弟よ、即刻その歪な変化を解け。俺の蓮と同じ姿をするな、虫唾が走る。敵地になるかもしれん場所にいるんだ、最低限の礼儀は払え」

シイナをまるで汚物でも見るかのような目で吐き捨てたナオヤにぞくりとする。平行世界の別物とはいえ彼の弟と同じ存在であるはずのシイナに対してさえ、一片の慈悲すらないように感じたからだ。
彼ならば、或いは自身の弟と同じ存在であるはずのシイナでさえ笑みを湛えたまま殺せるかもしれなかった。
理性と本能を完全に隔絶させているとでもいうのか、そうでもなければ愛しているはずの弟に向かってこんな目が出来るはずがない。
アツロウは本能的に思う。この男はどこか薄気味悪い。この男はどこか狂っていると思う。自分の知るナオヤもアツロウの理解の範疇を超えた、言い換えるならそれこそどこか狂ったような部分があるのだけれど、この目の前の、自分たちの知らないナオヤはそれとは違う軸が狂っている。

花咲き誇る美しい土地。中世の城のような建造物。魔界というにはまるで似つかわしくないこの場所は、その美しさの中にまさに魔界そのものの狂気を孕んでいるような気がした。             

               

                                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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