あちらとこちら
アツロウの部屋から自室に戻ったレンはベッドに身体を投げ出し深く息を吐いた。
疲れていたのではない。ただ、少し心が重かった。
チョコレートファウンテンの材料調べにも飽きてアツロウが用意してくれたオレンジジュースで一息ついていた時、ふと話題に上ったもう一人のベルの王、カミシロシイナのことで、だ。
自分たちは彼らを知らない。自分たちと同じような生を歩んできたとも限らない。思考が根本的に違う事だって有り得るし、そもそもパラレルワールドは無限の可能性を秘めているものだ。想像のしようがない。
枝分かれは無数に存在する。もしも彼がア・ベルであった時からレンとはまったく違う枝分かれの中で存在しているのなら、それこそレン一人で想像したところで実像に近づくことは永遠に不可能だろう。
無知は罪だ。知らぬことは本当に怖ろしいとシイナに出会ってからレンは何度も痛感させられている。
知りたい。彼のことを。知らなければ歩み寄れないどころか、敵意さえ持てない。
ころり、寝返りを打って向きを変える。視線の先には鏡の破片が作り出した魔方陣があった。

起き上がって魔方陣の前まで歩を進める。
平行世界への扉でありシイナの世界への入り口であるそれに手を伸ばそうとした時、レンの部屋に満ちる空気が一瞬歪んだ。
ああ、この感じはロキだ。気配を消しもせずやってくるなんて珍しい、と思いながら魔方陣を見つめたままいると、数瞬の後やはり思ったとおり一陣の風がレンの髪を揺らし、紫の悪魔がレンの名を呼んだ。

「随分手酷くやられたみたいだね、ロキ。珍しく呼吸が乱れてる」
「うん、まあ、戦争勃発の原因になるほどではないけどね。すぐ治るし」
「お前の心配はしてないよ。それよりその様子だとシイナくんはこっちに来てるんだね?この後どうするつもり?」
「直哉君が丁重に持て成すらしいよ?その間、君にはやってもらわなければならないことがある」

ロキの言葉にレンは思わず肩を揺らして笑ってしまった。続けられる言葉が容易に想像出来たからだ。

「シイナ君の世界へ行けってさ」
「ふうん」
「へえ、驚かないんだね?」
「オレもそうしようと思ってたからね」

レンは考えていた。
彼の元になったア・ベルは、レンの元となったア・ベルよりずっと、カインを愛していたのではないか。
そして思った。
彼はレンが朧気にしかわからないア・ベルとしての記憶を、もしかしたら全て知っているのではないか。
彼はとても彼の世界のナオヤを愛しているようだったし、自分とナオヤの絆が薄いとは言わないが、それよりずっと強固でまるで溺れるように愛し合っていた。
カインとしての記憶を持ち続け、原初より延々とア・ベルを求め続け、カインの―…ナオヤの心は―、とても、とても不安定だ。
シイナの世界のナオヤもそうだったら?シイナ自身もそれを記憶していて同じように不安定であったら?
もしそうなら理解不能なシイナの思考回路も少しは理解出来るかもしれない。自分の知るナオヤがそうだから。
けれどやはりわからない。全てはレンの憶測の域を出ない。
そもそも枝分かれする平行世界のことなど、普通であれば知ることはない。たらればの仮定で思いを馳せることはあるかもしれないが、目に見える形で知ることはないのだ。
己が眼でそれを視認したとして、彼らの根本を知れるはずがない。
だから、扉を叩こうとしたのだ。

「行ってくるよ。留守番よろしくね」
「は!?ちょっと待ってよ、僕も行くつもりなんだけど」
「要らない」

振り返り、きっぱりと告げる。
予想通り軽傷とは言い難い怪我を負っているロキに、レンは、お前は足手纏いだ、といっそ冷酷なほどの声音で宣告した。
魔方陣に手を置き扉を開く。未だレンを引きとめようとする、否、共に行こうとするロキを振り切り、淡く柔らかな光の中に足を踏み入れた。
その途端今まであった景色は一変し、辺りを闇が包む。その直前、微かにレンの名を叫ぶロキの声が聞こえたような気がしたけれど、レンはそのまま足を踏み出した。
一人でこの空間を訪れるのは初めてだ。おそらくこんなことをしたと知られたら、アツロウやカイドーだけでなくクーフーリンやレミエル、オーディンたちにも怒られるだろう。
どうやらナオヤはロキを供に付かせてあちらへ行かせるつもりだったようだから、ひょっとしたらナオヤにまで怒られるかもしれない。
他はともかくナオヤのお説教は面倒くさいな、と思うけれど、それより強く、行かなければと思う。
行って知らなければならない。シイナの世界を、彼の思いを。
そして知る為には敵意がないことを知らしめなければならない。供もつけずに一人で出向くのは確かに無謀なことかもしれないが、一番わかりやすく敵意がないことを示せる。少なからず自身を危険に曝すことにはなるが、少なくとも誰かを連れて行ってその誰かがレンの保身を優先させたが為に戦争へ発展するという事態だけは回避出来るから、やはり一人でいいのだ、と勝手に納得をした。

闇の中に一筋光が差す。目を細めてそれを見つめていると、その光はやがてレンを包み、辺りは闇から抜け出した。
場所と状況を把握しようと眩しさに瞑っていた瞳を開ける。まず視界に入り込んできたのは赤らんだ夜空だった。
足元が覚束ない、一瞬そう思ったが、覚束ないどころではなく、レンの身体は重力に引き寄せられるように真逆様に落ちていっているようだった。
空中に放り出されたのだろう、知覚すれば何のことはない、地面に叩きつけられるようなヘマをすることもなく、宙に浮いたまま姿勢を正した。
(前みたいに直接ナオヤの部屋に出てくれれば話は簡単だったのに)
勝手にこちらに来て挨拶もせずに徘徊するのは余りに礼を欠いている。シイナがレンの世界に来ているのなら、ナオヤに話を通すのが筋だろう。そもそもシイナを知るには彼に話を聞くのが一番手っ取り早い。おそらくシイナ本人に訊ねるよりも、だ。
城全体を視界に入れて、もしこの場所に自分の知るナオヤが自室を選ぶならどこだろうと考える。まさか手当たり次第に悪魔を捕まえて場所を聞く訳にもいくまい。
なんとなくで思い立った部屋のバルコニーに飛べば、都合よく目的の人物の部屋だったようで、まるでレンの来訪を知っていたかのように異界のナオヤは窓の前に立っていた。
居住まいを正し、ペコリとお辞儀をする。

「こんなところから失礼します、異界のナオヤ、…いえ、カミシロナオヤさん」
「……入れ」
「ありがとうございます」

     

「蓮君!蓮君!!…ちょ、嘘でしょ…!?」

(君、無謀とか無鉄砲にも程があるんじゃない?)
シイナでさえ供を付けてきたというのにたった一人であちらに行くなんてどうかしている、とロキはレンの消えた魔方陣を見ながら溜息を吐いた。
ナオヤもやはり心配だったのだろう、ロキに供を命じたくらいだ、何かあってからでは遅い。けれどこれを扱えるのはベルの王だけだ、少なくともロキには幾ら空間を抉じ開けようとしたところで異界の様子を窺うか、多少なら会話が可能、というくらいだろう。時間と魔力をかければその限りではないが、さすがにシイナに傷つけられた身では今すぐにどうこう出来るものではない。
はあ、と大きく重い溜息を吐くのと同時に魔方陣からゆらりと何かが浮かび上がった。
魔方陣の中結ばれた像を見て、先よりも更に深く重く溜息を吐く。

「何の用だい?異界の僕?」
「やあやあ、ハジメマシテ?異界の僕」
「なんとも最悪な気分を届けてくれてありがとう、さっさと消えてなくなってくれないかな、余り機嫌が良くないんだ」
「おやぁ?珍しいねぇ、珍しいよ、僕ともあろう者が。そんなに…えーと?蓮君だっけ、彼が大切かい?」

鏡を見るのとは違う嫌悪感に吐き気がする。同じ存在だから、ではない。チェシャ猫か何かのように人を食った笑みを浮かべる目の前の男は、レンの為に捨てた自分であり、今の自分が直隠しにしている闇の部分をいっそ誇らしげに曝け出していたからだ。

「いつから君はそんなにツマラナイ男に成り下がってしまったのさ?」
「アハハ、言うねぇ、君」
「だってそうだろう?牙を抜かれた獣よりも滑稽だ」
「そうかい?僕は現状を結構気に入ってるんだけどねぇ」
「道化の裏に隠した本性をいい加減吐き出しちゃいなよ、苦しいだろう?好きなことを好きなように、面白ければそれでいい、僕という存在はたとえどの世界であっても根っこは同じ。ホラ、息が詰まらないかい?」

過去、ロキにとって愛するということと、壊すということは同義だった。
甘い言葉を吐いて、傷つけて、立ち直れなくなるほど打ちのめして、身体も心も全て壊して。飽きたらゴミ箱に放り投げてポイ。それが真実愛だったかと問われれば即座に返すことは出来ないが、多分あれは愛だった。
過去の自分がレンを知らずにそのまま増長していったら目の前の男そのものになったかもしれない。
想像してしまって気持ちの悪さに辟易する。嫌悪する気持ちを抑えきれずに、ロキはレンの前では決して吸わなかった煙草を取り出して火をつけた。にやにやとこちらを伺う異界のロキの視線は相変わらず鬱陶しかったが、紫煙を吸い込むと少し心が落ち着いた気がした。
息とともに煙を吐き出しながら異界のロキを見据えて切り返す。

「…君の魔王様はとても攻撃的でとんだじゃじゃ馬だけれど、たった一人だけを馬鹿みたいに愛しているね」
「そうだねぇ、僕が仕組んだんだけど、ホント面白いったらないよ。彼はいずれ必ず愛する者を失う。そうすればきっと彼は誰より何より美しくなる!破滅へ進む道だと知らず、兄の為だとひたすら強さを求めているなんて滑稽なことこの上ない!!」
「その気持ちは、わからなくはないけれど」

捻じ曲がった愛情だ、とロキは思う。彼が過去の自分と違うことなく同一の思考回路であるなら、一般的には理解しがたいが、これは歴とした愛情だ。

「僕はもう、そういうの、卒業したんだよね」
「へぇ?」
「君みたいに幼稚な愛し方じゃ蓮君は納得しないから」
「…ップ!アハハハハッ!!そう、そんなに大事なんだ?…じゃあその蓮君が無事に帰ってくるといいねぇ…?!」

にたり、陰惨な笑みを浮かべて言うと彼は蜃気楼のように揺らめき姿を消した。
しまった、挑発しすぎたか、そう思うけれど、きっとロキが今のように会話を進めずとも彼は面白いと思えばレンに手出しすることなど簡単にやってのけるだろう。
それこそ全面戦争という事態に発展しようが自身にとって面白ければ構わない。破滅と破壊、そして自由を何よりも愛する。行動の指針となる何かなどどこにもない、ただ愉快かどうか。そしてその時の気分次第。それが全てだ、今のロキのような弱みを彼は持たないはずだ。
いつの間にかフィルターに近くなっていた煙草を携帯灰皿の中でもみ消し、部屋の窓を全開に開ける。しばらく開け放していれば煙草特有の臭いも消えるだろう。
そよそよと優しい風がカーテンを揺らした。
(弱みが強さの源になることを知らない僕、か…)
過去の自分を思い起こせば異界のロキが取りそうな行動の何割かは想像がつく。レンに危険が及ばないかと言えば、真っ当に戦った場合レンが勝つに決まっている。魔力の強さだけで全てを推し量るのであればレンに適うものなどシイナくらいのものだろうとも。
けれど、同じ存在である自分が言うのもなんだが、あの男が真っ向勝負を挑むことなど有り得ない。きっと皮膚の一枚一枚をそっと殺ぎ落とすように追い詰めていくだろう。それをレンはどう対処するだろうか。
(あ、駄目だ、悪い癖だな、ちょっと面白そうとか思っちゃった)
思わず興味が湧いてしまった自身に苦笑を零しながら、ロキはレンを一人で行かせてしまった失態を取り返さねばと魔方陣の前に立った。

               

                                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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