水芙蓉
     汝、人の身に生まれし者よ
人は今や、力ある種。なれば人よ、汝は向き合わねばならない。己が持つ力と、そして『運命』とに     

まるで漣一つない海をたゆたうような、羊水にでも包まれているかのような、そんな感覚を味わっていたレンの元に声が届く。
聴覚ではなく直接能に響くようなその声に、レンは閉じていた瞼をぴくりと動かした。
何を言っているのだろう。これは夢だろうか。
訳のわからないまま、もがくように指先を動かしたけれど、そこには何の感触もありはしなかった。瞼を開けようとしても、ぴくぴくと痙攣するばかりで、まるで押さえつけられているように動かない。
漠然とした不安のようなものに包まれた。

平穏な日常に在りても、定めは刻々と迫り来り。
     其は、裁きなり。かつて汝ら人の子の言葉を分かち、驕れる力を砕いたる雷なり。
     
されど。神自らに在らざる限り、全ての者は、闇をも抱く     
人よ、真に己で在りたいならば、汝は自ら、戦わねばならない。
     汝の持てる闇、『悪魔』と。汝、戦の定めを負う者よ。挑む意志あらば、その名を述べよ     

口を開こうとして、止まる。自分は誰だ?すべてが曖昧で、自分自身の輪郭すらおぼろげだ。
深い闇の底にずぶずぶと沈んでいくよう。
(嫌だ。助けて、オレは     !!)
その時、ふっと誰かの優しい声がした。聞き慣れた、冷たくて低いくせに優しく自分を包む声だ。そして声の主は自分をそっと抱きしめる。
(ああ、大丈夫。オレは、オレの名前は)

「オレは、レン。水城、…蓮」

呟くように自身の名を口にすると、先ほどまで瞼も開けられなかったことが嘘のように、ぱちりと瞬きが出来た。
目を開いた瞬間、ようやく自分の輪郭を取り戻す。それでいい、と誰かが遠くで微笑んだ気がした。
けれど、その声に被さるように威厳ある重たい声がレンの脳に響く。

神曰く     
七つの昼夜をもって創りしこの世を、七つのラッパの響きにて滅さん。意志ある者よ、水芙蓉の名を持つ者よ、その瞳に映りし『数』を、恐れよ。残されし、昼と夜の数を     

ぴちゃり、と音がして、闇は消え、月光のような優しい光が辺りを包む。
気づけばレンは水面に腰まで使った状態で立ち尽くしていた。
夢にしてはリアルな声と感触にふるりと身震いする。腕を少し動かすと水面が波紋を描いた。
足元にはぬかるんだ泥の感触。けれど見渡す限りの水面は清らかに過ぎるほどで、どこまでも続くその水面にレンは軽く眩暈がした。
(夢…だよね?なら、早く覚めないと…)
夢から覚めるのに出口があるのだろうか、と疑問に思いながら水の中を歩く。普通なら足を取られて歩きづらいはずの泥はレンが足を動かす度するりと解放して、立ち止まった時にだけしっとりと巻きついた。まるで支えようとしているようにも思える。
どのくらい歩き続けただろうか。ふいに頭の中に声が響いた。先ほどの声が、先よりずっと小さく語る。

蓮は泥より出でて、泥に染まらず。水芙蓉の名を持つ者よ、凛と立ち、曇りなき眼で真実を見よ     

  

「え……」

はた、と気づいて視界に入ってきたのは、見慣れた自分の部屋の天井。耳に響くのは厳格な声ではなくけたたましいアラームの音だった。
やはり夢だったのだと思う反面、ただの夢ではないような気もして、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
手探りで携帯電話を取り、アラームを止めて起き上がる。確認すると時刻は昼をとうに過ぎていた。
(あ、いけない、今日はナオヤと会う約束してたんだ…)
幾つか細かく分けて設定していたアラームも最終ギリギリの時刻表示だ。
15時には渋谷901前で待ち合わせをしている。休日は朝早く起きられないレンのことを考慮してナオヤが決めてくれた時間だ。そして今日はナオヤだけではない。アツロウやユズとも一緒に会うことになっていた。
ナオヤやアツロウはレンが朝に弱いことを知っているし、多少待ち合わせに遅れても笑って許してくれるがユズを待たせることは可哀想な気がする。
ベッドからのろのろと起き上がり、レンは急がなければならないという気持ちとは裏腹にゆっくりとした動作で洗面所へと向かった。

  

季節は夏。強い日差しが降り注ぎ、夏特有の熱気を孕んだ風が頬を撫でる。
ぼんやりする頭を叱咤してどうにか支度を終えてやってきた渋谷の街は、8月も中旬になり全国的に帰省が始まった所為もあってか、いつもよりほんの少し人通りが少ないように感じた。
901前に到着して、未だ働かない頭のまま、待ち合わせの人物を探す。きょろきょろと辺りを見回していると、明るい声がレンを呼び止めた。

「お〜い、レン!こっち、こっち!」
「アツロウ」

ノートPCを抱えてアツロウがこちらに駆け寄ってくる。
どこか夏の太陽に似た笑顔が寝起きのレンには眩しかった。

「よっ、お疲れ〜…ってあれ、レン寝起き?」
「うん…、起きたら1時過ぎてた」
「マジで?よく間に合ったなぁ」

ナオヤの指定した時刻は3時。待ち合わせ場所は自宅から割と近いものの、寝起きのレンの動きの遅さを知っているアツロウは感嘆したように声を上げた。
30分以内で出来ることが1時間以上かかるほど、寝起きのレンはスローだ。物珍しそうに見るアツロウに、がんばったんだよ、と迫力も何もあったものではない抗議をすると、はは、と笑って頭をぽふんと叩かれた。

「ていうかさ、ナオヤさんも奇特だよなぁ。この暑いのに、何も外で待ち合わせする事ないのに…」
「そうだね、どっかのカフェとかにしてくれたらよかったのに…。喉渇いた…」
「ははっ、じゃあ後でどっか入ろうぜ。…で、どうよ夏休みは?ガッコだと毎日顔合わすから、1週間ぶりだけど、すげえ久しぶりに会った気がする」

夏休み中、1週間に1度以上の割合でアツロウとは会っている。基本的に出不精のレンの家にアツロウが遊びに来て、たまにそこへナオヤがやってくるというようなものだ。
けれど学校では毎日顔を合わせていたものだから、1週間でもなんだかひどく久しぶりに会ったような気がしてしまう。
元気だったか?とまるで随分会っていない友人に声をかけるように言うアツロウがおかしくて、レンは笑いながら、元気だったよ、と返した。

「笑うなよー!でもそっか、よかった。夏バテしてんじゃないかって心配してたんだよな」
「へへ、大丈夫」
「おう!少年は元気が1番だよな」
「そういえばアツロウ、またパソコン持ってきたの?」

肩にかけたカバンは重たそうだ。ちらりと視線を送って訊ねると、レンの予想通り、ナオヤさんに聞きたいとこがあって、と笑った。

「プログラミングで分からないとこ出てきちゃってさ。ちょうどいいからナオヤさんに聞こうかと…」
「あ〜、いたいたっ!探したよ〜!レン〜!」
「お、ソデコ」

話の途中で元気な声がレンたちを呼んだ。夏らしい涼しげな服装をした彼女はレンとアツロウを見つけた途端、少し小走りで近寄ってきた。
久しぶり、と笑うユズとは幼い頃のようには遊んでいない。ユズにはユズの交友関係があるし、アツロウに対してのように2人きりで遊ぶような気安さはなくなっていた。
それでもやはり幼馴染の彼女のことは特別で、小さな頃から変わらない笑みを見るとほっとした。

「久しぶり、ユズ」

ほわん、とユズに笑いかけると、ユズはほんの少し頬を染めて、笑い返してくれた。
可愛らしい笑みに癒される。アツロウは少し面白くなさそうに眉をへの字にして、オレはのけ者かよ、と項垂れていた。

「ソデコ、オレとレンとの扱い、差つけすぎ!」
「ソデコ、なんて呼ぶアツロウにはそれで充分!べー!」
「ひっでぇ!」

ケンカしているように見えても、これは2人なりのコミュニケーションというか、じゃれ合いみたいなものだ。だから今更レンも気にはしない。
一通り言い合いが終わればすっきりした顔で笑いあっているのだから、と、どこかレンの方がのけ者にされているような気持ちできょろきょろと辺りに視線を彷徨わせる。
(ナオヤ、早く来ないかな…)
待ち合わせは15時。ナオヤが15時と言ったら、1分足りとも誤差なく3時だ。普段遅れてくることなどしないナオヤの遅刻にレンは首を傾げながら呟いた。

「ナオヤ来ないね?」

辺りにくまなく視線をやっても、それらしい人影はない。
レンの呟きに、ユズが、あ!と声を上げた。

「そうだ!忘れてた!さっきナオヤさんに会ってさ、レンとアツロウに、届けもの頼まれたの。急用で来られないからって」
「え〜…何だよ、ナオヤさん来れないの?…つーか、届けものって何?」
「はい、これ。も〜、カバン重くなっちゃって大変だったんだから」

そう言ってカバンから取り出されたのはコミュニケーション・プレイヤー。最近CMでよく見かける携帯ゲーム機だ。
世界の人と遊ぼう!という謳い文句で大々的に宣伝されているそれは、COMPの愛称で親しまれている。メール機能やブラウザ機能の搭載されているCOMPは携帯電話に近い。
黒とピンクと青の3台のCOMPの前にレンたちは首を捻る。
他にも色の種類はあるが、外側が黒で内側が白のものは最近発売されたばかりで、レンがいいな、と思っていた色だ。以前ナオヤに買い与えられたCOMPは真っ白で、この色が出るまで待てばよかった、とナオヤにぼやいていたので、ひょっとしたらそれの所為かもしれない。
けれど、3台ということは、レンだけではなくアツロウとユズの分もあるということだろう。いきなり3人へプレゼント、などというのは、ナオヤの性格から考えてありえないように思う。
では一体、と思考の渦に飲み込まれそうになった時、ユズが言った。

「えっとね、ナオヤさんが、お前たちに必要なものだ、手放すな、って」

ワントーン声を低くして言ったのは、ナオヤの口真似をしたのかもしれない。ふぅん、と曖昧に相槌を打つ。
ユズはともかく、家に帰ればアツロウやレンはCOMPを持っているし、COMPが必要というのはどういう意味だろう。
レンが首を傾げている隣で、COMPを開いたアツロウも不思議そうな表情をした。

「…何だ、これ?こんなトップメニュー見たことねーぞ…?オリジナルなのかな…」
「オリジナルって…自分で作ったって事?そんなこと出来るの?」
「おう、ナオヤさんだからな!あの人ならこんなもん作ろうと思えば朝メシ前ってヤツだよ」

確かにナオヤは天才とも呼ばれるプログラマーだ。COMP程度のものなら作るのは容易いだろう。けれど、それならそれで疑問が残る。
なぜ、彼は自作のCOMPをユズに託し、それを必要だと言ったのか。
機械関係に疎いユズは驚いたように見ているけれど、レンはと言えば今更驚くようなことでもなく、専らなぜ彼がそれを必要だと述べたのかに対して思考を巡らせていた。

「おっと…フォルダ開かねーや。プロテクトがかかってんのか…」
「相変わらずナオヤって面倒なことするよね」
「オレとしては楽しみだけどな!」
「プロテクトって?それって他の人が勝手にいじれないようにするヤツのこと?じゃあ、中身は見られないじゃない」
「アツロウなら大丈夫だよ。ね?」
「え?」
「アツロウ、やってみて」

とにかくCOMPを調べれば何か分かるだろうと思い、レンはアツロウに目配せする。
自信ありげにアツロウは笑い、任せろ!と言った。
ノートPCを取り出してCOMPに繋ぎ、慣れた手つきで操作を始めるアツロウに、状況を理解していないユズが慌てたように声を上げる。

「ちょ、ちょっとアツロウ!何やってんの!?」
「へへっ!何って、ハッキングして、フォルダこじ開けるんだよ」
「こじ開けるって…、ナオヤさんに怒られるよ!?」
「大丈夫だよ、ユズ。ね、アツロウに任せとこ」

安心させるようにレンが微笑むと、ユズは半信半疑と言うようにアツロウに視線を移す。
不安そうなユズとは対照的にアツロウは楽しそうだ。
しばらくしてプロテクトを解除したらしいアツロウがCOMPを差し出した。

「とりあえずメールだけは見られるぜ。ほい、レンはこっちな」

黒のCOMPを受け取り、開く。ユズもピンクのCOMPをアツロウから受け取ってレンと同じく画面を開いた。
1通のメールが着信している。ナオヤからだろうか、と差出人を見てみると、時の観測者、とあった。
不思議に思いながらもメールを開いて内容を読んでみる。

FROM:時の観測者
SUBJECT:ラプラスメール
おはようございます。
本日のニュースをお伝えしマす。
@16時頃 渋谷区青山 アパート にて
 男性 が 【死亡】
 肉食獣 に 喰い荒らされた ような 傷
A19時頃 港区青山 青山霊園 にて
 大きな 【爆発】
 原因 は 不明
B21時頃 東京 全域 にて
 大規模 な 【停電】
みなさま良い一日ヲ。

「16時頃、渋谷区青山、男性が…死亡!?肉食獣に喰い荒らされた…!?何のニュース、これ。気味が悪い…」
「確かにちょっと怖いね」
「…だよね!?何か淡々としてて、余計気持ち悪いよ…」

物騒なニュースならテレビをつければ嫌でも入ってくる。けれど、それとは違う無機質さを感じる。まるで、何かから導き出された結果のみを当て嵌めて送られているような。

「東京全域で停電、とかも書いてあったな…何だ、これ。本日のニュースって…今日そんなこと起こってねーし。ナオヤさん、何でこんなもんにプロテクトかけたんだ?あ、もしかして暗号とか!?青山、青山…う〜ん…。ナオヤさんのアパートもあの辺だけど…。関係ないか…」

ぶつぶつと言っているアツロウの言葉に、ふと携帯で時間を見る。15時30分。メールの時刻は16時頃とある。
まさかこれから起こる事象だとでも言うのか。到底ありえないことのはずなのに、そのメールを受信したCOMPがナオヤからのものというだけで、もしかしたらという考えが浮かぶ。
ユズはナオヤの性質の悪いイタズラだと思っているようだがレンにはそうは思えない。アツロウの言うように暗号とも思えない。けれど。

「アツロウ、他のプロテクトも解除出来る?」
「え?ああ、もちろん!ちょっと時間はかかるけど、やってみるよ」
「うん、お願い。ナオヤが何の目的でこれを持ってきたのか知りたい」
「おっし、任せろ!んーっと、じゃあオレは落ち着ける場所に移動するからさ、2人でちょっと時間潰してきてくれよ」
「わかった。ユズ、行こ?」
「え、え?」
「あ、COMPは持ってっていーぜ!じゃあまた後でな!」

ひらひらと手を振ってアツロウと別れる。
ことりと首を傾げながらユズを見ると、はっとしたようにレンに向き直り、どこいこっか?と笑った。

「渋谷で時間潰してもいいし、どこか他の場所へ行くのもいいよね。アツロウ時間かかりそうだし…」
「あはは、そうだね。ユズはどこ行きたい?」
「うーん…レンの行きたいとこでいいよ」

やけにうれしそうに言うユズに曖昧に微笑んで返しながら、レンは901前を移動した。

              


水芙蓉=蓮の異名。

需要があるのかないのか。本編沿いの連載です。
カップリングとか特に決めずに書き始めたんで、こっそりどうしような気分ですが(笑)。
お付き合いいただけるとうれしいですv

2010/10/26 改訂

              

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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