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その日、アスカは病院にいた。
いつもきれいに結っていた髪もそのままに、開け放された病室の窓から入る風にゆったりと靡かせながら、清潔なベッドの上でぼんやりと宙を見つめていた。
シンジが病室に入っていくと、以前のアスカなら浮かべることのなかった、無邪気な微笑みを浮かべて出迎える。
今の彼女には笑うという感情しかない。
カヲルを失い、泣くだけ泣いて、嘆くだけ嘆いた彼女に残されたのはその笑顔とお腹の中の一つの生命だけだった。
シンジが持ってきた花束を受け取ると、アスカはまた微笑む。にっこりと、それしか知らない子供のように。事実今のアスカはその表情以外を知らなかった訳だが。

「今日はいい天気だよ、外に出てみない?」

それににっこりと笑って頷き、アスカはベッドを降りようとする。
アスカはあの日以来、声すらほとんど発しない。大抵のことは頷くか首を振るだけで事足りるのだと、シンジは初めて知った。
身体を悪くした訳ではないアスカは病室からの外出もある程度自由だ。シンジはベッド脇にある棚から以前のアスカならあまり似合わなかったような大人しい、可愛らしいワンピースを取ってアスカに手渡した。

「病室の外で待ってるから」

さすがに着替えまでは手伝う勇気がなく、シンジは外で待った。

ここにいるのはアスカであってアスカではない。
あの日、カヲルの死を悼んで泣いたアスカはここにはいない。ただ笑顔だけを浮かべる人形のような少女がいた。
いや、少女ではない。いずれ彼女は母となる。
けれど、彼女はそれを知らないし、それが誰との子供かも知らない。子供がいると知ったら、ひょっとしたら堕ろしたがるのかも知れない。自分がもし女性だったとして、記憶もなく自分の胎に子供がいると知れば薄気味悪く思うだろう。
けれど、すべてを教えることはシンジには出来そうも無かった。彼女の胎はじきに大きくなるだろう。その時どう説明すればいいのか、シンジは今もわからないままだった。
すべてを忘れたアスカが幸福だとは決して思わないけれど、すべてを覚えているシンジには、アスカにそれらを教える勇気はない。彼女が唯一心を開いた者を屠ったのは他でもない自分自身だ。

不意に服の袖が引っ張られる。汚れの無い青い瞳がシンジを見ていた。
その瞳も、アスカ自身も、決してシンジを責めてはいないと言うのに、シンジは自分が責められているような気がして、アスカから目をそらした。

「…ごめん、行こう、外きっと気持ちいいよ」

それだけ言うのが、シンジの精一杯だった。
不思議そうに瞬きをして、アスカはシンジを見る。けれどすぐに歩き出した。シンジの手を取って。
あの頃では信じられない距離だった。こんな風に手を繋いで歩くなんて、想像したこともなかった。
この距離を不快に思う訳ではないが、自分とアスカの距離は、あの頃のものが一番正しく、一番自分たちらしかったのだろうと思う。アスカの手に触れる相手は、カヲルでなければならない。それを壊したのはシンジ自身なのだけれど。

つらつらとそんなことを考えているうちに病院内の庭に出た。
美しく整えられた庭の片隅にある大樹に背を預け座り込む。それがアスカのお気に入りらしかった。
一緒になって座り込み空を見ていると、エヴァに乗っていたあの頃が嘘のようだった。
子供を孕んだアスカはチルドレンとしての資格がなくなり、シンジはカヲルの命を奪ったショックでかシンクロ率が下がり続けたし、乗りたくないと拒否もした。
幾度も揉めたが、結局二人ともエヴァから降ろされ、戦いとは無縁の生活をしている。元々カヲルが最後の使徒だったのだ、今更他の使徒などやってくるはずもない。ただ、起こるかもしれないサードインパクトと、終わりではないかもしれないという懸念のみでネルフは未だ存在し続けている。
ふう、と溜息を吐きながら見上げた空は、どこまでも透明で雲ひとつない。ぽっかりと白い月だけが浮かんでいた。

「月…」
「え?」

突然アスカが話し出したので、シンジは驚いてアスカを見た。彼女は時折、思い出したようにしっかりと言葉を紡ぐ。伺うようにアスカを見ると、彼女の瞳は笑むように細められたまま真昼の空に浮かぶ月を見ていた。

「月は、好きよ」
「…どうして?」
「誰かを思い出しそうになるの。とても、きっととても大切だった人を」

鈍器で頭を殴りつけられたようなショックだった。
アスカはすべてを覚えているのでは、もしくは思い出しかけているのではという危惧。
恨まれることや憎まれることはもちろん恐ろしい。けれどそれはもうとうに覚悟を決めていたし、それ以上に恐ろしいことがあった。
アスカが、またしても喪失を味わうのではということだ。
あの時のアスカの慟哭を、シンジは今でも覚えている。忘れたまま、人形のように過ごすアスカを望みはしない。けれどあの叫びをもう二度と聞きたくは無かった。

「あたし、たくさん忘れているのね。いつも花を持ってきてくれるあんたが誰なのかもわからないの。すごく失礼なことなんだと思う」
「いいんだよ、そんなこと」
「月が好き。夜が好き。だけど、誰かを探して手が彷徨うの。誰かもわからないのに」

そう言うアスカの表情は、笑顔のはずなのに、泣き顔に見えた。それで、シンジは一つ、大きな覚悟をした。

「ねえアスカ。僕の話を聞いてくれる?」

アスカがちゃんと頷くのを待って、シンジは話し出した。悲しい悲しい物語を。

「昔ね、人を傷つける、悪い種族がいたんだ。人は一生懸命それと戦った。それが正しいことだと信じて。けれど、最後に送り込まれてきたその種族の生き物はとても優しくて、僕らと何も変わらない人の形をしてたんだ」

シンジは足元の雑草を手でなぞり、アスカの視線を恐れるように自分の靴を見た。
アスカはシンジの話を、やはりそれしか知らないので笑顔を浮かべて聞いていた。

「ある女の子とその生き物は仲良くなった。女の子は強がっていたけど、本当は淋しかったから、その生き物のことを好きになったんだと思う。その生き物も、本当はきっと孤独で、だから女の子を好きになった。きっと二人は幸せだった。本当なら、そこでハッピーエンドなのに」
「……」
「その生き物は悪い種族の生き物だったというだけで殺されてしまったんだ。人に害を及ぼす気なんかなかったのに、生き物と女の子の友達の男の子に殺されてしまったんだ。かもしれないという危惧だけで。女の子は悲しみの余り全部忘れて、男の子はその後悔の為に女の子にいつも花を届けることにした。花くらいしか女の子の喜ぶことを知らない男の子の自己満足な償いをしてるっていう。…ごめん、なんか意味不明だよね、僕馬鹿だからさ…!」
「…ほんとにばかね」

久しぶりにアスカの、馬鹿、という言葉を聞いたシンジは思わず笑って、それからアスカに視線を移した。
記憶をなくしても尚聡いアスカならば、この物語が何を指し、誰が誰であるかくらいは想像がつくだろう。カヲルという個人を思い出しはしなくとも。
罵倒されることを覚悟して、アスカを見る。けれどアスカはもう一度、馬鹿ね、と呟いただけでそれ以上の罵倒を浴びせることは無かった。

「いいことを教えてあげるわ」
「なに?」
「この世界にね、ハッピーエンドなんて、有り得ないのよ」

アスカの言葉は、この世の真理であり、あまりにも哀しい事実だった。

         


パチエヴァ6がもーすぐ出るということで慌てて書き賭けだったLAKを完結させてみました。
アスカさんのお腹の中の子はおろしてもいいし、産んでもいい。産んでシンジがパパ代わりで家族ごっこしてくれても可。恋愛感情抜きで(笑)。
お読みくださっていた方は少ないとは思いますが、これにてこのお話は完結でございます。お付き合いありがとうございました(ぺこり)。

               

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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