風が吹く。
冷たく今にも凍えてしまいそうなほどの冷気を帯びた突風が吹く。
その風は一瞬充の周りを取り囲み、気まぐれな猫が擦り寄ってはすぐに去っていくような、そんな呆気なさですり抜けていった。その気もないくせに。
何もかも興味ないくせに。
本当は、自分のことなんかどうでもいいくせに。
「充、おいで」
恨み言を消し去る、絶対者の声。
来いと命じられれば、それに抗う術はない。
風をつかもうと躍起になってもすり抜けていってしまうのと同じように、彼を捕まえることは不可能で、彼の気まぐれに振り回されまいとするのも愚かなことだ。
振り回され、ただ必死で縋り付けば、風のような彼はそれでもほんの少しの間、その黒曜の瞳に充を映し出してくれた。
いたずらに人を傷つける、冷たい真冬の風のような彼は、だからこそぬくもりを求めるのか。
「ボス、聞いてよ、あのさあ」
「……」
「ねえ、ボスってば」
「…充」
煩いと言うのでさえ億劫なのか。
忙しなく言葉を吐き出す充の口を黙らせるように唇を押し当てた。
ひんやりとした冷気が身体を包んだと思ったのは、充の気の所為だろうか。
冷たい彼が、冷たい指先で自分の身体をなぞるのを、どこか遠くで見ていた。
触れられ、なぞられれば、口から零れるのは言の葉ではなく、意味を持たない嬌声。
追い上げられ、果てた時には風は消えている。
吹き抜けた風は心を掴み、浚う。
浚われた心は彼の手にあり、充にはもう、何も出来ることはない。
ただ絶対者である彼が自分を望み、声をかけるまで、その恋心は捨て置かれる。
何にも頓着しない彼の、暖を取るだけの行為は、充にとって何にも勝る鎖。
風ではない充を掴むことは造作もないことだ。
存在。ただそれだけで彼は充を拘束する。
それならいっそ、本当に鎖で繋がれた犬になれれば。
冷たい鎖の感触がやがて体温であたためられて人肌となるように、冷気を纏う彼をあたためられるだろうか。
けれど彼は形を持たない。決して彼は捕まえられることがない。少なくとも充はそう思っている。
風を拘束することは出来ない。それが理。だからきっと、彼は自分如きに捕まらない。それでもいいとどこかで思っている自分がいる。
彼は永遠に手に入らない。だからこそ自分は彼を思い続けることが出来る。手に入れたいと躍起になって、けれど手に入らないことを安堵している自分がいて、充はイカレてる、と少し笑った。
(けどさ、ボス。俺さあ、やっぱ、やっぱアンタのことすげえ好き)
(好きすぎて頭イッちゃうくらい。すげえ好き)
(泣きそうだよマジで。ワルが聞いて呆れるね。)
「どうした?充」
(俺の心に風は吹いたけれど)
「充?」
(…アンタには吹かなくていい。だってアンタは風だから)
「なんでもないよ、ボス」
(その分俺はアンタを追いかけるから)
(だからずっと、誰にも捕まらないで)
桐沼。
自分のものにもならないで、誰のものにもならないで、たった一人で歩いていけ。
掴み所の無い風のようない人ではなく、掴む所さえない風そのものの桐山が、そのままでいちばん充にとって好きな人だと思う。
|