無慈悲な世界
重苦しい朝が来る。絶望に彩られた夜が明け、いつもと変わらず朝は来る。
世界はいつだって、無慈悲に時を刻むのだと今更ながらに思った。
荒垣が倒れた時、唯は絶望の淵に立たされたような、どちらが瀕死の重傷を負っているかわからない顔をしていた。泣くな、と優しく唯に言い聞かせている荒垣と唯を見守りながら、ゆかりは荒垣の命の灯火が消えないようにと必死で祈ることしか出来なかった。
影時間が明けるまでのほんの数十分が永遠に思え、生きているのが不思議なほど衰弱しきった荒垣が病院へ運ばれていくのをただ祈りながら見ていた。誰もが辛そうに押し黙っていた。
眠れないまま朝が来て、だからと言って部屋に閉じこもる訳にも行かず、のろのろと制服に着替えて昨夜と同じく真っ青な顔色の唯と共に学校へと向かった。

校内では暴力事件として処理された荒垣のことが話題に上っている。そんな会話から逃れるように机に突っ伏している唯にゆかりはそっと話しかけた。

「唯、…その、大丈夫?」

心配でたまらず話しかけても、唯は曖昧に微笑んで返すばかり。その笑顔にいつものような元気がないことくらい、ゆかりもわかる。
おそらく、ずっと付き添うことが出来たらどれだけいいかと彼女は思っているのだろう。けれど病室には唯の来訪を拒絶するように面会謝絶の札がかかっているし、シャドウとの戦闘もある。時は待ってくれない。そして唯が立ち止まることを、荒垣はおそらく望まない。
大切な親友がこれほどまでに苦しんでいるのに、自分は何もしてやれないのかと歯痒くなる。こぼれた溜息は予想以上に重苦しかった。

「ねぇ、聞いたぁ?」
「…何が?」
「荒垣って人!あの人ってさぁ、ポートアイランド駅の溜まり場の住人なんだって!」
「それが?」

無神経に話しかけてきたクラスメイトに、ゆかりは不機嫌そうに答える。唯は答えるのも億劫そうに、ただ視線だけを返していた。

「暴力事件ってさ、そりゃ可哀想だとは思うけど、やられる側にも問題があるよね、そんなんじゃ」
「ちょ…っ」
「やめて!」
「え…」

ゆかりの不機嫌な声にも唯の無言の拒絶にも気付かないクラスメイトの言葉に、唯ががたり、と音を立てて立ち上がる。勢いが付きすぎた所為か、椅子は床に倒れてしまった。
クラスメイトが驚いたように唯を見ているのをゆかりは不安に包まれながら見た。

「あなたは荒垣先輩の何を知ってるの?」
「え?」
「あの人がどんな人か、あの人がなんであそこにいたのか、あの人がどうして倒れたかも知らないのに、荒垣先輩のこと、悪く言わないで」

普段笑っていることの多い唯の珍しい冷たい声に、クラスメイトだけでなくゆかりも驚かされる。必死に感情を押し殺そうとして、殺し切れない憤りが唯の瞳から涙となって溢れていた。
重苦しい空気に硬直していると、それに気付いた順平が慌てたように駆け寄ってきた。

「な、なあ!唯、小田桐が呼んでたぜ!生徒会のなんかだって!」
「え、あ…うん」
「順平…」

おそらく彼の言葉は咄嗟についた嘘なのだろう。彼なりの気遣いに、唯が小さく、ありがとう、ごめんね、と返したのを見ながら、順平の登場にゆかりは心の底から安堵した。

  

唯が出て行ったことでクラスメイトは少し気まずそうにしながらも他の友人の元へ戻り、唯がいた場所にはゆかりと順平だけが残っている。
ゆかりが唯の出て行った教室の扉をじっと見つめていると、順平は大げさに溜息を吐いて、ゆかりに話しかけた。

「なーんか、あんな唯、初めて見たよな」
「そうだね…」
「あれ、怒ってたんだろ?あいつがさ、怒ったりするとこってあんま見ねぇから…ちょっとビビッた」
「…だって、しょーがないよ」
「へ?何で?」

話していいものかと少し言いよどんで、それでもゆかりは口を開いた。

「荒垣先輩とあの子…仲良かったのは知ってるでしょ」
「ああ」
「しばらく前、あの子と荒垣先輩がね、寮のラウンジで話してたのよ。たまたま見ちゃったんだけど…」
「え、ゆかりッチてば覗き見!?やーえっちー!」
「バカじゃないの?」

あまりにも大きな溜息で返されて、順平は少しへこんだようにしている。
けれど今は言葉の続きの方が大事と思ったのか、それで?と先を促した。

「え、ああうん、それでね…」

  

静かなラウンジに、落ち着いた優しい声と、ころころと鈴を転がしたような可愛らしい笑い声が聞こえる。
そっと様子を伺うと、見たこともない優しい表情で荒垣が微笑み、唯の話に相槌を打っていた。それだけで、なんとなくゆかりには彼らが特別な間柄であることが理解出来た。聞くともなしに聞こえた会話は他愛も無いものばかりで、これと言って重要なものではなかったのだけれど、彼らにはそれで充分だったのだろう。やけに和やかな雰囲気に包まれていた。
なんだかキッチンへ向かうことが憚られて、ゆかりがその場に立ち尽くしてると、話しつかれたのか、唯は眠ってしまったようだった。
(…てか、私も戻ろう。後でまた来ればいいし)
そう思って階段を上りかけると、荒垣の呟きが聞こえた。

「あーあー、んな無防備に寝やがって…こっちの気も知らねぇでよ…」

「…おめぇはずっと、笑ってろよな…」

小さな声で発せられたその言葉は、ゆかりでさえ泣きそうになるほどの優しさに満ちていて、聞いてはいけない言葉を聞いてしまったように思えて、極力音を立てないようにゆかりは戻った。

しばらくしてもう一度ラウンジに向かうと、会話はまったく聞こえず、本当に静かなものだった。
後ろ暗いものがある訳ではないが、なんとなくほっとして、ゆかりはキッチンへ歩を進める。
その途中で、静かだった訳を知り、不用意に戻ってきた自分に呆れてしまう羽目になった。

「…もう、何やってんのよ、この人たち…」

腹にしがみつくようにして荒垣の膝の上で眠る唯と、おそらく髪を梳いてでもいたのだろう、唯の髪に手を乗せて、もう片方の腕をソファに腕を乗せて眠る荒垣。
そのうち風邪でもひいてしまうのでは、と思うものの、下手に毛布でもかけて起こしてしまうのも、ゆかりの方が気まずい。起きなくても毛布の痕跡で誰かがそうしたことには気付いてしまうだろう。
キッチンへの用事は諦めて、見なかったことにしてさっさと戻ろう、と決め、階段へ急ぐ。途中、ふと思い立って振り返り、彼らをもう一度見つめた。
世界中に互いしかいないかのような空間だ。こんな風に誰かに縋る唯をゆかりは初めて見た。どこか周囲と壁を作っているような荒垣のこんな穏やかな顔を初めて見た。
やはり特別な間柄なのだろう。微笑ましいと思う反面、知っている顔のそういう姿は気恥ずかしくもある。照れたような笑いを一つ零して、ゆかりは今度こそ階段を上った。

   

「へぇ…そんなことがあったんか…」
「多分、すごく好きだったのよ。だからこそ、今すごく辛いんだと思う。なのにあんな風に荒垣先輩のこと言われたら、唯じゃなくても怒るよ…」
「まぁな…正直、オレも結構腹立ってるけど」

哀しいのは唯だけではない。ゆかりも順平も荒垣の件に関しては相当に心を痛めている。けれど、では、唯の痛みは如何ばかりのものか。予想の域を出ないけれども、自分たちの痛みの比ではないだろう。
絶望に彩られた唯の瞳。あんなにもぼろぼろと泣いた唯を誰も見たことがなかった。
生きているのが不思議だと言われても、目を覚ます可能性はほとんどないと言われても、唯の為に彼は目覚めなければならない。
あんな風に泣かせて、そのままで終わらせるなんて、絶対に駄目だ。

「荒垣先輩、目、覚めるよね?」
「…わかんねぇ。けど、でもさ…、好きなヤツ泣いてんなら、起きるのが男ってもんだろ」
「うん…」

無慈悲な世界に奇跡は起きるだろうか。
立ち止まることの許されない運命は、最後に彼女にとって、優しいものであるだろうか。
笑ってばかりの彼女に早く戻りますように、とゆかりは祈った。 

     


ゆかり視点。
荒垣先輩が倒れた翌日、ふらふらと学校うろちょろしてたら教室前の女の子たちの会話に軽くイラッと来た佐倉さん。
ちょ、おま、何ゆってくれちゃってんの!?みたいな。ハム子ならきっと怒ってくれるとゆー願望。

2010/10/28 改訂

               

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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