りんごとおかゆと…
雨に降られて風邪を引き、寝込んでしまった唯は延々と眠り続けていて、それこそまるで死んだように眠っていた。
傘も差さずにどしゃぶりの雨の中帰ってきたのだ、風邪くらいは引くだろうと思っていたものの、まさかこんなにも悪くして臥せるとまでは思っていなかったので、荒垣もつい心配で何度となく看に来てしまっていたのだけれど。

「あ、…れ…?」
「…なんだ、起きたのか」

タイミングが良かったのか、熱さましの為のタオルを取り替えている最中に唯は目を覚ました。
頭が働いていないのか、荒垣が問いかけても瞬きを繰り返すだけだ。
濡らし終わったタオルを乗せる前に、そっと自分の手を唯の額に当てる。唯も大人しく目を閉じた。
タオルがぬるくなるはずだ。当初よりは幾分マシになったとは言え熱はまだ高い。水を触っていた所為で冷えた手のひらの温度が気持ちいいのか、唯は安らいだ顔をした。

「まだ、辛いか?」
「…心配、してくれたんですか…?」
「うるせーのがいねぇと調子狂うんだよ」

額から手を離して代わりにタオルを乗せる。一瞬不服そうな顔をしたので、そのまま髪を梳いてやった。
知らず、子供をあやすような動きになってしまい苦笑する。明彦の妹が熱を出した時も同じようなことをしてやったような記憶があった。
とにかく甘やかしてやりたいような、唯はそういう気持ちを掻き立てる。壊れ物にでも触れるかのようなやり方を、明彦の妹にもしていたかと言えばそれは記憶になかったけれど。
わかっているのはただ、唯に対して抱いているのが、明彦の妹に対してのような父性がゆえの優しさだけではないということだ。
心地よさそうに瞳を閉じて微笑む唯に、鼓動が跳ねる。思わず手を止めて立ち上がってしまった。
(…くそ、やべえ)
不思議そうに見る唯に目を合わせることも出来ず、扉に手をかける。このままここにいたら、何かよからぬことをしてしまいそうな予感がした。

「荒垣せんぱい…?」
「喉…乾いただろ。なんか持ってくる」

それだけ言ってさっさと部屋を出たけれど、熱くなった耳は、赤らんでいたかもしれない。

  

「あれ、何やってんすか?」

土鍋でおかゆを炊きながら、セラミック製のおろし器でりんごをすりおろしていると、テーブルで漫画を読んでいたはずの順平が顔を出した。

「あ?りんご擦ってんだよ」
「りんご?」
「風邪にはりんごだろ」

順平に続いて風花が顔を出し、ああ、と納得した様子で荒垣の手元を見た。

「唯ちゃんに持っていくんですね…。あ、私も何か…」
「おめーはやめとけ」
「う…」

普段ならともかく、風邪で臥せっている人間に風花の料理は危険だ。逐一教えてやるような暇もない。
キッチンに入ろうとする風花を制しながら、すりおろしたりんごを布巾で絞り、コップに注ぐ。コンロの火をごく弱い火加減に変えて、りんごジュースの入ったコップに氷を二つ入れた。
勝手に触るんじゃねえぞ、と言い置いて荒垣は階段を昇っていく。
残された順平と風花はコンロにかけられた土鍋を見て顔を見合わせた。

「もしかして…荒垣先輩、おかゆも作ってるの…?」
「マジで!?どこまで面倒見がいいんだよ、あの人!」
「だ、だってほら…」

米から炊かれているらしいおかゆにすりおろしたりんごを絞ったジュース。
やたらと大きな買い物袋を提げて帰ってきた荒垣を思い出す。何を買ってきたのだろうとは思ったが、まさかあの買い物袋の中身は全部唯の為に買ってきたものなのだろうか。
触るなと言われたこともあり、キッチンから離れようとした時、食品の袋とは別に、薬局の紙袋が目に入った。おそらく風邪薬も買ってきたのだろう。

「ほんっと、面倒見がいいってレベル、超えてんぞ、あれ…」

呆れたように溜息を吐く順平に風花がくすりと微笑んで返すと、ジュースを置いてきたらしい荒垣が戻ってきた。順平も風花も慌てて元いた場所に戻る。
順平と風花の会話を知らない荒垣は、怪訝に思いながらもくつくつと音を立てる土鍋の様子を見に戻った。

「…もういいか」

小さく呟き、柔らかく炊けたおかゆの土鍋と、種を取ったうめぼし、浅く漬けた白菜の新香を乗せた小皿を盆に乗せ、コップに水を汲む。薬局の紙袋から風邪薬を取り出し、一回分を盆の上に乗せて、慎重な動作で盆を持ち、荒垣は階段を上がっていった。
洗い物もほとんど片付けられている様に家事スキルの高さを思い知らされる。
気にしないふりを努めながらも内心興味深々でそれを見ていた風花と順平は、そっと息を吐き出した。

「す、すごい…。白菜のお漬物…、荒垣先輩自分で作ってたみたい…」
「いやそれより、わざわざうめぼしの種取ってやるとかどんだけ…」

確かに唯は風邪を引いて寝込んでいる。病人に優しくするのは万国共通、当たり前の精神だ。多分。
けれど、それにしたって過保護すぎるような気がしなくもない。

「なー、風花ぁ、お前正直どう思う?」
「え…何が…?」
「荒垣サンと唯。なーんか最近一緒にいるのよく見んなぁとは思ってたけどさー」
「あ…確かにそうだね」
「今だって荒垣サンあいつの部屋におかゆ持ってったりとかしてる訳じゃん?なーんかさー、これってオレとしてはすっげー淋しい訳。なんつの?妹に彼氏が出来たみてーな、娘を嫁に出す父親みてーな?」

唯の性格がゆえか、唯を同年代の友達と言うよりも妹のような感覚で見てしまうことの多い順平は大げさに溜息を吐いて肩をすくめた。
それを受けて風花もわからなくはないな、と笑みを返す。
リーダーだけあって唯は頼りになるし、しっかりもしている。頭だっていいし、度胸もある。けれど色々なところが抜けていて、どこかこどもっぽい。出来がいいくせにぽやぽやしていて過保護にならざるを得なくさせる、そんなイメージだった。

「バカじゃないの?あんた、いつから唯の兄貴や父親になったのよ」
「うわ、このナイフで抉り込むような突っ込み!」
「あ、ゆかりちゃん…」

どうやら一部始終聞いていたらしいゆかりはコーヒーマグを片手に呆れたような顔をして会話に加わった。
曰く抉り込むような突っ込み、を味わった順平はさめざめと泣きまねをしていたが、ゆかりは気にしていないようだった。

「私はいいと思うけど?荒垣先輩って頼りになるし、優しいし」
「ふふ…ゆかりちゃんもお姉さんみたいなこと言ってる」
「確かに荒垣サンは頼りになる。かっけー。わかってんだよそんなことはー!」
「それにアンタと唯が付き合うとかマジ考えらんないし、真田先輩じゃちょっとねー」
「…聞こえているぞ、岳羽」

なんのかのと批評をしていたゆかりも、背後からかけられた明彦の声に、げ、と慌てたように口を閉じる。
その様がおかしかったのか、明彦と共にソファで寛いでいた美鶴も思わず吹き出した。ふるふると肩を震わせて笑う美鶴に明彦も毒気を抜かれたように溜息を吐き、それ以上文句を言うことも出来なかった。

   

その頃三階では、器用に片手でバランスを取りながら荒垣が唯の部屋を開けたところだった。

「おい、出来たぞ」
「あ、はあい」
「ジュース、飲めたか?」
「はい、おいしかったですっ」
「そうか」

おもちゃのようなミニテーブルの上に置かれた空のコップを退かし、代わりに今持ってきた盆を置く。唯の位置からでは食べ辛いだろうが、そもそもおかゆを渡してそのまま帰るという考えのなかった荒垣は床に腰を下ろし、茶碗におかゆをよそった。

「うめぼし食えるよな?」
「だいじょぶです、大好きです」

いつも通りに微笑んで見せているのだろうが、唯の浮かべる笑顔は心なしか元気がない。
れんげでうめぼしとおかゆを軽く混ぜて、一口分を掬い、息を吹きかけて少し覚ます。

「ほれ、食え」
「え」
「零れるだろーが、食え」

食え、と荒垣が差し出したれんげを一瞬戸惑うように見て、それから唯は口を開く。病人には食べさせてやる、という荒垣の中の常識が唯にとって常識ではなかった為の躊躇だったのだが、荒垣はそんなことなど気付きもせずに、親鳥が雛に餌をやるような要領で食べさせ続けた。
茶碗に一杯分ほど食べ終わった頃、唯はもう食べられないと言って首を振った。

「もう腹一杯か?」
「はい…あ、おいしかったです、ありがとう、荒垣先輩」
「まあ病人にしちゃがんばって食えた方だな」
「こんなにおいしいおかゆ、初めて食べました」
「……大袈裟だ」

大袈裟だとは思うものの、素直に喜ぶ唯が可愛く思えて荒垣の顔も綻ぶ。
盆を片付けようとして、ふと気付き薬を手に取った。

「おい、薬…」
「え゛…」
「えってなんだ。まさか薬飲めねぇとか言わねぇだろーな?」
「……」

黙り込むということはその通りなのだろう。子供じゃあるまいし、と思う反面、それすらも可愛く思えてしまうのだから重症だ。
けれど飲まずにいるよりも、多少無理してでも飲んでおいた方がいい。伺うように唯を見ると、少し困ったように眉を下げた。

「ちゃんと飲めたらご褒美やるよ」
「…うぅ……粉じゃなかったら、がんばります…」
「よかったな、カプセルだ」

唯なりの精一杯の譲歩だろう。カプセルにしておいてよかったと思いながら薬を出して唯に渡す。
随分躊躇していたようだったが、やがて意を決したようにカプセルを口に含んだ。
飲み終わった瞬間今まで見たことがないほど顔を顰めた唯に荒垣は思わず吹き出した。

「がんばったな」

よしよしと頭を撫でてやると子供扱いをされていると思ったのか唯は口を尖らせた。いちいちやることが可愛らしくて、顔が勝手に笑みを作ってしまう。素で人を和ませるのがうまいのだろう。荒垣ですらそうなのだから、他の人間など押して知るべし、といったところだ。
そんなことを思っていると唯の手が荒垣の手を取る。不思議に思って見ていると、猫が擦り寄るように荒垣の手を頬に寄せた。
熱い頬。少しだけ汗ばんだ肌。考えるより先に思わず引き寄せて口付けてしまった。

「…風邪、うつっちゃいますよ」
「人に移せば早く治るって言うだろ」
「ごほうび、ですか?」

そう言ってふわりと笑う。
本当は喉越しのいいデザートでも持ってきてやるつもりだったのだけれど、気が変わった。

「お前へのご褒美か?俺へのご褒美か?」
「どっちでもいいですよ。唯は荒垣先輩がかまってくれたらそれでいいです」
「甘ったれだな」
「だめですか?」
「病人は甘えるもんだ」

病気の時以外だって結局は甘やかしてしまうのだけれど、甘ったれた声で一緒に寝てほしいとねだる唯に、こんな時くらい仕方ない、と尤もらしく言い訳をしてもう一度口付けた。

その頃キッチンの冷蔵庫では本来のご褒美であるフルーツゼリーが出番を待っていたのだけれど、当分その時は訪れそうにない。

     


折角(?)風邪引いたのでちょっと書いてみた。しぼったりんごジュースは風邪の必需品だと思う。佐倉さんすりおろしりんごはあんまり好きじゃない(果てしなくどうでもいい情報)。
この後荒垣先輩は唯の風邪がうつって、元気になった唯に看病してもらっても楽しいかもしれない。

2010/10/28 改訂

               

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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