いつか、きっと
「ねえ荒垣先輩、先輩って小指のリングサイズっていくつですか?」
「は?知らねえよ、そんなもん」
「うーん…唯の中指以上ありそう…」

ベッドの中向かい合わせになりながら唯はまじまじと荒垣の手を見る。
何がしたいんだ、と思うけれど、妙に真剣な様子にそのまま好きなようにさせてやった。
顔を近づけて手のひらを見つめる唯はしばらくすると何かを納得したように頷き、それから小指と小指を絡ませた。

「…何やってんだ」
「えへへ…」

指きりでもするような状態に苦笑が浮かび、幸せそうに笑う唯に罪悪感を抱いた。
こんな風に身体を重ねあわせたって、自分の身体は随分とガタがきていたし、こんな約束の真似事をしたって叶えてもやれない。
それを伝えてもやらずにこうして唯を抱きしめているのはひどくエゴイスティックな気がした。

「先輩?」
「…もう寝ろ」
「はあい」

真実から目を背け、誤魔化すように彼女を抱きしめることしか出来ない自分に反吐が出そうになる。
けれど目の前の甘い誘惑に抗えるほど達観もしていない自分は、愚かにも間違いを繰り返し、彼女のぬくもりにただ溺れた。
終わりが来るのを怖れるように。

  

翌日。普段よりも幾分遅い時間に帰宅した唯にせがまれ、荒垣は彼女を部屋に招いた。
部屋に入るなり唯は手を出してくれとねだる。話の見えないまま右手を出すと、そっちじゃないです、と左手を取られた。
するりと指を滑ったのは小さな赤い石のついたリングだった。小指に収まったリングは普段リングをつけない所為か、妙に目立つ。

「…んだ、これ…」
「おそろいのリングです」
「リング…」
「はい」

そう言って唯も左手を見せた。同じリングが唯の小指にも嵌められている。
それで昨日あんなにリングのサイズを気にしていたのかと納得する反面、女にリングを渡されるというのは違和感があった。
そんなもん、男がやるもんだろ、普通。
そうやって問えば、どこか淋しそうに微笑んで唯は言った。

「このリングは、赤い糸の代わりです」
「随分少女趣味な話だな」
「えへへ…安物のリングに赤いストーンをつけただけなんですけど…。これがあったら、たとえどんなことがあっても繋がっていられるって信じられるから…」
「……」
「ちょっと、不安になっちゃっただけなんです。何か形に残るものがないと、荒垣先輩、どこかに行っちゃいそうな気がして」

聡い彼女のこと、いずれ荒垣が辿る末路に気付いているのかもしれなかった。
事実、不安にさせるようなことを言った記憶もある。明彦を頼むと託し、別離を匂わせた。
唯のわがままなの、と少し申し訳なさそうに微笑む彼女に、我侭なのは自分の方だと思う。
約束も指切りもすることが出来ない癖にぬくもりを欲して彼女の優しさにただ甘えた、そんな自分の方がよほど我侭だ。
唯の浮かべた微笑みが、そっと確かめるように触れられた細い指先が、やけに哀しく思えて、荒垣は思わず唯を抱きしめた。

「唯」
「はい?」
「…薬指、…空けとけ。いつか、お前に買ってやる」
「…え…」
「約束だ」

叶えてやれそうもない口約束だ。いつどうなるとも知れない自身の身体から敢えて目を背けその場しのぎを口にする。
それでも荒垣の言葉に唯はホッとしたように息を吐き、柔らかな笑みを浮かべた。
幸せそうな笑顔に胸が痛み、どうやっても誤魔化しきれないその痛みに、荒垣はそっと気付かれないように唇を噛んだ。

  

不気味なほど存在を主張する満月の下、天田と相対しながら思い出したのは、唯と交わした約束だった。
果たせない約束など、やはりするべきではなかった、と今更ながらに悔やむ。
深い悲しみと憤りを湛えた天田の瞳はどこか虚ろで生気がない。彼をこんな風にしてしまったのは、過去の自分が犯した過ちの所為だった。
こんな幼い少年の母親を奪い、人を殺める覚悟を抱かせてしまった。
罪悪感を抱くことさえも躊躇うほど、自身の罪の重さを荒垣は痛切に感じ取っていた。

「…母さんを返して欲しいなんて言いません。でも、あなたが平気な顔をして幸せを掴むなんて、絶対に許せない」

知っていた。自分が唯に癒されることは、同時に天田を傷つけることにもなるのだと。そうとわかっていて溺れた自分の浅はかさに嫌気が差す。

「これ見よがしに、らしくもない指輪をつけて、のうのうと生きていくんですか。そんな資格があるとでも思ってるんですか」
「天田…」

月明かりだけの薄暗い世界で、荒垣をまっすぐ見据える大きな子供らしい瞳が、到底子供らしいとは言えない闇を宿していた。

「自分のしたこと、僕が思い出させてやる。僕が…お前を殺してやる」

殺せばいいと思う。自分で自分のしたことに責任が持てるのなら。
こうなることはとうの昔に覚悟を決めていた。
未練がないと言えば嘘になるが、天田がそれを望み、その覚悟を持って自分を弑そうと言うのなら、荒垣も同等の覚悟で以って罪過を贖おう。
唯や明彦は泣くかもしれないな、と、意外に泣き虫なところのある彼女と腐れ縁の幼馴染を思い出し、僅かに頬を緩ませる。武器を突きつけられても尚、荒垣は胸中は穏やかなままだった。
だって、自分はもう充分過ぎるほど唯に救ってもらったのだ。

「…やれよ。覚悟、出来てんだろ。こんな俺でも一人の人間だ。人一人の命奪うに値する覚悟決めて呼び出したんだろ?抵抗はしねえ、やるならさっさとやれよ」
「…っ…」
「…お前に人一人の命分の重みを背負う覚悟があんなら…お前の好きにすればいい」

微笑みさえ浮かべる荒垣に、天田が一歩、気圧されたように後退る。
荒垣はすべてを受け入れるつもりで目を閉じた。
彼がどれほど苦しみ、そして哀しんだかなんて荒垣は知らない。天田だってあの事故の後、荒垣がどれほど苦しみ辛い思いをしたかなんて知るはずがないのだから、それはお互い様だ。
ただ、幼い彼がこれほどまでに追い詰められたのは自分の責任だ。自分の苦しみや葛藤を引き合いに出して命乞いをする気もない。彼には自分を殺す権利がある。
ただ、今は彼の中に宿る憎しみが人の命を奪うという行為の重みを麻痺させているけれど、自分を殺めた後、彼はどうなってしまうのだろうかと思う。望みを叶え、そうして彼は日常に戻れるだろうか。笑うことが出来るようになるのだろうか。
憎しみは人の心に影を宿し、人の命を奪うことは、心に消しようのない闇を抱くということだ。それをまだ少年でしかない彼が耐え切れるのだろうか。
唯が自分にとってそうだったように、天田にとっても彼女が救いとなることを祈るしかない。あの微笑みは、ささくれだった心を癒し、闇に蝕まれた場所に優しい光を与えてくれる。唯にばかり厄介ごとを押し付けているような気もしたが、無理に抉じ開けるでもなくゆるゆると浸透してくるあの優しさは、誰にとっても救いとなるはずだと思った。
(ああ…、本当に、俺はあいつのことが好きだったんだな)
こんな状況でさえ、彼女の微笑みを思い浮かべれば心安らかに逝ける気がした。
けれど一向に訪れない痛みと、天田の息を飲んだ気配を不審に思い、荒垣は瞼を開ける。
天田の視線の先を追うと、タトゥーだらけの腕を見せ付けるかのように痩せこけた上半身を晒した長い髪の男が底冷えのする笑みを湛えて銃口を向けていた。

「素晴らしい復讐劇ですね。けれど、結末に些かのミスがあったようです」
「…!」
「彼の行いは正しい。殺されたのだから殺す。これほどわかりやすい方程式はない。なのになぜ、あなたはそれを止めるようなことを言うのです?そしてあなたはなぜ彼の言に惑うのか…。私にはわかりません」

相変わらず感情の読めない表情でタカヤは首をコキリと鳴らした。撃鉄を起こす動作さえ緩慢で、だからこそ縫い止められたように身動きが出来ない。
銃口が天田に向けられた瞬間、荒垣は慌てて天田をその背に隠した。

「おや…これは面白いことをする。残り僅かな命を彼の為に使うことで復讐を止めさせ、赦しを請おうとでも言うのでしょうか」
「残り…僅か…?」
「聞くな、天田!」
「…何も教えていないんですか?ペルソナ抑制剤は命を食い潰していく。抑制剤を使い出して随分と経つあなたの余命が幾ばくもないことくらい…」
「黙れッ!」

叫びにどれほどの意味があっただろう。背後で呆然と呟く天田を振り返る勇気はなかった。

「どういうこと…?僕が何もしなくても、荒垣さんは…?そんな…そんなのって…ッ!」

天田は天田自身の手で荒垣をを殺す為に生きてきた。彼は荒垣の続いていくはずだった未来を奪うことで復讐を果たそうとした。
自分が奪ってやろうとしたはずの未来が荒垣にないことに天田はひどく動揺しているようだった。
自分の死に様などどうでもいいが、血を吐く思いで固めた覚悟を踏みにじられるのは腹が立つ。自分は天田に復讐をさせてやりたかった。そうすれば、彼の苦しみが少しでも薄れるのではと思っていた。その後のことなど知ったことかと丸投げするつもりはないが、荒垣に出来ることはそこまでだと思っていたし、そこまでは荒垣自身の意思で何があろうと遂げさせてやるつもりだった。
少なくともこんな形で彼に何かを知らせる気なんてなかったし、そもそもこの場にタカヤが乱入してきた事だって予想外だ。

「死が何によってもたらされるかなど、どうでもいいことでしょう。憎い相手がこの世から消えることに変わりはない。それに…」
「あ…」
「少年。君からは彼とは別の意味で生きている臭いがしない。…彼を殺した後で自分も死ぬ気だったのでしょう?」
「天田、お前…!」
「どの道二人とも死ぬのです。ならば私が今、確実に息の根を止めてあげましょう。これであなたたちは真なる救済を手にすることが出来る…」

天田に気を取られた一瞬の隙を突いて、タカヤが銃を放つ。
ガウン!と喚いた銃声は、耳よりもまず身体に響いた。痛みに膝付き、そのまま崩折れる。ひゅーひゅーと喉が鳴り、銃弾を受けた傷口から血が飛び散った。

「荒垣さん…!…う、うそだ…こんなことって…!」

天田がへたり込み、愕然とした様子で自分を見るのにも、不気味な笑みを携えて近寄ってくるタカヤにも、荒垣は何も言うことが出来なかった。

「私はあなたたちに聞きたいことがあるのです。答えてください。チドリと似た情報の使い手が君らの中にいるはずですね。情報収集や索敵に長けたあなた方の仲間…それは誰ですか?」
「……」
「言わないと、ほら…傷がどんどん悪化して…取り返しがつかなくなりますよ」

顔や腹を蹴られ、呼吸が更に苦しくなる。その度痛みは麻痺していくのに、寒気がやたらリアルに感じられて、それと同時に視界が霞んでいった。
どうにか力を振り絞ってみても、そんな奴はいない、と口にするのがやっとだった。

「仲間を売り渡すような真似はしたくありませんか?それとも私の訊き方が生ぬるいのでしょうか?」

そう言ってタカヤは更に足を蹴り上げた。無意識に腹を庇った手を足先で押し付けられ、指に重みが乗る。次の瞬間、激痛が走った。

「ぐ…あッ…!」
「…やめ、…止めて!待ってよ!ぼ、僕だよ。お前が探してる情報の使い手は僕だ…!」
「本当ですか?」
「…ああ、本当だよ。それが出来るから…だから僕は子供でも戦いに加えてもらえたんだ」
「…そうですか」

まるで荒垣を庇うように天田がタカヤを制する。天田の口にした言葉に荒垣は驚愕した。
(駄目だ…、そんなことを言っては)
けれどそれは言葉として現れてはくれなかった。どうにか視線を動かして天田を見るけれど、彼は俯いていて表情は読み取れない。
タカヤの持つ銃が天田を捉える。逃げることもしない天田に、どこにそれだけの気力があったのか、荒垣は彼とタカヤの間に自分の身体を滑り込ませた。

「えっ……」

胸に二発目の銃弾を食らい、今度こそ本当に指先一つ動かせる力も失って荒垣は地面に倒れた。
銃口を向けたままのタカヤが顔を歪め、ほんの僅か驚きの混じった声音で呟いた。

「どうしたというのです。この子供を救って、あなたに何か得が?それとも贖罪のつもりですか?」
「あ…あらがき、さん…」

意識が闇に溶け込んでいくようだった。すぐそこにいるはずのタカヤの声も天田の声もぼんやりとしか聞こえない。あれほど感じていた寒気すらわからなくなって、ほんの間近に死を感じた。
視線だけは動かすことが可能なようで、荒垣はそっと指先に視線を走らせる。妙な方向へ折れ曲がった指の一つに鈍い銀色が見えたけれど、そこにあるはずの赤い石はどこにも見当たらなかった。

「シンジ!」

遠くから聞きなれた声がする。聴覚が怪しくなっている状況で聞き取れるのだから、よほど大きな声で叫んでいるのだろう。

「…お仲間が来たようですね。ここで水を差すとは無粋なことを。興がそがれました」
「あっ…」
「…いずれまたお会いしましょう。それでは」

すべてを察し駆けつけてくれたらしい明彦が近づいてくるとタカヤはつまらなそうにその場を去っていった。残された天田も、駆けつけたばかりの明彦も、タカヤを追うことはしなかった。
明彦は必死で荒垣に呼びかけ、天田はただ呆然と立ち尽くしていた。

「あま、だ…」
「あ……」

ひどい顔だった。天田は怯えるように荒垣を見つめ、逸らしたくとも逸らせないといった風情で荒垣を見つめている。
なんて顔をしてるんだ、と笑ってやりたいのに、うまく笑える自信はなかった。

「なあ…もう、いいだろ…?…もう、死のう…なん、て、考えんな、よ…」
「あらがきさ…」
「おめえは…まだ、ガキ…なんだから…こっからだろ…。ちゃんと、てめえの足で…てめえの為に…生きろ…」
「僕…は…」

明彦に視線をやり、天田を託す。明彦が頷くのを見てホッと息を吐いた。

「先輩…っ、荒垣先輩…!」

明彦から少し遅れるようにして他のメンバーが集まってくる。自分を呼ぶ声の中、彼女の声だけがやけにクリアに耳に届いた。
涙混じりの声に自分の状態すら忘れて抱きしめたいと願った。荒垣のその思いに気付いたのかどうか、明彦が腕を伸ばし、上体を起こしてくれる。その拍子に血の塊を吐いたけれど、喉の辺りで溜まっていた血が排出されたおかげで、後ほんの少しくらいならしゃべることも出来そうだった。

「唯…」
「荒垣先輩…どうして…っ」

ぼろぼろと唯の頬を伝う涙が霞んだ視界の中で光を反射して光っている。そんな場合ではないのに、きれいだと思った。
(あと少しでいい、俺に時間をくれ。ほんの僅かでいい…唯に、触れさせてくれ)
神など信じてもいないくせに、こんな時ばかり都合よく神に祈った。痛みを堪え、必死で手を伸ばして唯の頬に触れる。ぎこちない動きに焦燥が募った。終わりが、見えるようで。
(カッコ悪ぃ…)
覚悟を決めてこの場に出向いたくせに。死で贖うと決めてきたくせに。もう唯には会えないのだと諦めをつけてきたはずなのに。
唯がくれたリングの赤い糸を模した石が取れてしまったことに、自分は絶望に近い衝撃を受けたのだ。

「な、あ…リング、の…石…。取れ…ちまったよ…」
「え…」
「はは…、やっぱ…繋がって…ねえ、のかな…」
「そんな…っ!ねえ、やだ、やだよ先輩っ!しっかりしてください!だって、約束したじゃないですか、左の薬指は空けとけって、…約束してくれたじゃないですか…っ!」

感覚すべてがおかしくなっていて、痛みも感触もほとんどわからない。身体もいうことを聞かなくなって、どんどん意識が遠くなる。
こんな状況ですら未練がましく彼女を求めている自分が滑稽で仕方ないと思うのに、実際はうまく動かせない手で懸命に唯の涙を拭っていた。

「泣くな…唯…」

そう言いながら、唯が自分の為に泣いてくれていることにどうしようもない喜びを感じてしまう。自分のことながら相当重症だと笑い出したい気分だった。
本当は離れたくなどない。未練がましかろうと彼女と交わした約束を果たしたかった。
けれど、過去自分の犯した過ちを思えば、最期に唯に会えたことも、彼女が自分の為に涙を流してくれたことも、奇跡と言っても過言ではないだろう。
そう。自分なんかには、勿体なさすぎる最期だ。

       

「荒垣…先輩…?」
「……」
「せん、ぱ…」

意識を失った荒垣に、唯は動きを止める。
辛うじて呼吸はしているものの、その命の鼓動は弱弱しく、唯は瞬きすら忘れて荒垣を見つめた。

「びょ、病院…病院に…」
「す、すぐ運ぼう…!…ッ駄目だ…影時間が明けなければ、医者は…」
「そんなっ…」

影時間は適正のある人間にしか認識されないものだ。当然医療機関もやっていない。
どうしてこんなことになったのだろう。どうして荒垣が遅れてくることを不思議に思わなかったのだろう。彼が遠くへ行ってしまうんじゃないかと、あれほど不安に思っていたのに!
自分を責めたところで事態が好転する訳もないが、それでも責めずにいられなかった。
もっと早く気付けて、もっと早く駆けつけられていたら。
ひっきりなしに溢れる涙を拭いもせず、影時間が明けるまで唯はただ荒垣の傍に寄り添い続けた。

   

影時間明けると同時に荒垣は病院に搬送された。影時間が明けるまでに少なくはない時間がかかり、搬送されて病院についた時にはもう自力で呼吸も出来ないほどだった。

「意識の回復の見込みは…残念ですが。せめてもう少し早く処置が出来ていれば違ったかもしれませんが…」
「……っ!」
「七瀬っ…」

医師の言葉を受け、一気に血の気が引く。顔面蒼白でふらりとよろめいた唯を明彦が支えたが、支えた明彦も唯と同様に血の気の失せた顔をしていた。
同じように医師の説明を聞いていた美鶴もやりきれないように唇を噛み、三人は伝えられた言葉を受け止めきれずに押し黙った。
意識の回復の見込みはないと言われ、どんな顔をしろというのだ。
ひどく動揺していた天田を落ち着かせる為にその他のメンバーは彼と共に寮へ戻っている。報告を待っているだろう彼らにどう説明すればいいのか、誰にもわからなかった。

「あ、あの…。…ほんの、ほんの少しでいいんです…荒垣先輩に会わせてください…」

声がみっともなく震えるのにも構わず懇願する。医師は少し困ったように眉を下げたが、美鶴や明彦も共に頭を下げてくれたおかげか、ほんの少しだけですよ、と言って許可を出してくれた。

美鶴と明彦の配慮により、一人で病室に足を踏み入れる。病室のベッドには幾つものチューブに繋がれた荒垣の姿があった。
一命を取り留めただけでも奇跡に近いとわかっていても、先ほど言われた医師の言葉の所為で安易に喜べない。
至るところに打撲の痕があり、痛々しいまでに白い布で覆われている姿は、随分と唯の動揺を誘う。泣きそうになる自分を叱咤し、唯は昏睡状態の荒垣の元にそっと歩み寄った。

「荒垣先輩…」

名を呼んでも彼は目を覚まさない。わかっていてもそれを哀しく思うことは止められなくて、涙が勝手に溢れてくる。
泣くなとどれだけ自分に言い聞かせても、こんな姿の荒垣を見ては無意味だった。
(あ…)
視界の端で鈍く光るリングを見つけた。処置をするのに邪魔だったのだろう。外されたリングはベッド脇の棚にそっと置かれていた。
意識を手放す前に荒垣が言った通り、赤い石は取れてしまっている。それを荒垣は、ひどく気にしていたようだった。
涙を拭い、どうにか笑顔を作る。リングを手に取って、唯は荒垣に向かって語りかけた。

「…大丈夫ですよ、荒垣先輩」

「石は、唯がまたつけてきます。何度取れたって、何度だってつけてきます。もし無くしたって、絶対に探し出します」

「もしも先輩との赤い糸が切れたって、唯が何度だってつないでみせます」

「いつまでだって、待ってるから…」

だから。それ以上は言葉にならなかった。
笑みを象っていたはずの顔が歪み、とめどなく涙が溢れた。

(薬指は、いつか荒垣先輩が起きるまで空けておくから)
(必ず目を覚まして、今度こそ唯と一緒に生きて)

嗚咽をかみ殺すことも出来ず、静かな病室で一人、唯はしばらくの間泣き続けた。

     


リングネタが書きたかっただけなのに、気がつけばあの悪夢の満月ネタに。
荒垣先輩視点のみで終わるつもりだったんですが、そこで終わると本気でお亡くなりルートのようになってしまって耐え切れなかったので唯視点も書いておきました。

2010/10/28 改訂

               

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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