笑顔の仮面
「おはよう!唯」
「あ…おはよう、理緒ちゃん」
「…え、どうしたの、アンタ大丈夫?」

あの悪夢の満月の夜が過ぎて、朝が来て、現実逃避したくなる自分をどうにか叱咤して辿り着いた学校の昇降口で上履きに履き替えていると、エントランスで理緒に声をかけられた。
心配げな表情に唯もどうにか微笑んで返す。けれど、大丈夫だよと口にしながら、唯自身、それに違和感を感じていた。
いつもはきりっとした理緒の眉が唯を気遣うように頼りなく下げられていた。

「あ、あのさ、なんかあったら言いなよね?聞くくらいなら出来るだろうし…」
「うん、ありがとう」

心からそう言って、彼女の優しさに感謝する。
学校に荒垣の痕跡がない分、まだそれくらいの心の余裕があった。

エントランスから階段を昇っている途中、今度は小田桐に呼び止められた。
唯の顔色を見て驚いたらしく、大丈夫かと訊ねられる。

「顔色が真っ青だ…。体調が悪いのなら、無理せず帰った方がいい」

小田桐の気遣いに、やはり理緒の時のように微笑みを浮かべ、大丈夫だと口にする。
そうだ。大丈夫。大丈夫でなくていけない。学校だって、休んではいけない。少しでも非日常のことをして立ち止まってしまったら、もう動き出せない気がするのだ。
唯の気持ちに気付いたのか、彼はそのまま、がんばりすぎるな、とだけ言って去って行った。
小田桐なりの優しさに唯は目を伏せる。
けれどすぐに前を向いて教室に向かった。そうしなければ、絶望が唯に追いついてしまいそうだった。

どうにか教室へ辿り着けば、教室は荒垣の話題で持ちきりだった。おそらく学校中がそうなのだろう。聞きたくもないのに、彼を貶めるような噂ばかりが耳に届いた。
そんな噂話をしているくらいなら、もうすぐやってくるテストの心配でもしていればいいのに、身にもならない人の噂話ばかりをさも面白そうに話題に乗せている教室ははっきり言って相当に居心地が悪かった。
自分の机に突っ伏して、いっそ耳でも切り落としてしまおうかとまで考えた頃、友近が唯の傍に近寄ってきた。
理緒の想い人だって本来なら噂話が好きなはずなのに、荒垣の噂を口にするでもなく唯に話しかける。

「七瀬さん?朝から机に突っ伏しちゃってだいじょぶ?」
「だいじょーぶ…」
「寝不足?さっき理緒がさ、心配だから様子見ててくれって」
「そっかあ、優しいね、二人とも」
「つかさ、本気で大丈夫?順平とか岳羽さんもなんか元気ないし、寮でなんかあったの?」
「ううん、何もないよ」

ふうん、とだけ言って、それ以上友近は追及してこなかった。
何かあったのだということくらい、わかっているだろうに。
聞かないことが今の唯にとっては優しさだと彼は気付いたのだろう。だるかったら、帰りなよと言って、自分の席へ戻っていった。理緒が彼を好きになる気持ちが少し理解出来た。

授業が始まってもずっとうつ伏せて時が過ぎるのを待つ。
昼休みにも理緒や小田桐は唯のところまで様子を見に来てくれたが、その頃にはもう、大丈夫だと口にする元気もなく、ただ曖昧に微笑むことしか出来なかった。
その後も理緒たちだけでなく、順平やゆかりも気遣わしげに唯に声をかけてくれたけれど、微笑みはそれ自体の効力をなくし、学校が終わると同時に寮へ戻った。
聞きたくもない噂話をする学校が嫌で寮へ走ったのに、寮には荒垣の痕跡ばかりが目に付いて、今度こそ立っていられないと唯は唇を噛んだ。

大丈夫。そう言い続けた。
本当はまったく大丈夫な状態ではなかったけれど、心配してくれる人たちにどうにか笑みを返したかった。
全然平気だよ。そこまで言える強さはなかった。
みんな大好きだ。SEESのメンバーも、生徒会の仲間も、部活の友達も、クラスメイトも。
けれど、それ以上に荒垣の抜けた穴が大きすぎた。
どんなに優しくされても、それを嬉しいと感じても、立ち上がる原動力にはならない。
わかっている。
自分で解決して、飲み込んでどうにか日常に戻らなければいけない。
誰かの手を借りて立ち上がることに慣れていない唯は、周りの優しさをありがたく感じても、それに甘えることを自身に許せなかった。

泣きたい。泣いて喚いて哀しんで、何が変わる訳でもなかったけれど、悲劇のヒロインぶって泣いてしまいたかった。
回復の見込みはないと言われた。生きているだけで奇跡で、いつその命の鼓動が失われるかもわからない。
我慢し、耐えて、それでも荒垣が戻ってこなかったら?
最悪の想像ばかりが脳裏を駆け巡り、後悔ばかりが押し寄せる。
こんなに辛いのに、それでも表面上はどうにか笑み浮かべている自分が、やけに滑稽に思えた。

そこに入れば悲しみが増すだけだとわかっていた。
けれど鍵もかけられずに開いていたその部屋に入らずにはいられなくて、唯は荒垣の部屋へ足を踏み入れた。
部屋にはその人それぞれの匂いが染み付いている。荒垣の部屋もやはり荒垣の匂いが染み付いていて、唯は泣きそうになった。
いや、実際泣いていた。ただ、顔の形だけが笑みをかたどっていて、ひっきりなしに流れる涙とは対照的だった。

だって荒垣は言ったのだ。泣くなと、お前はずっと笑っていろと言った。
だから唯もがんばって笑ってみた。
笑顔の仮面ばかりを貼り付けて、けれど本当の自分はただずっと、泣いていた。
泣き伏して立ち止まってはいけない。わかっている。けれど、少しくらい、そう、ほんの少し手いい。泣かせてほしかった。
だって怖いのだ。戻ってこなかったらどうしよう。ずっとあのままだったらどうしよう。もしも荒垣が死ぬようなことがあったら、一体どうすればいい。
泣くなと言った荒垣の言葉は唯を縛り、涙を流すことは出来ても顔を歪ませることは出来なかった。

荒垣は知らなかった。
唯が、思うほど強くないことも。自分の言葉が、唯に対してどれほど力を持つかということも。

         


この後、唯はどんなに辛くても、自力で立ち上がります。誰かの優しさに甘えて縋ることをしてこなかったので、今回も自力で立ち上がります。
でも立ち上がるまでに、ほんの少し立ち止まる時間がほしかった、みたいな。
泣くなと言われた言葉を必死に守ってるハム子が書きたかった。

2010/10/31 改訂

               

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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