放課後の保健室
色が白くていいね。
友達はそう言って褒めてくれるけれど、唯自身は自分の肌の色が好きではなかった。
日焼けもしない、ただ赤くなるだけの肌。陽の光を浴びていない訳でもないのにどんな季節も変わらず白い。
(だいきらい。こんな肌)
だって傷がやけに目立つ。殴られたらすぐに赤黒くなって、そのうち紫色になる。白い肌との色の差がはっきりとわかってしまう。色がもう少し浅黒ければ、そんなに気にはならないだろうに。
切り傷だってそうだ。傷を手当てした後もやたらと目立つ。
傷口自体を見たくないなら包帯か絆創膏を貼ってしまえばいいのだけれど、そんなことをしたってそこに傷があることはわかっているし、余計に主張されているようでしたくない。
怪我をしていると気付いてしまったら、タルタロスに行くことさえ嫌になってしまいそうだった。

この学校の保健室はいつだって静かだ。保健委員と言っても大した仕事もなく、ただぼんやりと保健室で過ごすだけだった。
どうも校医に良い印象がないらしく、怪我人や病人もよほどのことがない限りやってこない。
椅子に座ってだらりと腕を机に投げ出し、唯は着ていたカーディガンを二の腕まで捲り上げた。
白い肌にいくつも残るタルタロスで負った痣や傷。冬服の頃はまだよかった。怪我をしたって長袖のシャツが隠してくれた。けれど初夏になって、制服は夏服になってしまって、怪我を隠せなくなった。
薄手とはいえどんなに暑くてもカーディガンを手放さないのは回復スキルだけでは治りきらなかった怪我の所為だった。
ひとつ、ふたつ、この怪我はいつ治るだろうか。治っていることを期待して見たものの、しっかりと存在を主張する怪我に唯は盛大な溜息を吐いた。

「七瀬君?」
「えっ」

呼ばれて顔を上げる。七瀬君、そんな風に唯を呼ぶのは、唯の知る限りたった一人だけだ。

「小田桐くん…」

慌てて捲り上げていた袖口を下ろす。見たくもない傷をどうして確認してしまったんだろう。腕の傷を唯自身見てしまわないように、誰にも見咎められないように気をつけていたつもりだったのに。
放課後の保健室は保健委員以外基本的に無人だ。生徒はほとんど来ないし、保健委員ですら沙織や唯以外は誰もいないことが多い。そう思っていた。迂闊だった。
笑顔を作ってみるけれど、焦りの所為か、それは思ったよりもぎこちないものだったようで、小田桐の表情が少し曇っている。見られてしまったかもしれない。
沈黙が重苦しく流れてしばらく経った頃、ぽつりと小田桐が口を開いた。

「怪我を、したんだが…先生は不在のようだな」
「あ、えと、別の部屋に閉じこもってるっていうか…、でもそんなにひどくなかったら唯がやるよ。一応保健委員だし」
「そうか、じゃあ頼むよ」

問い詰められなかったことにほっと胸を撫で下ろした。問い詰められても答えられない。答えられない問いをされるのは苦手だ。心苦しくなるから。
小田桐を椅子に座らせて、消毒薬とガーゼを取りに行く。生徒が訪れる機会が少ないとはいえ、応急手当の仕方や薬の在り処くらいはさすがに頭に入っていた。

「プリントで切ったんだ。思いの外深く切ったようでなかなか血が止まらなくて」

戸棚を開けて必要なものを取り出す唯の背中に苦笑まじりの声がかけられる。
少し困ったような小田桐の言葉に唯は振り返りながら思わず微笑んだ。

「プリント、血ついちゃった?」
「ああ、おかげでまだしばらく帰れそうもないよ」
「ふふ、大変だね。…あ、沁みたらごめんね?」
「構わない」

消毒薬を含ませたガーゼでそっと傷口に触れる。切り口は広くなかったけれど、血の量が少し多かった。

「放っておこうかと思ったんだが、これ以上放っておいたら余計に仕事が増えそうでね」
「すぐ来てくれたらよかったのに」
「そうだな。次からはそうするよ」

手当てを終えて、なんとなく沈黙が流れる。
小田桐も立ち上がる気配がなく、唯も手を膝に置いたまま俯いていた。

「ところで…君は喧嘩をしたことがあるかい?」
「ないよ」
「武道の嗜みは?」
「…ないよ」
「じゃあ…その痣」

来た、と目を伏せる。
先の沈黙から、訊ねられるだろうと覚悟はしていた。小田桐の手がゆっくりと伸ばされて手首に触れた。
失礼するよ、と前置いて、袖が捲くられる。露になった腕には痣が3つ、擦り傷が1つ、治りかけた切り傷が1つ。
今度訪れた沈黙は先ほどよりも重く、ずっと息苦しかった。

「何をしたら、こんな風になるんだ?」

問いは強いものではないはずなのに、胸が苦しい。
叱責している訳ではない。ただ、何か危険なことに巻き込まれているのではと心配してくれているのだ。彼は正義感の強さゆえに言動がきつくなることの多い人だけれど、心根はとても優しい人だから。
けれど、いや、だからこそ、傷の原因を知られる訳にはいかない。影時間に関してもSEESの活動に関しても知って彼の利になることは何もない。悪くすれば何か危険が及んでしまうかもしれないのだ。
なるべく心配させないようにと殊更明るい声音を作って、唯は小田桐に向かって微笑んだ。

「あはは、唯、おっちょこちょいなんだよね!よく気付かないうちに痣が出来てたりするんだ」

やはり苦しい言い訳だっただろうか。小田桐の眉間の皺が深くなる。やましいことをしている訳ではないが、知られて良いこともしていない。それが苦しかった。

「…七瀬君にしては苦しい言い訳だな」

あ、やっぱり。わかっていたけれど、即座に切り捨てられて唯は眉を下げた。

「気付かないうちに出来た痣というには、多すぎるだろう」
「…ですよねー」
「僕の切り傷より、よほど君の方が重傷じゃないか」
「あはは……」
「ケンカした訳でもなく、武道や何かで負ったものでもない。…そして、誰にも知られたくない」
「…でもいじめとかじゃないからね」
「だろうな。君をいじめようと思う人間がいるとは思えない」
「でも言えないの。だから気にしないで」

小田桐は憮然とした表情で先ほど彼の傷の手当てをした時の残りのガーゼを手に取り、消毒薬をつける。
比較的新しい擦り傷と、治りきってはいない切り傷にそっとガーゼで触れた。

「言えないのなら訊くのは控えよう。だが、気にするなというのは難しいな」

ともすれば保健委員である唯よりも手際よく手当てが施されていくのをただぼんやりと見る。
湿布と包帯の在り処を聞かれたので答えると、それを持ってまた手当てが開始された。
必死に隠してきた傷は自分の肌の色より白い布で覆われて、手当てが終わる頃には自分がどれほど怪我をごまかし続けていたのかを思い知らされるような状態になっていた。

「どっちが保健委員かわかんないね」
「そう思うなら手当てくらいはしておけ」
「…怪我、してるって気付きたくなかったから」

一瞬、怪訝そうな表情になった小田桐を見て、唯は笑う。
怪我は嫌い。痕が残らなければいいと言うものでもない。気分が滅入る。回復スキルが間に合わなかったら。回復出来ない致命的な傷になってしまったら。そんな怖ろしさを気付かないふりで前だけ見ているつもりなのに、ふとした時誰かにそれを指摘されたら一気にその怖ろしいものに取り込まれて動けなくなってしまいそう。
傷があることを気付かれたくないのは、思い知らされたくなかったからだ。自分の肌の色が嫌いなのは、傷のことを自分自身に言い聞かされているようだからだ。そしてそれでも確認してしまうのは、もう治っていないかと願うから。治っていればもう怖くない。また前だけ見て戦える。

「事情はよくわからないが…。気付きたくないから手当てをしないんじゃ、いつまでも治らないぞ」
「…見たくないから手当てしたくない」
「君は子供か」
「だって」
「…なら時々様子を見に来よう。怪我をしているようだと僕が思えば勝手に手当てする。七瀬君はその間目でも瞑ってそれで耳を塞いでいればいい」

それ、と首にかけたイヤフォンを指差す。子供か、と彼が言った通り、まるで小さな子供に言い聞かせるように言うものだから、曖昧に微笑むことしか出来なかった。

           


相変わらず小田桐を推して参ってる当サイトです。
怪我してるってわかるとなんとなく気付いてない時より痛く感じてしまうし、怪我をした理由がわかってると、なるべくやりたくなくなってしまう。そんな感じ。
ユニバースを手に入れる時の小田桐の台詞を考えると、どっかで微妙に感づいててもいいんじゃないかと思う。

2010/10/31 改訂

               

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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