一歩ずつ
それは、なんとなく足を向けた図書館で。
夏の終わり、けれどまだ長袖を着るには暑い、そんな季節、相変わらず薄手とはいえカーディガンを羽織った彼女が図書館の一角にある読書スペースで頬杖をついていた。
割と大きな図書館だから注意深く周りを見ていなければ気付かない。そして気付かなければ小田桐だって必要な参考書や資料を持って彼女と同じように勉学に勤しんだだろう。
けれど気付いてしまった。見慣れたふわふわの髪、そこだけ柔らかな春が常にあるような唯独特の空気。思わず足を止めて彼女を見ると、視線に気付いたのか唯がこちらに顔を向けた。

「あ」
「や、やあ」

なんとなくぎこちない挨拶を返して、このまま去るのもどうかと悩んでいると、唯は少し困ったように笑って手招いた。
促されるまま向かいの席に座り、先ほど選んでいた資料をテーブルに置く。すると、休日なのに真面目だねぇ、とどこかのんびりした声が返ってきた。

「真面目なのは七瀬く…さん、だってそうだろう」

小田桐が言うと、途端にくすくすと肩を揺らして唯が笑うものだから、小田桐は首を傾げてしまう。
何か自分はおかしなことを言ったのだろうか。
開かれたままの本のページに手をかけながら唯は言った。

「"君"と"さん"使い分けてるんだなあって。学校では基本的に七瀬君じゃない」
「それは…」
「別にいいのに。ずっと七瀬さんって呼んでくれても。なんなら唯って呼んでくれてもいいんだけど」

それは無理だ。小田桐の性格的にも、自分の日頃の行い的にも、彼女をそんな風に呼ぶことは難しい。
女子に対しても一貫して苗字の君付けで呼んできた自分がいきなり唯をさん付けで呼んだり名前で呼んだりしたら、一気に冷やかしの対象になる。
自分は今更そんなことを気にしたりはしないが、自分相手に唯が冷やかされることになっては彼女にとって余り良くはない。
徐々に自分へ対しての態度は緩和しつつあるものの、小田桐を余りよく思っていない人間が多いことを小田桐自身よくわかっていた。
学校から大分距離のある図書館だからいいものを、こんな風に彼女と二人でいることを見られるのだって本当は良くない。
もちろん自分は彼女のことを好いているのだけれど、だからこそ。
悶々と堂々巡りの思考の渦でもがいていた小田桐に、唯は読んでいた本をぱたんと閉じて、ねえ、と気安く声をかけた。

「唯おなかすいちゃった。小田桐くんも一緒にお昼行かない?」
「え?」
「もうお昼すぎてるよ?それとももう食べちゃった?」

首を振ると、じゃあ行こう、と行って小田桐の手を取る。
唯は小田桐の葛藤などお構いなしのようだった。

サンドイッチとカフェオレを買ってベンチに座る。
なんとなく隣に並んでベンチに座ることだけでも後ろめたい気持ちが浮かんでくるものだから小田桐はサンドイッチを咥えながら溜息にも似た長い吐息を吐き出した。

「…気にしすぎなんだよ、小田桐くん」

唐突に言った唯の言葉にサンドイッチを咀嚼しながら首を傾げて続きを問う。
唯は小田桐の方を見もせずに手に持ったサンドイッチを見つめながら言った。

「唯がね、たとえば小田桐くんを秀利くんって呼んだりー…そうだなあ、ひーちゃんとか呼んだり?…って大丈夫!?」
「だ、大丈夫だ…」

よく噛んで食べていたつもりだったのに、唯の発言の所為でサンドイッチは喉に盛大に詰まってくれた。
げほげほと咳をして胸を叩きながらカフェオレを口にする。耳や頬が熱い気がしたけれど、それが食べ物が喉に詰まった所為なのか唯の発言の所為なのか判断に迷った。

「えっと、大丈夫なら続けるね?」
「ああ」
「どんな呼び方したって構わないと思うんだ。それに唯のこと苗字で呼ぶ人も少ないし…えっと…だからね?…何が言いたいかって言うとね!?」

急に唯は小田桐に向き直り、何やら必死そうに訴える。
彼女の頬まで赤く見えるのは自分の目の錯覚だろうか。
上目遣いで小田桐を見る唯の瞳は小動物のそれだ。雨の日に段ボールに入って通りがかる人に必死で訴えかけているような、そんな印象を受けて小田桐は思わず息を飲んだ。

「隠さないでほしいの。一緒にいるとこ、見られたくない?唯を女の子として扱うこと、そんなに恥ずかしい?」
「そんなことは」
「でもさっきから周りすごく気にしてるし。誰も自分たちを知らない人ばかりのところじゃないと、さっきみたくさん付けですら呼んでくれないんだもん。…そりゃあね、ちゃんと付き合ってる訳じゃないんだからって言われたら、しょうがないけど…けど、淋しいよ、やっぱり」

唯の言うことは尤もだ。確かに自分は周りに誰か見知った人間がいないか気にしていたし、学校外や誰もいなくなった生徒会室でくらいしか彼女をさん付けでは呼ばない。
けれど恥ずかしい訳ではない。見られたくない訳でもない。彼女がさっき提案したように気安く名前で呼んでもらえたらとも思うけれど。
彼女に見合う男になるまでは、決してここから踏み出さないと決めた。
頭が固いし、周りが見えなくなって口調もきつくなることが多い。容姿に自信がある訳でもない。背だって低い。
何か一つでも彼女に見合うものがあれば、こんなにも後ろめたく思わず済むかもしれないのに。

「ヒール…」
「え?」
「君の履いているヒール」
「うん?」

学校へはオーソドックスなローファーを履いてきている彼女だが、休日はどうやら違うようで、少し高めのヒールを履いている。
並んで歩けば小田桐との目線はほぼ同じだ。それは先ほどサンドイッチを買い求めた際に確認済み。
小田桐の言わんとすることがわからないらしい唯は不思議そうに首を傾げている。
小田桐はさっさとサンドイッチを食べ終えて、立ち上がった。

「七瀬さん」
「うん」
「僕は去年身長が2センチ伸びた」
「うん?」
「だからもう少しくらいは伸びる…と思う。だから、その」

唯を振り返らないまま、小田桐は言った。
振り返って宣言する度胸まではなかった。

「君がそのヒールを履いて、僕と並んでも僕の方が背丈が高くなったら…ちゃんと、呼ばせてもらう」
「小田桐くん」
「七瀬さん、だけじゃなく、君の、名前を」

一気に彼女に見合う人間になんてなれるはずがない。そんなことはわかっている。
だけど、だからこそ、一歩ずつ。心が彼女のように優しくなれたら、彼女のように誰かを癒せたら、身なりにも気を遣って、とりあえず、最初の一歩として。
唯よりももう少し背が伸びて、ヒールを履いた彼女と共に並んで違和感がなくなったら。
今より一歩踏み出せる気がする。女の子には、唯にはわからないかもしれないが、小田桐なりのけじめだ。
そうして一歩ずつ踏み出して行って、最後に彼女の隣に並べたら。

(そうしたら、もう一度言える気がする)

それは、とても遠い未来の話かもしれないけれど。
言い終えて、勇気を振り絞って振り返ると、小田桐くんは律儀だねえ、と唯が笑った。

           


小田主。ちょっぴり「不毛な両思い」の続きっぽい感じで。
唯に見合う男になりたくて変わりたいんだけど、変わってる最中だから態度がそのまま。
ほんとに不毛な両思いだ、この二人。

2010/10/31 改訂

               

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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