（やっと捕まえた）

離したくない。夢だとしても今言わなければ、また彼は壁を作って祥子と距離を置こうとしてしまう。
だから言った。せめて夢でも。いや、夢だからこそ祥子にそれを言う勇気があったのかもしれない。

（好き、だよ。好きだよ　　　　　　）

言い終えたらやけにすっきりとして、祥子はもう一度深い眠りに落ちた。
現実ではまだ言えない言葉。祥子自身は口にしたっていいのだけれど、彼はまだ望まない言葉。だから言えない言葉をほにゃりとした微笑みと共に残して眠った。
けれど現実は彼女の予想とはずれていた。夢だと思っていたそれは現実で、夢だと思ったからこそ口にしたその言葉が、彼、小田桐の心にどれだけの波乱を呼んだかなんて気付きもしなかった。

ほっそりとした手首をとって、傷一つない手の甲に口付ける。
それはなぜかひどく背徳的な行為に思えた。
手の甲へのキスは敬愛、尊敬の意を持つもの。けれどそんな崇高な精神で口付けたのではなくて、確かに全身全霊を以って彼女を守りたいと思ったのだけれども、それだけではなくて。
背徳的だ、と自身で思ってしまうのは、それが親愛ではなく情愛に近い感情だったからだ。
こちらが戸惑うほど、いつだって彼女はまっすぐで、いつだって、いつだって真正面からぶつかってくる。
なのにこんな不意打ちなんて卑怯だ。
一瞬自分は白昼夢を見ているのかと思った。けれどそれにしては意識は妙にはっきりしているし、繋がれた祥子の手の温度は熱い。
心臓がどくりどくりと音を立てて、なのに表情は今にも泣きそうになって、自分自身どうしていいかわからない。
ただ、気持ちが溢れて暴走しそうなのを止めるのがやっとだった。

「僕がそれを聞いてどう思うかくらい、わかっているだろうに…」

思わず呟きが溜息と共に漏れた。
彼女はいつだって確信犯のような笑みを浮かべて小田桐の反応を伺っている。本音かどうか小田桐だって量りかねるような言い方ばかりをしている彼女。
意識のない彼女の言葉は、だからひょっとしたら彼女の本音なのかもしれない。自身の聞き間違いなどでなければ。
聞き間違いでは、と危惧を抱きはしても、聞き間違いであってくれとは露とも思わなかった。ただ、それが真実であって欲しいと願い、それに応えられる自分になりたかった。

（そうだな。少なくとも、彼女に振り回されてばかりでは駄目だ）

彼女が元気になったら一度彼女を振り回してやろう。
小田桐の言葉に驚いた顔をする彼女というものを自分は見たことがない。いつだって小田桐の方が振り回されて驚かされてばかりだ。
床に臥している彼女より、元気に笑う彼女の方が似合う気がする。早く元気にならないだろうか。そうでなければ小田桐の目論見自体成功どころか決行にも至らない。
小田桐に振り回される彼女よりも自分を振り回す彼女の方が似合う気もするけれど、それはそれで男の沽券に関わるので一度くらいは実行してみたっていいだろう。

「案外、覚悟するのは君の方かも知れないよ　　　　　」

寮のラウンジで黙々と雑誌を読む美鶴に紅茶を差し出しながらアイギスが問う。

「彼が薬を持ってきたのでありますか？それとも彼は医師なのでありますか？見たところ彼は医師の資格を持っているようには見えなかったでありますが」

差し出された紅茶を受け取りながら美鶴は肩を揺らして笑い、それから空いた方の手でアイギスの頭にぽん、と撫ぜた。

「松永にとって、彼はどんな薬剤にも勝る良薬だということだ。お前にはまだ難しいかもしれんがな」
「人が、人にとって薬となる…」
「人とは不可思議な生き物だからな。魘されていた原因だって大方私の予想通りだろう」
「人とは難しい生き物なのでありますね。一つ勉強になったであります」

淡々と頷いて脳内メモリに入力しているらしいアイギスは一体どこまで美鶴の言を理解しているのだろうか。
とにかく祥子に関しては彼に任せておけば大丈夫だ、とそれこそ確証も無いのに確信を持って美鶴は紅茶を口に含んだ。

umineco.store10000ヒットのお祝いにとウミネコさまへ贈る小田主を書いてみたんですが…ああああ書くのが遅れている間に話が進んでしまって大分ちぐはぐな気がー！！！
えと、こ、こんなんですけど、よければもらってやってください。返品交換可ですので！
遅くなりましたが本当におめでとうございます！

2010/10/31　改訂