そして終わりはやってくる。
あの人に膝を折ることは出来ません。私は。赦す事が出来ないから。

あんな奴と共に戦うことは出来ません。俺は。父上のことをなかったことに出来ないから。

凌統の言葉は、呂蒙の脳裏に在りし日の陸遜を思い出させた。

         

(乱世とは、かくも苦い)

陸遜が膝を折らざるを得なくなったのは孫呉の力が強大になりすぎたからだ。
彼は孫呉の為だと献策を挙げ、戦局を見、戦を勝利へ導く為に日々勤しんでいる。
いずれ孫呉の軍師として名を上げるだろうということは呂蒙だけでなく、ほかほかの者も思っていた。
けれど、今でも、彼はおそらく孫策のことを良くは思っていない。
いつか、孫策の墓前で、彼が唇を咬んでいたのを、呂蒙は知っている。
呉の名家である陸一族。かつてその当主、陸康が治める丹陽を攻めたのは孫策だった。
その後、陸遜は陸家の当主となり、家を守る為、孫策に懐柔される形で彼は呉に仕えるようになった。
治める土地を荒らされ、奪われ、親代わりを失くし、けれどもその仇に膝を附いたのは、彼が一個人でなく陸家の当主という立場だからだ。
一族から反対する声もあっただろう。けれども彼は孫呉に仕えている。それは、一族を守る為だっただろう。
そう。彼は激情を内に秘め、誰にも悟らせまいと柔和な笑顔を作り、礼儀正しく教えを乞い、それを忠実に再現し、自身の力としていった。
凌統は、ではどうだろう。
父の仇、甘寧が呉に降ることを、受け止め切れるだろうか。
陸遜のように、内に秘め、やり過ごすことが出来るだろうか。
あの時の凌統はまだ幼かった。幼き日の傷は、大人になってからのそれよりも、醜く痕を残す。
陸遜のように器用とは言えない少年を、この事実はどこまで追い詰めるだろう。
都督から告げられた甘寧帰順の知らせを凌統に告げたのは、間違いではなかったかと、呂蒙は自身に問うた。

(…遅かれ早かれ知ることだ)

軍に所属すれば、城内で会うこともあるだろう。調練場でも会う。軍議に出れば当たり前のように顔を会わせるのだ。
後で知るよりは、いい。そう呂蒙は思う。
心の準備もなく出会えば、彼は酷く動揺するだろう。子供が幼さを隠す為にしているようにも見える斜に構えたような態度でさえ、壊れるだろう。
元々そういった帰来はあったが、凌家を預かる身となった彼は、幼さを理由になめられることがないようにと、目下の者や敵に向けてよくそういった態度を作るようになった。
しかし元来の凌統は目上の者には礼を欠くことはしないし、慣れた者へ向ける視線は未だ幼い。
表面を取り繕い精神的なものを置き去りにした所為か、それはとても顕著だった。
激情的で、一度カッとなれば、周りが見えなくなる。
そう、何か一つのことに執着してしまうと、他が目に入らなくなるのだ。
そんな彼の前に、仇がひょこひょこと顔を出してしまえば、もうその後は想像するのは容易だった。
せめて他が見えていれば、自体も違うかもしれない。心の準備さえあれば、少しは彼の負担も減るだろうか。
けれどそれは、呂蒙の想像の範疇でのことでしかなく、それも呂蒙はわかっていた。
ただ、自分に打てる手立ては、それしかないと思っていたからだ。
だから凌統がどういった行動に出るかもわからない。わかることが出来ない。
自分などではなく、そう、或いは陸遜であれば、理解出来るのかも知れないと、違和感のある胃を抑えながら思った。

           

殺してやる。
殺してやる。
呪詛のように呟いてきた言葉だ。
目の前で父が討たれた時の絶望。赤く染まる父の姿。鈴の音。自身の心臓の鼓動。父の亡骸からはもう聞こえることない鼓動。
甘寧が呉に帰順すると呂蒙が口にした時、凌統の脳裏にすべてが一瞬にして蘇った。
強き力を持つ者が必要だというのは理解出来る。乱世では力がすべてだ。それは時に知略であったりと形を変えるけれども、力無き者は淘汰される。
でも何故、よりにもよって奴なのだろう。
何故降るのが孫呉なのだ。何故それを受け入れるのだ。国の為に、心を捨てろと言っているのだろうか。
わかってはいる。戦は遊びではない。力ある者が必要なのだ。けれども理解するということと納得するということは違うのだ。
苛立ちを何かにぶつけたい衝動に駆られて、どこにもぶつける場所を見出せず、凌統は歯噛みした。

「…やってらんないっつの…!」
「…何、やってるんですか、公績殿」

やり場もなく振り上げようとした拳がそれをするより早く掴まれる。かけられた声に俯けていた顔を上げると、未だ幼さの残る顔を心配そうに歪めた陸遜がいた。
慌てて、なんでもないよ、と取り繕う。笑顔を作ろうと努力はしたが、それは出来そうになかった。
そんな凌統の様子を正確に把握した陸遜は、両の手で凌統の腕を掴み、ずい、と顔を近づけた。

「甘寧帰順のことですか」

疑問符をつけることなく陸遜から発された言葉は、凌統を動揺させるには充分だった。

「どうして、それを」

みっともなく言葉が震えるのにも構わず、凌統は訊ねる。取り繕うことさえ出来ないというよりは、自分を良く知る彼に仮面は通用しないということを知っていたからだ。

「呂蒙殿から聞きました。都督殿の決定で、甘寧が呉に降ると」
「いつ」
「おそらく、公績殿より、少しだけ早く」
「ふうん…」
「仇を、討つおつもりで?」
「……」

陸遜の瞳は真っ直ぐ凌統へ向けられている。その瞳は、叱責しているものではない。
割り切れない感情が凌統の中を渦巻いていた。

「公績殿。…あなたの気持ちがわかると言ったら、あなたは私を詰るでしょうか」
「…そんなに浅い付き合いでしたっけ?」
「いいえ」

ゆっくりと陸遜は首を振る。彼が呉に仕えるようになった理由を知る者なら、どれほどの努力をして今ここに在るかを理解出来ないはずがない。
そして凌統はその理由も内に秘めた激情も知っていた。
親代わりを討った仇。仇が築いた呉という国。代が変わり、その弟に求められ、ここに在る彼。陸家を背負う彼。
表面上に彼の激情が現れることはないけれど、彼の口から孫呉の為、と聞かされる度、そこはかとない違和感がついて回った。

「でも俺は、伯言殿のようには」
「わかってます。あなたは私のようにならなくていいんです」
「じゃあどうしろっつの」

苛立たしげに声が震える。
凌統も、こんな風に八つ当たりがしたいのではない。それは陸遜もわかっている。
ただ、感情を押し殺すことが出来ないだけなのだ。

「…私と、一緒に、討ちましょう」

陸遜の言葉は、酷く甘い睦言のように、凌統の脳髄に響いた。

          

「私と、一緒に、討ちましょう」

誰を、とは言葉にしなくても伝わっているはずだ。
普段、あまり見開かれることのない凌統の目が瞠目する。
当たり前だ。陸遜の立場からすれば、仇討ちを咎めることはあっても、こんな言葉は、本当なら出てはいけないはずなのだ。

「あまり趣味のいい冗談とはいえないですよ、伯言殿?」
「冗談ではありませんから大丈夫です」
「だって、」
「言いませんでしたか?私は」

あなたの気持ちがわかると。

「仇を討ちたいのに討てない。討ってはいけない。あなたは二代に渡って呉に仕える凌家の当主であり、殿とは旧知の間柄。仇はその孫呉に降ることとなり、皆が討ってくれるなと言う」
「……」
「私は陸家を預かる身です。そして仇は既に亡くなられている。あの人が残したものは最早国だけですが、これほど強大な国丸ごとを滅ぼすだけの無鉄砲さは私にはありません。一族を滅ぼされるような危険も冒せない」
「伯言…殿」
「でも人は、理屈で抑え付けることの出来ない感情も、確かに持っている。だから、あなたがもし、本当に仇を討ちたいのであれば、私はー…」
「もういいっすよ、伯言殿」

陸遜の言葉を遮るようにして凌統は言う。
大丈夫ですから、という彼は、けれど少しも大丈夫ではないような歪んだ笑顔を貼り付けている。

「気付かれずに討つことは、きっと不可能なんです。きっと、伯言殿を巻き込んだとしても。そしたら、伯言殿の言うとおり、一族を滅ぼされかねない。孫権様はお優しい人だから、ひょっとしたら温情を訴えてくれるかもしれないですけど、厳罰は免れないでしょうし」
「……でも」
「………」

凌統の目が泳ぐ。沈黙。陸遜が掴んだままの凌統の腕は、小さく震えていた。
手から伝わる震えに、言い露せられない感情が渦巻く。
可哀想だと、哀れに思って言葉をかけた訳ではなかった。同情や自身の過去だけで共に仇を、と口にした訳でもない。
自分の口にした言葉を彼が望み、実行したなら、それがどういうことになるかくらいはわかっていた。
それでも彼の抱いているものが痛みだということもわかっていたし、自分はただ、彼の涙を見たくない、彼の痛みを取り除きたい一心だったのだ。
悲しみは風化する。悲しみ以外に形を変えることはほとんどと言ってないけれども、同じ大きさでそれを受け止めることは出来なくなる。それは悲しくもあり、けれど生きていく上で必要なことだと。
これは先日呂蒙が口にした言葉だ。
それを陸遜はうらやましいと思った。皮肉ではなく、本心から。
自分もいつか、そんな日が来るかもしれない。攻め滅ぼされた土地を、蹂躙されていった人を、それが起こった時と同じほど心を揺るがされず、過去として見る時が。
けれど、それはまだ先のことで、抑え付けることに慣れても、どこか違和感を拭えない。
感情に対して器用だと自負する陸遜でさえもそうなのに、目の前の少年には、きっと、もっとずっと遠い先のことで、抑え付けることさえ出来るかどうかわからない。

「…無念を晴らそうなんて、思ってないんです。武将として、父上に慢心がなかったかと言えば、それは俺なんかにはとてもわからない。それほど甘寧が強かったのか、父上が油断していたのかも。父上は俺に優しくて、そんで、凄く厳しい人だったけど、俺にはずっと遠い存在で、俺の目にはすべて、完璧に見えていたから」
「素晴らしい方だったと伺ってます」
「父上の死は、甘寧が名を上げた理由の一つになってるかな」
「…それは、」
「嘘、冗談ですよ。…でも、だから俺は、父上が無念だったかどうかすらわからない。武人として戦場で散ったんだから、それほどでもなかったのかもしれないし。ただ、残された方はたまったもんじゃない」
「…ええ」
「目の前で、殺されたんだ。父上は俺の誇りだったし、まだ十四になるかそこらのガキが父親が殺されて、素直に納得する方がどうかしてるっての」

乱世に染まりすぎた世界はそれを当然だと言うかもしれない。
けれどその当然を受け入れるだけの器をすべての者が持つかと言えばそれは違う。
この国だってそうだ。
先々代の殿、孫堅を討ったとして黄祖を目の仇にしている。凌操が甘寧に討たれた戦も、黄祖を討つ為ではなかったか。
国を挙げて仇討ちに出るくせにその国に仕える者には仇討ちの権利がない。
自分たちの心情を心得ている者なら、自分たちが仇討ちを遂行しても、或いは仕方がないと肩を落とすかもしれない。
けれどそれは一個人での感情だ。国として在る孫呉は規律で纏められている。無法地帯にする訳にはいかないのだから、結局は処罰の対象となるだろう。
だから仇が仕える国の将となる凌統も、仇が仕えなければならない国の先代の殿である陸遜も、現実と重責と個人の感情の間で苦しまなければならないのだ。

「仇討ち、なんてさ、伯言殿」
「はい」
「ほんとは、故人の為じゃなくて、残された人の為にあるんじゃないかなって、思うんです」
「…私もそう思います」
「俺は、もうケジメつけることさえ出来ないですけどね」

甘寧が呉に帰順しなければ、それこそ孫呉が敵対する国の将であれば。憎むことを、誰も咎めなかった。
憎しみでなければ立ち上がれない時があり、前を見、歩き出す為に憎しみが必要な時がある。
幼き日に父を亡くした彼は、ただ甘寧を討つというそれだけで立ち上がった。そしてこれまでの時間に彼は膝を附くことが出来ない場所に来てしまっている。それなのに、追い求めたものを、奪われてしまった。
絶望という闇には引きこもれず、希望という光の中へも進めない。
憎しみを糧とすることは、間違いであり、けれどもあながち間違いでもないことを、果たしてどれだけの人間が知っているだろうか。

「仕方ないっすよ」

無理に貼り付けた中身のない笑顔に、陸遜はどうしようもなく抱きしめたくなった。

           

膝を折ります。そうしなくてはならないから。
一緒に戦います。そうしなくてはならないから。
けれど、どうしても、どうやっても抑え付けられない感情が溢れ出して、自分という器から溢れ出して、壊れてしまいそうになったら。
なったら。

「そうならないことを祈るけど、でも、もしそうなって、しまったら」
「一緒に、討たせてください。そして、一緒に、すべてを」

「捨ててしまいましょう」

簡単に捨てられるようなものなど、自分たちは持っていない。
けれども、それらすべてを捨て置いてでもと、自身の感情が牙を剥いたなら。

「すべてに終わりを」


無双とかけ離れた陸凌。
うちの無双系は史実と演義と無双と妄想を素敵に(え)ブレンド。なのでりっくんのが年上設定です。
三国は凌統が死ぬほど好き。

               

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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