怖がりな君
戦うことが怖ろしいと思ったことはなかった。
人の死も、怪我も、病気も、いつしか気持ちが麻痺して、怖ろしいことなんて思えなくなった。
それはきっと、あの日すべてを失ってから。
それからずっと、怖ろしいと思えなくて、思えないまま月日は過ぎて、気づけば自分は孫呉の都督としてこの国にあって、たくさんの人の命を使う立場にあった。
本当の意味で怖れを知らぬ者がその位置にあっていいのか、不安になる。
戦をするもしないも国主次第だ。けれど、戦になった時、どれだけ犠牲を少なく出来るか、どれだけ無駄な血を流さずに出来るかは自分の采配にもかかっている。
無茶な策を推し進めた記憶はないが、自分の掲げた策の所為で命を失った者がいないとは思わない。
そうして命を落した者は、夜毎陸遜の夢に現れて…。

「伯言殿、伯言殿」
「……」
「…伯言。起きて」

目覚めると、目の前には凌統の顔がある。昨晩酒を飲み交わしていたはずだから、気づかぬ内に眠ってしまっていたのだろう。無茶な酒の飲み方をした記憶はないが、細部を思い出そうとするとぼやけて思い出せないので、もしかしたら相当に深酒をしてしまったのかもしれない。いくら気心の知れない友人とは言え、家に呼び出して酒に誘った挙句先に眠るとはとんだ失態を犯したものだ。
肌に触れる感触から、寝台の上なのだということはわかる。であるなら、凌統がわざわざ移動させてくれたのだろうか。
覗き込むように見る凌統の髪はいつもとは違って括られぬまま肩に落ちていた。

「おはようございます。公績殿」
「ああ、おはよう。よかった起きてくれて」
「あれ、どうかなさったんですか?」

上体を起こしながら訊ねると、少し言い辛そうにして凌統が口を開く。

「その、ちょっと、…魘されてたみたいだから」

小さくそう呟く凌統の髪に手を伸ばす。柔らかい猫っ毛に指を通すと、大人しくされるがままに凌統は目を細めた。
凌統の肩越しに見える窓の外は暗く、未だ夜も明け切っていないことがわかる。起床しなければならない時間よりも大分早いはずだ。
おそらく、魘されていた自分を心配して起こしてくれたのだろう。ありがたいことだ。

「ありがとうございます、公績殿」
「うん」
「ところで、なんで公績殿は寝台に上っておられないのですか?」
「え?」
「割と大きめに作ってあると思うんですけど、私、そんなに寝相悪かったですか?」
「いや、え、えっと…」
「まだ起きるには早い。もう少し眠ってもいいでしょう?ほら」

凌統の両腕を通り、寝台へと引き上げる。寝台がきしりと音を立てた。
腕からそっと滑らせて手を握る。
凌統は少し戸惑うような様子を見せたが、何も言わず、手を繋いだまま寝台に横になった。

「少しの間、こうしていて構いませんか?」
「別にいいよ」
「ありがとうございます」

布を被り、陸遜も凌統と同じように寝台に横たわる。
ほんの少し甘い香りがするのは酒の残り香だろうか。
向かい合う形で寝転ぶと、互いの顔が思ったより近くにあって、鼓動が跳ねるのと同時に、ほっと息をついた。
凌統の頬が心なし、赤く色づいているような気がする。一瞬、なぜか口付けたい衝動に駆られたけれど、どうにかそれを振り払って言葉を紡ぐ。

「公績殿」
「何?」
「私、そんなに魘されてました?」
「…うん。ちょっと、ほっといたら死にそうなくらい」

ぎゅ、と握る手の力が少し強くなる。
何かを怖れるような、いや、事実凌統は怖れていたのだろう。陸遜が見せてしまった醜態に。
少し申し訳ない気持ちになりながら、それとは間逆にうらやましいとも思う。

「私ね、結構魘されるみたいです」
「え?」
「現実で、あまり何かを怖ろしいと思わない分、夢では色々なものを怖れるみたいで」
「…そう」
「あなたがいてくれて、よかった」

悪夢を見たのは陸遜なのに、自分よりもずっと凌統の方が悪夢を見たように怯えている。
自分のことなのに、陸遜は夢から覚めてしまえば、それこそ人事のように気にも留めない。冷静なのか、冷酷なのか、判断に迷うところだ。
けれど、凌統は悪夢から引き戻してくれ、自分の代わりに怖れてくれる。彼は決して弱くない。怯えるばかりの子供ではない。ただ、優しいだけだ。
その優しさが、とても尊く思える。

「毎日こうして、あなたと共に眠りにつけたら…、きっと、」

言葉の続きは口に出来なかった。
繋いだ手の温度が余りに優しく、空気中に溶けた酒が余りに甘く、意識が闇に沈んでしまったから。
だから陸遜は知らない。
そっと布を掛け直し、自分の髪を凌統が梳いてくれたのも、小さく子守唄を歌ってくれたのも。

「ほんとは、お前が一番、色々なことを怖れてるんだよ」

そう言って、繋いだ手に唇を落したことも。

夢は現に影響されるもの。
怖れないのは、それが麻痺したから。麻痺したのは、それが余りに怖ろしかったから。
夜毎亡くなった者が夢に現れるのは、もっと犠牲を少なく出来たのではと後悔しているから。
夢にしかそれが出ないのは、そうしなければ生きてゆかれないから。

それを知っているのは凌統ばかり。

               


これでも一応、陸凌な訳で…。

               

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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