第十六話 この手で出来ること |
辰巳が外に出るとすぐ、鉄くさい臭いが鼻に届いた。 血の臭いがする方へと反射的に目をやってしまって、辰巳はそれを即座に後悔した。見るべきではなかったと悔やんでももう遅い。 誰もこんなゲームに乗るはずがないと、楽観視をしていた訳ではない。けれど、心のどこかでそう願っていたのかも知れない。 寒気がした。 人の命を何だと思っているのだろう。政府も、これを作り出した参加者も。 辰巳には、守りたいものがあった。 このゲームから逃れられないことは、もう、充分に理解していた。 大切な人を、守り抜こう。 守らなくてはいけないと、義務ではなく本能的に思った。 大切な人を、守るためには。 小岩の死体が横たわっている方角とは逆の茂みに辰巳は入っていった。 守りたいのは、大切な人の命と笑顔。 好きな人を、大切な人を、自分のすべてをかけてでも守りたいと思うのは、当然のことじゃないか?
|
第十七話 ハイリスクハイリターン |
やけに静かな、風の音一つしない何もない道を、中西はたった一人無防備に歩いていた。 いや、無防備に見せかけていただけで、実際は細心の注意を払ってはいたけれど。 たとえ今、ここで後ろから襲いかかられたとしよう。 飄々とした態度は、いつも繰り返されていた日常と何一つ変わらない。 賭け事には慣れていた。 殺さなければ殺されるとあれだけ吹き込まれて、誰がどこまで正気でいられるだろう。もしもこんな状況にありながら、本当に冷静でいられる人間がいたとしたら、そいつの方こそ狂っていると言っていい。 覚悟は、とうの昔に出来ていた。 ざり、と足音がして、静寂は破られた。 「なんか、用?」 ズボンに手を入れて、背を向けたまま訊ねる。銃の感触を確かめて、一呼吸。 「うん。死んでもらおうかと思ってさ」 ゆっくりと、さも面倒くさそうに中西が振り返ると、その先に立っていたのは設楽だった。フィールドで幾度か見たことのある顔が、見たこともないような表情を浮かべて中西を見ている。 心臓が、どくん、と波打った。 いいや、違うね。 慌てず騒がず、クールに行こうぜ?
|
第十八話 命というもの |
先ほど中西が称した、冷静すぎる人間、に分類される不破は、いつもと変わらず、いや、いつもよりもずっと冷静に考えを張り巡らせていた。 「やる気になってくれたかしら?」 にっこりと微笑む西園寺に、不破は思考を一時中断して、それに答えた。 「さあな」 たった一言。 ゲームに乗るか、否か。 それが、最初の、そして一番の分かれ道だ。 自分は、じゃあ、どうするべきか。 他の人間は、これについてどう思っているのだろう。 決める権利は自分にあった。 「………」 ピッと、短くタイマーの音が鳴り、西園寺は不破に教室を出るように指示を出す。皮肉にも、その音が思考回路の奥底、手が届きそうで届かなかった答えを導き出した。 ゲームには、乗らない。 何があっても、誰がどうあっても、人の命はこんな形で奪っていいものではない。 友達は大切にするものだと教えてくれた奴がいた。人は一人じゃないと不破に向かって口にした奴がいた。 やけに長く感じた廊下を通り、外に出ると、無駄に綺麗な月が不破を出迎えた。
|
第十九話 殺したくない |
耳障りな時計の音と、煩く鳴り響く心臓の鼓動。 あとどれだけこんな時間を過ごせば、終わりは訪れるだろう。 それとも、終わりが訪れる時は、自分の生の終わりをも意味するのだろうか。 不覚にも震えている自分の身体が情けなくて、三上は唇を噛みしめた。 もう教室に残っているのは西園寺と三上だけだ。 「震えてるの?可哀想にね」 見透かすような言葉に西園寺を睨んでも、彼女は気分を害した風でもなく、笑みを浮かべたままその続きを口にした。 ピピッと最後のタイマーが鳴り、三上は教室を後にする。 離れない言葉。 『きっとね、一番愛されているのはあなたよ』 『でも、一番悲しい思いをするのも、きっとあなただわ』 『あなたの為に、何人が手を汚すかしら。何人が死ぬのかしら』 外に出ると、ひんやりとした空気が三上の身体を包んだ。肌寒さと共に感じる人の気配に、三上はその気配のある方向を睨み付けた。 ごくり。唾を飲む。 「…三上?」 聞き慣れた声の持ち主が顔を出す。 「辰巳…」 掠れた声だった。三上の口から漏れたのは、今にも消え入りそうな声だった。 「三上?」 びくりと肩が揺れる。 『あなたの為に、何人が手を汚すかしら。』 西園寺はそう言った。 三上の脳内を、破裂しそうなほどの情報が巡る。 辰巳がこの場にいるのは何故だ。 では、三上がいなければ、どうだったろう。 パニック寸前の脳が弾き出した答えは、西園寺の言葉、そのものだった。 殺してしまう。 「…嫌だ!」
|
第二十話 それが真実になるように |
誰より愛しい人の為に、では自分に、何が出来るだろう。 壊れてしまいそうだと、辰巳は思った。 誰が、何の為に、何の権利があって、こんなプログラムを組んだのだろうか。 どうしたら守ってやれるだろう。 叫び、逃げるように駆けだした三上を追って、辰巳もまた走り出した。このまま振り切られてはいけない。離れ、見失えばそこでジ・エンドだ。元々さほどスタミナのない三上に追い付くことは、いくら辰巳に瞬発力がなくても、それほど難しいことではないはずだ。 どれほどの距離を走っただろう。 一向に縮まらない距離に舌打ちをする。 手が、届きそうで、届かない。 後少し。 届いてくれ、頼むから! 「わ…っ」 懇願は聞き届けられた。 「離せよ…っ」 気が付けば、思いの外大きな声を、辰巳は出していた。 離せる訳がない。そんな出来ない相談を持ち掛けないでくれ。 自分より一回り以上小さな三上の身体を抱きしめる。 「…怖いか、俺が」 辰巳がそう訊ねると、三上は一瞬哀しそうな顔をして、それから嘲るような笑みを浮かべた。 「お前、俺がお前のこと殺すかもって思わねえの?」 冷たい言葉。冷たい笑み。けれど、瞳は嘘を吐かない。 「いいさ、それでも」 もしそれが三上の真意でも、それで構わないと心の底から思える。 「よくねえよ!殺すかも知れないって言ってんだぞ、俺!お前わかってんのかよ!?」 ほら。やっぱり。 本当に人を殺すつもりでいるのなら、辰巳にこんな台詞を口にしたりはしないだろう。 「三上に殺されるなら、俺は構わないよ」 だから泣かないで。 誰が、何の為に、何の権利があって、こんなプログラムを組んだのか。 「殺しても良いから、お前の好きにしたらいいから、だから泣くな」 つう、と三上の頬を流れていく涙。 「お前も、死ぬかも知れない。さっきだって、ほんとは、死んでたかも知れない」 三上を剔った言葉は、どれほどの威力だろう。受けた傷は、どれほどの深さだろう。 「大丈夫。大丈夫だから」 何万の言葉を費やせば、彼の受けた傷は癒えるだろう。 「安心しろ。俺は、お前以外の奴には殺されたりしないから」 多分、きっと。 言い聞かせるように囁いた、大丈夫、という言葉を、真実に近づけること。
|