第十六話 この手で出来ること

辰巳が外に出るとすぐ、鉄くさい臭いが鼻に届いた。
耐えきれない程の異臭とは言えないそれは、おそらくつい先ほど作られただろう死体から漂うものだった。
誰かが既に殺されている。こんな、短時間の間に。

血の臭いがする方へと反射的に目をやってしまって、辰巳はそれを即座に後悔した。見るべきではなかったと悔やんでももう遅い。
ここで死んでいるということは、政府のやらせでもない限り、辰巳より前に出た誰かがやったということだ。
それは、やる気になっている奴が確実にいることを指していた。

誰もこんなゲームに乗るはずがないと、楽観視をしていた訳ではない。けれど、心のどこかでそう願っていたのかも知れない。
いや、きっと、そう思っていたかった。そう思うことで少しでも自分の気持ちを落ち着けたかったのだ。
けれど、実際はこんなにも早く、こんなにも躊躇ないやり方で。

寒気がした。

人の命を何だと思っているのだろう。政府も、これを作り出した参加者も。
殺せと言われてすぐさま殺せるものではないと、少なくとも辰巳は思っていた。いずれ、プレッシャーに負けて武器を取る人間は出てくるだろうと思っていたけれど、それに至るまでに少なくはない時間がかかると思っていたのに。
名前もうろ覚えの死体に向かって、心の中で手を合わせる。目の前で人が死んでいても何もしてやれない自分の無力さに、辰巳は唇を噛んだ。
どれほど歯痒くても、自分もいつ狙われるかわからないこんな状況の中で無防備に姿を晒している訳にはいかない。

辰巳には、守りたいものがあった。
自分の命と引き替えにしても、守らなくてはいけないものがあった。

このゲームから逃れられないことは、もう、充分に理解していた。
逃げ道など最初から存在してはいない。
足掻くことくらいしか、自分たちには許されていない。
逃れられないというのなら、せめて足掻いて、最後まで、足掻いて。

大切な人を、守り抜こう。

守らなくてはいけないと、義務ではなく本能的に思った。
こんなプログラムの中で自分が出来ることは本当に少ない。では出来ることは何だろうか。
そう考えた時、彼を守りたいと思った。次いでそれは、守らなくてはいけない、に変わった。
それが辰巳の信念で、辰巳の中の正義だ。
やる気になっている人間がいるのなら、それも仕方のないことだ。それがその人間の信念で、その人間の中の正義ならば。
ただ自分とは相容れないだけで、それを否定するつもりはない。
そして、目の前に立ちはだかるというのなら、それ相応の対応をするまでのことだ。
人の命を奪うことに抵抗がない訳ではない。けれど、相手が殺意を持って向かってきた場合、話し合いなんてものは不可能だろう。
下手に迷って、守らなければいけないものまでを危険に晒す訳にはいかないのだ。
でなければ、本当に自分に出来ることは何もなくなってしまう。
この目の前の死体が作り出された過程にも、そんな感情が付随していたのかも知れないと思って、ひどく、もの悲しい気持ちになった。
けれど、覚悟は決めておかなければならない。悩んでいる悠長な時間は、どこにもないのだ。

大切な人を、守るためには。

小岩の死体が横たわっている方角とは逆の茂みに辰巳は入っていった。
もちろん、大切な人を待つために。
危険を冒してでも、連絡も取れない現状では、それしか方法はなかった。
自分の命より大切なものなら、他を優先する必要なんてどこにもない。

守りたいのは、大切な人の命と笑顔。
自分の命なんか二の次でいい。

好きな人を、大切な人を、自分のすべてをかけてでも守りたいと思うのは、当然のことじゃないか?

             

                           

 

 

 

第十七話 ハイリスクハイリターン
やけに静かな、風の音一つしない何もない道を、中西はたった一人無防備に歩いていた。
いや、無防備に見せかけていただけで、実際は細心の注意を払ってはいたけれど。

たとえ今、ここで後ろから襲いかかられたとしよう。
それでも中西には勝つ自信があった。
命の取引、とはいかないまでも、こういったギリギリの局面には慣れていた。
中西が好きこのんで慣れた訳ではなかったけれど、おそらく、あの教室に集められた誰よりも、こういった状況の経験値は上だったと思う。
それこそ、煙草を吸う余裕がある程度には。今時このご時世に未成年の喫煙禁止などとは言ってはいけない。燻る紫煙を見咎めるのは、参加者であって、親や大人ではない。
それなのに、一瞬動きが止まったのは、未成年の癖にタバコなんて吸うな、本当に今時、今更なことを、普段から口煩く中西を咎めていた声が恋しかったから。
そう。焦っていない訳ではない。動揺していない訳でもない。恐怖心がない訳でも、油断をしている訳でも、もちろん自分の力を過信している訳でもなかった。
ただ、こういう状況において、理性を失った方が負けであると、知っていただけで。

飄々とした態度は、いつも繰り返されていた日常と何一つ変わらない。
変わってしまっては中西の負けだ。
負けだとわかっていた。
けれど、実際心の中に焦燥めいたものがあったことは否めない。
自分の命はともかく、自分の大切なものを守れるかどうかにおいては、何の保証もなかったからだ。

賭け事には慣れていた。
それは確かに、命まで賭けたことはなかったけれど、それに近いものなら賭けたことがあった。

殺さなければ殺されるとあれだけ吹き込まれて、誰がどこまで正気でいられるだろう。もしもこんな状況にありながら、本当に冷静でいられる人間がいたとしたら、そいつの方こそ狂っていると言っていい。
そして、ある程度の面積しかないこの島で、やる気になっている人間を避けながら、なんて考えでは、探し物など見つからない。
会わなければならない相手がいるなら、その探し物が大切なら、自分の手を汚す覚悟は決めておかなければいけない。

覚悟は、とうの昔に出来ていた。
そして、それは制服のズボンに無造作に突っ込まれた凶器が如実に物語っている。

ざり、と足音がして、静寂は破られた。
その音に合わせて、中西も足を止める。

「なんか、用?」

ズボンに手を入れて、背を向けたまま訊ねる。銃の感触を確かめて、一呼吸。

「うん。死んでもらおうかと思ってさ」

ゆっくりと、さも面倒くさそうに中西が振り返ると、その先に立っていたのは設楽だった。フィールドで幾度か見たことのある顔が、見たこともないような表情を浮かべて中西を見ている。
これを見て、こんな状況で、こんな台詞を吐く人間に、誰が友好的な態度に出られるだろう。

心臓が、どくん、と波打った。
殺されるかも知れない、人を殺すかも知れない、この状況で、中西の顔にいつものシニカルな笑みが浮かんだ。
それは、危険と相対する時の中西の癖だ。
賭け事にリスクは付き物で、手が汚れることを躊躇していては、ハイリターンは期待出来ない。五体満足で探し物を見つけるなんて、この上ないハイリターンだ。ノーリスクで得られるものなんて、こんな場所ではたかが知れている。
そうこれは、滅多に遭遇することのない、ハイリスク・ハイリターンなギャンブル。
生き残りを賭けた、たった一つの勝者の椅子を手に入れるための。

いいや、違うね。
俺は、ただアイツにもう一度会いたいだけだ。
そして、アイツに会うまで、ちゃんと自分でいたいだけ。
きっと多分、これは一世一代の大博打になるから。

慌てず騒がず、クールに行こうぜ?
ギャンブルの鉄則はポーカーフェイスだ。

               

                           

 

 

 

第十八話 命というもの

先ほど中西が称した、冷静すぎる人間、に分類される不破は、いつもと変わらず、いや、いつもよりもずっと冷静に考えを張り巡らせていた。
少年たちが教室を出ていくのを見ながら彼はこれから自分のすべきことをずっと考えていたけれど、自分の名が呼ばれ、スタートラインに立たされても、その答えが出ることはなかった。
考えて答えの出る問題ではない。けれど、考えなくてはならない問題だ。
これは生き抜くための真剣勝負なのだ。

「やる気になってくれたかしら?」

にっこりと微笑む西園寺に、不破は思考を一時中断して、それに答えた。
彼にしては珍しく、笑みを浮かべて。

「さあな」

たった一言。
元々口数の多い訳ではない不破の発したその言葉に込められたのは何だったか。
先に教室を出ていった少年たちは、これから始まるこのゲームに対して、何を思い、何を胸に抱えて出ていったのだろう。
先ほど不破の口から出た言葉は、彼自身の中で答えが出ていなかったからに他ならない。
けれど、それは決めておかねばならない事柄だ。なるべく早く、今すぐにでも出さなければならない答え。
何の考えもなくフィールドに立てば、待っているのは何の意味もない死だ。

ゲームに乗るか、否か。

それが、最初の、そして一番の分かれ道だ。
乗ると決めれば、それは人の命を奪う側に回るということ。
出来るだろうか、自分にそれが。
乗らなければ奪われる側に回る。
黙って殺されてやれるのか、いいのか、それで。

自分は、じゃあ、どうするべきか。

他の人間は、これについてどう思っているのだろう。
正気を失っている奴はいるのだろうか。
それとも、やる気になっていない人間の方が少ないのだろうか。

決める権利は自分にあった。
奪う側に回るのも、奪われる側に回るのも、不破自由だ。誰も強制はしない。
自分がどうしたいか、今、どうしたいか。

「………」

ピッと、短くタイマーの音が鳴り、西園寺は不破に教室を出るように指示を出す。皮肉にも、その音が思考回路の奥底、手が届きそうで届かなかった答えを導き出した。
そう短くはない時間、けれど、それほど長いとも言えない時間をかけて出した、不破の答え。

ゲームには、乗らない。

何があっても、誰がどうあっても、人の命はこんな形で奪っていいものではない。
授けられた命は、こんな形で奪われていいものではない。
誰もが一つしか持ち得ていない、かけがえのない命は、こんな形で扱われていいものではないはずなのだ。

友達は大切にするものだと教えてくれた奴がいた。人は一人じゃないと不破に向かって口にした奴がいた。
こんな、命を軽々しく取り引きするようなプログラム、本当は成立してはいけないはずなのに。
始まってしまったものを無に帰すことは、それは確かに難しいことだけれど。
そして、自分のおかれている状況を思えば、今更だ、その呟きは。
不破の出した答えが間違っていたとしても、正しかったとしても、それは後で結果を見てみなければわからない。
けれど、不破にとってそんなことはどうだって良かった。これは正否を解いているのではなく、自分の主義に反するかどうかの問題だからだ。

やけに長く感じた廊下を通り、外に出ると、無駄に綺麗な月が不破を出迎えた。
殺し合いの舞台の照明というにはあまりにも不釣り合いな、空に浮かぶ優しい色をした月。けれど、冷たい空気に混じって鼻につく鉄くさい臭いはゲームが始まっているということを如実に訴えている。
臭いの元へ視線を移し、不破は、彼らしくもなく、大きな溜め息を吐いた。

            

                           

 

 

 

第十九話 殺したくない
耳障りな時計の音と、煩く鳴り響く心臓の鼓動。
あとどれだけこんな時間を過ごせば、終わりは訪れるだろう。
それとも、終わりが訪れる時は、自分の生の終わりをも意味するのだろうか。
不覚にも震えている自分の身体が情けなくて、三上は唇を噛みしめた。

もう教室に残っているのは西園寺と三上だけだ。
辰巳も、渋沢も、中西も、既にプログラムの中だ。三上が日常を共に過ごしてきた人間も含め、この教室に集められたすべての人間はもう、殺人ゲームの舞台に立たされている。

「震えてるの?可哀想にね」

見透かすような言葉に西園寺を睨んでも、彼女は気分を害した風でもなく、笑みを浮かべたままその続きを口にした。
怖ろしく綺麗に笑んだまま、目だけが笑わない。しっかりと三上を見据えて、彼女は口を開いた。

ピピッと最後のタイマーが鳴り、三上は教室を後にする。
長い廊下を歩きながら、思い返すは先ほどの西園寺の言葉だ。それは、三上の意志に反して繰り返し繰り返される。

離れない言葉。
それは言霊のように三上を苛む、まるで戒めのようだった。

『きっとね、一番愛されているのはあなたよ』

『でも、一番悲しい思いをするのも、きっとあなただわ』

『あなたの為に、何人が手を汚すかしら。何人が死ぬのかしら』

外に出ると、ひんやりとした空気が三上の身体を包んだ。肌寒さと共に感じる人の気配に、三上はその気配のある方向を睨み付けた。
武器は未確認だ。武器を持たずに、戦えるだろうか。
ある程度なら、やり過ごすことも出来るかも知れない。けれど、銃系統の武器を相手が所持していた場合、そこでゲームオーバーにされる可能性もある。
傷の一つや二つを負うくらい、大したことではない。
命さえ守れれば、それでよかった。
だから問題は、そこにいる人間が、敵か、否か、それだけだった。
どちらであっても、動揺を悟られては後々面倒なことになりかねない。何よりすぐ側に死体があったことが怖ろしかったし、それを茂みに隠れている人間がやったとも限らない。そんな状況で安易に警戒を解くのはバカのすることだ。

ごくり。唾を飲む。
時間にすれば、おそらくほんの十数秒のことだっただろう。けれど三上にとっては何時間とも感じられる時が流れていった。
その間のあと、先に行動を起こしたのは三上ではなく。

「…三上?」
「…あ…」

聞き慣れた声の持ち主が顔を出す。

「辰巳…」

掠れた声だった。三上の口から漏れたのは、今にも消え入りそうな声だった。
信じられないものを見たような、そんな気持ちで、三上は辰巳へと視線を返した。
指先が震える。
ひょっとしたら自分は、泣きそうな顔をしているのかも知れなかった。

「三上?」

びくりと肩が揺れる。
決して、辰巳が怖かった訳ではない。掛け値なしで信頼出来る相手だ、三上にとっての辰巳はそういう存在だ。
けれど。
だからこそ。
頭の中で鳴り響き続ける声が、怖ろしくてたまらない。

『あなたの為に、何人が手を汚すかしら。』
『何人が死ぬのかしら』

西園寺はそう言った。
『あなたの為に』と、そう、確かに彼女は言った。
『あなたの為に』。『手を汚す』。『死ぬ』。
この状況下で西園寺の口にした言葉は、三上の鎧を剥ぐのに充分すぎた。
繰り返し繰り返す言の葉に埋もれて息が出来なくなりそうだった。

三上の脳内を、破裂しそうなほどの情報が巡る。

辰巳がこの場にいるのは何故だ。
それは、三上を待っていたから。
その間に危険はなかったか?
危険がなかった訳はない。
転がる、魂の抜け殻という、引き金は目の前にあった。
辰巳がやったと、辰巳を知らない誰かが勘違いをして、彼に刃を向ける可能性だって、あった。

では、三上がいなければ、どうだったろう。
こんな危険で狙われやすいところに辰巳が潜む必要はなかったはずだ。
こんな、こんな近くに、死体が放置された場所なんかに、辰巳がいる必要はなかった。

パニック寸前の脳が弾き出した答えは、西園寺の言葉、そのものだった。

殺してしまう。
自分の所為で、自分の意志と、関係がなくても。
殺してしまう。
西園寺の、言うとおりに。自分の所為で、なんて結局自分が手を下すのと変わらない。

「…嫌だ!」

               

                           

 

 

 

第二十話 それが真実になるように
誰より愛しい人の為に、では自分に、何が出来るだろう。

壊れてしまいそうだと、辰巳は思った。
泣きそうな形に顔を歪め、わずかに震えていた三上を見つけた瞬間。
駆け寄って、抱きしめてやりたいと思った。大丈夫だと、何の保証もなかったけれど、それでも、大丈夫だと言ってやりたかった。
けれど、名前を呼んだだけで、怯えたように肩を揺らす三上に、辰巳は触れることさえ出来なかった。

誰が、何の為に、何の権利があって、こんなプログラムを組んだのだろうか。
どうして傷付けようとするのだろうか。
誰にも、たとえどんな理由を並べ立てたとしても、一個の人間を駒のように扱う、そんな権利などありはしないのに。

どうしたら守ってやれるだろう。
どうしたら三上はもう一度いつものように笑ってくれるだろう。
それは、途方もない願いかも知れないけれど。自分は彼をどうしても守ってやりたいから。命が費えるまで、彼が笑っていられるようにしてやりたいから。
その為に、何が出来るだろうか。

叫び、逃げるように駆けだした三上を追って、辰巳もまた走り出した。このまま振り切られてはいけない。離れ、見失えばそこでジ・エンドだ。元々さほどスタミナのない三上に追い付くことは、いくら辰巳に瞬発力がなくても、それほど難しいことではないはずだ。
スタート地点が同じなら、最終的には必ず捕まえられるはずだった。

どれほどの距離を走っただろう。
それすらも把握出来ないほど、めちゃくちゃなルートを取り、立ち止まることなく三上は走り続けた。もちろん、それを追っている辰巳も。
自分の位置すらわからないまま、それでも辰巳は、ただ目の前の人の背中だけを追い、走った。
ここはどこだろう。西か東か、北だろうか、それとも南だろうか?
誰が、どんな心境で、どこに潜んでいるともわからないこんな状況は危険極まりない。
けれど、それを覚悟で辰巳は、三上を追いかけていた。

一向に縮まらない距離に舌打ちをする。
三上の方も、大人しく捕まってくれる気はないのだろう。そして辰巳も、大人しく振り切られる気はなかった。
全速力で走り続けるには必ず限界が来るものだし、それは、三上だけでなく自分にも言えることだったけれど、とにかく、三上のそういう限界値は、自分よりはずっと、低かったはずだ。
こういうものを、火事場の馬鹿力、と人は称すのだろうか。
普段なら無理をしようとする三上を諫める立場にある辰巳は、こんなところで体力を使うな、と、言ってやることも出来ない今の中途半端な距離が歯痒かった。

手が、届きそうで、届かない。
怯えているその肩を、抱きしめてやることも出来ない。
すぐ近くに、目の前にあるのに。

後少し。
あと、ほんの数センチだ。
時折掠める三上の服の感触が余計に焦燥を募らせる。
届け。

届いてくれ、頼むから!

「わ…っ」

懇願は聞き届けられた。
千切れるかと思うほど、精一杯腕を伸ばして、辰巳は目の前の手首を掴んだ。遠慮も躊躇もない強い力でもって、それを自分の方へと引き寄せる。
振り向きざまに三上が見せた表情は、普段の彼らしくなく、ひどく、弱々しかった。

「離せよ…っ」
「離せる訳ないだろう!」

気が付けば、思いの外大きな声を、辰巳は出していた。
その声に誰かがやってくるかも知れないと、それすら思い浮かばないほど、いっぱいいっぱいになっていた。

離せる訳がない。そんな出来ない相談を持ち掛けないでくれ。

自分より一回り以上小さな三上の身体を抱きしめる。
頼むから、自分から逃げないでくれ。
気を抜けば消えてしまうのではないかと、そんな風に思った。

「…怖いか、俺が」

辰巳がそう訊ねると、三上は一瞬哀しそうな顔をして、それから嘲るような笑みを浮かべた。

「お前、俺がお前のこと殺すかもって思わねえの?」

冷たい言葉。冷たい笑み。けれど、瞳は嘘を吐かない。
辛さを隠すことに三上は長けている。けれどそれは、三上の本質を知らない者にしか通用しない、そんな程度の特技だ。
弱さを隠す為に笑うその真意が自嘲だと、知っている。瞳だけはいつも、素直に揺れることも、知っている。
だから、愛おしくて、だから、痛々しい。

「いいさ、それでも」

もしそれが三上の真意でも、それで構わないと心の底から思える。
三上が選んだ生き方で、三上がそうであることを望むなら、自分はそれに付き合う。自分の命を奪うというのなら、それもいい。
そう出来ないだろう三上を、自分は知っているけれど。

「よくねえよ!殺すかも知れないって言ってんだぞ、俺!お前わかってんのかよ!?」

ほら。やっぱり。

本当に人を殺すつもりでいるのなら、辰巳にこんな台詞を口にしたりはしないだろう。
頭から三上を信用している辰巳を殺すことなんて、赤子の手を捻るくらい簡単なことだ。
利用することだって、いくらでも出来る。それをしない三上は、それが出来ないからだ。
泣き出しそうな顔をして叫ぶ三上は、三上の表面しか知らない人間が思うよりずっと、ずっと優しいからだ。

「三上に殺されるなら、俺は構わないよ」

だから泣かないで。
距離を取ろうとする三上の腕ごと抱きしめて、あやすように背を叩く。

誰が、何の為に、何の権利があって、こんなプログラムを組んだのか。
どうしてこんな、それこそ政府の人間からしてみたら、ほんの子供を泣かせるのか。
誰にも、たとえどんな理由を並べ立てたとしても、人が人を傷付けていいなんて、あるはずがないのに。

「殺しても良いから、お前の好きにしたらいいから、だから泣くな」
「……って」
「?」
「だって言ったんだ、俺の所為で人が死ぬって。俺の所為でって。そんなの、…俺が殺すのと、変わんねえよ…」

つう、と三上の頬を流れていく涙。
堰を切ったように言葉を吐き出す三上を宥めるように、辰巳は彼の髪を撫でた。

「お前も、死ぬかも知れない。さっきだって、ほんとは、死んでたかも知れない」

三上を剔った言葉は、どれほどの威力だろう。受けた傷は、どれほどの深さだろう。
拭っても拭っても伝い落ちる涙に、痛みを分け合うことが出来たら、と辰巳は切に思った。

「大丈夫。大丈夫だから」

何万の言葉を費やせば、彼の受けた傷は癒えるだろう。
追い詰めた側の人間は痛くも痒くもないのに、なぜ追い詰められた側の人間は、これほどまでに苦しまなければならないのだろうか。

「安心しろ。俺は、お前以外の奴には殺されたりしないから」

多分、きっと。
言外に滲ませた言葉に、気付かないでくれればいいと思う。それはきっと、三上をまた、追い詰める。
自分に何か、出来ることがあるとするならば、それは、…それは。

言い聞かせるように囁いた、大丈夫、という言葉を、真実に近づけること。

               

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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