第二十六話 ほんとうに怖いもの |
怖いのは他人だ。 何を考えているかわからないから、信用が出来ない。 怖いのは自分だ。 一体いつまで、自分は自分のままいられるのだろう。
着実に死体が積み上げられている島の西方部から、ちょうど真逆の方角の海岸に小堤健太郎(出席番号10番)はいた。 握り締めていた、身を守るための『武器』。 そして自分は、殺人者になる。
誰だって怖いはずだ。
誰が敵で、誰が味方か判別の出来ないこの状況。
殺してしまう。
畏れを知らない子供ではなく、理性ある大人でもない。人の汚い部分を見聞きして、確かにそれだけではなかったけれども、見聞きして、その中で大きくなってきた。 小さな島に響く微かな銃声に比例して、屍も増えていく。 ゲームに乗っているかも知れない。 「…きっと、元気だ」 自分自身に言い聞かせるようにそう呟く。 出来るならもう一度、彼に会いたいと思った。 人を殺してしまう前に、会いたいと思った。
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第二十七話 手のひらの上で |
幾つものモニター画面。忙しなく動く機械の音。退屈で仕方ないといった様子で頬杖を付きながら、西園寺は映し出される画面へと視線を送っていた。 その画面には参加者一人一人を監視出来るように、衛星から情報処理されリアルタイムの映像が映し出されていた。 「誰が最後まで生き残るかしら」 そう呟いて画面から目を離し、西園寺は手元にあった書類の束を眺めた。
誰がどう行動するか。
そこまで管理した上で政府は参加者に接していたし、武器の配給もすべてそこからだ。 殺して、手に入れてしまえばいいのだから。
「決めるのって結構楽しかったのよね」 出ていかせる順番、渡すバッグ、配給武器、かける言葉、浮かべる表情。それらすべて西園寺の手元にある膨大なデータに照らし合わせて決めたものだ。
責めるような瞳。苛立ちを隠すように伏せられた瞼。 「せいぜい楽しませて頂戴ね」 西園寺が呟いたその一言にこそ、このプログラムのすべてが詰まっているのかも知れなかった。
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第二十八話 きみはどこにいるの |
大声で泣き叫んで助けを請えるほど、子供だったらよかった。
今からほんの数十分前のことだ。柾輝が道とも言えない獣道を歩いている時だった。 ふと思う。 人を信じるということは、では一体どういうことなのだろう。 信じて裏切られたことなんて、数えればキリがないほどだ。換えの効かない唯一無二のものを力尽くで奪い取られたことだってある。 この傷が癒えるまで、俺は生きていられるのか? 奪われたものは、いつだってかけがえのないものばかりだ。 撃たれたことは別に怖ろしくはなかった。 ただ、怖ろしいのは。 かつて信じた、こいつらなら大丈夫だと信じた仲間が、かつてと違う目をして自分を見ることだ。 「…つばさ」 裏切らないと言えるだろうか。 愛していると囁いた唇で、同じように綺麗に微笑んで狂気を口にしたら、自分はどうしたらいいのだろう。 信じることが怖い。 半端な度胸の所為で狂うことも出来ない。 けれど。 どんな痛みを負っても、どんな苦しみを抱えても、どんな怖ろしい目にあってでも。 抱きしめて、裏切ったりしないで、信じていいよって、言って欲しい。 理想を口にすることは容易かった。探しても見つからない今だから願うことの出来る『理想』。 誰彼問わずに信じられるほど強くはないけれど、愛した人さえ信じることも出来ない弱い自分にはなりたくないから。 傷付くことになったとしても、どうせ痛みは変わらない。今だって本当は泣き出したいくらいの痛みを抱えているのだから。
泣き叫んで助けを請えるほど、子供だったらよかった。傷が痛むと言って縋り付けるほど、素直だったらよかった。 「どこにいんだよ、翼」 空を仰いだまま閉じた瞳。
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第二十九話 手をのばせば。 |
森の中を歩いて、少しだけ開けた場所に出た。用心深く辺りを見回すと、少し先のところに人影があった。おかげで不用意にそこから動くことが出来なくなる。 こんなところで死ぬのはごめんだ。 どうにか見つからずこの場を回避しようと翼が迂回しようとした時、無防備に立ち尽くす人影を、先ほどまで雲に隠れていたはずの月が照らした。 雲に隠れてさえ明るいとわかるほどの月明かりだ。遮るもののなくなった光はひどく明るく地上を照らす。 人影は、とてもよく見知った人物だった。 『柾輝…』 月の光に浮かび上がる人影は、こんなプログラムではもう、会えるはずがないと思っていた相手だ。理想主義ではない翼は、会いたい人物と生きているうちに相見えることの難しさを理解していた。 『会って、話して、何になるの?』 今の自分には何も出来はしない。
出来るのなら、側にいたかった。他の誰でもないお前の側に。いつか命が費える時でさえ、側にいられたらいいと思っていた。 こうなることを、誰が想像していただろうか。 翼が抱いた殺意は、たった一人に対するものだった。
抱きしめたい。 もはや見つめていることにさえ耐えきれなくなって、翼はそこから立ち去ろうと柾輝に背を向ける。 「どこにいんだよ、翼」 それは、普段の柾輝からは想像も出来ないような声だった。 その声に、振り返る。 この感情を、なんと言ったらいいだろうか。 衝動を、抑えることが出来ない。踏み出す足を、止める術がわからない。 「柾輝…!」 それはもう、まさに一瞬の出来事。 これは、なんだ? のばしかけた手で、ただ必死に柾輝を探した。 「まさき」 柾輝を探して彷徨わせた視線の先、煙と火の手に遮られたその視界の先に、見知った笑顔が見える。 「…杉原…」 この時翼は人を心の底から憎んだ。 「ガード甘いなあ。危ないよ?プログラムの最中なんだから」 手に持っているのは鎌だろうか。 やめろ。 「うあああああああああああああああああ!!!!!」 この時叫んだのは誰だったか。 「気を付けなきゃ、なんて言っても意味がないよね。だってもう死んじゃうんだし」 爆風の直撃を受けた翼を見た杉原はにっこりと笑って、 「その足じゃ、生きられないね。サッカーどころか、ここから動くことも出来ない」 そう言った。 残されたのは、まるで塵屑のように踏みつけられた死体と、足のない瀕死体。 あと少し。 「柾輝…っ」 抱きしめていたらよかった。
手が届かない。 こんなにきみを、あいしているのに。 あれほど明るかったはずの月は光を失い、雲に隠れていった。
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第三十話 消えた少年 |
怖い。怖い。怖い。怖くて。 怖くて、死んでしまいそう。 人を撃ってしまった。ひょっとしたら、殺してしまったかも知れない。 怖ろしくて。 手にした武器を、確かに殺人の道具として扱った。参加者らしき人影にパニックに陥った自分は、パニックに陥ったまま発砲したのだ。 「どう、どうしよう…!」 これはプログラムだ。純然たるプログラムのルールに則れば、人を殺すことが正しい。 だけど僕は。 人を殺めるという禁忌は風祭の中でも禁忌のままで、この状況下でも禁忌のままで。
走り回って息が切れる。 銃を扱った手だ。 自分がとても怖ろしいものに思えた。
どれだけの距離を走ってきただろうか。 「う、…あ…」 そこにあるものを、『それ』と認識したことがいけなかったのだろうか。 「……あは、あははっ!そっか、そうだよね。プログラムの最中だもんね」 公然と人殺しが認められているプログラムにおいて、人を殺すことは当然の行為だ。 進め。殺せ。 「殺しちゃえばいいんだ」 浮かんだ笑顔は、誰も見たことのない笑顔だ。
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