第三十一話 ラストメッセージ
それは、追い詰められた状況で浮かんだ、昔々の物語。

根岸靖人(出席番号24番)には大好きな兄がいた。
もうずっと昔だ。根岸が小学校にあがったばかりの頃に亡くなったのだから、もう七年は前になる。
兄は年の離れた弟の根岸をとても可愛がってくれていたし、根岸もその兄をとても慕っていた。それは、あまり親が家にいない家庭で、必然的に二人きりでいることが多かったからかも知れない。
とにかく、根岸にとって兄は親以上に親に近い存在だった。

兄を失ったのは、今、自分が巻き込まれている、この『プログラム』の所為だ。
今の自分と同じ年齢で、彼もやはり、根岸と同じようにプログラムの参加者に選ばれてしまった。
当時小さな子供であった根岸には、プログラムが何を指すのかもわからず、ただひたすらに兄の帰りを誰もいない家の玄関で待ち続けた。
いつまで経っても兄は帰って来なかったけれど。

三日。
ひたすら待ち続けた兄は、骨になって帰ってきた。
押し付けられるように政府に渡されたその骨を抱えても、根岸は涙ひとつ零すことが出来なかった。兄がそういった形で帰ってくると、どこかで感じていたからかも知れないし、遺骨から、兄の面影を探すことが出来なかったからかも知れない。

兄は一体どうやって死んでいったのだろう。

死への恐怖に怯え、一生を終えた?
人を殺すことに慣れ、幾つもの血を浴びた?
ねえ、帰ってきた『これ』は、本当に自分の兄だというの?

幼かった根岸にはそれを問う術もなく、そして問うたとしてそれに答えてくれるような政府でもなく。
真実はすべて闇に消えた。

けれど、それでいいと思った。

誰のものかわからない遺骨より、誰にも汚されることのない思い出があった。
思い出は自分の中に消えずにあって、兄の生きた証は自分が持っていた。
では、自分の生きた証は、誰が持っていてくれるだろう。

根岸は今、その兄と同じようにプログラムに参加させられ、鋭い切っ先を向けられていた。
そう。目の前、ほんの数センチのところに、死が迫ってきていた。

         

夜が明け、少し油断していたのかも知れない。人が近づく気配を察知することが出来なかった。
そして、逃げられないほどの距離に近づいてきたその人物が、あまりにも顔見知り過ぎて、根岸の脳裏に『警戒』という文字が浮かばなかったのだ。
それがどれほど危険なことかを知りもせずに。

「三上を知らないか」

まるで尋問でもするように彼は言った。
根岸がそれに対して首を振って見せると、彼はあからさまに落胆した表情を浮かべて、次いで、キッと顔を上げた。

「ならいいんだ」

そう言って彼は刀を構える。
突き付けられた日本刀の、朝日に反射してきらりと光る様が、とてもきれいだと思った。
そんな場合ではないはずなのに。

「俺のことを殺すんだよな」
「ああ」
「そんで、三上を捜してまわるんだ?」
「ああ」
「泣くよ、三上」

不意に傷付いた顔をして、彼は根岸を見た。彼のこんな表情を引き出せるのは三上だけだろうと、根岸は自分に向けられた切っ先を見つめながら思う。
日本刀を持った男は、少しだけ哀しそうな顔をして笑った。

「死んで欲しくないんだ。わかるだろう?大切だから、生きて欲しい。すべてがなくなっても構わないから、三上だけは残って欲しいんだ。」
「だから殺すんだ。みんな」
「そうだよ」
「中西も、辰巳も、近藤も、笠井も、藤代も、…俺も」
「…ああ」
「自分も?」
「ああ、そうだよ」

何の迷いもない。
狂気じみた偏った愛情だ。異常とも言えるほどの。
チームメイトを殺すどころか、自分自身を殺すことさえも厭わない。
けれど。
その愛情を向けられた相手がそれで喜ぶと、彼は思っているのだろうか。

「馬鹿だろ」
「俺は、そういうやり方しか出来ないんだ」
「…不器用だなあ、お前」

残された者の痛みを考えろと思うのは、根岸がその『残された側の人間』だからだろうか。それとも、三上の脆さを知っているからだろうか。
愛情をひけらかすならもっと違うやり方があるのに。

「殺すならいいよ。殺せば。でも絶対に三上に感づかれるようなヘマはするなよ」

根岸の言葉に、彼は少し驚いたように目を見開いて、

「ご忠告、有り難く受け取っておくよ」

と目を細めた。

        

命なんてどうでもよかった。生き残ろうとも思わなかった。プログラムが開始されてからずっと、どう死ぬかばかり考えていた。
いや。兄の遺骨を抱えて蹲ったあの日から、ずっと、自分はどう死ぬのだろうと考えていた。
そして、どこかで予感していた。
こうやって殺されることを。

抵抗する気などはなかった。
ただ、『根岸靖人』という人間がいたのだと、その証を、何か残せたらと思っていただけで。

「なあ、ひとつ、頼んでいい?」

生きた証を。
存在した証を。

「伝えて欲しいんだ。三上に。もし、お前があいつに出会うことがあったなら」
「……」
「好きだったって。言わなかったし、言う気もなかったけど、いいなって、三上の全部、いいなって、思ってたって。…伝えて」
「…ああ」
「これ、遺言だから。お前に託すのは、お前が三上を思う気持ちが本当だって、信じたからだから」
「わかったよ」

終わりの時はやってくる。けれど、最期だとは意識したくなかった。出来るだけ何でもないように平静を保っていつも通りでいたかった。
両親の元には兄と同じように訃報が届くだろうけれど、忙しい両親のことだ。きっと日々の忙しさにいつかその哀しみも薄らぐだろう。
兄の時と同じように。

ただ。これだけ。
三上の泣き顔だけはみたくないと、それだけ叶えて欲しい。自分のために人を殺したのだとわかれば、彼はきっと、崩れてしまうから。
そんなことになったら、死んでも死にきれないと、根岸は笑ってみせた。
想いをたとえ届けてくれなくてもいい。三上の生を願うのはお前だけではないのだと彼がわかってくれたなら。

「すまない、根岸」

憎しみでない、殺意だった。彼が自分に向けたのは。
それはひどく愚かで、ひどく哀しい愛情が故だった。
だから根岸は、彼が今にも泣き出しそうな顔をしていたのに、気付かないフリをした。   

             

                           

 

 

 

第三十二話 祈り
朝陽が昇る。
悪夢のようなプログラムの開始から数時間が経過し、いつしか朝と呼べる時間になった。
島のあちこちに設置されているらしいスピーカーが、耳障りなノイズと共に軽快な音楽を撒き散らし、それから妙に明るい声が降ってきた。

「おはよう、みんな。元気に殺し合いをしてくれているかしら?今から死んだ人の名前を読み上げていきます。メモしておくと後々便利よ」

変わらない口調に神経を逆撫でされる。会いたい人に会うことも出来ず、かといって自分から探しに行くことも出来ない。身動きの取れない現状に、半ば八つ当たり気味に英士はスピーカーを睨み付けた。

「死んだ順に、小岩くん、設楽くん、木田くんに、…上原くんと桜庭くん。内藤くんに、後は…柾輝と翼。それからついさっきだけど、根岸くんね。今のところ九人ね。残りは二十二人。みんな、この調子でがんばるのよ」

それを聞いて、ほっと胸を撫で下ろしたと言ったら、人は自分を最低だと罵るだろうか。
呼ばれた名前の中に、会いたいと切望する誰の名前もなかったことに英士は安心した。
殺された人間には失礼だと思うけれど、それでも、本当にほっとしたのだ。
最低だとは自分自身でも思う。利己主義で排他主義なのは物心ついた時からだ。
大切な人さえ無事であれば他の誰がどうなろうと構わないと言うのか。そう自問して、そうだ、と自答した。
こめかみにひどい痛みが走った。

「もうみんなわかってると思うけど、一応言っておくわね。生き残りたいのなら手段は選んでちゃ駄目。これから世界を相手にしたいと思うのなら尚更ね。アグレッシブになれない選手じゃ勝つことは出来ないわ」

手段は選ぶな。
人を殺せ。

今の参加者に告げている言葉を要約すればそういうことだろう。そしてその法則に従わなければ、待っているのは死だ。
高みを目指すのならば、何かしらの犠牲は必ず付きまとうものだ。そして、このプログラムにおいては、生きたいという目標のために、他人という犠牲を払えと言うのだ。
利己主義ここに極まれり。そんなものが政府の言う、『立派な大人』か。
ただ、もしも自分の大切な人がこのプログラムにいなければ、ひょっとしたら『これ』は英士の性に合っていたかも知れない。
そんな自分を、想像したくはないけれど。

     

どこにいるかもわからない。ただ、生きていてくれているということしかわからない。怪我をしているかも、無傷かどうかも、どんな状態かも、英士には知る術はなかった。
けれど、誰よりも大切で、誰よりも愛おしく、かけがえのない人たちは、確かにこの島で生きて、呼吸をしている。
それだけで充分だった。今のところは。
それすらも知る術のなかった夜のうちと比べれば、不愉快極まりない政府からの放送と言えども有り難く思うべきだろう。

「また適当な時間に放送を入れるから寝ちゃ駄目よ。寝られるほどの余裕があるかどうかは知らないけど。…会いたい人がいる子は…そうね、早くしないと一生会えなくなっちゃうから気を付けなさい」

プツリという音と共に放送は途切れた。
我知らず止めていたらしい呼吸を、盛大な溜め息でもって吐き出す。
最後の最後、放送が途切れる直前に西園寺が口にした言葉が英士の脳でリピートされていた。

後、どれくらい続くのだろう、この悪夢は。
現実として認識出来ないほど状況理解能力が低い訳ではないけれど、それでもやはりやりきれない。
終わることのない悪夢だ。

こんなに無力だったのか、自分は。
それなりに充実した人生を歩んできて、挫折もあったし、嫌なことも数え切れないほどあった。
そしてその中でそれに対応しうるだけの何かしらの力は付けてきたははずで、ただ淘汰されるばかりの無力な存在ではないはずだと思っていた。
けれどそれは、ただの思い上がりに過ぎなかったと言うのだろうか。
自分は、こんなにも無力だったと。          

一馬。
結人。
潤慶。
…亮。

無事でいてくれるよね。
会えるよね、きっと。
会ったら、話したいことがたくさんあるんだ。
一馬にも、結人にも、潤慶にも。
ああ、亮にはちゃんと言わなきゃいけないこともある。思い出してもらわなきゃ、俺たちのこと。
人ごみの中、連れとはぐれて泣いていた小さなこども頃の三上を、必死な顔で走ってきた、こどもの頃の辰巳を、また会おうねというこどものかわいらしい口約束を、自分も一馬も結人も潤慶も、まだ憶えている。
だからさ、昔話でもしようよ、みんなでさ。

それを叶えるためにも、絶対会わなければならない。

誰も死んじゃいけない。
誰一人かけても、いけない。
悪夢のままでは終わらせない。
俺たちは政府の玩具じゃない。
絶対に、会うんだ。

           

教室を出る間際、一馬に渡した紙切れの残りを握り締めて、英士は祈った。   

               

                           

 

 

 

第三十三話 消えるぬくもり
人が一度手にした幸せを手放すことは容易なことではない。手に入れたものの存在が大きければその分だけ尚更に、手放せなくなる。
それがたとえ束の間の幻とわかっていても、それに縋らずにはいられない。
それが人間だ。

そして自分たちは、逃れられない運命から、けれども必死で逃れようと藻掻いていた。 

なくしてしまったら。奪われてしまったら。
哀しくて苦しくて悔しくて、どうしようもなくて、きっと。

…きっと。

          

一寸先は闇だとはよく言ったものだ。
放送で読み上げられた名前に一瞬呼吸が止まる。一拍置いて、今度は変な咳が出た。

島中に鳴り響く軽快な音楽と共に明るい声音で吐き出された数名のリタイア。その中に自分たちのよく知る人物の名前を見つけだしてしまい、三上は目を見開いた。
次いで三上が自分のすぐ側にいる辰巳に何かを訴えるように目線を送ると、同じように放送に耳を傾けていた辰巳も顔を強張らせていた。
ぐるぐると渦を巻く色々な感情を必死で押し込めるように唇を噛んでいた辰巳は、三上の視線に気付くと、悔しそうに哀しそうに顔を歪ませて三上の方を見た。
微かに震える指先で、三上は辰巳の制服の袖は掴んだ。視線を合わせてしまったら、情けなく取り乱してしまいそうで、仕方なく足下に無遠慮に生えている雑草に視線を合わせる。
はあ、と一つ、大きな溜め息が出た。

「大丈夫だよ、泣くな。…泣いてもいいけど。自棄にだけはならないでくれ。お前までいなくなってしまったら、俺は本当にどうしたらいいかわからない」

普段よりずっと沈んだ声で呟いた辰巳に、三上は小さく、ああ、と頷いた。

「あったり前だろ。俺を誰だと思ってんのお前。…大丈夫だよバーカ」

賢明に普段通りを取り繕うその行為は、けれどその役割をなす事はなく。逆に辰巳の目には三上が無理をしているようにしか映らなかった。
それは三上もわかっていた。辰巳の服を掴んだ自分の指が、震えたままだったから。
けれど三上はそれに気付かないフリで、虚勢を張った。自分を保とうと、必死だった。

「大丈夫…なんだけどさ」

じ、と名前も知らない雑草に視線を合わせたまま、一言一言を区切るように三上は続ける。声が段々と小さくなり、感情を殺すことも出来ないまま、指先と同じように震えていった。
根気よく耳を傾ける辰巳の視線を感じながら、三上は遠くを見つめて呟いた。

「大丈夫だけど、だけど、すげえ、…悔しい」

友達なんて軽い言葉では済まされないほど大切なチームメイトが殺されていくのを知りながら、けれど何も出来ない自分たち。
出来ることといったら、軽やかな口調で読み上げられた死者の名前に冥福を祈るくらいだ。
三上が呟いた言葉に、辰巳は黙ったまま三上を抱きしめた。
プログラムには不似合いなぬくもりが身体を包む。その時三上が感じていたのは、紛れもない安らぎだった。
血生臭い戦場において、唯一普段と変わらない、あたたかなぬくもり。
未来に希望を抱けるような状態ではなかったけれど、『これ』だけはなくならないと思っていた。なくなるはずがないと、信じていた。

          

ぎゅっと抱きしめられていると、触れた先から愛しさが溢れてくるようだった。この瞬間、三上はただの子供だった。普段作り上げている自分自身ではなく、何もない、ただの子供だった。
永遠を夢見られないならせめて、今ここで時が止まってしまえばいいとすら思ったのに。
暗闇の中与えられたぬくもりは、束の間に幸せという幻想を見せて、まるで最初から何もなかったかのように音を立てて崩れていった。

        

今がこのまま続くなんて幻想を、抱いた訳ではなかった。
けれどそれに縋っていたかった。
手に入れるのは困難なのに、壊れてしまうのはなんて簡単なのだろう。たった一瞬で三上の『それ』は崩れ去ってしまった。    

目が見えなければよかった。
そうすればきっと、怖いものを見なくても済んだ。

耳が聞こえなければよかった。
そうすればきっと、嫌な言葉を聞くこともなかった。

起こってしまった事実はもう、覆ることはないけれど。

         

「辰巳ぃっ!!」

ガウン、という銃声の後、辰巳は腕を押さえて膝をついた。それでもすぐに辰巳は三上を庇うようにして傷付いた腕を伸ばす。
自分の前に伸ばされた辰巳の腕から流れ出る血液に、三上はひどい眩暈を覚えた。

            

                           

 

 

 

第三十四話 命の使い道
「あーあ。ちゃんと狙ったのに。さすが辰巳センパイって感じ?」

笑顔を浮かべて現れたのは、二人のとてもよく知る人物で、一瞬、何を言っているのかを理解することが出来なかった。
けれど、否が応でも現実を認識させようとするように、彼の右手に持つ拳銃が存在を主張している。
そして、辰巳の身体を苛むこの痛みも、拳銃の存在と同様に、彼が『乗っている』側の人間であることを示していた。

「…っ!」
「こんにちは、元気でした?センパイ。三上センパイも。二人でイチャついてられるくらいなら元気かな」
「…何の真似だ、藤代…!」

叫んだ。
その後ろで三上が小さく首を振る。何が起こったのか理解出来ないというより、理解することを本能的に拒んでいるように辰巳は思った。
こんなことがあって、許されるのだろうか。
こんな、こんなにも身近で、あんなにも近しかった人間が、こんなことを。
辰巳の脳裏に浮かんだ感情は、憤りよりも、哀しみや悔しさの度合いの方が勝っていた。

「ねえセンパイ。俺ね、世界行きたいんです。もっと強くなりたいんです。もっと、もっとサッカーやりたいんです」
「……」
「だから俺、死ぬ訳にはいかないんです。…言ってる意味、わかりますよね?」

嫌な沈黙が流れる。
向けられた銃口とはミスマッチなとびっきりの笑顔は、あまりにも非現実過ぎて、どういった表情をすることが正しいのかわからず、変な風に辰巳の顔が歪んだ。

ありふれた日常の中、誰が友人と殺し合うことを想像するだろう。
邪気無く慕ってきた後輩と、こんな形で相見えることなど、辰巳は想像したことはなかった。

照準が辰巳を捉え、火を噴くようにそれが放たれた。銃弾が己の身体を貫く様を想像し、覚悟を決める。
けれど、予想し、覚悟していた痛みは、その代わりに突き飛ばされるような衝撃を辰巳に伝えただけだった。

「うああっ」

叫んだのは辰巳ではなく三上だった。
おそらく、藤代が放った銃弾から辰巳を守ろうとしたのだろう。渾身の力でもって辰巳を突き飛ばしたのだ。
三上のお陰で銃弾から逃れることの出来た辰巳は、軽く腕を擦りむいたものの、無傷だった。けれどその代わりに、三上の足からは赤い液体が流れている。

「みか、」
「あき!!!」

辰巳が三上の名を呼ぼうとしたのを遮って、先ほどまではなかったはずの声がその場に響いた。三上へと伸ばしかけた腕の動きを止め、その声の主を視界を入れると、一瞬辰巳は目を瞠った。

子供の頃、三上と二人で夏祭りに行ったことがあった。迷子になった三上をようやく見つけた時に見た、四人の少年のうちの一人。
帰りの車の中で、嬉しそうに三上が話したことを、辰巳は憶えていた。
一瞬でその記憶を呼び覚まし、これなら大丈夫だと思った。託せる相手がいるのといないのとでは、行動が変わる。

藤代が辰巳につられるようにして同じように動きを止め、声のした方へ視線を移す。
藤代のその動きを、辰巳は見逃さなかった。
相手が視線を移し、自分や三上から目を逸らしたことに気付いた辰巳は、先ほど三上に突き飛ばされた所為で足下に放ったままになっていた配給武器を素早く手に取り、一気に間合いを詰める。
藤代が気付いた時にはもう遅かった。
辰巳に配給された武器は棍棒。そのまま素人が使ったとしてもそれなりの武器になる棍棒だが、幼い頃から棒術を習っていたこともあって、その扱いには慣れていた。
薙ぎ払うようにして藤代を退けると、辰巳は叫んだ。

「お前、一馬だろう、あの時の!…三上を、亮を連れて早く行け!」
「は、」
「なっ、じゃあお前はどうするんだよ!」

三上が何か言おうとしたのを押しのけて一馬が怒鳴る。
一瞬だけその声に顔を上げた辰巳は、けれど一馬を通り越して、その後ろの三上を哀しそうに見た。それもほんの一瞬のことで、すぐに目の前の『標的』に視線を戻したけれど。
少しだけ離れて見る、今にも泣き出しそうな三上の表情が、腕に負った傷よりも痛かった。

「俺はいい。生きていたらまた捜すさ」
「でもお前、」
「いいから早く行け!お前、三上を死なせたいのか!!」

一馬に負けず劣らず怒鳴り返すと、ようやく観念したのか、一馬は三上の腕を掴んで辰巳に背を向けた。
三上が何か抵抗をしていたようにも聞こえたけれど、それでもその声もすぐに聞こえなくなった。

これでいい。
あいつなら、信用出来る。
託しても、大丈夫だ。     

辰巳は藤代の喉元へ押さえつけていた棍棒に力を込めた。見返してくる藤代の顔が、見たこともない形に歪んでいる。
がし、という物凄い力で、押し付けていたはずの棍棒が藤代に掴まれた。

「余裕っすね、辰巳センパイ。…死にかけのクセに」
「…馬鹿だな、『だから』だよ」

       

死んでしまうことが変えられない運命なのだとしたら、せめてこの命を大切な何かのために使いたい。
たとえその所為で自分の死が早まったとしても、後悔はない。
傷付けさせる訳にはいかないんだ。
絶対に、この手で守ってやる。

               

                           

 

 

 

第三十五話 不謹慎な恋
手を掴んで走り出した。半ば無意識に三上の手を強い力で掴んで、一馬は走っていた。
三上が何度も振り返るようにしていたのにも、悔しそうな声で辰巳の名を呼んでいたのにも、気付いていたけれど、それに必死で気付かないフリで手を掴んだ。
命を賭けて守ろう、なんて、口で言うだけなら簡単だ。けれどそれを本当に行動に移すことはとても難しい。
だから、辰巳の思いを無駄にするものかと思った。それはただ自分が三上を失いたくなかっただけなのかも知れないけれど。
そう。この手から伝わるぬくもりは、だって、こんなにも愛おしい。それは状況を考えれば不謹慎に過ぎる想いだった。

「離せよ、…おい真田!っ離せって!!…っ一馬!」

しばらく走り、急な酷使に足が悲鳴を上げてきた頃、三上の発したその言葉を合図に三上と一馬は立ち止まった。
責めるような視線を覚悟していた一馬に、三上は視線も合わさずに言った。

「辰巳を、見捨てたんだな」

それは一馬を責めているようで、けれどそれ以上に自分自身を責め立てているようだった。それを裏付けるように、ふと視線を外した先の三上の指は震えていた。
不意に抱きしめたい衝動に駆られて踏みとどまる。しばらく自分の中の細胞をフル動員してそれをやり過ごし、それから三上の口にする一馬の呼称に違和感を覚えた。
否、違和感というよりは、懐かしい感覚を。

「名前…」
「何?」
「いや、えっと、」
「何テンパってんの一馬」
「え」

自分の中のすべての機能を動かしても、うまく言葉にならない。
覚えてんの、と訪ねた声は、滑稽なほど震えていた。

「覚えてる?何が。…つーか痛い。離せっていい加減」
「あ、ごめん」
「うわ、痣んなってるし。馬鹿力。成長したのは図体だけかよ。脳みそも成長しろ」

掴んでいた手は、少し強張っていて、自分がどれほど強く三上の手を掴んでいたかを物語っていた。申し訳ない気持ちと、話しぶりから伺える記憶に、一馬の中で色々な感情が渦まく。
その渦の中へ本格的に入り込むことは、突然三上があげた呻き声で回避されたけれど。

「…っく」

見れば三上の制服のズボンは真っ赤に染まっていて、眉間に皺が寄る。三上が手で覆おうとするその傷口の、その赤の多さに、よく走り回れたものだと思う。気付けなかった自分の不甲斐なさを棚に上げて。
止血するものをと考えるけれど、今はプログラムの真っ最中だ。そんな高尚な道具を所持しているはずもない。

「大丈夫か…?」
「ああ」

訪ねると、三上は傷口を見つめたまま答えた。
とりあえず適当なところに座らせて布を捲り上げる。露わになった足の、可哀想なほどに殺がれた肉に、一馬は唇を噛んだ。
けれど、幸い、と言って良いのかは甚だ疑問だったが、弾も体内には残っていなかった。
ただ、やはり殺ぎ取られたところの肉の赤さが、足の白さに相まって痛みを視覚で訴えていたけれど。
支給されたペットボトルの水で軽く消毒をし、持っていたハンカチで、ぎゅ、としばる。しないよりはマシ、という程度の応急処置でしかなかったけれど、それこそしないよりはずっと良いはずだ。

手当が終わり一馬が立ち上がると、ぐい、と制服の袖を掴まれた。
反射的に三上の顔を見ると、何かを訴えようとする視線とぶつかる。

「なんで」

三上の言いたいことはわかる。その理由も。
『なんで俺を連れて走った?』。
彼の抱く想いに感づかないほど、自分は鈍感じゃない。想いに気付けば、三上の言いたいことを予想するのはひどく簡単なことだった。

「…なんで、なんて愚問だな」
「………」
「わかってるよ。それが最善だった。辰巳の中でも、お前の中でも。だから、」
「死んで欲しくなかっただけだ。俺も、辰巳も、…勝手だよな」

本当に勝手な話だった。三上が理解してくれるとは思えない。
けれど口にした理由は事実以外何物でもなかったし、三上を失うことはしたくなかった。
ごめん、と謝ると、三上は小さく頷いた。

「ありがとう…って、言うべきだよな、ほんとなら」
「いいよ、別に」

今にも崩れ落ちそうな顔をしているくせに、無理に大人ぶらなくたっていいのに、と一馬は思った。
まだ自分たちは子供だ。きらきらした宝物をいくらでも掴むことの出来る手を持った子供だ。
哀しい時に涙を流し、嬉しい時に笑顔を浮かべて良いはずの子供だ。
一馬も、三上も、このゲームの参加者すべてがそうだった。
怖くて哀しいのに、無理にしっかりした自分を装わなくても誰も叱ったりはしない。叱る大人なんて、今はいないんだ。

「…歩けるか?」

立ち上がり、そう訊ねると、三上は何も言わず自分も立ち上がろうとした。
けれど足の傷の所為だろうか。その不安定な動作に思わず手を伸ばす。
掴んだ腕の温度に、一馬は目を見開いた。

「冷たい…?」
「痛い。離せよ。邪魔。自分で歩けんだから」
「でも!」
「うるせえ」

ゆるめたネクタイの結び目を掴まれる。
至近距離で受け止めた三上の視線は、まるで射抜くようだと思った。

「辰巳は死なない。俺を迎えに来るんだ。だから俺も死ねない」
「……」
「だから、こんな危ねえとこでぐだぐだしてらんねえんだよ」

そう口にした三上は、眩暈がするほどきれいだと思った。
そんな風に思ったとしたら、これこそ本当に不謹慎だと、唇を噛んだ。

          

「…行こう」

しばらくして一馬と三上は歩き出した。三上の足を考えて、先よりもゆっくりと、けれど確実に歩を進める。
辰巳のことが気にかかるのか、三上が何度か通ってきた道を振り返った。一馬はそれに何も言わず、ただゆっくりと歩いた。
自分たちはまだ立ち止まってはいけない。

沈黙が流れ、足を引きずりながら歩く、ざ、ざ、と言う音と、地面に散らばった小枝が割れる、ぱきりと言う音が時折するだけの時間が続いた。
そんな中で三上が、注意していなければ聞き逃してしまいそうなほどの小さな声で一馬に話しかけた。

「なあ、英士とか、結人とか、潤慶とか…あいつらとは一緒じゃねえの、お前」
「うん。英士になら、なんとか会えそうだけど」
「そっか…会いたかったな。もうずっと、ちゃんと、会ってない」
「…あ…」
「一馬とちゃんとこうして話したのも、久しぶりだ」

三上が口にする言葉を、必死に頭の中で反芻する。そして予想は確信に変わった。
泣きそうになった。
泣く訳にはいかなかったから、必死に堪えたけれど。

「…何固まってんだよ」
「あ、…あのさ、英士んとこ、行けるんだ、多分、ここから遠くないし、アイツが選んだ場所なら外よりは危険じゃない」
「会えたのか?」
「いや、教室出る前、…紙もらって」
「そっか…」
「だから、そこで辰巳待とう。あきは生きて辰巳を待たなきゃいけない」

一馬の言葉に三上が少し笑った。
ぎこちないその笑顔に、胸に刺さる何かを感じたけれど、それには気付かないふりをした。そして出来るだけ自然な動きで三上の手を取る。
少し驚いたようだったけれど、すぐにいつもの顔を作って一馬の手を握り返した。
その感触にひどく泣き出したいような、逃げ出したいような、抱きしめてやりたいような感覚に陥った。
そんな感覚を振り払うように三上から視線を外す。心臓の鼓動が少し、早くなったような気がした。    

    

うまい慰めの言葉も自分には出てこないけれど。
君の大切な人が、大切な君を迎えに来るまで、俺が君を守る。

そうたとえ、君の中のベクトルが、俺に向けられることがなかったとしても。

               

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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