第三十一話 ラストメッセージ |
それは、追い詰められた状況で浮かんだ、昔々の物語。 根岸靖人(出席番号24番)には大好きな兄がいた。 兄を失ったのは、今、自分が巻き込まれている、この『プログラム』の所為だ。 三日。 兄は一体どうやって死んでいったのだろう。 死への恐怖に怯え、一生を終えた? 幼かった根岸にはそれを問う術もなく、そして問うたとしてそれに答えてくれるような政府でもなく。 けれど、それでいいと思った。 誰のものかわからない遺骨より、誰にも汚されることのない思い出があった。 根岸は今、その兄と同じようにプログラムに参加させられ、鋭い切っ先を向けられていた。
夜が明け、少し油断していたのかも知れない。人が近づく気配を察知することが出来なかった。 「三上を知らないか」 まるで尋問でもするように彼は言った。 「ならいいんだ」 そう言って彼は刀を構える。 「俺のことを殺すんだよな」 不意に傷付いた顔をして、彼は根岸を見た。彼のこんな表情を引き出せるのは三上だけだろうと、根岸は自分に向けられた切っ先を見つめながら思う。 「死んで欲しくないんだ。わかるだろう?大切だから、生きて欲しい。すべてがなくなっても構わないから、三上だけは残って欲しいんだ。」 何の迷いもない。 「馬鹿だろ」 残された者の痛みを考えろと思うのは、根岸がその『残された側の人間』だからだろうか。それとも、三上の脆さを知っているからだろうか。 「殺すならいいよ。殺せば。でも絶対に三上に感づかれるようなヘマはするなよ」 根岸の言葉に、彼は少し驚いたように目を見開いて、 「ご忠告、有り難く受け取っておくよ」 と目を細めた。
命なんてどうでもよかった。生き残ろうとも思わなかった。プログラムが開始されてからずっと、どう死ぬかばかり考えていた。 抵抗する気などはなかった。 「なあ、ひとつ、頼んでいい?」 生きた証を。 「伝えて欲しいんだ。三上に。もし、お前があいつに出会うことがあったなら」 終わりの時はやってくる。けれど、最期だとは意識したくなかった。出来るだけ何でもないように平静を保っていつも通りでいたかった。 ただ。これだけ。 「すまない、根岸」 憎しみでない、殺意だった。彼が自分に向けたのは。
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第三十二話 祈り |
朝陽が昇る。 悪夢のようなプログラムの開始から数時間が経過し、いつしか朝と呼べる時間になった。 島のあちこちに設置されているらしいスピーカーが、耳障りなノイズと共に軽快な音楽を撒き散らし、それから妙に明るい声が降ってきた。 「おはよう、みんな。元気に殺し合いをしてくれているかしら?今から死んだ人の名前を読み上げていきます。メモしておくと後々便利よ」 変わらない口調に神経を逆撫でされる。会いたい人に会うことも出来ず、かといって自分から探しに行くことも出来ない。身動きの取れない現状に、半ば八つ当たり気味に英士はスピーカーを睨み付けた。 「死んだ順に、小岩くん、設楽くん、木田くんに、…上原くんと桜庭くん。内藤くんに、後は…柾輝と翼。それからついさっきだけど、根岸くんね。今のところ九人ね。残りは二十二人。みんな、この調子でがんばるのよ」 それを聞いて、ほっと胸を撫で下ろしたと言ったら、人は自分を最低だと罵るだろうか。 「もうみんなわかってると思うけど、一応言っておくわね。生き残りたいのなら手段は選んでちゃ駄目。これから世界を相手にしたいと思うのなら尚更ね。アグレッシブになれない選手じゃ勝つことは出来ないわ」 手段は選ぶな。 今の参加者に告げている言葉を要約すればそういうことだろう。そしてその法則に従わなければ、待っているのは死だ。
どこにいるかもわからない。ただ、生きていてくれているということしかわからない。怪我をしているかも、無傷かどうかも、どんな状態かも、英士には知る術はなかった。 「また適当な時間に放送を入れるから寝ちゃ駄目よ。寝られるほどの余裕があるかどうかは知らないけど。…会いたい人がいる子は…そうね、早くしないと一生会えなくなっちゃうから気を付けなさい」 プツリという音と共に放送は途切れた。 後、どれくらい続くのだろう、この悪夢は。 こんなに無力だったのか、自分は。 一馬。 無事でいてくれるよね。 それを叶えるためにも、絶対会わなければならない。 誰も死んじゃいけない。
教室を出る間際、一馬に渡した紙切れの残りを握り締めて、英士は祈った。
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第三十三話 消えるぬくもり |
人が一度手にした幸せを手放すことは容易なことではない。手に入れたものの存在が大きければその分だけ尚更に、手放せなくなる。 それがたとえ束の間の幻とわかっていても、それに縋らずにはいられない。 それが人間だ。 そして自分たちは、逃れられない運命から、けれども必死で逃れようと藻掻いていた。 なくしてしまったら。奪われてしまったら。 …きっと。
一寸先は闇だとはよく言ったものだ。 島中に鳴り響く軽快な音楽と共に明るい声音で吐き出された数名のリタイア。その中に自分たちのよく知る人物の名前を見つけだしてしまい、三上は目を見開いた。 「大丈夫だよ、泣くな。…泣いてもいいけど。自棄にだけはならないでくれ。お前までいなくなってしまったら、俺は本当にどうしたらいいかわからない」 普段よりずっと沈んだ声で呟いた辰巳に、三上は小さく、ああ、と頷いた。 「あったり前だろ。俺を誰だと思ってんのお前。…大丈夫だよバーカ」 賢明に普段通りを取り繕うその行為は、けれどその役割をなす事はなく。逆に辰巳の目には三上が無理をしているようにしか映らなかった。 「大丈夫…なんだけどさ」 じ、と名前も知らない雑草に視線を合わせたまま、一言一言を区切るように三上は続ける。声が段々と小さくなり、感情を殺すことも出来ないまま、指先と同じように震えていった。 「大丈夫だけど、だけど、すげえ、…悔しい」 友達なんて軽い言葉では済まされないほど大切なチームメイトが殺されていくのを知りながら、けれど何も出来ない自分たち。
ぎゅっと抱きしめられていると、触れた先から愛しさが溢れてくるようだった。この瞬間、三上はただの子供だった。普段作り上げている自分自身ではなく、何もない、ただの子供だった。
今がこのまま続くなんて幻想を、抱いた訳ではなかった。 目が見えなければよかった。 耳が聞こえなければよかった。 起こってしまった事実はもう、覆ることはないけれど。
「辰巳ぃっ!!」 ガウン、という銃声の後、辰巳は腕を押さえて膝をついた。それでもすぐに辰巳は三上を庇うようにして傷付いた腕を伸ばす。
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第三十四話 命の使い道 |
「あーあ。ちゃんと狙ったのに。さすが辰巳センパイって感じ?」 笑顔を浮かべて現れたのは、二人のとてもよく知る人物で、一瞬、何を言っているのかを理解することが出来なかった。 「…っ!」 叫んだ。 「ねえセンパイ。俺ね、世界行きたいんです。もっと強くなりたいんです。もっと、もっとサッカーやりたいんです」 嫌な沈黙が流れる。 ありふれた日常の中、誰が友人と殺し合うことを想像するだろう。 照準が辰巳を捉え、火を噴くようにそれが放たれた。銃弾が己の身体を貫く様を想像し、覚悟を決める。 「うああっ」 叫んだのは辰巳ではなく三上だった。 「みか、」 辰巳が三上の名を呼ぼうとしたのを遮って、先ほどまではなかったはずの声がその場に響いた。三上へと伸ばしかけた腕の動きを止め、その声の主を視界を入れると、一瞬辰巳は目を瞠った。 子供の頃、三上と二人で夏祭りに行ったことがあった。迷子になった三上をようやく見つけた時に見た、四人の少年のうちの一人。 藤代が辰巳につられるようにして同じように動きを止め、声のした方へ視線を移す。 「お前、一馬だろう、あの時の!…三上を、亮を連れて早く行け!」 三上が何か言おうとしたのを押しのけて一馬が怒鳴る。 「俺はいい。生きていたらまた捜すさ」 一馬に負けず劣らず怒鳴り返すと、ようやく観念したのか、一馬は三上の腕を掴んで辰巳に背を向けた。 これでいい。 辰巳は藤代の喉元へ押さえつけていた棍棒に力を込めた。見返してくる藤代の顔が、見たこともない形に歪んでいる。 「余裕っすね、辰巳センパイ。…死にかけのクセに」
死んでしまうことが変えられない運命なのだとしたら、せめてこの命を大切な何かのために使いたい。
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第三十五話 不謹慎な恋 |
手を掴んで走り出した。半ば無意識に三上の手を強い力で掴んで、一馬は走っていた。 三上が何度も振り返るようにしていたのにも、悔しそうな声で辰巳の名を呼んでいたのにも、気付いていたけれど、それに必死で気付かないフリで手を掴んだ。 命を賭けて守ろう、なんて、口で言うだけなら簡単だ。けれどそれを本当に行動に移すことはとても難しい。 だから、辰巳の思いを無駄にするものかと思った。それはただ自分が三上を失いたくなかっただけなのかも知れないけれど。 そう。この手から伝わるぬくもりは、だって、こんなにも愛おしい。それは状況を考えれば不謹慎に過ぎる想いだった。 「離せよ、…おい真田!っ離せって!!…っ一馬!」 しばらく走り、急な酷使に足が悲鳴を上げてきた頃、三上の発したその言葉を合図に三上と一馬は立ち止まった。 「辰巳を、見捨てたんだな」 それは一馬を責めているようで、けれどそれ以上に自分自身を責め立てているようだった。それを裏付けるように、ふと視線を外した先の三上の指は震えていた。 「名前…」 自分の中のすべての機能を動かしても、うまく言葉にならない。 「覚えてる?何が。…つーか痛い。離せっていい加減」 掴んでいた手は、少し強張っていて、自分がどれほど強く三上の手を掴んでいたかを物語っていた。申し訳ない気持ちと、話しぶりから伺える記憶に、一馬の中で色々な感情が渦まく。 「…っく」 見れば三上の制服のズボンは真っ赤に染まっていて、眉間に皺が寄る。三上が手で覆おうとするその傷口の、その赤の多さに、よく走り回れたものだと思う。気付けなかった自分の不甲斐なさを棚に上げて。 「大丈夫か…?」 訪ねると、三上は傷口を見つめたまま答えた。 手当が終わり一馬が立ち上がると、ぐい、と制服の袖を掴まれた。 「なんで」 三上の言いたいことはわかる。その理由も。 「…なんで、なんて愚問だな」 本当に勝手な話だった。三上が理解してくれるとは思えない。 「ありがとう…って、言うべきだよな、ほんとなら」 今にも崩れ落ちそうな顔をしているくせに、無理に大人ぶらなくたっていいのに、と一馬は思った。 「…歩けるか?」 立ち上がり、そう訊ねると、三上は何も言わず自分も立ち上がろうとした。 「冷たい…?」 ゆるめたネクタイの結び目を掴まれる。 「辰巳は死なない。俺を迎えに来るんだ。だから俺も死ねない」 そう口にした三上は、眩暈がするほどきれいだと思った。
「…行こう」 しばらくして一馬と三上は歩き出した。三上の足を考えて、先よりもゆっくりと、けれど確実に歩を進める。 沈黙が流れ、足を引きずりながら歩く、ざ、ざ、と言う音と、地面に散らばった小枝が割れる、ぱきりと言う音が時折するだけの時間が続いた。 「なあ、英士とか、結人とか、潤慶とか…あいつらとは一緒じゃねえの、お前」 三上が口にする言葉を、必死に頭の中で反芻する。そして予想は確信に変わった。 「…何固まってんだよ」 一馬の言葉に三上が少し笑った。
うまい慰めの言葉も自分には出てこないけれど。 そうたとえ、君の中のベクトルが、俺に向けられることがなかったとしても。
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