第四十一話 罪を背負う者 |
人はみな、自分の中で順位がつけられている。それは無意識意識を問わず必ずあるものだ。 その思いが自分は強かっただけだ。その順位を知りすぎていただけだ。 だから、最優先事項のために足掻くことに何の躊躇もなかった。
血の付いた制服と青ざめた顔。 「…辰巳?」 訊ねても返事はなかったし、おそらく放置しておけば彼は勝手に死んだだろう。自分が手を汚すまでもなく。 辰巳なら三上の場所を知っている。そんな確信めいたものがあった。
「……」 民家についた途端、それを待っていたかのように雨が降り出した。 「……ぅ…」 微かに発された声を聞き逃すほど、自分の注意力は散漫ではない。立ち上がり、さも心配そうな仮面を貼り付けて傍らへと急ぐ。 「大丈夫か?辰巳」 驚いたように目が見開かれ、次いで辰巳は口にした。 「三上は知らないよ。俺が見つけたのはお前だけだった」 話を続けながら、それとは別の思考回路を使ってひっそりと頭の中で状況整理をする。 「かず、…いや、真田に頼んだんだ。三上を連れて逃げてくれって」 それだけ聞ければ充分だった。 「傷、痛むか?」 辰巳が続けた言葉は、手にかけた小銃を、ほんの少し躊躇させた。 「お前も俺より痛そうだ」 痛い? 「お前も、傷を負ったんじゃないのか」 ふらりふらり、手が伸びてくる。 「怪我なんてしてないよ。無傷だ。…わかるだろう?これは返り血だ」 心臓に当てられた手が、何かのスイッチになった。 「俺は人を殺したよ。根岸も、俺が殺した。この返り血がその証拠だ」 知っていた?気付いていた?いつから?いつから! 不意に根岸との会話が頭の中に蘇ってきた。 傷口を見つけないでくれ。 「俺は三上を守りたい。どんな手を使っても生かすと決めたんだ」 言葉が続かない。 「…怪我をしてるんだろう」 聞きたくない。 「俺は三上のことを一番大切に思っているけど」 言うな。 「お前だって大切なんだ」 惑わすな。これ以上意志を崩そうとしないでくれ。譲れないものがあるんだ。 「黙ってくれ…もう」 名前を呼ばれたら、お仕舞いな気がした。 未だ降り続ける雨の音とは反対に、乾いた音が室内にほんの少し響いて、天から降りる雨粒が土へと吸収されるように、その音は消えていった。
後悔はしない。してはいけないから。 なのに。 「どうしてそう、掻き乱すんだ」 愛したものとは違う。守りたいものでもない。 「どうして気付くんだ。どうして、いつも」 足掻くことは、悪だったのだろうか。誰も教えてはくれない。
なあ、辰巳? それもお前は、わかっていたんだろうか。
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第四十二話 君の手で |
人を殺めることを悪だと感じられるのはまともな証拠。 人を殺めることさえも必要悪だと割り切ってしまうのは、プログラムに乗せられてしまった証拠。 この島にいるのはそのどちらかだ。まともな人間と、そうでない人間。 はたして本当にそうだろうか。 殺されるとわかっていて尚、善行を優先させられる人間がいるのだろうか。 殺されそうになって、抵抗し、その結果殺してしまった人間さえも一括りに『乗っている』側の人間と言ってしまっていいのだろうか。 殺人者、と人を罵ることは出来ない。一秒先の未来さえわからない今は、その一秒先に自分が殺人者になっているとも限らない。 そしてゲームに乗ることと人を殺めることは、必ずしも同義ではないのだ。
俺はどれになるんだろう。
ぽつりと呟いた尾形の言葉は風の音に紛れてしまうほど小さな音だった。 プログラムの中というのが不思議なほど傷や汚れの少ない尾形も、これまで誰にも遭遇することがなかったと言う訳ではない。
「生きたいなんて、思ったことはなかったな」
そして尾形は今、同時に死にたいとも思っている。
「会いたいなんて思ったこともなかったな」
早野に会いたいと心から思っていた。
生きて会いたい。 死体なんかに会いたくはない。 自分は生きていられるだろうか。
わからなかった。
俺を、殺して。
誰かの手で奪い取られるより、自分の血で染まる、早野の手が見たかった。
「…俺を殺しに来てよ、早野」
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第四十三話 コエガキコエル。 |
嫌な予感がした。 何か、虫の知らせのような嫌な予感が胸をざわめかせた。 苦しんでいる、泣いていると、心の奥の何かが、自分の与り知らぬところで反応した。
晴れた空にさあさあと降っていた雨が止み、英士は未だ来ない一馬を待って約束の場所でひっそりと息を潜めていた。 「…どうしたらいいっていうの」 お手上げだ、と思った。どうするべきか、何が最善なのか、どれだけ脳味噌をフル回転させても答えは出てこない。ひょっとしたら、答えなんてものは最初からないのかも知れないけれど。 …だったら。 行かなかったことを後悔するのは嫌だった。自分が反応するのなら、それはかけがえのない人たちの誰かのためだ。だから、自分はそれを信じて走り出そう。 扉を開けると、空はまだ明るかった。 「…一馬…」 一馬だと確認した途端、心の中のしこりが一つ融けた。ほっと胸を撫で下ろし、次いで一馬の隣を歩く人影に目を移す。一馬が赦したのなら、誰であっても自分は受け入れられる。一馬はそれほど愚かではない。けれど。 「英士!よかった、無事だったんだな。いなかったらどうしようかと思った」 そう言って三上を見ると、お世辞にも血色が良いとは言えないような顔で、大丈夫だよと笑った。 「そっか…。気、つけろよ、英士」 地図をカバンから出し、現在地を確認して歩き出そうとした英士を、三上が呼び止める。 「英士」 呼び名が、その声で久しく呼ばれていないものだった所為だろうか、反応が少し、遅れる。 「どうしたの」 強い言葉だった。おそらく、強い祈りが含まれていたのだろうと思う。 「気をつけろよ!」 見もしない地図を右手に持って、振り返ることなく英士は走り出した。
勘だけを頼りに呼ばれていると感じる方角を捜す。時折地図を確認しながら、道に迷うことがないように注意をして。 嫌な予感は得てして当たって欲しくないものを指す。英士も、そう思っていた。
「ゆう、と…」
一馬たちと別れ、随分長い間歩いて、英士は傷だらけで蹲る人影を見つけた。 乾いて頬にこびり付いた血の痕を撫でると、結人はぽたり、と涙をこぼした。
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第四十四話 手のひらの温度 |
何も見えない。何も見たくない。 けれどそんな訳にはいかなくて、目を瞑っているばかりではいけなくて。 目を瞑っていても、焼き付いた死に様と耳にこびり付いた断末魔が責め立てる。 目を閉じて、耳を塞いで、光も音もない世界に閉じこもれたら、どれほど楽だっただろう。
「結人」 不意に名前を呼ばれた。 「結人、しっかりして」 結人の頬を何かが流れる。 その瞬間、張りつめていた何かが、途切れた。 「…っ、ぅ、あああっ」 生きたかった。死にたくなかった。会いたかった。 「えい、し、…英士…っ」 どうしたらよかったのだろうか。黙って大人しく殺されてしまえばよかったのだろうか。それとも無駄とわかっていながら説得を試みるべきだった?逃げればよかった?それとも。 「ころ、した。俺、人、殺した…っ」 本当は聞いて欲しかった。 「会いたかったんだ…」 だから死ねなかった。死にたくなかった。だから他の人の命を犠牲にした。 降り注がれると予想していた冷たい眼差しは、まったく逆の性質を持って、結人の傷を優しく撫でた。 「…俺も会いたかったよ。死体とご対面しても嬉しくないしね」 俯くと、地面に涙がぽたりと落ちた。 「殺す気なんか、なかった」 呟いた言葉に、英士は黙って頷く。わかっているよ、と口にした英士の顔はとても優しかった。 「ほら、もう泣かないの。へたれ一馬にまで笑われるよ」 言葉と裏腹にひどく優しく頬を撫でる英士の指が、本当にどこまでも優しく感じて胸が痛い。ともすれば背負わなければならない大きな罪まで忘れてしまいそうになって、唇を噛む。 冷たいんだと思っていた英士の手のひらは、本当はとてもあたたかくて、このまま時間が止まればいいのに、と心の中で呟いた。
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第四十五話 人を殺すということ |
死んでしまえばいいと思った。何もかもなくなってしまえばいいと思った。 自分を押し止めていた理性という名の留め金は、設楽の死で外されてしまった。 プログラムの中にあっても、どれほど危険に晒されていても、自分は心のどこかで、自分とあいつは大丈夫だとタカをくくっていた。
赤く染まった道を歩くと決めた。殺人の道具をひっさげて、鳴海は自分で赤い道を歩くと決めた。 設楽や他の人間の目にどのように映っていたかは知らないけれど、鳴海は傍が思うほど強くはなかった。寛容でもなかった。
赤く無様に泣きはらした眼を夕陽が更に紅く染める。 「どこまでついてくんの?」 話しかけると、鳴海の後ろを歩いていた人物は驚いたように顔を強張らせてこちらを見た。 「なあ、設楽殺したのお前?」 撃鉄を起こしながら歩み寄り、少年の制服の胸元を掴む。鳴海の浮かべる表情が冷たくなるのに比例して少年の顔は青ざめていった。 「誰も、殺しとらん…。嘘やない、信じてんか!」 捜している人の情報を知りたかった。タイミングが掴めなかっただけで。 「…あ…」 一つ、二つ、三つ。身体に穴を開けた人間。自分が撃った。設楽を殺した人間と同じように自分が殺したのだ。 「……あ、うああっ」 人であった身体は、ただの屍となった。 死体はどこか遠くを見るような目をしていた。何か心残りがあったのかも知れない。地面の砂に爪がめり込んでいた。 「…俺、おれは、ただ…」 設楽を返して欲しかった。 赤く充血した目からまた涙がこぼれる。 そうだ。今度は自分が殺される番になる。
「……捜さなきゃ」 物言わぬ冷たい身体をして、プログラム終了時に行われる回収作業を待つばかりの設楽を捜さなければ。 自分が壊れてしまう前に。
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