第四十六話 安息への扉
もうどれくらい歩いてきたのだろう。
履き古した靴は踵がすり減り、森の中の歩きにくさに拍車をかける。
降っては止み、降っては止み、を繰り返していた雨の所為でぬかるんだ地面は、足下を薄汚く汚していく。
それを見て、プログラムに汚されていく自分たちを象徴しているようだ、と、潤慶は思った。
歩き疲れて、それでも歩いて、歩き続けて。一体あとどれくらい歩き続ければ、安息は訪れるだろう。

会いたかった人たちは無事でいるだろうか。
プログラムが開始されてから、潤慶も他の参加者と同じように『会いたい人』を捜して回った。手がかりさえ、掴めなかったけれど。
今もそうだ。当てもないまま彷徨いて、殺されるのを待っているような状況で。
橙じみた赤い空が菫に染まっていくのを見つめながら、潤慶は盛大な溜め息を吐いた。

   

時間は刻々と過ぎていき、死体の数と人殺しの数は比例するように増えていった。
自分はいつ『そう』なるのだろう。自分の大切な人はいつ。
考えなければいいのに考えてしまって、ひどく怖ろしくなった。

    

菫色に変わった空に、白い粒が散らばる。
綺麗だ、と無防備に空を眺めている訳にもいかず、潤慶は重たいバッグを抱えて歩き続けていた。

ぴんぽんぱんぽーん。

放送の開始を告げる、軽快な音が鳴った。
歩みを止め、ポケットから時計を出して確認すると、時刻は六時を少し過ぎたところだった。

『こんばんは、みんな。少し遅くなっちゃったけど、死んでしまった子の名前を読み上げます。放送の間もちゃんと周りに気を配ってね。結構無防備になっちゃうんだから』

くすくす、と楽しそうな感じが癇に障った。
言われた通りに、と言う訳ではないが、それでも辺りを見回して人の気配を探る。
今のところは大丈夫そうだ、と少し安堵して、それから潤慶は本来なら聞きたくもない放送へと耳を傾けた。
すぐ手に取れる位置に武器を置いて。

『順番に、笠井くん、風祭くんと天城くん。それから辰巳くんに…直樹。二日目で隠れるのがうまくなっちゃったのかしら。リタイアした子の数が減っているわね。もっと頑張らないと、測定不能でプログラムを中止してみーんなボン!ってなっちゃうかもしれないわよ』

放送を行う理由は簡単に想像がついた。
こうやって参加者を煽って人殺しを増やしていくためなのだろうと思う。
どこまでも腐っているこの政府は。そう思って、けれどもう自分たちにはどうすることも出来ないことに歯噛みした。

「…っ!」

放送が終わらない内に潤慶の視界を何かが掠めた。
銃弾だと悟り、逃げようとした瞬間、足を捻り、激痛が走った。
足を庇い蹲る。
こんなにも必死に戦っている中、それでも西園寺は何の変わりもなく軽やかに話し続けていた。

「…何すんの!」
「武器、構えなくていいの?」
「ご忠告ドーモっ」

構えたのはありきたりな拳銃。
慣れない武器を手にして見据えた相手は英士の近くで何度か見かけた少年だった。

『みんな、殺すことが悪いことだと思っているのかしら。仕方ないのよ、生きる為だもの。戦って勝つ為には点を取りに行くでしょう?でも取られた方は負けに一歩近づくのよ。それは悪いことじゃないでしょう?』

薄皮一枚隔てたように、少し遠くから聞こえる、西園寺の声。
どくんどくん、と大きな音で、心臓の鼓動が身体に響いていた。

「痛くない?足」
「人のこと心配出来んの?よゆーかまされると超むかつく」
「実際余裕なんだよ」

激痛が鈍痛に変わる。
それを潤慶は痛みが引いたのだと思った。
だから、まだやれると思った。

『勝つか負けるか、どちらかしかないの。試合と一緒だわ。負けたくないから勝ちに行く。死にたくないから殺しに行く。わかるわね?』

がつ、という音と共に手から力が抜ける。殴られた瞬間、痛いと感じた訳でもないのに潤慶の拳銃は持ち主の手から離れて地面へと落ちた。鈍痛に変わったのは、決して身体の状態が好転した訳ではないのだとその時悟る。
そして落とした武器を拾おうとする隙を相手は与えてはくれなかった。
じりじりと近づいてくる相手を睨み付けながら、それでも怖ろしさからだろうか、後退る。どうするべきだろうかと逡巡していると、小柄な身体に見合わぬ力で地面に押し倒された。
水分を含んだ土の感触が気持ち悪い。

「僕ね、君の顔すごく好きなんだ」
「それはドーモ」
「ほんとそっくり。同じ顔してるんだね、双子でもないのに」

へえ、ヨンサ目当てなんだ?お前。
口にしようとした軽口は、突っ込まれた拳銃で塞がれた。
いきなり入り込んできた異物の硬い感触に怖気が走る。ぐり、と喉の奥に押し付けられて生理的な涙が滲んだ。

「ん、ぐぅっ…!」
「苦しい?ねえ、苦しい?」
「ぐ、ううー!」
「すぐに楽にしてあげるからね」

放送は尚続いていたけれど、潤慶の耳にはもう情報として入ってはこなかった。
何かを喋ろうとする度、歯が拳銃に当たり、がちがちと耳障りな音を立てる。言葉はただくぐもった音にしかならなかった。
目の前に振りかざされた鎌というありふれた農耕具が、死に神の大鎌のようにさえ見えていた。

「泣いた顔が見たいんだ、僕。痛いって叫んで泣いて見せて。君は彼じゃないけど、同じ顔してるんだから」
「んぐっ、ん!」

狂気にまみれた薄い笑み。鎌の刃が潤慶の腹を撫でる。ちくりと痛みが走って、それからすぐ鋭い痛みに変わった。
泣き顔を晒すのは嫌だと思っても痛みを堪えるためにきつく閉じた目から涙が次々と溢れていく。

こんな死に方は、嫌だ。

「もっともっと痛がって。声を挙げて泣いて。僕が優しく殺してあげる」

絶対絶命の最悪な状況で死を覚悟した時、脳裏に浮かんだのは大切な人たちの顔だった。
瞬間、殺されてたまるかと思った。生きて会うんだと思った。
思いの強さですべてが叶うような、甘く生温い世の中ではなかったけれど。

最後の抵抗とばかりに喉の奥まで突っ込まれていた拳銃をどうにか吐き出そうと藻掻く。
助けて、と口が利けたなら命乞いをしていたかも知れない。
言葉が聞けないのは、そう言った意味では好都合だったけれど。

殺される。
今ここで、自分はこの少年に殺されるのだ。
誰にも会えないまま、誰にも触れられないまま、こんな場所で。

そう思ったら、なんだかもう、すべてがどうでも良いことのように思えた。

「そう…大人しくしてて。イイコだね。すぐに楽にしてあげる…」

にっこりと邪気のない笑顔を浮かべる少年は、まるで悪魔のように命を刈り取っていく。
最期の最期にまで浮かんだ四人の顔に、死んだら泣いてくれるだろうか、とぼんやり考えた。

    

歩き続けて辿り着く安息への扉は、死の鍵をもって開かれる。

             

                           

 

 

 

第四十七話 嘘だと言って。
伝えられた情報を、理解し、認識した瞬間、息が止まった。
突き付けられた事実を、事実として受け止めることは、三上にとってひどく困難な作業だった。
覆るはずのない事実を、嘘であってくれればと必死で願った。

「…嘘」

放送でその名前が読み上げられた後、絞り出すように三上は呟いた。
同じように放送に耳を傾けていた一馬も、ショックを受けたように動けないでいた。

「嘘だあ…」

もう一度呟く。
家の中にいてさえも耳に届く放送は、情報を得られるという点においては素晴らしい音量だったかも知れない。
けれど耳にする情報がすべてプラスに働くとは限らないし、今の状況では得られずにいた方がいい情報だった。

かたかたと震える体を隠しもせず三上が呟く。
普段からポーカーフェイスを装いたがる三上の、隠す余裕もないほどの狼狽えように一馬は複雑な感情で三上を見ていた。

「嘘、…嘘だ。何かの間違いじゃねえの…。だって辰巳が死ぬはず…」
「あき、」
「死ぬはずねえよ、あいつが…っ」

言葉を失い、唇を噛みしめる三上の頬を、つ、と涙がこぼれた。すぐにそれに気付いてごしごしと目を擦るけれど、滲む涙は止まらなかった。
どうしてだろうか。大丈夫だと信じていた。辰巳は死なないと信じていた。
また会えると、確証もないのに信じていて、幼い子供のそれと同じくらいの真摯さで信じていて。ガラガラと崩れていく信じていた未来を直視することを本能が拒否した。
落ち着けと叫ぶ一馬の声すら三上の耳には届かない。身体を揺さぶられても、三上の目に一馬が映ることはなかった。
ダン!と壁を殴る。ふらふらとした足取りで玄関に向かって歩き出して、それでもそれは叶うことなく、身体は壁をすべり落ち、三上は床に蹲った。

なぜあの時離れたのだろう。
どうして自分は生きているのだろう。
辰巳が死んでしまったのに、どうして自分は今、こうして生きているのだろうか。

誰か嘘だと言って欲しかった。
けれど、質の悪い冗談だよと言って笑ってくれるような人物はその場にはなかった。
否定の言葉を並べ立てるのは自分ばかりで、誰も辰巳の死を否定してはくれない。一馬ですら否定してはくれなかった。
それは、訃報が事実だという何よりの証拠のように思えて、呼吸が苦しくなる。

「…死ぬはずねえんだ。辰巳が死ぬ訳ねえ!だって、だってあいつは…!……っは、…げほっ、」

呼吸が何かに阻まれるように突っかかり、肺がひゅーひゅーと鳴った。
胸に激痛が走り、ぎゅ、と胸を押さえる。一馬が心配そうに膝をつき三上の様子を伺おうとするけれど、目をしっかりと閉じた三上はそんな一馬の様子には気付かない。
痛みの中で脳裏を占めるのは、遠い昔の思い出だった。同じように胸を押さえて泣いた思い出。
二酸化炭素を吸えばいいんだ、と、呼吸を整えろ、と、そう言って助けてくれたのは辰巳だった。
背中をさすってくれたのも、抱きしめて落ち着くように促してくれたのも、呼吸の落ち着かせ方を教えてくれたのも辰巳だった。
その辰巳はもういない。世界中どこを捜しても、彼はもう、いないのだ。

「あき、あき!おい、大丈夫か!?」

その言葉にも三上の返事はない。しんとした室内には、一馬の切羽詰まった声と三上の苦しそうな呼吸が響くだけだ。
くらくらと眩暈がして、一馬の声も顔も認識が出来ないほどになる。
まるで助けを求めるように伸ばした三上の腕は、糸が切れるようにぱたりと床へ落ちた。

「あき!!」

意識を手放すことで、突き付けられた現実から目を背けるように三上は倒れ込んだ。
慌てて一馬が抱き留める。
腕の中で苦しそうに喘ぐ三上を見て、一馬は苛立ちをぶつけるように床を叩き付けた。

「なんでだよ…ちくしょう、なんであいつが…っ」

愚問だとわかっていた。けれど、それでも思わずにはいられなかった。
なぜ殺されなくてはならないの、と。

      

    

真っ暗な闇。音もなく、一筋の光もない闇。
少しの肌寒さを感じて身震いする。心許なさに膝をつき、名前を呼んだ。

誰の?

…わからない。

呼んだ名前がわからず今度は、助けて、とだけ呟いた。
誰に何から救いを求めているのかもわからず、それでもその誰だかを求めて三上は呼び続けた。
叫ぶように呼び続けて、声が掠れても咳き込んでも呼び続けた。
いつの間に泣いていたのか頬が濡れている。カッコわりー、と呟いて拭うけれど、涙はひっきりなしにこぼれ落ちた。
苛立たしげに拭っていると、何かがふわりと頭を撫でた。
ひどく懐かしくて、だけど思い出せないそれは、多分とても自分にとって愛おしいもので、とても優しかった『何か』だ。
瞳を閉じて、その感覚だけに身を任せる。
何かを思い出しそうで歯痒いのに、思い出してはいけないようにも思えて、少し戸惑いながら、それでもその優しい何かに心を許した。

               

                           

 

 

 

第四十八話 鎌を持った悪魔
力いっぱい拳を握り締めた。指先が白くなるほどの力で、握り締めた。
そうでもしなければ、自分はとっくの昔に壊れてしまっていた。

    

配給された武器は、武器の形をしてはいなかった。
液晶画面のついた長方形の機械。レーダーとスピーカーのついたそれは、本来ならあってはならないはずの現場を水野に実況中継してくれる機械だった。
隔絶されたような、けれど決してプログラムから切り離されることのない森の中に水野はいた。
聞こえてくる切羽詰まったやりとりに、機械を壊してしまいたい衝動を必死に押し殺して、水野は機械を苛立たしげに睨み付ける。
付属の説明書には盗聴機能と首輪に取り付けられたセンサーを感知し、どこに敵がいるかを知ることが出来ると書いてあった。
敵と言っても、それは政府の決めた他の参加者で、水野にとっては敵でも何でもない。ただ、誰が、という人物特定が出来ない分、敵ではないと言い切れないところがひどく哀しかった。
何度となく捨ててしまおうと思った。けれど、レーダーは人を選り好むことには適していなかったけれど、人を避けることにはとても適していて、唯一身を守るための機械であるそれを、水野は結局今まで捨てることが出来ずにいた。
機械は一度スイッチを入れると切ることは出来ないように出来ているらしく、盗聴器兼探知機は、水野がいつどこにいて何をしていても勝手に音を運んできた。機械を捨てられずにいる水野を嘲笑うように、命を取引している現場の音ばかりを選んで。
そういう作りになっているのだとなんとか理解はしたものの、納得は出来なかった。
もちろん、誰かが近くにいる時にでもその音は鳴る。運ばれる音の内容が内容だけに、あまり近づこうとする者はいなかったけれど、それでも近づいてくる人間はいたし、それから逃げるのは至難の業だった。

スイッチを入れても数分間、何の音もしなかった。不良品?と首を傾げていた水野に音が届いたのはしばらく経ってからだった。
そう、最初に聞こえてきたのは杉原の声だった。開始してまもなくの、小岩が殺されるところだった。
一番最初に教室を出た水野は、すでに校舎より大分離れたところにいて、どうしてやることも出来ずにその場に立ち尽くした。
それから今まで、水野の気持ちも都合もお構いなしで殺人現場の中継は延々と続いている。
下手なニュース番組より速報だよ、と軽口を叩くような元気はなかった。
設楽も、木田も、上原と桜庭も、もう、思い出すだけでその場でへたり込んでしまいそうなほどの人の死に際を耳にしてきた。
握り締め続けて感覚のなくなった拳は、水野の必死の抵抗だった。

ピー、と音が鳴る。
それは合図だった。殺し合いが行われています、という、無機質で機械的な合図だった。モニターに映し出される島の全体地図。二つの赤い点。殺し合いをしている誰だか。
比較的小さい音だけれど、警報のように鳴り続ける音は水野の精神を傷付けていく。
ぼんやりと地図を見て、位置関係を把握する。自分が今いる場所から、そう離れてはいない。
走れば間に合うかも知れない。

走れば。
もしかしたら。

何に間に合うとか、その場に行ってどうするとか、そんなことは何も考えていなかった。
ただ、気がついた時には音を垂れ流す機械を握り締めたまま、水野は走り出していた。

    

びゅうびゅうと風が吹く。走る為に浅く繰り返す呼吸や風の音で、現場の音が少し聞き取りづらくなった。
状況をうまく聞き取れないまま、けれど時折モニタを確認しては、また走った。
走ることとその場に辿り着くことばかりに気を取られていて、手にした機械が中継の終了を知らせる、ツー、と言う音がしたのにも、それからしばらくの後、音がしなくなったのにも気付かなかった。

     

背筋に、何か冷たいものが流れていくような感覚だった。
使い古された表現だったけれど、今の心情を物語るには的確な言葉だったと思う。

鎌を持った悪魔がそこにはいた。

力無く垂れ下がった腕と、どこを見るでもない虚ろな瞳。
一度だけ、彼とは試合で会ったことがあった。個人的に話をしたことはほとんどなかったけれど。
チームメイトにそっくりの顔をしたチームメイトの親族は、その首の半分くらいにまで鎌で切り裂かれていた。

「あれ、水野くん。久しぶり、元気だった?」

がちがちと歯が音を立てた。あからさまに異様な光景であるというのに、少年は普段と何ら変わらない笑みを浮かべて水野へ顔を向ける。
その笑顔に薄ら寒いものを感じて、水野は数歩、後退った。

「今忙しいんだ、僕」

そう言って彼はまた、鎌を動かし始めた。
喉がからからに渇く。
逃げ出したい衝動に駆られたけれど、逃げ出すにはもう、手遅れだ。わざわざその場にやってきたのは水野なのだから。

「何、やって…、杉原…」

水分の足りない喉で必死に言葉を紡ぐ。それがひどくしんどいのは喉の痛みの所為だろうか、眩暈を誘う光景の所為だろうか。
どくどくと鳴る心臓の鼓動は早鐘のよう。
視線を合わせたままの水野に構うことなく、杉原は笑みを浮かべたまま、辛うじて繋がっていた潤慶の首を刎ねた。

「…あ…」

頭と胴体。繋がっていることが当たり前の、そうでなければならない人間の身体。
ごろりと落ちたその首を拾い上げて杉原は嬉しそうに頬ずりをした。

「僕さ、この顔好きなんだ。郭くん見つからなかったし、だから代わりに」

何を言っているのか、水野には理解出来ない。

「でもほら、見てよ水野くん。この子やっぱり同じ顔してる。ほんとにそっくり」

嬉しそうに、嬉しそうに彼は笑う。
どこか壊れているのだろうか。まるでサロメのようだと思いながら、迫り上がってくる吐き気を必死で飲み込んだ。

「ねえ、そう思わない?」

問いかけられて、水野の中で何かがはじけた。

「ふざけんな!お前自分が何してるかわかってるのか!?」
「何怒ってるの?水野くん」
「小岩も、黒川も…椎名だってそうだ、なんで…!」
「…知ってるんだ?僕がしてきたこと」
「全部知ってるよ、全部、…全部聞いてきた!」
「そう…。ねえ、でも何がいけないの?だって殺し合う為に僕たちはここにいるんでしょ?」
「お前おかしいよ!政府の奴らと同じじゃないか、そんなの…!」

狂ってる、そう言いかけた唇が固まる。
曖昧な笑みを浮かべていた杉原の顔から笑みが消え、次いで視界全体がぐにゃり、と歪んだ。
何が起こったのかを水野は理解することが出来なかった。次の瞬間には、潤慶の血で汚れた土の上に崩れ落ちていた。

「僕、自分のすることに口出しされるの嫌いなんだ」

火を噴いた拳銃は黒川から奪ったものだ。撃鉄を起こす必要のないそれは、制服のポケットの中、無造作に入っていた。
銃弾は水野の額を貫いて一発で致命傷になっている。それでも念のため、と余分に二発ほど顔や腹に打ち込んで、杉原は首をこきこきと鳴らした。まるで一仕事終えた肩の凝りをほぐすように。
杉原はもう、慣れてきてしまっている。このプログラムに、このルールに。
人を殺すことに対しての躊躇はどこにもなかった。

「ばいばい、水野くん。教室での君は格好良かったよ」

ただそれだけで、何の感銘も受けはしなかったけどね。

            

                           

 

 

 

第四十九話 尊ぶべき心
歩き疲れた。
溜め息は吐き飽きたし、放送は聞き飽きていた。銃声だってもううんざりだった。

虫けらのような扱いで死んでいく参加者たち。自分たちの意志で殺し合って生き抜いていくだけ、虫の方が自分たちよりずっとマシだったかもしれない。
競争社会でもしっかりと生き抜いていける、立派な大人になるためにと、ご大層な謳い文句で開かれるプログラムは、本当はいったい何のために制定されたのだろうか。本当にこんなもので立派な大人なんかになれるのだろうか。統計は、何のためにとられるのだろう。
何度そうやって疑念を抱いたのかわからない。けれど、おそらくはきっと、何の意味もないのだ。

           

真っ暗で色さえ判別出来ないような闇の中、不破は一人歩き続けた。随分長い間、彼は休むことなく歩き続け、プログラムを生き抜いてきた。
そうして今、波の音が聞こえる場所に彼は立っていた。暗く暗い、海が見える場所に。
海風の肌寒さに身震いをして、はあ、と息を吐けば、温度差に少しだけ白く濁る。岩場の上に立って波間を見つめると、そこには他よりも一段と暗い真闇があった。
耳を澄ませば聞き飽きた発砲音を耳が拾い上げてしまいそうで、不破は意識的に波の音に耳を傾ける。耳にするのは寄せては返す波の音だけでいい。
誰にもたった一つしか与えられない、代替品のないものを奪い合う音なんて聞きたくはない。それは不破にとって聞く必要のない音だ。

なぜかふと、音の源に触れてみたくなった。
岩場から降り立って、そっと手を伸ばす。水に触れると身体の芯から冷え切ってしまいそうなほどの冷たさを感じた。
指先が少し冷たさに、じん、としたけれど、身体がそういった反応を返すのは、まだ不破が生きているからだ。吐息が白く濁るのも、不破が生きているからだ。

「………」

背後から視線を感じる。誰かがそこにいるのだと、すぐにわかった。
ゆっくりと殊の外時間をかけて振り向けば、そこには見知った顔があって、見知った顔は怯えきったような顔をして不破に銃口を向けていた。
暗い場所にい過ぎた所為で夜目が利くようになっていた不破には、少年の瞳の奥の感情の揺らぎがよく見える。それが良いことなのか悪いことなのかは別として。

「俺を殺すのか、小堤」

訊ねると、小堤はびくりと大仰に肩を揺らした。銃を向けられているのは不破のはずなのに、彼は怯えた顔で不破を見つめている。
おそらく彼は怖いのだ。
誰かに銃を向けることも、人を殺すことも、彼はとても怖がっている。銃を握る手が震えているのはその所為だ。
そう思って、不破は少しだけ安堵した。小堤がまだ、以前の彼であることに。

「小堤」
「あ、あ…っ」

口を開こうとした。
もしかしたら説得が出来るかもしれないと思って彼の名前を呼んだ時、計ったかのようなタイミングで遠くから銃声が聞こえてきた。
小堤の目が見開き、その顔が恐怖に歪む。ただ添えられていただけの指が、触発されるように引き金を引いた。
言葉を交わす暇はなかった。

「…っ!」

反射的に目を閉じる。何かが爆発するような音が聞こえて、けれどそれからいつまで経っても不破に痛みは訪れなかった。
おそるおそる目を開けるとそこには腕を中心に血に染まった身体の小堤が倒れ込んでいた。
銃を握った手は先と変わらぬ形のまま、不破の立っていた方へ向けられている。銃口が小堤自身にに向けられていたのではないとしたら、それが指し示す答えは一つだ。

「小堤…?」

小さく名前を呼んだ。返事が返ってくることはなかった。それは小堤の命が絶たれたことを意味している。
近寄ろうと不破が動いた瞬間、それを遮るように背後から声がかけられた。

「うわ、何これ、不破がやったの?」
「藤代…」

振り返るとそこには藤代が立っていた。
赤く染まった制服を着た彼は、不破を追い越し、小堤の元へ向かっていく。足先で人を転がし笑顔を浮かべる様は以前の彼として、いや人として、あるまじき姿だった。

「んな訳ないっか。…暴発する仕組みの銃だったんだ。あー俺そんなのにあたんなくてよかったー」

場違いに明るく、人懐こささえ感じさせる声音。それは以前の彼のままだ、けれど中身はもう、以前の藤代ではない。

「俺は、どうすればいい?」
「死んじゃえよ」
「殺すのか」
「プログラムってそーゆーもんだろ?」

『乗った側の人間』を見た。
藤代の目の奥に乗った側の人間を見て、哀しくなるのと同時に虫唾が走った。
気付けば不破は藤代に殴りかかっていた。

「お前は、お前は人の命を何だと思っているんだ」
「うわ、何寒いこと言ってんの不破」
「命はたった一つしかないものだ。誰も、それを侵害する権利は持っていない。それくらい知っているだろう」

殴りつけると手が痛んだ。同時に心が痛みに悲鳴をあげた。
心が痛むのは、自分が主張する理論も、権利も、何の意味も持たないことを知っているからだ。
馬乗りになって藤代の顔を殴っても、現状は何も変わらない。この行為には何の意味もない。それも不破はわかっていた。
何度か殴り、お返しをくらって、それでもまた殴った。
しばらくそれを繰り返しているうちに、ざく、と何かが刺さる音がした。実際には小さな音のはずなのにしっかりと音を感じたのは、耳ではなく身体に響いたからだろうと思う。
腹に、ちり、と痒みにも似た痛みが走り、次いで鋭い痛みが不破に襲いかかった。

「俺の勝ち」

にっと笑んだ彼は、不破の腹に刺したナイフをぐるりと回し、肉を剔った。
異物感と痛み、腹の中で何かが蠢く嫌な感触。滲み出るように汗が身体を伝った。
ごくり、と喉が鳴る。

「結構不破ってそーゆーのアツイのな。でもそれってさ、このゲームじゃ命取りだぜ」

嘲るような笑みを藤代は浮かべていた。不破は藤代が自分を押しのけて立ち上がるのをただ見ていることしか出来なかった。
波の音と、藤代が去っていく足音だけを聞いて、痛みに耐えた。

    

「……っ」

腹に刺さったナイフを、意を決して引き抜いた。
抜いた瞬間、言葉に出来ないほどの痛みと熱が身体を襲い、おそらく血と思われる暗い色の液体が傷口から吹き出す。
浅く息を繰り返し、痛みに耐えようとするけれど、不破に忍び寄る死の足音は、ひどく近い場所から聞こえていた。
必死の思いでどうにか立ち上がり、小堤を抱える。岩場から這い出て、波の打ち寄せてこない場所まで足を引きずって歩いた。
絶命した人間の体は重かったけれど、そんなことには構っていられなかった。目の前の死体をそのままにしてはおけなかった。

砂を掘る。力の入らない腕で、それでも必死になって砂を掘った。
どれだけ掘ればいいのかもわからなかったけれど、掘り続けた。
そのうち不破と小堤の周りに砂が山になって、掘り進めた穴は人一人どうにか入れるくらいの深さになっていた。

「俺には、こんなことくらいしかしてやれない」

砂の中に小堤を横たえさせる。胸で手を組ませようとしたけれど、硬直した身体はうまく動かせなくて、仕方なく目だけを閉じさせた。
砂をかけ、穴を埋める。かけた砂をならし、手をついた。
ほ、と息を吐いた瞬間、何かの糸が切れたようにして不破はその上に倒れ込んだ。
彼はもう、二度と動くことはなかった。

    

人一人の命を、彼は最期まで大切にし続けた。
藤代の言う通り、それはこのプログラムにおいては命取りでしかなかったけれど、それでも不破は、最期まで考えを変えることはしなかった。
それは、本来であれば、何よりも尊ぶべきものだった。

               

                           

 

 

 

第五十話 運命に牙を剥け
物事には必ず終わりがくる。
それは運命という形ですべて決められているのだろうか。
自分たちは、すべて決められた枠組みの中で踊らされているだけの、ただのマリオネットでしかないのだろうか。

だとしたら。
それに逆らおうとしている自分はとても、とても滑稽だ。

          

「あーあ…」

全身打撲に裂傷。早野の身体に痛くない場所なんてなかった。
近くで聞こえた話し声から逃げようとして、足場の悪い山道を走った。走って走って、走り続けて、もう大丈夫だろうと気を緩めた瞬間、ぬかるんだ土に足を取られて、早野は斜面を転がり落ちた。
そして、落ちた先がまた不幸にも参加者の目の前で。

「…最悪だ」

と、愚痴をこぼした。
教室で見かけた少年が、呆気にとられたように早野を見ている。
話し声の主に見つかるまいと逃げた癖に、その所為で身体を傷付けて、転がり落ちた先でまた違う誰だかに見つかって、一体どうしたらいいのだろう。
ぎしぎしと痛む身体に眉を顰めると、呆気にとられたような顔をしていた少年は心配そうに早野に声をかけた。

「だ、大丈夫かよ…」

その言葉に顔を上げると、武器が握られていると予想した手には何もなく、あって当然の猜疑心に満ちた言葉は、早野を気遣う言葉となって降ってきた。
ぱちぱちと目を瞬かせて見つめると、彼は早野の方へ数歩歩み寄りしゃがみ込む。
武器も握らずに走り回り、足を滑らせて転げ落ちてきた早野も充分無防備だったが、目の前の少年もそれと同等の無防備さだ。

「ころさ、ないのか?」

いくつかの言葉が早野の脳裏に浮かび、消えていく。結局口をついて出たのはそんな素朴な疑問だった。
そう。生き残りたいのなら、勝ち残るつもりなら、絶好のチャンスだ。獲物を仕留めるのは手っ取り早い方が良いし、今の自分は抵抗する術さえない。自分がもし『乗っている側の人間』だったなら、早野だってこのチャンスは逃さなかった。

「別に、…勝ち残る気ねえから、俺」
「……」
「だから、殺さねえよ」

哀しそうに呟いた言葉に、早野はなぜか、自分がひどいことを訊ねたような気分になった。なんとなく気まずくなって視線を逸らす。
唇を舐めたら、じゃり、と砂の感触が舌について、顔をしかめた。

    

沈黙が流れ、そして続いた。
未だ生き残り、殺戮を繰り返す参加者に襲撃されなかったのは、幸運と言って良い。
武器も持たずに上体を起こしただけの人間と、膝を抱えてしゃがみ込んだ人間。襲ってくださいと言っているようなものだった。

「会いたい奴がいるんだ」

彼はそう言った。泣いているような声で前置きも脈絡もなく呟かれた言葉は、なぜかひどく早野の胸に突き刺さった。
それは彼の姿に自分を重ねたからかも知れないし、彼の言葉に自分の想いを重ねたからかも知れない。

「死体、いっぱい見たんだ。死ぬとこも見た」
「…うん」
「だから、…死にたくないけど、生き残れるなんて思ってない。生き残ろうなんて、思ってない」
「そう」

彼が空を仰ぐ。早野もつられて空を見た。
どこまでも広がる空は世界中すべての場所と繋がっていて、だからこんな狭い島の中の尾形の見る空だって、自分が見ているこの空と同じものだ。そう思うと、少し安心した。

「もう一度だけ会って、伝えたいことがあるんだ。それ、言えたら、もう」
「俺も、…いるよ。会いたい人」
「そうなの?」
「うん。会えないけど、会いたい人、いるよ」

尾形に会えないまま、おそらく自分は死ぬだろう。プログラム向きな性格でないのは早野だってそうだ。
けれど会いたい人がいて、伝えたい言葉がある。せめて想いだけでも伝えられたら、死ぬことをきちんと受け入れられるのに。
早野が呟くと、目の前の少年は少し笑った。優しそうに笑った。

馬鹿みたいだと思う。
こんな話を、こんな風に、こんな面識のない人間相手に語るなんて。
それでも早野は少年に笑い返した。
プログラムに参加させられるまでの、ほんの数十時間前までは普通に笑っていたはずなのに、もう何十年と笑っていなかったように感じて胸が痛む。
笑った所為で細められた瞳から、何かが滲んだような気がした。

「…変なの、俺ら」
「うん」
「でも、悪くねえよな」
「そう、だな」

顔を見合わせて微笑む。

「会えるよ。きっと」
「うん」
「会いたいなら、会えるよ」

途方もない言葉に聞こえた。
無理だよ、と誰かが早野の頭の中で嗤ったけれど、その誰だかには頭の中で蹴りをいれて、途方もない言葉で微笑んだ少年に早野はとびきり優しく微笑んだ。

「だといいな」

    

    

ああ、今あなたはどこにいるんでしょう。
話すことも触れることも叶わないまま、時間ばかりが過ぎていって、あなたの顔も忘れてしまいそうです。
このまま会えないということが運命ですか。定められて決められた、俺の運命ですか。
それに逆らうことは出来ないんでしょうか。

でも。

終わりが来てしまうなら、もう少しだけの時間をください。
あなたの顔を忘れないうちは、俺は俺でいられるから。
俺のままで、もう一度だけ、あなたに会わせてください。

滑稽だと愚かだと笑われても、早野はそれを必死で願っていた。

                        

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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