第四十六話 安息への扉 |
もうどれくらい歩いてきたのだろう。 履き古した靴は踵がすり減り、森の中の歩きにくさに拍車をかける。 降っては止み、降っては止み、を繰り返していた雨の所為でぬかるんだ地面は、足下を薄汚く汚していく。 それを見て、プログラムに汚されていく自分たちを象徴しているようだ、と、潤慶は思った。 歩き疲れて、それでも歩いて、歩き続けて。一体あとどれくらい歩き続ければ、安息は訪れるだろう。 会いたかった人たちは無事でいるだろうか。
時間は刻々と過ぎていき、死体の数と人殺しの数は比例するように増えていった。
菫色に変わった空に、白い粒が散らばる。 ぴんぽんぱんぽーん。 放送の開始を告げる、軽快な音が鳴った。 『こんばんは、みんな。少し遅くなっちゃったけど、死んでしまった子の名前を読み上げます。放送の間もちゃんと周りに気を配ってね。結構無防備になっちゃうんだから』 くすくす、と楽しそうな感じが癇に障った。 『順番に、笠井くん、風祭くんと天城くん。それから辰巳くんに…直樹。二日目で隠れるのがうまくなっちゃったのかしら。リタイアした子の数が減っているわね。もっと頑張らないと、測定不能でプログラムを中止してみーんなボン!ってなっちゃうかもしれないわよ』 放送を行う理由は簡単に想像がついた。 「…っ!」 放送が終わらない内に潤慶の視界を何かが掠めた。 「…何すんの!」 構えたのはありきたりな拳銃。 『みんな、殺すことが悪いことだと思っているのかしら。仕方ないのよ、生きる為だもの。戦って勝つ為には点を取りに行くでしょう?でも取られた方は負けに一歩近づくのよ。それは悪いことじゃないでしょう?』 薄皮一枚隔てたように、少し遠くから聞こえる、西園寺の声。 「痛くない?足」 激痛が鈍痛に変わる。 『勝つか負けるか、どちらかしかないの。試合と一緒だわ。負けたくないから勝ちに行く。死にたくないから殺しに行く。わかるわね?』 がつ、という音と共に手から力が抜ける。殴られた瞬間、痛いと感じた訳でもないのに潤慶の拳銃は持ち主の手から離れて地面へと落ちた。鈍痛に変わったのは、決して身体の状態が好転した訳ではないのだとその時悟る。 「僕ね、君の顔すごく好きなんだ」 へえ、ヨンサ目当てなんだ?お前。 「ん、ぐぅっ…!」 放送は尚続いていたけれど、潤慶の耳にはもう情報として入ってはこなかった。 「泣いた顔が見たいんだ、僕。痛いって叫んで泣いて見せて。君は彼じゃないけど、同じ顔してるんだから」 狂気にまみれた薄い笑み。鎌の刃が潤慶の腹を撫でる。ちくりと痛みが走って、それからすぐ鋭い痛みに変わった。 こんな死に方は、嫌だ。 「もっともっと痛がって。声を挙げて泣いて。僕が優しく殺してあげる」 絶対絶命の最悪な状況で死を覚悟した時、脳裏に浮かんだのは大切な人たちの顔だった。 最後の抵抗とばかりに喉の奥まで突っ込まれていた拳銃をどうにか吐き出そうと藻掻く。 殺される。 そう思ったら、なんだかもう、すべてがどうでも良いことのように思えた。 「そう…大人しくしてて。イイコだね。すぐに楽にしてあげる…」 にっこりと邪気のない笑顔を浮かべる少年は、まるで悪魔のように命を刈り取っていく。
歩き続けて辿り着く安息への扉は、死の鍵をもって開かれる。
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第四十七話 嘘だと言って。 |
伝えられた情報を、理解し、認識した瞬間、息が止まった。 突き付けられた事実を、事実として受け止めることは、三上にとってひどく困難な作業だった。 覆るはずのない事実を、嘘であってくれればと必死で願った。 「…嘘」 放送でその名前が読み上げられた後、絞り出すように三上は呟いた。 「嘘だあ…」 もう一度呟く。 かたかたと震える体を隠しもせず三上が呟く。 「嘘、…嘘だ。何かの間違いじゃねえの…。だって辰巳が死ぬはず…」 言葉を失い、唇を噛みしめる三上の頬を、つ、と涙がこぼれた。すぐにそれに気付いてごしごしと目を擦るけれど、滲む涙は止まらなかった。 なぜあの時離れたのだろう。 誰か嘘だと言って欲しかった。 「…死ぬはずねえんだ。辰巳が死ぬ訳ねえ!だって、だってあいつは…!……っは、…げほっ、」 呼吸が何かに阻まれるように突っかかり、肺がひゅーひゅーと鳴った。 「あき、あき!おい、大丈夫か!?」 その言葉にも三上の返事はない。しんとした室内には、一馬の切羽詰まった声と三上の苦しそうな呼吸が響くだけだ。 「あき!!」 意識を手放すことで、突き付けられた現実から目を背けるように三上は倒れ込んだ。 「なんでだよ…ちくしょう、なんであいつが…っ」 愚問だとわかっていた。けれど、それでも思わずにはいられなかった。
真っ暗な闇。音もなく、一筋の光もない闇。 誰の? …わからない。 呼んだ名前がわからず今度は、助けて、とだけ呟いた。
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第四十八話 鎌を持った悪魔 |
力いっぱい拳を握り締めた。指先が白くなるほどの力で、握り締めた。 そうでもしなければ、自分はとっくの昔に壊れてしまっていた。
配給された武器は、武器の形をしてはいなかった。 スイッチを入れても数分間、何の音もしなかった。不良品?と首を傾げていた水野に音が届いたのはしばらく経ってからだった。 ピー、と音が鳴る。 走れば。 何に間に合うとか、その場に行ってどうするとか、そんなことは何も考えていなかった。
びゅうびゅうと風が吹く。走る為に浅く繰り返す呼吸や風の音で、現場の音が少し聞き取りづらくなった。
背筋に、何か冷たいものが流れていくような感覚だった。 鎌を持った悪魔がそこにはいた。 力無く垂れ下がった腕と、どこを見るでもない虚ろな瞳。 「あれ、水野くん。久しぶり、元気だった?」 がちがちと歯が音を立てた。あからさまに異様な光景であるというのに、少年は普段と何ら変わらない笑みを浮かべて水野へ顔を向ける。 「今忙しいんだ、僕」 そう言って彼はまた、鎌を動かし始めた。 「何、やって…、杉原…」 水分の足りない喉で必死に言葉を紡ぐ。それがひどくしんどいのは喉の痛みの所為だろうか、眩暈を誘う光景の所為だろうか。 「…あ…」 頭と胴体。繋がっていることが当たり前の、そうでなければならない人間の身体。 「僕さ、この顔好きなんだ。郭くん見つからなかったし、だから代わりに」 何を言っているのか、水野には理解出来ない。 「でもほら、見てよ水野くん。この子やっぱり同じ顔してる。ほんとにそっくり」 嬉しそうに、嬉しそうに彼は笑う。 「ねえ、そう思わない?」 問いかけられて、水野の中で何かがはじけた。 「ふざけんな!お前自分が何してるかわかってるのか!?」 狂ってる、そう言いかけた唇が固まる。 「僕、自分のすることに口出しされるの嫌いなんだ」 火を噴いた拳銃は黒川から奪ったものだ。撃鉄を起こす必要のないそれは、制服のポケットの中、無造作に入っていた。 「ばいばい、水野くん。教室での君は格好良かったよ」 ただそれだけで、何の感銘も受けはしなかったけどね。
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第四十九話 尊ぶべき心 |
歩き疲れた。 溜め息は吐き飽きたし、放送は聞き飽きていた。銃声だってもううんざりだった。 虫けらのような扱いで死んでいく参加者たち。自分たちの意志で殺し合って生き抜いていくだけ、虫の方が自分たちよりずっとマシだったかもしれない。
真っ暗で色さえ判別出来ないような闇の中、不破は一人歩き続けた。随分長い間、彼は休むことなく歩き続け、プログラムを生き抜いてきた。 なぜかふと、音の源に触れてみたくなった。 「………」 背後から視線を感じる。誰かがそこにいるのだと、すぐにわかった。 「俺を殺すのか、小堤」 訊ねると、小堤はびくりと大仰に肩を揺らした。銃を向けられているのは不破のはずなのに、彼は怯えた顔で不破を見つめている。 「小堤」 口を開こうとした。 「…っ!」 反射的に目を閉じる。何かが爆発するような音が聞こえて、けれどそれからいつまで経っても不破に痛みは訪れなかった。 「小堤…?」 小さく名前を呼んだ。返事が返ってくることはなかった。それは小堤の命が絶たれたことを意味している。 「うわ、何これ、不破がやったの?」 振り返るとそこには藤代が立っていた。 「んな訳ないっか。…暴発する仕組みの銃だったんだ。あー俺そんなのにあたんなくてよかったー」 場違いに明るく、人懐こささえ感じさせる声音。それは以前の彼のままだ、けれど中身はもう、以前の藤代ではない。 「俺は、どうすればいい?」 『乗った側の人間』を見た。 「お前は、お前は人の命を何だと思っているんだ」 殴りつけると手が痛んだ。同時に心が痛みに悲鳴をあげた。 「俺の勝ち」 にっと笑んだ彼は、不破の腹に刺したナイフをぐるりと回し、肉を剔った。 「結構不破ってそーゆーのアツイのな。でもそれってさ、このゲームじゃ命取りだぜ」 嘲るような笑みを藤代は浮かべていた。不破は藤代が自分を押しのけて立ち上がるのをただ見ていることしか出来なかった。
「……っ」 腹に刺さったナイフを、意を決して引き抜いた。 砂を掘る。力の入らない腕で、それでも必死になって砂を掘った。 「俺には、こんなことくらいしかしてやれない」 砂の中に小堤を横たえさせる。胸で手を組ませようとしたけれど、硬直した身体はうまく動かせなくて、仕方なく目だけを閉じさせた。
人一人の命を、彼は最期まで大切にし続けた。
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第五十話 運命に牙を剥け |
物事には必ず終わりがくる。 それは運命という形ですべて決められているのだろうか。 自分たちは、すべて決められた枠組みの中で踊らされているだけの、ただのマリオネットでしかないのだろうか。 だとしたら。
「あーあ…」 全身打撲に裂傷。早野の身体に痛くない場所なんてなかった。 「…最悪だ」 と、愚痴をこぼした。 「だ、大丈夫かよ…」 その言葉に顔を上げると、武器が握られていると予想した手には何もなく、あって当然の猜疑心に満ちた言葉は、早野を気遣う言葉となって降ってきた。 「ころさ、ないのか?」 いくつかの言葉が早野の脳裏に浮かび、消えていく。結局口をついて出たのはそんな素朴な疑問だった。 「別に、…勝ち残る気ねえから、俺」 哀しそうに呟いた言葉に、早野はなぜか、自分がひどいことを訊ねたような気分になった。なんとなく気まずくなって視線を逸らす。
沈黙が流れ、そして続いた。 「会いたい奴がいるんだ」 彼はそう言った。泣いているような声で前置きも脈絡もなく呟かれた言葉は、なぜかひどく早野の胸に突き刺さった。 「死体、いっぱい見たんだ。死ぬとこも見た」 彼が空を仰ぐ。早野もつられて空を見た。 「もう一度だけ会って、伝えたいことがあるんだ。それ、言えたら、もう」 尾形に会えないまま、おそらく自分は死ぬだろう。プログラム向きな性格でないのは早野だってそうだ。 馬鹿みたいだと思う。 「…変なの、俺ら」 顔を見合わせて微笑む。 「会えるよ。きっと」 途方もない言葉に聞こえた。 「だといいな」
ああ、今あなたはどこにいるんでしょう。 でも。 終わりが来てしまうなら、もう少しだけの時間をください。 滑稽だと愚かだと笑われても、早野はそれを必死で願っていた。
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