第五十一話 約束
小さな子供のように怯えた目をして、かたかたと身体を奮わせて、結人はぽろぽろと涙を流した。
見ている英士の胸が張り裂けそうなほど、ひどく幼い仕草で英士に縋ってきた。

安心しなよ。
ずっと一緒にいたでしょ?俺たち。約束したじゃない、いつでも一緒だって。
何があっても一緒にいたし、これからだって何があっても一緒にいるって、そんなの、そんなの言わなくたってわかってるでしょ?
幾つになっても変わらないね。ほんと、世話がかかるったら。

世話がかかると溜め息を吐きながら、それでも自分に縋る結人を愛おしく思う。
大人ぶった仮面をかなぐり捨てた結人を知るのは、ごく僅かな人間だけだと知っているから。

    

     

ひっきりなしに泣き続ける結人を英士は根気強くなぐさめ続け、気付けばプログラムが始まって二度目の夜がやってきていた。
一馬たちの元へ行けるような状態ではなかったけれど、無防備に姿をさらしている訳にもいかず、英士たちは森に入る手前の生い茂る草むらの中にいた。
大丈夫だよ、と何度口にしたかわからない。ただ呪文のように繰り返し繰り返して結人に言い聞かせる。
普段どれほど辛いことや苦しいこと、悔しいことがあっても、結人はこんな風に泣きじゃくったりはしない。堪えきれず涙を流しても、人に見られないようにさっさと拭ってしまうような性格だ。
けれど今は勝手が違う。今はプログラムという殺し合いの最中で、襲われ、結果人を殺してしまったという罪悪感や負い目、死と隣り合わせの中の孤独感。それらすべてが重くのしかかっているのだ。
だから、結人がどれだけ泣いても、子供のように縋り付いても、英士にそれを責めることは出来ない。自分は結人の親友で、彼の痛みや苦しみを取り除いてやりたいと思うからだ。
そう。泣ける場所くらい、自分が作ってやる。

「結人、あんまり泣くと熱出るよ」
「うん」
「ほら、鼻水も出てる」
「ん…」

小さな頃からそうだったように、傍目から見れば一馬の方がずっと手がかかりそうに見えるけれど、そして自分はいつもそれをフォローする役回りだけれども、本当は結人だって相当手がかかる。表面だけちゃんとしている分、一馬より結人の方が厄介だ。
一馬と違って、周りに、あいつは大丈夫だ、と放任される分だけ、結人にのしかかるプレッシャーが増えていく。そしてその分だけ、内輪に見せる幼さは増長していった。それを英士は自分たちが特別だと言われているようで好ましく思っていたけれど。
今の結人にプレッシャーをかける必要はないし、どれだけ幼い部分をさらけ出してもそれを英士は受け止めてやるつもりだった。
よしよし、と髪を撫でると、ふわふわとした柔らかい髪の毛の表面は、夜の風にさらされて少しひんやりと感じた。

「お腹減ってない?ちゃんと食べた?」
「…ん」
「そろそろ頭痛くなってきたでしょ」
「痛い…」
「もう…」

本当に世話がやける、と心の中で思った。
しゃくり上げながら泣いている所為でうまくしゃべることさえ出来ない。心配になって、少し苦しそうな表情を浮かべる結人の額に触れる。少し冷えた英士自身の手の温度を差し引いても、結人の額は熱かった。

「俺にもたれなよ」
「えーし…」
「いいから、ほら」

どこかもたれる先があるだけでも違うだろう、と、結人を引き寄せる。横にさせようかとも思ったけれど、咳き込んでしまう可能性を感じて、肩を貸すだけに留めた。
もたれかかった結人の体温はとても高い。苦しそうに吐き出す吐息も熱かった。

「なあ」

静寂の中、不意に結人が口を開いた。

「ごめん、な」
「何が?」

何に対して謝られているのかわからず、戸惑う。肩を貸している所為で結人の表情は見えない。
返事を返さない結人にもう一度、どうしたの?と訊ねると、

「ごめん、なさい…っ」

そう言ってまた声をあげて泣き出した。
言葉を探して黙っていると、今度は結人の方から口を開く。

「…ありがとう…っ」

謝罪と感謝の言葉だ。けれど、決してそれだけではない、何かが込められた言葉だった。
名前を呼んで、結人の表情を見ようと身体を動かす。英士がそれを行うより先に、結人が抱きついてきた。

「結人?」
「……」

熱い身体。淋しそうな声。何かひどく、胸がざわめく。

「ゆう……っうわ、」

どん、と突き放される。力いっぱい、と言うには少し頼りない力で英士を押し返して、結人は英士に言った。

「ばいばいっ」

突然のことにうまく対処が出来なくて呆然と結人を見つめる。結人は一瞬、哀しそうに笑って、すぐに立ち上がり、駆けだした。
追わなければと思って、数秒のタイムラグの後英士も立ち上がり、走り出す。
今までも見てきた結人の背中が、今までで一番遠く感じた。走っても走っても、なぜか距離は縮まらない。こんなに結人って足が速かったっけ、と必死に走る身体とは別の場所でぼんやり考えた。
熱や頭痛は走るにはしんどいだろうに、追いかけっこに終わりは見えない。けれど追うことを止める訳にはいかないのだ。

    

     

どれくらい走っただろう。結人を追いかけて走り続け、脇腹に痛みを感じるほどに走り続け、不意に結人は立ち止まった。
振り返る結人。結人の背に、紺色が広がっていた。

「結人…?」
「おっかけてくんの、反則だよ英士」
「危ないでしょ、そんなとこいたら!」
「危なくなんかないよ。落ちても、…死ぬだけ」

結人はそう言ってちらりと背後の崖を見やった。
簡単に吐き出されたその台詞に英士が眉を顰めると、結人は弱々しく笑って、英士は来ちゃだめだよ、と言った。
ざわざわと胸が波立つ。それは走ったからだとか、そういう感じではないざわつきだ。

「ばいばいって言ったじゃん」
「……」
「ごめんって、ありがとうって言ったよ」
「…うん」
「俺生き残る気ないし、一馬や亮や潤慶に会わせる顔もない。もう、英士に会えただけで、…充分」
「何言ってるの、そんな、」
「英士が赦してくれたから、もういいんだ。だから、…ばいばい」
「待っ…!」

英士から視線を外して、結人は地面を蹴った。
それは呆気ないくらい、一瞬の出来事だった。普通なら、何もすることが出来ないほど、短い時間だった。
その瞬きする間の刹那に英士が追いつけたのは、反射神経でも、運動神経でも、何でもなくて。
きっと、きっとそれは。

    

    

ねえ。言ったはずだよ、約束したはずだよ、結人。
ずっと一緒で、ずっと、これからも一緒で、何年経ってもずっと一緒にいるんだって。

ねえ。それを勝手に破るつもり?

ねえ。そんなの、絶対に許さないからね。

             

                           

 

 

 

第五十二話 赤い花
飛び降りた先は崖だ。断崖絶壁の、そこへ飛べば命なんて跡形もなくなるような、そんな崖だった。
空に浮かぶ。地や壁、どこにも触れない不安定な感覚。自分は今から、この世とさよならをするんだ。
ごめんなさい。ありがとう。ばいばい。
言い残したことはなかった。残るような悔いは、その分代わりにお釣りがきた。
だから結人は、もう充分だと思った。    

一緒にいてくれた。
大丈夫だと言って頭を撫でてくれた。
赦されるはずのない俺を、英士は赦してくれたんだ。

だからもう、何もいらない。

         

手に何かの感触があった。手首を擦る岩肌が痛い。
そろそろと見上げると、心配そうな、少し怒ったような、そんな顔をした英士がいた。

「なん、なんで…?」

ぱちぱちと瞬きをして結人が訊ねると、すう、と息を吸い込む気配がした。
次いで、今まで聞いたこともないような大きな声で怒鳴られた。

「馬鹿結人!!」

必死に考えて出した結論を、馬鹿、の一言で終わらされる。
こっちはない頭捻って答え出したんだぞ、と思って口を開こうとしたけれど、それはぽつりと頬に落ちてきた水滴の所為で言葉になることはなかった。
思えば、泣くのはいつも自分や一馬ばかりで、英士の泣き顔を見たのはこれが初めてのような気がする。生きることは知ることの連続だ。あのまま死んでしまっていたら英士のこんな表情を見ることはなかったのだと思うと、今更ながら死ぬことが惜しくなってくる。もう決めたことだというのに。

「お前一人、死なせると思う?俺が、お前が死ぬのを、黙ってみてると思うの?」
「だ、だって」
「ほんとに馬鹿だよ結人。プログラムの中だって、結人が人殺したって、そんなので俺らの関係が変わる訳ないって、どうしてわからないの」
「……」
「殺し合わなくたって生きていられるよ。俺はぎりぎりまで一緒に生きてたい。結人とみんなと、生きてたい。それで最期に、笑って、…一緒に死ぬんだ」
「英士…」

綺麗な綺麗な理想だった。けれど自分はもう一人で死ぬと決めていたし、今更彼らの前に平気な顔をして出てはいけない。
だから、英士の言う理想を結人は望まない。ふるふると首を振って英士を見た。

「…無理、だよ。なあ、だから、もう手を離して」

人一人の体重を支え続けるには条件の悪い場所だ。英士の負担にはなりたくない。死ぬのは自分だけでいい。
まだ『これから』のある英士を、これ以上自分のために使ってはいけない。

「離して。…離せよ!」
「…どうしても、だめだって、言うの?」
「……離して、英士…」
「…なら、…俺もここで死ぬよ」

そう言って、必死そうに結人を支えていた英士の腕に力がこめられ、結人の身体が持ち上げられた。宙づりにされていた結人の身体を引き寄せるようにして、それから彼は地面を蹴る。
何を考えているのだろう。自分に付き合って英士が死ぬ必要なんて、どこにもないはずなのに。
掴んだままの手だけが、結人と英士を繋げていた。

「馬鹿結人」
「馬鹿じゃねえよ」
「馬鹿で充分だよ」
「馬鹿英士」
「結人の馬鹿が移ったんでしょ」

真っ逆様に落ちていく身体は、腕一本動かすのも大変なのに、それでも英士は結人を引き寄せて力いっぱい抱きしめた。
抱きしめられた身体は泣きたくなるくらいあたたかくて、痛いくらい優しかった。
あとどれくらいの間話せるのだろう。どれくらいの間、自分は英士といられるのだろう。そう考えると涙が溢れてきた。

死んでしまう前に、言わなければいけない言葉があると思った。
笑いながら、泣きながら、真っ逆様に落ちながら、だけど伝えなければ、死んでも死にきれない。
空気と重力の抵抗の中、結人は必死に口を開いた。

「俺、…俺さあ、お前らと…お前と友達でよかった…っ」

お前と親友でいられて、本当によかった。

    

    

結人たちの身体が叩き付けられたのはごつごつとした岩場だった。
時折波が打ち寄せる以外は何もない、墓場にしてはひどく殺風景な場所だった。けれど叩き付けられた時に跳ね飛んだ血だけが、その景色に浮いて存在を主張している。

それは、死者に手向けられるには少し毒々しい色の花だった。
そこにあった感情に捧げられる献花としても不似合いに赤黒い色をしていた。

               

                           

 

 

 

第五十三話 もう、立てない。
唐突に、はたり、と何かが伝い落ちる感触がした。
次いで、じわり、と視界が滲んでいった。

理由もなく、涙がこぼれていった。

     

胸騒ぎは現実になった。
中西と行動をしていたシゲにもたらされたのは捜し人の訃報だった。
捜し人をなくしたシゲは、代わりに捜し人の入れ物を捜そうと中西と別れた。
何か言いたそうな顔をしていたものの、彼はそれに対しては何も言わず、気を付けて、と言った。それにシゲは、会えるといいな、と笑って返し、離れた。
笑わなければ、大きな声をあげて泣き出してしまいそうだった。

目的地も何もなかった。ただ闇雲に歩いて、歩いて、歩き続けた。
冷静に考えればもっと上手な探し方があったのかもしれないけれど、今のシゲにはそんなものは浮かばなかったし、思考回路自体、働いてはいなかった。

「……」

    

会えんかもしれん。
覚悟はしとった。せやけど。

   

息を切らせて走り、しばらくの後、げほげほと咳き込んで立ち止まる。普段ならこの程度の運動量で咳き込んだりはしないのに。やはり身体は正直だ、とぼんやり思う。
汗を拭おうと額を袖口で拭いて、ふと気付く。頬に汗でない水が伝っていたことに。
泣くことなどとうの昔に忘れたと思っていた。それほど、自分は今、余裕がないのだろうか。

    

直樹はどこや。どこにおんねん、あいつ。
お前のみっともないとこ見て、腹かかえて笑ったるから、どこにおるんか言え。
えらい疲れたわ。どんだけ捜した思ってんねん。

なあ。
もうお願いやから、どこにおるんか、教えて。

    

「大丈夫か?」

いきなりかけられた声に、反射的にシゲは身構える。
人を気遣う余裕のある人間がこの島にいる訳がない。それはシゲの思いこみかも知れないけれど、とにかく自分は、死体でも何でも直樹に会うまでは死ぬ訳にはいかないのだ。
声の主を視界に捉えると、彼は少し困ったような微苦笑を浮かべていた。

「しぶ、さわ…」
「そんなに警戒しないでくれよ、佐藤」

渋沢は穏やかな笑顔で話しかける。鉄壁のキャプテンスマイルはここでも健在だとでも言うように。
けれどその笑顔の裏に何を隠しているかわからない。裏の裏まで疑わなければ、そこでゲームオーバーだ。
それでもそう考えることの後ろめたさからか、なんとなく顔を直視することが出来なくて、シゲは視線を足下に落とした。

「なんでこないなとこおんねん」
「…さがしものの途中なんだ」

顔を上げる。いつもと変わらない声音と笑顔がそこにはあった。シゲの中にあった猜疑心は、それで消えてしまった。
捜しているのだ、渋沢も。何か、きっととても大切な人を。
そう思ったらまた、泣きそうになっている自分がいた。

「見つかるとええな」
「見つけたよ。俺は障害をさがしていたんだ」
「…え?」

気付いた時には、もう遅かった。
彼が武器を持っていることや、自分を殺す気だということに気付いた時には、もう。

    

死ぬのか。
このまま、死体にさえ会えないまま、死ぬのか?
またな、と言われ、次を作ると足掻いた。
訃報にすべての希望を奪われて、それでも勝手な口約束の『もう一度』を作ろうと走ったのに。

…このまま、死ぬの?

    

「嫌や!!!」

持っていたカバンを投げつける。渋沢の持つ刀が揺れ、狙いはずれた。怯む渋沢から逃れようと背を向けた。武器はカバンの中、シゲに応戦は出来ない。
武器を手にしていなかったことが、敗因だった。

「う、…っああ!」

ざ、と音が身体に響く。切られたのだと直感的に理解した。
踏ん張ることも出来ずにそのまま倒れ込むと、何度となく背中を切り裂かれた。痛いと口にするだけの余裕さえ与えられることなく、ひゅーひゅー、と音を立てて息をして、襲いかかってくる痛みに耐える。
ただ、耐えることさえ、長くは続きそうになかったけれど。

    

諦めたらそこで終わりやぞ。わかっとるんやろな?終わりなんやで、おーわーりー!
お前はこんなところで終わったらあかん。
立て。立て!シゲ!!
まだいけるやろ、立つんや!

    

どこかでぼんやりと懐かしい声がする。
聞きたかった声だ、会いたかった人の声だ、そう思うと痛みからではない涙がシゲの瞳からこぼれた。
立ち上がりたいのに立ち上がれない。自分の身体だというのに、シゲの身体は持ち主の言うことを聞いてはくれない。渋沢の振り下ろす刀も、シゲの願いを聞いてはくれなかった。

「………」

指先一つ、動かなかった。動こうとする意思さえ、その『入れ物』にはなかった。
それは死んだということ。
痛みが途切れ、思考が途絶える。
死とはそういうことだ。

会いたかった、死体でもいいと願ったのに。

    

     

刀を持つ、渋沢の手が止まった。ふう、と彼は息をつく。
命を奪うことに彼は慣れていた。罪悪感や背徳感に苛まれることも、もうほとんどなかった。ただ、ぽっかりと空虚だけを抱えていただけだ。
刀に滴る血を、ぴっと払うと、赤い玉が地面に散った。赤い花が咲いたようにも見える『それ』を、本当はただ汚いだけの『それ』を、彼は何度見ただろう。
眉根を寄せて、それからすぐに表情を消し、刀を鞘に収めた。それも、何度となく繰り返してきた作業だった。

      

     

立てないの。
もう、立てないの。
会いたかったのに。もう動けないの。死んでしまったから動けないの。
がんばったよ。出来る限りがんばったよ。泣きたかったけど、がんばったよ。泣きながらでも、がんばったの。
ねえ、がんばったから。だから怒らないで。

…おこらないで。

            

                           

 

 

 

第五十四話 昔、昔。
いつか、遠い昔の記憶。それはもう、お伽噺のような昔の記憶。
こんな血生臭い場所ではなくて、もっと柔らかくて、もっとあたたかい場所で聞いた。
聞かせてくれた相手はもう、この世のどこを捜してもいないけれど。

     

設楽の死体を捜して歩き回り、鳴海は海岸へとたどり着いた。設楽が好きだと言っていた海岸に、ひょっとしたらいるのでは、と仄かな期待を抱いて。
現実には設楽ではない死体と、少しだけ不自然に盛り上がった感じする砂地と、何か色の付いた、這いずったような跡があるだけだったけれど。
鳴海が思っていた以上にどこへ行っても死体は転がっていて、哀しくなった。

脳裏に浮かぶのは自分が手にかけた少年。
たとえ目を閉じていても浮かんでくるビジョンと、目の前の死体が重なる。
頭を振るけれど、それは鳴海が背負わなければならない罪だ。一生、死ぬまで逃れることは出来ない。

「…っ」

悔しさが込み上げて、鳴海は唇を噛んだ。強く噛んで、唇が切れる。その痛みでようやく自我を保っていられるような状況だった。

    

一瞬。何かに突き動かされるように、鳴海は身体を左へと傾けた。
それは一瞬。そして、それは自分ではない何かの力に因るような、そんな奇妙な動きだった。
ふと、さっきまで自分のいた場所を見る。何かがやってきた。砂に、ぼすん、と重たげな音を立ててそれは落ちた。

『斧』だ。

先ほど身体を動かして避けていなければ、確実に命はなかっただろう。命中率は、狙われた鳴海でさえ口笛を吹いてしまいそうなほど、しっかりと標的に向かって投げられていた。
振り返るとよく見知った人間が立っていた。    

『こいつ』が俺を殺そうとしていた?
『これ』で、俺を殺そうとしていた?

気がつけばズボンのポケットに入れていた銃を引っ張り出して引き金を引いていた。
けれど当たらない。虚しく宙を撃つ銃弾は決して相手を捉えたりはしなかった。
当たらないのは震えているからだ。震えてうまく当てられないのは、打ち抜いた後を知っているからだ。

「嫌だ、嫌だ…っ!」

男の癖に情けねえ、おそらく、プログラムに巻き込まれる前の鳴海であったなら、そう言って笑ったはずだ。
けれど『今』と『プログラムとは無関係だった時』とは違う。自分はすでに一度、打ち抜いた感触を知っている。怖ろしさを、知ってしまった。
死んでしまうことも怖ろしい。そして殺してしまうことは、もっと、ずっと怖ろしかった。

「嫌だああああああっ!!!」

目を硬く瞑り、がし、がし、とそれ自体が壊れてしまいそうなほど必死に鳴海は引き金を引き続けた。
叫び、その声に掻き消される銃声。カチカチっと軽い音がして弾切れを知らせても、引き金を引く指は止まらなかった。

     

ああ、もうだめだ。死ぬんだ。もう死ぬんだ、俺。
ああでも、もういいんだ。殺さないでいいんだ、俺。

ああだけど…、

     

「痛く、ない…?」

いつまで経っても襲ってこない痛みに、鳴海はおそるおそる目を開ける。
そうっと開いたその目を、今度は見開く羽目になった。

「え、うわ、おい、…っ藤代!!」

蹲るのは自分を襲おうとした人間だ。
けれど彼は自分の友人だった人だ。死んでしまうのには耐えきれないものがあって、鳴海は藤代の元へ駆け寄った。
苦渋の表情を浮かべ、痛みを必死に耐える様を見て、胸が痛む。藤代が抱えている痛みは自分の所為だ。
死に近しい人間独特の妙な雰囲気を醸し出しながら浅く息を繰り返す藤代は、それなのに鳴海をその視界に捉えると、なぜか安心したように微笑んだ。

「…よか、った…」

その響きは、本当に、心底安心したような声の響きで、鳴海は戸惑う。
何が良かったというのだろうか。自分はもうすぐ死んでしまうほどの傷を負っているというのに。
そして、その傷が、鳴海が負わせたというのに。

「なんでって、顔…してんな…っ、はは…」
「はは、じゃねえよっ!何考えて…っ」
「ごめん…。斧、さ、鳴海だって知ってたら、…なげ、っ投げる、つもりなんて、…なかったんだ」
「藤代…?」

力無い笑みを浮かべる藤代は、なぜかひどく哀しい気持ちにさせる。
そして同時に、怖い、と思った。

「暗く、てさ、…わかんなく、て。…あー…ほん、と、殺しちゃわ…なく、て…、よかっ…」
「何言ってんだよ、おい、なあ!!」

そっと伸ばされた手に思わず膝をつくと、辿々しい動作で抱きしめられた。

「…った…。す、きだ…ったよ、…言わ、なかっ…けど…っ」

いつもの笑顔だ。
普段からすれば少し強さが少ないけれど、いつも、普段藤代が浮かべているものと変わらない、人懐っこい笑顔だ。
それを見たら、ひどく泣きたい気分になって、事実、鳴海の目からはぼたぼたと涙がこぼれていった。

「ごめん、な」

鳴海を抱きしめていた藤代の腕が、そう言ってすぐ、ぽと、と地面に落ちた。操る者を無くしたマリオネットのような唐突さで、静寂は訪れた。
それは、藤代が死んだということを物語っていた。

    

どうしたらよかった?
どうしたらよかったのだろう。
斧を避けた後、銃を手に取らなければ、結末は変わっていた?
怯えてすくみ上がっていれば、こんな結末にならずに済んだというの?

そうだ。
思い出した。

一瞬、たった一瞬のこと過ぎて、そこまで反応出来なかったけれど。
確かに、確かにあの時藤代は、自分を見て、自分に、斧が当たりそうだったのを見て。

ひどく動揺していたんだ。

     

      

いつだったかももう記憶にはない。そんな遠い昔の記憶。
今おかれている状況からすれば、まるでお伽噺のように、現実味のない遠い記憶。

お前の悪いところは早とちりすることだよ。
いつか絶対それで痛い目見るから。
てゆか、痛い目見ないとわかんないタイプだよね、お前。
まあせいぜい気をつけなよ。

そう言って彼は笑った。
そして自分は、うるせえなあ、と言って笑った。
鮮明に思い返せるのは、もうそう言ってふざけあった人が、この世にいないからだろうか。
そう。今にして思えば、泣きそうなほど平和な時間の、残像。

     

     

お伽噺のような記憶と、突き付けられた想いを胸に抱えて。
事切れた元チームメイトの死体を腕に抱えて。

さあ、おれはどうしたらいいのでしょう。

               

                           

 

 

 

第五十五話 ブラインド
何も見えなかった。
ただ目の前の大切な人しか目に入らなかった。
それ以外のものなんて何も、見えなかったんだ。

        

シゲと別れた中西は、あちらこちらを様々に探し回っていた。そして、道とも言えない獣道にさしかかった時、ようやく彼は彼の大切な捜し人を見つけることが出来た。
最初、そこにいるのが誰かもわからなかった。二つの人影が見え、それは近づくにつれ、影ではなく人となった。生きて呼吸をしている人間。片方は顔くらいしか中西の記憶にはなかったけれど、もう片方の人間は中西が捜し続けていた人物、近藤に間違いなかった。

「離れろ」

声の届く位置に近づいた時、中西は開口一番にそう言った。殺気立っているのが傍にも自身にもわかるほどに中西の発した声は低かった。
近藤が呆然としたように中西を見る。なかにし、と口の動きだけで名前を呼んだのがわかった。
中西の言葉に、片方の少年は焦ったように両手を挙げる。おそらく、敵意はないというジェスチャーなのだろう。それくらいは中西にもわかったけれど、それだけで警戒を解けるほど余裕のある状態ではなかった。

「近藤から離れろっつってんの。わかんねえの?」
「ちょ、やめろよ中西!」
「やめない。お前死にたい訳?わかってんの?今おかれてる状況を」

びくり、と近藤は肩を揺らした。泣きそうな顔をしていた。
中西の嫌いな表情だ。彼が見せる表情の中で、中西が一番嫌いな表情を彼は浮かべていた。
思わず、ち、と舌打ちが漏れる。その音に触発されたように、近藤は中西の構えていた拳銃に手を伸ばした。

「馬鹿!あぶな…っ」
「!」

近藤は目を見開いた。次いで彼の身体はかたかたとまるで小動物か何かのように震え始める。なぜなら、その場に、その手元から、銃声が響いたからだった。

「大丈夫か近藤!」
「あ…っ、ああ…!」

発砲された弾が近藤には当たっていないことに安堵する。近藤が負っているのは足の傷だけで、これは今負ったものではない。そして傷も、命を脅かすには至らない程度のものだった。だから何も気に病むことはない。
そう、先ほどまで向き合っていた『誰か』が苦しそうに喘いだりしなければ。
咄嗟に近藤の頭を抑えて自身の胸元へと押しやり、彼の視界をまるごと遮る。
急所からは外れていた。狙いを定めて放った訳でなく事故による発砲だったから、それも当然かも知れなかったが。けれども決して浅いとは言い難い銃傷だ。それは途切れ途切れに聞こえる呻き声で察せられる。
薄茶を基調とした変わった配色の制服に、じわりじわりと滲んでいく紅い色。ひどく生々しく、中西の目に映った。そして直感的に見せられないと思う。近藤の頭を抑えていた手が、少し強張った。

「近藤。あいつ、武器持ってるか?」
「し、知らねえよそんなの…っ、けど、多分持ってな…」
「走るぞ!」

言うが早いか、近藤の手を掴んで中西は走り出した。未だ蹲って動けないでいる『誰だか』を置き去りにして。
そう。名前も知らない『誰か』だ。顔だって中西の記憶にはない。そんな誰かの安全や身体を心配する余裕なんてなかった。本当に大切なものを守るためには、見捨てて逃げることなんて些細な出来事だと必死で自分に言い聞かせる。
少しの抵抗が腕に伝わって、それでも強引に手を引っ張って走った。    

折り合いをつけなければいけないのだ。
何かを手にするためには相応の何かが必要で、それには他人の犠牲というものも含まれていて。
本当は助けてやりたいと思う理性と、安全が侵されることが怖ろしいと思う本能があった。
けれど結局は何を一番にもってくるかということだ。すべてに折り合いをつけるキーワードは、近藤を守りたいという願い。
だから、決して足を止めてはいけない。振り返ってはいけない。祈りにも似た途方もない願いを叶えるために。
自分の目には、近藤以外、見えていない。

…そんなことを俺が考えてたって知ったら、お前はらしくねえよって笑うのかな。

                        

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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