第六十一話 きみのもとへ |
ふらりふらり。 (上手く歩けない) はらりはらり。 ぐらりぐらり。
精神的なショックからか上手く歩けない状態で、それでもふらふらと尾形は森の中を歩いていた。 どうしていいかわからないのに、どうして生きているんだろう。 重い言葉。出来るなら日常で聞きたかった言葉。 握りしめたケイタイの機械的な文字だけでは立っていられない。 あんなに側にいたのに。 メールさえ来なければもう少し楽天的に、生きていてくれると思いこんで歩き続けられたかも知れない。 知らずにいたかった。出来るなら、ぎりぎりまで。 「……」 ふと思い出す。カバンの奥底、触れることもなかった支給武器。
躊躇。 けれど。 一瞬の葛藤の後、カバンの中を探り目的のものに触れた。 放送が流れてしまう。 取り出した銃は、無機質で冷たい、死の匂いのする機械だった。
愛してると書かれたメールなんて痛いだけだ。 今なら未だ。傷は少なくて済む。
「……自分で死のうとしたこと、咎めないでくれよな…」
痛いだけのメールは、哀しかったけれど、…本当は泣きたくなるくらい嬉しかった。 こめかみに銃口を当てて深呼吸をする。
…ガゥン!!
笑顔で迎えてなんて言わないけど、どうか冷たく追い返すことだけはしないで。
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第六十二話 ごめんね。 |
手に入れられればそれで良かった? 同じ顔ならそれで良かった? 違う。違ったはずだ。 ねじ曲がった恋愛感情。独占欲。支配欲。執着心。 なのに。 恐怖の色でしか見てくれなかった。 代わりでも良いから手に入れたかった。 愛してた。 それを表現する術を、奪われた。
「死んじゃえ」 楽になれるよ。生き残る気もないんでしょう、と無意識に笑みが浮かぶ。 死んでしまえばいい。 「嫌な役回り引き受けてあげるよ。僕が殺してあげる。君たちを」 爆風を浴びるのは二度目だった。多分。記憶が確かなら。 心だけでなく、身体も。 プログラムに馴染まなければ生き残れないと思った。 今はもう、人を殺しても浮かんでくるのは罪悪感だとか、そんな可愛らしい感情などではなくて、意味のない曖昧な笑みだけ。 人の形。手の形。繋いだ手。 苛々する。
その場に座り込みバッグを漁る。 それでも不思議と嫌悪感はなかった。 思い出される怯えた瞳。 それさえも愛おしかった。
愛してた。 嘘だ。違う。 愛してる。代わりでも。代わりではなくなっていたけれど。
すっかり色を失った唇を指でなぞる。口吻けても何の反応も返さない冷たい唇。 「もしプログラムじゃなかったら」 自分は道を間違えずに、こんなやり方などせずに、彼に相対出来ただろうか。 代わり。 歪んだ愛情しか表現できなかった。 もしも、もしも自分がこの繋いだ手の持ち主たちのようだったなら。 「もう、疲れた…」 どうでもいい気がした。 「…ごめんね」 最後の一言。抱きしめた、首だけの愛しい人に。 今はもう、本物より、愛おしい。 銃口をこめかみに。
たった一度だけ杉原が口にした謝罪の言葉。 ただ、魂の無くなった杉原の、杉原だった抜け殻からは。 一筋、涙が零れ落ちていた。
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第六十三話 史上最悪の再会 |
ざわざわ、ざわざわ。 何か、左胸の辺りがざわめく。 虫の知らせのような。警鐘のような。 とにかくざわざわと落ち着かない。 けれどどうすれば良いのかもわからず渋沢はため息を吐き出すだけに留めた。
大分扱いに慣れた日本刀と、奪った拳銃を握りしめて歩く。
無事でいてくれているだろうか。 わからない。
そうであることを祈ることくらいしか渋沢には出来ない。側にいないのだから。 畏れるだろうか。 泣かせて、しまうだろうか。 渋沢の手は後戻りの出来ない程度には血で染まっている。
誰かの気配。生きている、人の。 確実に息の根を止めなければ自滅する。 幾度か振り下ろし、確実に標的が事切れたことを確認する。
ざわざわざわざわ。 なぜと自問する。 人を殺すことが怖い訳ではない。 なのに。 指が何故か震える。 見知った人間だって殺した。殺してきた。 押さえつけようとしても決して治まることのない胸のざわつきはどんどんとひどくなっていく。
ぱきり。 そうか、わかった。 「…渋沢っ!!」
『ぴんぽんぱんぽーん。ちょっと早いけどお知らせです。生存参加者が残り2名となりました。さあ、後少しよ。がんばってね渋沢くん、』
『…三上くん』
場違いな明るい放送の声だけがその空間を支配していた。
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第五十九話 終わりの刻 |
「…渋沢っ!!」 叫んだ。離れた場所からでもわかるくらい見慣れた後ろ姿だった。
『ぴんぽんぱんぽーん』
唐突に響いた機械越しの音声。足を引きずりながら走って、走った先。
『ちょっと早いけどお知らせです。生存参加者が残り2名となりました。』
刀。人。血。死体。 固まったように動けない三上の、少しだけ長く伸びた前髪が風に靡く。
『さあ、後少しよ。がんばってね渋沢くん、…三上くん』
放送の声はなぜかひどく明るい。その所為か現実感がなかった。 「み、かみ…」 そのまましばらく経ってようやく、本当に絞り出したような感じの声が渋沢の口から零れた。 「…何やってんのお前…」 何を言おうとか考えられなかった。 がた、と刀が落ちる音。 「……お前にだけは、…見られたくなかったよ」 聞き取れない程小さく、渋沢が呟いた。 「なんでこんな…」 喉がからからに渇いていた。声を出すのも一苦労するくらいに。 流れる沈黙。先に口を開いたのは渋沢だった。 「なんで、なんて愚問だろう?これはプログラムなんだ三上。だから殺される前に殺す。生き残る為に。違うか?」 「…最後に生き残るのは、俺だ」 突き付けられる言葉。冷たささえ感じられる言葉の羅列。 「じゃあ、じゃあなんで泣いてんだよお前…っ」 叫んだら、その拍子に自分の目からも涙が零れた。先ほどまで泣きたくても泣けなかったのに、堰を切ったようにそれは溢れだした。 けれど。 曇った瞳。顰めた眉。嘘の下手な声音。 目尻から伝う涙も。 「馬鹿だよお前…俺に隠し事出来た試しなんかないくせに」 涙の筋。少し冷たくなった頬に触れる。哀しくて切なくて胸が張り裂けそうだった。 「…ごめん」 また。 「さよならだ三上」 なぜそんなに穏やかに笑えるのだろう。 わかる訳が、ないんだ。 「みか…っ?」 渋沢がズボンから取り出そうとした銃を奪い取る。 「三上…っ!!!」 銃弾が自分の身体に撃ち込まれる瞬間、目を閉じた。 不思議と、痛いとはあんまり感じなかった。
「嘘だろう…っ!?」 上腹部からの失血。吹き出した血。見慣れたものだった。特に気にもならなかった。 ひたり、動脈に手を添える。 「監督!監督!!聞こえているんでしょう、西園寺監督!三上を、…三上を助けてください…っ!!」 無茶な注文だった。
生きて。 生きているのに。
生きて、…?
はたと気付いた。 そうだ。 「本当に、さよならだ…」 どうか生きて。 気を失いかける。 未だ駄目だ。 (どうか、生きて) …次の瞬間、渋沢の意識はもうなかった。
「まったく…馬鹿なことをするのね…」 『上』の人間から割り当てられた部下に指示を飛ばす。 恐らく部下達の目には勝利者のいないプログラムの監督などと言う不名誉な称号を受けたくないから慌てているのだと。 けれどそれだけではなかった。死なせたくなかったのだ。 それは過去の自分と重ねていたからだと思う。 そうはならないで。 自分のようにはならないで。 利己主義甚だしい私事ではあったけれど、そのためだけに『これ』を仕立て上げた。 違う。 本当は殺して欲しかった。 祈るような気持ちで無事を願う。
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第六十五話 白の箱庭 |
どうして自分を簡単に捨てられるのか。 どうして簡単に他人を優先できるのか。 どうして死を前にして笑っていられるのか。 わからない。どれだけ考えたってわからない。 わかる訳がない。 それは自分が優先されてしまったから。
それは衝動だった。 生きてと泣きながら笑んだ人の影が、 痛い。 だから逃げた。 怖くて、見ていたくなくて、耐えられなくなって、逃げた。 生きて、生きて、と。 望まれたけれど。 出来る訳がない。 もう壊れてしまいそう。 ここは孤独だ。 ひとり、ぼっち。
『あ、出て参りました!今回のプログラムの優勝者です!!○年度第○○回プログラム、優勝者が公開されました!!』
(笑え) (笑うんだ)
人の声が上手く聞こえない。 笑え? 何が可笑しくて笑うんだろう。
(笑えと言っている) (わら、え)
『プログラム参加人数は31名、所要時間は………』
はたり。 はたり。 向けられた好奇の目線。 はたりはたり。はたはた。 止まらない。涙が止まらない。
返して。 返してくれ。 何も要らないから。
なぜ自分は生きているのか。 なぜ生きろと言うの。
消えてなくなることが出来るなら本当に消えてしまいたかった。
カメラのフラッシュ。騒音。レポーターの騒がしい声。
静かにして。そっとしておいて。
迷路の出口は永久に閉ざされたまま。
意識を手放すのは簡単だった。
ひとりぼっち。 ひとりぼっちで。 そこはひどく空虚だった。
数ヶ月後。 三十の墓標が並ぶ白く白い花々に埋め尽くされた場所があった。 それでも。 彼は薄く笑んで、淋しそうに哀しそうに微笑んで、 …彼は生きていた。
ここはひどく空虚で、ひどく淋しいけれど。 もう何も、なくすことはないんだ。
END
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