第一話 それは、始まり。 |
泣いて叫んで縋り付いて。それでどうにかなるほど甘くはなかった。 「おめでとうございます。あなたたちは今年度バトルロワイヤルの参加者に選ばれました」 殺されるのは嫌だ。 殺されるのは嫌だ。 神に祈りをささげても、救いの手はやってこない。 そうして掴み取ったその明日に、どれだけの価値があるのかもわからないまま、選ばれたのだからと戦場へ放り出される。 「試合開始のホイッスルが鳴ったらこの教室を出て行ってください。生存者の途中棄権は認められません。勝者はたったひとりです。生き残ることが出来るのもひとりだけです。さあみなさん、がんばって殺し合いをして良い大人になりましょうね」 見たことも無い担当教官の張り付けたような笑顔に吐き気がした。
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第二話 現実 |
テレビのニュースがそれを伝えても、特に何の感情も浮かびはしなかった。 またか、と思いながらチャンネルを変えることはあっても、それに巻き込まれた人間がどんな気持ちでどんな痛みを負っているかなんて考えもしなかった。 そう。自分がそれに参加することになるなんて知らなかったから。自分とそれは、別次元のものだと思っていたから。 プログラムに参加してみて初めてわかる恐ろしさや苦しさ。追い詰められた状況で浮かぶ願いや想い、叶えたい夢、それは自分たちの目の前にぶら下げられた体の良い餌のようなものだ。 教室を出たのは名簿通り。一番から順に名前を呼ばれて教室を後にした。 冷たい風に乗って届く潮の香りはどこの海も変わらない。当たり前だけれども、夏に遊びに行った海も、殺人ゲームの舞台となるこの島の海も、同じ潮の香りがした。それがなぜか無性におかしく思えて、杉原はふふ、と笑った。 誰もこんなものに乗らなければいいと思う。 「まだ、死にたくない」 呟くと胸が少し痛んだ。 「こんな終わりは、嫌だ」 このまま会えなくなって、殺されて、それで自分の人生は終わる。何も伝えられないまま、自分の人生は終わりを迎える。 潮風に吹かれながら馳せたのは、叶うことのない願いの矛先。 頬を伝う涙を拭って唇を噛みしめる。泣いているような余裕があるのは、今だけだった。
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第三話 親友 |
火傷をしてしまいそうなほどの熱い眼差し。じりじりと照りつける真夏の太陽のように燃え盛った炎を宿した瞳は、奥底に悲しみを湛えて結人を見つめていた。 「俺のこと、っ殺す…気?」 言葉は意味のある音になっていただろうか。押しつぶされた喉の所為で声はひどく掠れてしまっている。 なぜ、彼はこんなにも悲しそうな瞳をしているのだろう。 骨の軋むような音が体に響く。掻き毟るように爪を立てて、必死でもがく。 「一馬…っ!」 名前を叫んだ。彼を理解してやれない自分への腹立たしさを込めた叫びでもあったそれは、結果的に結人を救うことになった。 「触んな!」 行き場を失った手が、ゆっくりと地面へ落ちる。 「…謝らないからな。結人を殺そうとしたこと、俺は謝らない」 離れていたはずの一馬の顔が、間近にある。首を絞めていた時と同じ強さで体を地面に押さえつけられた。 「今だって、殺してやりたいと思ってる」 一馬の言葉と一馬の涙が心に深く突き刺さる。 「…ごめん」 そろそろと手を伸ばし一馬の頬に触れる。何度かなぞって、首に腕を回して抱き寄せた。 「ごめん、一馬」 彼は、とても悲しい間違いをしていた。 「だから俺…っ」 一馬の匂い。熱い体。心臓の音。 「殺してでも俺のものにしたいって思った。英士なんかにやりたくないって、誰かに殺されるくらいなら俺がって、…絶対手に入んねーって知ってたからだよ!」 真っ直ぐで純粋な一馬はこんな時でさえも真っ直ぐだ。プログラムの中でも、狂気を宿していても、人を想っていても、真っ直ぐだ。 「…なあ一馬」 真っ直ぐでも純粋でもない結人は、本当はとてもひどい人間なのかもしれない。 「…俺を、あげよっか」 そう言って一馬の唇に口付ける。カサカサした一馬の唇は、やっぱり英士のものとは違って、なんだか物珍しく感じた。
さあ、親友を捨てよう。含みなく親友と言えた関係を捨てるんだ。 「…結人」 取引は成立した。 「だから泣かないで」 自己満足な償い。
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第四話 出来るなら、永遠を |
欲しいものなんてなかった。だって自分はとても恵まれていたし、不足に思う部分はすべて自分で補ってきた。 だから欲しいものも、切なる願いも、自分にはないと思っていた。 追い詰められてギリギリの崖っぷちに立たされて、それでようやく気づいた。 欲しいものは。
空は闇を纏い、星すら瞬くこともなく、まるで参加者の心情を映し出すかのように淀んでいた。 闇の中での行動は制限される。むやみやたらにうろつけるほど今の状況は芳しくない。RPGで言えばレベル1だ。最初の村の近辺ですら生きるか死ぬかのバトルを繰り広げるような。けれどこれはゲームではなくて、もちろん上原も先日買うだけ買ってきて未だ封を開けていない新作のゲームの主人公の訳はなくて、危なくなったらリセット、死んでしまったらコンティニュー、が通用するような仮想空間でもない。 夜風が腕を出した肌に堪える。もう夜には上着の必要な季節になっていた。 たかだか同じフィールドでボールを追いかけただけだ。同じ釜の飯を食ったチームメイトだってこの状況なら切り捨てるべきだろう。そうでなければ自分が死んでしまうのだから。 (目に見えたもので繋がったやつもいたけど) 体で繋いだ人がいた。
「みーつけた!」 頭上から降ってきた声に反射的に顔を上げる。上を見上げると真っ暗な空の手前にしっかりとした木の枝がゆらゆらと揺れていた。 「…桜庭」 プログラム中だというのに能天気に手を上げて笑って見せた。 「何やってんの桜庭。いつから猿になったんだよ」 かわいくない、と桜庭が呟く。尖らせた口元が可愛らしい、とぼんやり思う。そんな場合ではないのに。 「降りといでよ」 手を伸ばして彼を呼ぶ。降りておいでよ、と囁く。 「……」 あと少し。もう指先がか掠るほどの距離だ。けれどその距離が永遠に縮まらないように思えて上原はギリギリまで手を伸ばす。 「ごめん…」 腕の中に抱えこんだ桜庭が起き上がろうとするのを、動かないで、と呟いて制する。 「……ほんと、何やってんだろーな」 と呟いた。 「何やってるんだろね、桜庭」 抱きしめた身体は何度となく重ね合わせたものだ。何一つ変わらない。 プログラムとは殺し合いをすることだ。 思考を中断させたのは、自分の名を呼ぶ桜庭の声だった。 「…さく、らば?」 なんて顔をしているんだ、と言いかけて、口を閉ざす。 「ねえ、俺が、どうしてここにいたと思う?」 言葉を必死で遮る。言わないでくれ。言わなければ、自分の中の桜庭は普段の桜庭のままだ。 「俺、人を殺そうとしてた」 願いは、聞き届けられなかった。 「殺されんの、やだから。俺の武器、ボウガンだったから。木の上から、狙おうって、そう、思って」 ぽつり、ぽつり、語られる言葉。 「でも、最初に来たのお前なんだもん…やんなるよ」 桜庭の声は震えていた。泣いているのかもしれない。自分もやけに鼻の奥がツンとするから、泣いているのかもしれない。 「…で。殺すの?俺のこと」 唇を重ねると、それは特になんということはなく、いつもの桜庭のそれだった。 「…これってアオカン?」
何も欲しいものなんてなかった。ないと思っていた。
「…俺に、お前が、殺せ…る、と、思う…っ?」 途切れ途切れに吐く息に言霊を乗せるように吐き出された言葉。 少しだけ、切なくなった。
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第五話 翼折れるまで |
昔からよく言われていた言葉がある。 大人びてるねとか、しっかりしてるねとか、物事に動じなさそうだねとか。 あまりにも言われ続けていたから、そうなんだと思っていた。 言われた言葉をそのまま真実だと思い込んでいたんだ。 けれど、窮地に立たされてみて初めて知る。 大人と呼べるほど自分はどこもしっかりしていない。慌てることだってあるし、現に今だって逃げ出したい気持ちに駆られている。 そのことに、プログラムの中に放り出されてようやく気が付いた。
なぜだ、と問い質す必要性はなかった。その必要もないくらいには理解していた。選ばれるのは無差別で、選ばれてしまったらもうどうすることも出来ないのだと。 指先が白くなるほどに握り締めた右の手のひらを、ゆっくりと開いていく。 人は、人をどうやって殺すんだろう。 では。 殺されそうになれば、殺すかもしれない。 けれど、どうやって? 「…柾輝は、出来るのかな」 彼は強い。けれど彼は優しい。優しさは、こんなところでは弱みにしかならない。 あんなに、あんなに一緒だったのに。 大空高く飛び立てるように。 『翼』という名前をもらったけれど。 自分に許された空はこんなにも狭い。 名前負けもいいところだと、口の端だけで笑う。
風が止んだ。 「したいの?…殺し合い」 睨み付けた先の影がびくりと揺れる。
どんなに狭い空でも、自分は飛ぶ。 …そうしたら君に、もう一度くらい、会えるかな。
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