第一話 それは、始まり。

泣いて叫んで縋り付いて。それでどうにかなるほど甘くはなかった。
追い詰められたら鼠だって猫を咬むのに、牙を剥くことさえ自分たちには許されず、言われるがまま放り出された。
命を奪い、殺し合う戦場へと。  

「おめでとうございます。あなたたちは今年度バトルロワイヤルの参加者に選ばれました」

殺されるのは嫌だ。
まだやりたいことがある。
死にたくない。死ぬ訳にはいかない。願いや夢を、自分たちはこの手に持っている。
抱えきれないほどの、そんなキラキラした何かを、自分たちは大切に大切に握り締めてきたのに。

殺されるのは嫌だ。
やりたいこともやり残したことも山ほどある。
殺されてなんかやらない。
けれど、今自分たちが抱えているのは真っ暗な、闇のような絶望。キラキラしたものすべてがその闇に吸い込まれていく。

神に祈りをささげても、救いの手はやってこない。
なぜならこの世界の神は総統閣下で、その自分たちの神が叫ぶからだ。
命を奪い合え、殺し合え、明日が欲しければ力づくで奪い取れと叫ぶからだ。

そうして掴み取ったその明日に、どれだけの価値があるのかもわからないまま、選ばれたのだからと戦場へ放り出される。
少しだけ前の日々、共に笑った仲間と殺し合うために。
意味の見えない統計のためにだけに放り出されるこちら側の人間が、どれだけの痛みを負うかもお構いなしで。

「試合開始のホイッスルが鳴ったらこの教室を出て行ってください。生存者の途中棄権は認められません。勝者はたったひとりです。生き残ることが出来るのもひとりだけです。さあみなさん、がんばって殺し合いをして良い大人になりましょうね」

見たことも無い担当教官の張り付けたような笑顔に吐き気がした。

           

                           

 

 

 

第二話 現実
テレビのニュースがそれを伝えても、特に何の感情も浮かびはしなかった。
またか、と思いながらチャンネルを変えることはあっても、それに巻き込まれた人間がどんな気持ちでどんな痛みを負っているかなんて考えもしなかった。
そう。自分がそれに参加することになるなんて知らなかったから。自分とそれは、別次元のものだと思っていたから。
プログラムに参加してみて初めてわかる恐ろしさや苦しさ。追い詰められた状況で浮かぶ願いや想い、叶えたい夢、それは自分たちの目の前にぶら下げられた体の良い餌のようなものだ。

教室を出たのは名簿通り。一番から順に名前を呼ばれて教室を後にした。
しばらく経って、スギハラタキ、と名前が呼ばれた。慣れ親しんだその名前が、自分を指しているのでなければいいと強く思った。それは他の参加者も同じなのかもしれない。
否応なしに放り出されて持たされたカバンの中には人を殺すための道具が入っている。
明日を勝ち取るためには手にするしかない武器。そんなものに嫌悪を抱く暇もなく、威嚇射撃で学校から追い出されてしまった。
耳を劈くような銃声は心臓の鼓動をひどく早め、それと同時にこれが現実なのだと痛感させられた。
重みのあるカバンを抱え、肩に幾ばくかの負担をかけながら、それでも走った。もたもたしていて、校舎の出入り口に配置されている武装した軍人に殺されてはたまらない。
人間とは不思議なもので、これから起こることがどういうことかわかっていても、この先に死が待っていることも知っていても、少しでも長生きをしようと体が無意識に動くように出来ているらしい。
気がついたときには校舎の周りを取り囲むようにあった林を抜けて、海の見える場所に出ていた。

冷たい風に乗って届く潮の香りはどこの海も変わらない。当たり前だけれども、夏に遊びに行った海も、殺人ゲームの舞台となるこの島の海も、同じ潮の香りがした。それがなぜか無性におかしく思えて、杉原はふふ、と笑った。
そして笑った後、無意識に涙がこぼれた。

誰もこんなものに乗らなければいいと思う。
そうすれば誰も手を汚すことはないし、誰も殺さない。そして自分も誰かを殺さない。
けれど、それは無理だと杉原は知っている。
誰かが誰かを殺さなくても勝利者が出なければ参加者はすべて始末されるし、まずそういった事態にすらならない。
人は必ず何か犠牲を払い、それと引き換えに何かを得て、それを繰り返して生きていく生き物だ。
だから、仕方ない。この島にいる、自分の知っている誰かが武器を取って構えたとしても、それはもう、仕方のないことだ。けれど。
こんな何か、を納得することは出来ない。

「まだ、死にたくない」

呟くと胸が少し痛んだ。
それはプログラムにおいて、痛みを増幅させるだけの感情だと知っている。願いや想いは弱みや枷にしかならない。わかっていても尚焦がれるのは、極限の状況にあるからだ。プログラムゆえの切迫した状況が想いを強くさせる。痛みを生み、生きることを望ませる。そしてその感情が参加者に武器を取らせるのだ。

「こんな終わりは、嫌だ」

このまま会えなくなって、殺されて、それで自分の人生は終わる。何も伝えられないまま、自分の人生は終わりを迎える。
そんなのは嫌だ。
一度だけでいい。それが別れの言葉でもいい。好きだと言えなくてもいい。
最後でいいから。

潮風に吹かれながら馳せたのは、叶うことのない願いの矛先。
命をこれほど惜しんだことはなかった。想いなんていつか伝えればいいと思っていた。いつかがあると思っていたから。

頬を伝う涙を拭って唇を噛みしめる。泣いているような余裕があるのは、今だけだった。

               

                           

 

 

 

第三話 親友

火傷をしてしまいそうなほどの熱い眼差し。じりじりと照りつける真夏の太陽のように燃え盛った炎を宿した瞳は、奥底に悲しみを湛えて結人を見つめていた。
首に絡みつく指のせいで霞む視界の中、真っ直ぐな瞳の持ち主に必死で視線を合わせる。

「俺のこと、っ殺す…気?」

言葉は意味のある音になっていただろうか。押しつぶされた喉の所為で声はひどく掠れてしまっている。
躊躇いなく力の込められる指に、俺、こいつのなんだっけ、と悔しくなった。
大切な親友だった。かけがえのない仲間で、ずっと一緒にいて、家族なんかより強い絆があったのではなかったか。
それともそれは結人だけの勘違いで、彼にはそんなものはなかったのかもしれない。だから結人を殺そうとしているのかもしれない。
それは悲しいけれどこんな状況では仕方のないことだ。
けれどそれならば、何も校舎を出たすぐ近くの茂みにわざわざ危険を冒してまで自分を待ち伏せる必要はなかったはずだ。大勢の参加者の中の一人でしかない結人に対して、最初から明確な殺意があるのなら別だが、元々は親友だった人間にそこまでの殺意を抱かれるようなことがあるだろうか。
霞みがかった頭をフル回転させて考える。なぜ彼は自分を殺したいのだろうか。なぜ自分を待っていたのだろう。なぜこんなに躊躇なく首を絞められるのだろう。
なぜ。

なぜ、彼はこんなにも悲しそうな瞳をしているのだろう。

骨の軋むような音が体に響く。掻き毟るように爪を立てて、必死でもがく。
狂気を孕んだ、けれどとても悲しそうにも見える瞳。なぜ自分はその感情が読めないのだ。自分は、確かに、彼に一番近い場所にいたのではなかったのか。

「一馬…っ!」

名前を叫んだ。彼を理解してやれない自分への腹立たしさを込めた叫びでもあったそれは、結果的に結人を救うことになった。
口にした瞬間、絡み付いていた指は外された。急激に入り込んできた酸素を肺が処理できずに咳き込む。滲んだ涙もそのままに一馬を見ると、彼も涙を流していた。
目の前の人間は自分を殺そうとした人間だ。プログラムを取り仕切る政府の言葉を借りるなら、自分の敵だ。
けれど彼はそれ以前に自分の大切な人だ。自分の親友だ。その彼が、泣いている。
そう思ったら、半ば無意識に手を伸びていた。

「触んな!」

行き場を失った手が、ゆっくりと地面へ落ちる。
どうしていいのかわからず、もう一度名前を呼ぶと、一馬は結人の方を見ないまま話し出した。

「…謝らないからな。結人を殺そうとしたこと、俺は謝らない」
「一馬…」
「本気で殺そうとしてた。誰かに結人が殺されるのなんて許せないし、誰にも結人をやりたくなかった。結人が俺のものにならないこと知ってたから」

離れていたはずの一馬の顔が、間近にある。首を絞めていた時と同じ強さで体を地面に押さえつけられた。
見上げる一馬の顔は今まで見たことのないような表情をしている。まるで別人のようだ。

「今だって、殺してやりたいと思ってる」
「……」
「俺がそんなこと思ってるなんて知らなかった?嘘ばっか」
「ごめ、」
「何で謝るんだよ!怖い?俺が怖い?犯されそうだから?殺されそうだから?結人に乗っかってんのが、英士じゃないから?!」

一馬の言葉と一馬の涙が心に深く突き刺さる。
三人一緒に成長して、三人一緒にサッカーをやってきて、選抜合宿にも行って、三人一緒に遊んで、けれど本当に三人一緒だったかと言えばそうではないことも確かにあった。
自分は英士が好きだったし、英士が結人を抱いたことだって数え切れないほどだ。それを一馬は知らないものだと思っていた。けれど考えてみればすぐにわかることだった。誰よりも近い場所にいたのだ。そして自分は、一番近い場所で、一馬を傷つけていた。誰よりも大切だと言いながら、笑顔でずっと傷つけてきたのだ。

「…ごめん」

そろそろと手を伸ばし一馬の頬に触れる。何度かなぞって、首に腕を回して抱き寄せた。
どくんどくん、と心臓の鼓動が聞こえる。一馬とこんな風に触れ合ったのも、こんな風に心臓の鼓動を聞いたのも初めてだった。

「ごめん、一馬」
「…好きだったんだよ。結人が、英士を好きんなる前から」
「うん」
「言えなくて、言えないままいたら結人、英士のこと好きんなっちゃって、そしたらもっと言えなくなって、そのうち結人、ほんとに英士のもんになっちゃって、英士とばっか、仲良くなって」
「………」

彼は、とても悲しい間違いをしていた。
英士が結人を抱いたことに気づいていても、英士が結人を親友以上に思っていないことを、彼は知らない。
結人がどんな思いで英士と寝ていたかを知らない。英士がどんな思いで結人を抱いていたかを知らない。そういった意味で、彼は一番近い場所にありながら、一番遠い場所にいた。

「だから俺…っ」

一馬の匂い。熱い体。心臓の音。

「殺してでも俺のものにしたいって思った。英士なんかにやりたくないって、誰かに殺されるくらいなら俺がって、…絶対手に入んねーって知ってたからだよ!」

真っ直ぐで純粋な一馬はこんな時でさえも真っ直ぐだ。プログラムの中でも、狂気を宿していても、人を想っていても、真っ直ぐだ。
自分はそんなにも真っ直ぐではいられなかった。

「…なあ一馬」

真っ直ぐでも純粋でもない結人は、本当はとてもひどい人間なのかもしれない。
これから口にしようとしている言葉は、だってとてもひどい言葉だから。

「…俺を、あげよっか」
「は」
「だから俺を英士に会わせて。一緒に捜して、俺を守って」
「…結人?」
「何してもいーよ。どんなひどいことしてもいい。殺さないで、俺と一緒に英士を捜してくれれば、英士を見つけても、俺は死ぬまで一馬のもんになる」
「何言ってんだよ、結人…」
「取引、しようぜ」

そう言って一馬の唇に口付ける。カサカサした一馬の唇は、やっぱり英士のものとは違って、なんだか物珍しく感じた。

      

さあ、親友を捨てよう。含みなく親友と言えた関係を捨てるんだ。
プログラムでなければ彼と自分はこんな風になることはなかったけれど、自分と英士はずいぶんと前から含みなく親友とは呼べなくなっていて、自分たちの関係を何と言うのかすら、もうわからない。
昨日までとは違う場所に立っている自分たちは、それでも誰かを求めて彷徨い、もがく。

「…結人」
「なに?」
「好きって、言って」
「好きだよ、一馬」

取引は成立した。
自分にとって友情と愛情は紙一重の位置にある。だから英士を想う場所とは違うところで、一馬を本気で想おう。英士に使う場所とは違う場所を一馬で埋め尽くそう。
それが精一杯の一馬への想い。一馬への、

「だから泣かないで」

自己満足な償い。

               

                           

 

 

 

第四話 出来るなら、永遠を
欲しいものなんてなかった。だって自分はとても恵まれていたし、不足に思う部分はすべて自分で補ってきた。
だから欲しいものも、切なる願いも、自分にはないと思っていた。
追い詰められてギリギリの崖っぷちに立たされて、それでようやく気づいた。
欲しいものは。

      

空は闇を纏い、星すら瞬くこともなく、まるで参加者の心情を映し出すかのように淀んでいた。
ため息ばかりがこぼれる。
支給されたバッグの中の武器は殺傷能力のかけらもないハズレ武器だ。おまけに近づいてきた足音から逃げようと必死で走って、気づけばバッグの外側のポケットに入れていたはずの島の地図をどこかに落としてきてしまった。
身を守るような武器もなければ場所を把握する手段もない。これでは上原にどんな意思があろうと結果は目に見えていた。

闇の中での行動は制限される。むやみやたらにうろつけるほど今の状況は芳しくない。RPGで言えばレベル1だ。最初の村の近辺ですら生きるか死ぬかのバトルを繰り広げるような。けれどこれはゲームではなくて、もちろん上原も先日買うだけ買ってきて未だ封を開けていない新作のゲームの主人公の訳はなくて、危なくなったらリセット、死んでしまったらコンティニュー、が通用するような仮想空間でもない。
これは現実だ。

夜風が腕を出した肌に堪える。もう夜には上着の必要な季節になっていた。
冷たい風が体温を奪っていく感覚に、このまま凍死とかしたら、超いやだけど、超楽なのに、とぼんやり思う。
ここは直径たった数キロのこぢんまりとした島だ。けれど上原の知る限り、海を隔てたどんな場所よりも悲しい場所だった。
国や地域が変われば戦争をしている場所もあるだろう。何の謂れもない命が奪われることもあるだろう。
けれど、自分たちの知る限り、ここより悲しい場所はない。
相対すれば、躊躇う。一瞬かもしれないけれど、躊躇してしまう。その程度には心を許していた仲間たちと殺しあわなければならない。

たかだか同じフィールドでボールを追いかけただけだ。同じ釜の飯を食ったチームメイトだってこの状況なら切り捨てるべきだろう。そうでなければ自分が死んでしまうのだから。
けれど、本当にそうだろうか。
共に過ごしてきた中にあったはずだ。
どんな形かはわからないけれど、目に見えない絆のようなものが確かにあったはずだ。
それを、こんな状況だからって切り捨てるのは正しいことなのか?

(目に見えたもので繋がったやつもいたけど)

体で繋いだ人がいた。
キスをして、抱き合って、笑いあって、自分たちはまだ子供だったからそれを愛と呼ぶことはなかったけれど、とても深い絆で結ばれていたような気がした。
けれどそれは、この状況で何を生むというのだろう。
それは幼稚な恋人ごっこではなかったか。本当にそこに『何か』はあったのか。
血を分けた親子間でさえ起こる殺人事件。そんな殺伐とした世の中で、ましてプログラムなどという特異な状況下で、それはどれだけの意味を持つだろう。
それでも、何かを残していると信じたかった。
たった一筋の傷でよかった。自分が残した傷が、彼の中にあればよかった。それが本当に小さな傷でも、かさぶたにもならずに彼の中にあればよかったのにと思う。それを確かめる術を今の上原は持っていなかったけれど。

          

「みーつけた!」

頭上から降ってきた声に反射的に顔を上げる。上を見上げると真っ暗な空の手前にしっかりとした木の枝がゆらゆらと揺れていた。
ずいぶんと太い枝の持ち主はやはり想像通り幹自体もしっかりしている。枝に跨り、幹に背を預ける誰かがいる。
見つけた、と言った誰だかは、

「…桜庭」
「よっ」

プログラム中だというのに能天気に手を上げて笑って見せた。
その人物と笑顔にため息がこぼれる。それは安堵のだろうか、それとも。

「何やってんの桜庭。いつから猿になったんだよ」
「いや猿違うし」
「はいはい。で?」
「やだなあ、上原のこと待ってたのに」
「…どうせ迷った挙句誰かに見つかるのが怖くて木に登ってただけだろ」
「……なんでお見通しなの、お前」

かわいくない、と桜庭が呟く。尖らせた口元が可愛らしい、とぼんやり思う。そんな場合ではないのに。

「降りといでよ」
「降りれねえの」
「だと思った。お前は高いとこ登り慣れてない子猫か」
「お、なんかかわいいじゃん俺」
「いや全然」

手を伸ばして彼を呼ぶ。降りておいでよ、と囁く。
そんなとこにいないで。そんな遠くにいないで。降りてきて。
なぜか必死な想いに囚われながら桜庭を見ると、少し困ったような顔で彼も手を伸ばしてきた。

「……」

あと少し。もう指先がか掠るほどの距離だ。けれどその距離が永遠に縮まらないように思えて上原はギリギリまで手を伸ばす。
ほんの少し触れた桜庭の手を力任せに引き寄せて、その体重を支えきれずに二人まとめて地面に倒れこむ。
下に隙間なく生えていた雑草のおかげで衝撃は大したことはなかったけれど、桜庭からは非難がましい目で睨まれた。

「ごめん…」

腕の中に抱えこんだ桜庭が起き上がろうとするのを、動かないで、と呟いて制する。
不思議そうな顔をしたけれど、それでもそのまま彼は自分の腕の中で黙り込んだ。
何やってるんだ?と頭の中でもう一人の自分が言う。何やってるんだろうと自問する。
答えは出ず、

「……ほんと、何やってんだろーな」

と呟いた。
不思議そうに上原を見ていた桜庭の顔が、更に訳がわからないといった表情になる。

「何やってるんだろね、桜庭」
「お前がやってんじゃん、これ」
「いや、そうじゃなくて」

抱きしめた身体は何度となく重ね合わせたものだ。何一つ変わらない。
耳に届く声も、においも、温度も、何一つ変わることはないはずなのに。

プログラムとは殺し合いをすることだ。
誰かと、友達と、チームメイトと。
…桜庭とも。

思考を中断させたのは、自分の名を呼ぶ桜庭の声だった。
我に返り桜庭の顔を覗き込むと、彼の顔はとても悲しそうな、悔しそうな、とにかくとても複雑な色をしていた。

「…さく、らば?」

なんて顔をしているんだ、と言いかけて、口を閉ざす。
戸惑っていたのかもしれない。自分は、彼のこんな表情を見たことはなかった。

「ねえ、俺が、どうしてここにいたと思う?」
「…言わなくていいよ」
「俺、
「言わなくていいっ」

言葉を必死で遮る。言わないでくれ。言わなければ、自分の中の桜庭は普段の桜庭のままだ。
誰かに見つかりそうになって木の上に上り、息を潜めていたのだと、先の言葉をそのまま信じるから。

「俺、人を殺そうとしてた」

願いは、聞き届けられなかった。

「殺されんの、やだから。俺の武器、ボウガンだったから。木の上から、狙おうって、そう、思って」
「……」

ぽつり、ぽつり、語られる言葉。
彼が今にも泣き出しそうになっていることも、自分が泣き出したい気分になっていることも、上原は感じ取っていた。

「でも、最初に来たのお前なんだもん…やんなるよ」

桜庭の声は震えていた。泣いているのかもしれない。自分もやけに鼻の奥がツンとするから、泣いているのかもしれない。
お互い、一度だってこんな風に泣いたりはしなかったけれど。
こぼれそうになった涙をごまかすように空を見上げると、真っ暗で光一つない闇があった。
外灯の一つくらいないのかよと思い、それでもこのプログラムには必要がないのだろうと考えた。
闇の中で認識できるのは自分と目の前の人だけ。
まるで世界中にたった二人きりのような錯覚をし、それが真実であればと思った。

「…で。殺すの?俺のこと」
「ひでーこと聞くのなお前。いつからサドんなった」
「なんだよそれ」
「もーいい」

唇を重ねると、それは特になんということはなく、いつもの桜庭のそれだった。
位置を変えて見下ろす桜庭の顔も、髪の流れも、いつもと同じだ。
違うのは場所と状況くらい。

「…これってアオカン?」
「いーんじゃね?別に。誰が見ててもどうせもうすぐ俺ら終わりじゃん」
「死んだら恥も何もないよね」
「そーそー。最後に普段出来ねえことしとこーぜ」
「まあせいぜいやってる最中に殺されないことを祈るよ」
「はは、間違いない」

        

何も欲しいものなんてなかった。ないと思っていた。
だけど、でも、本当は、口にしたら笑われると思って、ないものだと知らないふりをしていただけなのかもしれない。
だって今は、君が欲しい。永遠が欲しい。
どんなに儚く散る花がきれいでも、俺はそんなものにはなりたくないし、やっぱり出来れば生きていたい。
君と笑って、生きていたい。

        

「…俺に、お前が、殺せ…る、と、思う…っ?」

途切れ途切れに吐く息に言霊を乗せるように吐き出された言葉。
永遠には程遠く、甘い言葉とも言えないそれは。
だけど確実に心を蝕んで。

少しだけ、切なくなった。

               

                           

 

 

 

第五話 翼折れるまで
昔からよく言われていた言葉がある。
大人びてるねとか、しっかりしてるねとか、物事に動じなさそうだねとか。
あまりにも言われ続けていたから、そうなんだと思っていた。
言われた言葉をそのまま真実だと思い込んでいたんだ。

けれど、窮地に立たされてみて初めて知る。

大人と呼べるほど自分はどこもしっかりしていない。慌てることだってあるし、現に今だって逃げ出したい気持ちに駆られている。
同じ年頃の子供を馬鹿に出来るほど、自分は大人ではない。ただの中学生だ。何の権限もない、ただの子供だ。
勘違いをして大人だと思い込んでいた分だけ、自分は他よりずっと、子供だったのかもしれない。

そのことに、プログラムの中に放り出されてようやく気が付いた。

       

なぜだ、と問い質す必要性はなかった。その必要もないくらいには理解していた。選ばれるのは無差別で、選ばれてしまったらもうどうすることも出来ないのだと。
けれど脳が理解しても心はそれに追いついてきてはくれなかった。
静まり返った不気味な島という監獄。風と波の音しかしないのは、まだ誰もが戸惑っているからだ。翼と同じように。
昨日まではどこにでもいる中学生だった。平々凡々とした日常を送り、それなりの夢を抱き、それに向かって歩いていた。
けれど、ここはそんなに平和な場所ではない。もうすぐにでもここは戦場に変わってしまう。

指先が白くなるほどに握り締めた右の手のひらを、ゆっくりと開いていく。
そこには地図の余白を破り取った紙切れがあった。
教室を出る前、柾輝が翼に渡したものだ。
それにはお世辞にもきれいとは言えない柾輝の文字で、ひとこと、ばいばい、と書かれていた。
落ち合う場所でも、気遣うことでもない、別離の言葉。
薄っぺらな紙切れに書かれたたったそれだけの言葉は、たったひとことのくせに翼の中に深く突き刺さった。
もう一度紙を握りなおし、大きく息を吸い込む。吐き出せば少しだけ白く濁った。
些細なことだ。
けれどこれは、自分が生きていなければ出来ないことだ。
何度か深呼吸を繰り返し、その度白く濁る宙を眺めて、そしてふと思う。

人は、人をどうやって殺すんだろう。
顔見知りを殺すのは、どうすればいいんだろう。
チームメイトは、殺せるだろうか。

では。
彼を殺せるだろうか。

殺されそうになれば、殺すかもしれない。 けれど、どうやって?
現実味のないことだった。人を殺すということは。けれどそれをしなければ、自分に明日はやってこない。
耳を塞ぎ、目を閉じ、何も感じないふりをして、そうすれば出来るかもしれない。
そんな自分は、嫌だけれど。

「…柾輝は、出来るのかな」

彼は強い。けれど彼は優しい。優しさは、こんなところでは弱みにしかならない。
彼は人を殺すだろうか。自分を殺すだろうか。
彼にとって翼が紙切れ一枚で断ち切れる程度の存在なら、殺せるのかもしれない。
それを訊ねることさえ今は出来ない。

あんなに、あんなに一緒だったのに。

大空高く飛び立てるように。
大切な何かを守れるように。
夢を追いかけられるように。

『翼』という名前をもらったけれど。

自分に許された空はこんなにも狭い。
大切な何かは、もう護らせてもくれない。
追いかける夢なんて、どこにあると言うのだろう。

名前負けもいいところだと、口の端だけで笑う。
次いで、悔しい、と唇を咬んだ。
思い通りに動かされて朽ちるのは嫌だ。たとえ誰かに殺されるのが運命だとしても。
名前に負けたくはない。

        

風が止んだ。
冷たかった気温がじっとりと湿気を含んで肌をなでる。
生きているからこそ感じられる不快感。
ひしひしと伝わってくる怯えと殺意。
こんなものに自分はやられない。

「したいの?…殺し合い」

睨み付けた先の影がびくりと揺れる。
自分で予想していたよりも、発した声は冷たく感情がなかった。

        

どんなに狭い空でも、自分は飛ぶ。
真っ白な羽でなくていい。赤く染まっていい。
死ぬその瞬間まで翼を広げて飛び回ってやる。
そう。
名前を誇れるように。 

…そうしたら君に、もう一度くらい、会えるかな。

             

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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