第六話 切なる願い

忘れることが出来たなら、きっと、もっと、ずっと楽だった。
平穏な日常でさえ、想い続けても実を結ぶことはないとわかっていたのに、こんな状況になって、それでもまだ夢を見ていられるほど、自分は強くはない。
けれど。
瞼を閉じて、ふと思い出すあの人の笑顔。点を取ったとき、ゴールに繋がるパスを送れたとき、あの人の望む『司令塔』をこなせたとき、よくやったなと褒めてくれたあの人の笑顔。
こんなところでまだ、胸が痛くなるほどあの人を想っている。

死ねば会うことさえ出来ない。殺されてしまえばそこで終わる。ほんの些細な願いさえ打ち砕かれる。想いを伝えられずとも、あの人の望む駒でありさえすれば、彼は自分に微笑みかけてくれたのに。
骨として帰る。大半の参加者が通る道だ。何もしなければ、自分だって通ることになる道だ。
たった一枚しかない帰りの切符を手に入れるには、どれだけ汚れればいいのだろう。

口の端を意識して吊り上げる。
余裕をかませ。弱さは見せるな。生き残りたいなら汚れろ。

生き残るんだ。
絶対、生き残るんだ。

教室を出てすぐ、そのままの勢いで走った。
持久力はともかく、三上は瞬発力には自信があったし、やる気の誰かがもし外で待ち構えていたとしても振り切れるだけの自信もあった。 
ただ、走り抜けて行き着いたその先に、誰かがいるかもしれないと言うことも、考えていなければいけなかった。
夜の闇の中、鬱蒼と生い茂る木々の所為で視界は無いに等しい。一瞬の油断が命取りだと、自分なりに注意をしていたつもりだった。
けれどそれは、『つもり』でしかなかったようで。

「…うわっ」

三上の足を引っ掛けるように伸ばされた足。気配さえ感じなかった。
案の定バランスを崩して地面に膝をつく。痛みより驚きがあった。
見上げれば妙に背の高い男が一人。長身と言われる自分の親友、辰巳よりも高いかもしれない。自分と比較するのは悔しいが、優に10cm以上もの差がある。
こんな人間とまともにやりあって無傷でいられるはずがない。悪くすればこの場でゲームオーバーだ。

そう。『まともに』やりあえば。

膝をついたままの体勢でその人物を見る。
怪我はしていない。四肢に違和感も無い。立ち上がって対峙するよりはこの方が油断を誘える。もちろんそれでも攻撃をされないという保障はない。すぐさま立ち上がることが出来るように注意しながら話しかけた。

「誰?あんた」
「人に名前を尋ねる時は自分から名乗るものって教えられませんでした?」
「…みかみ。三上亮。…あんたは?」
「須釜寿樹です。以後お見知り置きを…とでもいっときましょうか。以後があるかどうかはわかりませんけど」

間延びした、掴み所のない喋り方。
何を考えているのか読めないのは、須釜の意図的なものなのだろうか。

「…俺を殺すの?」
「さあ…どうしましょうね?」
「…殺さないでくれって、言ったら?」
「殺さないかも知れません。殺すかも知れませんけどね」
「っ!」

しゃがみ込み、さも面白そうに笑う須釜に、三上の中で焦りが募る。
殺される訳にはいかないのだ。どうにかしなければいけない。
自分は、生きてあの人の元へ帰るんだから。

「…三上くんでしたっけ」

じっと見つめる須釜の視線。まるで品定めでもされているような気分だ。
何?と先を促せば、不躾な視線もそのままに、

「あなたキレーな顔してますねー」

と口の端だけで笑った。
その仕草に直感的に思う。貼り付けている笑顔も、掴み所の無い喋り方も、上っ面だけのものだ、と。
この男の本質は、この眼の奥にある。
それは、三上にとっての幸福となるだろうか。

「キレイな顔した三上くん。あなたは死にたくないですか?」

声のトーンが変わり、嘗め回すような視線は三上の目にしっかりと合わされていた。
三上も負けじと見返しながら、強い口調で言葉を紡ぐ。

「死にたくない」
「じゃあ生き残るためにどうしますか?」
「なんだってする」
「どんな汚いことでも?」
「まだ、俺は死ねない」
「人を殺せますか?」

その言葉に黙って頷く。
人を殺すことが怖くない訳じゃない。けれど生きて帰りたい。ならば選ぶ選択肢は一つだ。
そこまで考えて、三上の脳内に警鐘が響き渡った。

(ああ、そうだ)

(自分が生きて帰るということは、)

「そうですか」

気に入りました、と笑んだ須釜にも、うまく反応ができない。だから力任せに頭を引き寄せられても抵抗することが出来なかった。
抵抗することは敵対するということだから、この時の対応は間違っていなかったけれど。
脳内で犇めき合う言葉。須釜と対峙しながら、まったく違うところで、もう一人の三上が呆然としていた。
後頭部を捕まれ、唇を押し付けられる。緩やかに目を閉じ、それに応えながら、思考だけが別人のように動く。まるで二重人格だ。

「…っ」 

キスなんかで何も思いはしない。罰ゲームで男や女とキスをしたことだってあるし、特別に想わない相手といくらしたところで三上の心は揺れはしない。それがたとえ、キス以上のことだとしても。

「なんでも、…するんですよね?」

そっと頷く。 離された唇についた唾液を舐め取りながら、須釜を見つめて三上は呟いた。
まるで媚びるような所作で、まるで子供のように庇護を求めながら、けれど視線だけは射抜くように力強く。まるで愛の言葉を囁くように。

「俺を殺さないで」

三上が意図せず作り出したアンバランスさに、須釜は一瞬息を詰めた。
須釜の手が、三上の頬を撫でる。

「…殺しませんよ。安心してください」
(いいや、殺してくれてもいい、だって)

感情の読めない声で須釜は言った。
もう一人の三上は泣きそうに顔を歪めた。
須釜と相対する三上はあからさまにほっと息を吐いた。

「一緒に行きましょうか」
(俺が生きて帰るということは、だって)

投げやりにもう一人の三上が呟くのとは反対に、三上は感情を殺しきれずに涙を零した。
それは、須釜の手が三上の頭を撫でたから。子供にするような、そんな撫で方で。

「…っ…!」

(やめてくれ。そんな撫で方をしないでくれ)
(あの人みたいな撫で方を、しないでくれ、頼むから)

(生きていたくなる。生きて帰りたくなってしまう)

「あ、あああっ」

ほんの数回、あの人が三上の頭を撫でてくれたことがあった。
その撫で方が、今の須釜の撫で方と被る。心が悲鳴をあげる。帰りたいと切に願ってしまう。
三上が帰るということは、チームメンバーも、彼の息子も、日常に戻れないということなのに。

「大丈夫、落ち着いてください、殺したりしませんから」
「…死にたく、ない…!…でも…っ」
「落ち着いて、三上くん、」
「いや、嫌だ、どうしよう…!」

混乱していると言ってもよかった。
自分が戻るということは、三上以外は戻らないということで、誰も帰れないということで、誰かが帰るということは、自分はここで朽ちるということで、生きて帰りたくて、でも一人で帰るということは恐ろしくて。
人を殺すことが恐ろしいのではない。誰かを踏み台にすることが恐ろしいのでもない。
どうして自分だけが帰ってきたと、詰られるのが恐ろしい。
けれどどうすることも出来ないではないか。

「…っ三上くん!」
「!」

突然、今までとは違う須釜の声が三上の名を呼んだ。

「…落ち着いてください。何に怯えているのかは知りませんけど、ここで死にたくないなら、生きたいなら、立って、一緒に行きましょう?」
「…すが、ま」
「君の敵じゃないです。怖いのなら、一緒にいましょう。こんな状況に戸惑っているのは君だけじゃない」

抱きしめられて、その温度に目を伏せると、涙が筋を作って流れた。
本能的な恐怖から怯え、錯乱し、須釜の言葉に安堵し、泣いたのだと思ってくれればいい。三上の普段を知る者なら、目を丸くして、何があったと慌てるかもしれないけれど、それを知らない須釜はこのプログラムの中の三上だけがすべてだ。 
演じよう、自分ではない自分を。曝け出そう、誰も知らない自分を。
いけるところまでいって、そこでまた考えればいい。本当に生きて帰ることが出来るのかも怪しいのだから、生きて帰れないところまで足掻いて、自分が恐れるところまで藻掻いて。

「行きますよ」

確認するように言って伸ばされた手に、三上は躊躇なく自分の手を重ねた。
誰かと行動するなら、チームメンバーでは辛すぎる。寝首をかくにしろ、かかれるにしろ、あまりにも心への負担が大きい。
涙を振り払うようにして頭を振ると逆に髪が頬に張り付いて鬱陶しくなったけれど、握っている方とは逆の手で須釜が取り除いてくれた。
なんだかそれが可笑しくて笑う。

「しばらくの間、よろしく」
「ええ」

       

常識なんか通用しない。殺人ゲームに禁忌は存在しない。
だからどんな卑怯なことだってする。出来る。

命を賭けて戦う。戦って。戦ったら。

あの人の元へ帰れなくても、魂はそこへ、辿り着ける気がした。

           

                           

 

 

 

第七話 最後の砦
生きていればいつか、笑える日が来るよ。
今日は昨日の続きじゃないから。
明日は今日の続きじゃないから。

いつかきっと、笑える日が来るよ。

…きっと。
生きて、いれば。

         

生きていればのたとえ話なんて明日があるかもわからない自分達にはあまりも滑稽すぎて笑う気にもなれない。
だけど泣きそうな顔で、それでも無理矢理笑った内藤を見て、何も言えなくなった。
気休めの言葉をかけてやれるくらい気の利いた人間だったらよかったのにとやるせなくなる。
焼け石に水をかけるようなものだ。その場しのぎにさえならない陳腐な科白を並べ立てたって現状は何も変わらない。
それはわかっていたけれど、それでも何か言ってやりたくて、言えなくて。
口を微かに動かして、木田はまた黙り込んだ。

思い出すのは一人きりで立ち尽くしていた内藤の姿。
校舎の外。続く林を真っ直ぐ突っ切って出た海の見える場所。
人が隠れるには、特にこんなプログラムの最中に隠れるには、あまりにも堂々とし過ぎた灯台という場所。
元々あまり方向感覚は良い方ではない木田が最初から目的地を決めていたにも拘わらず相当の時間をかけて辿り着いたその場所には、何をするでもなく、ただぼんやりと空を見上げている内藤が居た。
危機意識はないのかとそんな余裕がある訳でもないのに思わず心配してしまうような無防備さで立ち尽くしていたのだ。
何をやってるんだと話しかければ様子と同じくぼんやりとした声で空を見ていたと返される。
その響きがあまりにも空虚で、ひどく苦しくなった。

しばらくして灯台の中に入り込んだ後。
こんなことがあった、あんなことがあったとまるで卒業式の思い出話のように脈絡無く内藤は話し出した。

ぽつりぽつり。

話す言葉に愛おしそうな音が紛れて切なくなる。
戻らない日常は、こんなにも遠い。
眩暈がしそうなほど、それは遠く、とても遠い。

「きっと大丈夫だよ。まだ生きてるし。生きてるうちは大丈夫。きっと。…きっと、うん。…大丈夫だよ」

独り言のように小さな声は、まるで自分自身に言い聞かせるような調子で、口にしている言葉ほど強くなれない内藤を、柄にもなく抱きしめてやりたくなった。
月の見えない夜に薄暗な室内。
頭だけ抱え込むように抱き寄せると何やってんだよと内藤が笑った。
笑うだけで抵抗はされなかったからそのまましばらくの間抱きしめていた。

「…最後の砦みたいだな」

呟かれた言葉を反芻する。
…最後の砦。残された最後の守り。崩されればそこでジ・エンド。
けれど。
出来るなら壊れずにあればいいと思う。
最後まで壊れずにあればいいと思う。
夢みたいな話だなと心の中で笑うと、実現し得ない夢なんだよと頭の中で誰かが嗤った。

               

                           

 

 

 

第八話 余波

「どういうことだ」

開口一番零れたのはそんな何の変哲もない台詞だった。
桃色の腕章をつけた政府の人間が、あくまでも事務的に経緯を説明する。

「他他の参加者の自宅へご挨拶に回っていて、遅くなりましたこと、先にお詫びいたします」
「…プログラムに参加するというのか」
「基本的にご存命の場合ご両親共に連絡させていただくのが規則ですので、水野竜也の父親であるあなたにもお話しする義務があります」
「…竜也が」

眩暈がする。別れたとはいえ、子供は子供だ。そして彼はまだ幼い、親の庇護下にあるべき子供だった。
プログラム対象年齢にあることはわかっていたが、それが現実となるなど思いもしなかった。それに当たるということは、交通事故に遭って不運にも命を落とすことと同じかそれ以上に低確率なのだ。

「…プログラムはいつ開催されるんだ」
「すでに開催されております。先ほども申し上げましたとおり、他他のお宅へ回るのに時間がかかりまして。すでに開催されております」

参加の義務付けではなく、参加したという事後報告。
開催されてしまった後ではもう、何もしてやれることがない。いや、開催される前であったとしても義務付けられたという報告を受けた時点で桐原に出来ることなど何一つとしてないのだ。
諦めと、悲観、悔恨にきつく眼を閉じた桐原に、更なる絶望が言葉と言う形で舞い降りた。

「他に桐原さんに関係のある方々も数名、参加されています」

閉じた眼を見開き、能面のような政府の人間の顔を見つめる。

「あなたが監督を務めるチームの方々ですね」

誰が、と問うまでもなく名簿をらしき書類を取り出して政府関係者は続けた。どうやら彼は政府の人間にしては饒舌のようだった。

「笠井竹巳、渋沢克朗、辰巳良平、中西秀二、藤代誠二、間宮茂、ええと、ああ、あと三上亮ですね」

力のあるメンバーだ。多少の不出来はあるとしても、自分が育ててきた大切な子供たちだった。それを、こんな形で。
もし彼らが帰ってきたとしても、それはたった一人だ。水野か、チームの子供か、悪くすれば誰も帰ってはこない。

「ご理解と納得はしていただけましたか?」

大抵の保護者が諦観の念を込めて呟くように、ああ、と投げやり気味に口にしかけ、ふと思い出した。
想像していた以上のことをやってのけた子供の頭を撫でた記憶を。そのときの髪の感触を。苦笑にも近い、照れ笑いを。
自分の子供に与えられなかった愛情を、同じような子供に与えただけの自己満足だったかもしれない記憶を。
父さん、と記憶の中の息子が呼び、監督、と記憶の中の子供が呟いた。
大切な子供たちは、どこか苦しそうに顔を歪めていた。

「…無理だ」
「納得しかねると?その場合には射殺しても構わないと上から命令されておりますが」
「そもそも何故私のチームの子供ばかりが選ばれた?」
「身体能力と潜在能力の高さですね。今回はサッカーの枠組みという中でということでしたので。優秀な生徒さんをお持ちで羨ましいです」
「……!」

感情を露にすることが少ない訳ではなかった。けれどこれほど激情に突き動かされたのは初めてだった。憤りが収まらない。ここで食って掛かったら、それこそ本当に射殺されてしまうことくらいわかっているのに。

「どなたか一人でも帰ってくるといいですね。息子さんとか」

感情が、爆発した。
そもそも、人口過多の時代に人間を選別し処分する為に作られたプログラムだ。価値ある人間のみで国家をまとめようとした、愚かな政策だ。
けれど、制定されたプログラムは長きにおいて行われてきたし、今更それを覆してくれるような政治家はいない。
誰もいない。
本来政府に楯突くべき大人は、誰一人いない。
それが、許せなかった。

「返せ!今からでもまだ間に合うはずだ!あの子達はまだ、」

掴み掛かった瞬間、政府の人間の下卑た笑みが見えた。
まるで、これを待っていたのだと言わんばかりに。

「公務執行妨害につき、射殺します」

その声は、どこか嬉々とした様子で紡がれた。

               

                           

 

 

 

第九話 夢であれば
「…どうしたのかしら」

選抜や学校の練習の兼ね合いを相談しようと翼に電話をかけたのに、一向に出る気配がない。
柾輝にかけても同様に機械的な音声が応対するだけだった。
それだけなら、特に何も思わなかったかもしれない。けれど、何故か胸がざわめく。こういう時の西園寺の勘は自分でも嫌になるくらいに当たるのだ。
何かまずいことに巻き込まれていなければいいと思いながら、ふと思い立って他の選抜メンバーの携帯にダイヤルする。
結果、誰にかけても繋がることはなかった。

「……おかしいわ…」

さすがに誰にも繋がらないというのは奇妙過ぎた。
数人であれば、充電が切れた、電波の届かないところにいる、と思うことも出来たが、こう何人もになると、首を傾げざるを得ない。
けれど、さすがに全員の実家にまでかけて確認するのもどうか、と悩む。
西園寺が一方的にかけるだけだった携帯が、次の瞬間着信を告げた。

「はい」

見知らぬ番号だった。誰だろうと思いながら電話に出る。
しばらく相手側はしゃべらず、いたずら電話か?と携帯を切ろうとした時、

「さい、おんじさん、ですよね」

と、どこか苦しそうな女性の声がした。

「そうですが、どちら様ですか?」
「水野、たつ…やの母で、す」
「あの、大丈夫ですか?」

本当に苦しそうに途切れ途切れに話す彼女に心配になって声をかけるが、聞こえているのかどうか、彼女は西園寺の言葉を流し、ただ言葉を紡いだ。

「息子が、ぷろ、ぐ、らむに、他の…!げほ、げほっ!」

血の気が一気に引いた。
プログラム。おぞましい、国家の定めたあのプログラムに、まさか。

「水野さん、あの、すぐそちらに行きます、携帯はそのまま繋いでいてください」

言いながら、水野の自宅住所を手帳で調べる。選抜メンバーの子供たちの住所を聞いておいてよかった、とこの時ほど思ったことはない。
手帳と携帯だけを手に、部屋を出て走り出す。鍵を閉める時間がもどかしく、そのまま家を出た。泥棒に入られようが、今の緊急事態には瑣末なことだ。
もしも水野がプログラムに参加させられてしまうと言うのなら、他の子供たちに連絡がつかなかったことも説明がつく。区切りがサッカーだったのか、選抜だったのか、それは西園寺の与り知ることではないが、ともかく携帯が繋がらない理由は理解出来る。
そして、電話先の彼女が苦しんでいる理由も。

「ほ、かの子も…、」
「しっかりしてください、あまり、喋らなくていいですから!」

車を飛ばし、クラクションを鳴らし鳴らされ、必死に急ぐ。スポーツカーのような車でないことが苛立たしかった。途中で携帯から聞こえる呻きが小さくなって、しばらくして聞こえなくなった。焦燥を掻き立てられ、アクセルを踏む。こんなにもベタ踏みしても、この程度のスピードしか出ないのか。制限速度をかなりオーバーした、ともすれば事故を起こしかねないスピードでさえひどくゆっくりと感じて、苛立ちと焦りは募るばかりだった。
そうしてカーナビを頼りに辿り着いた水野の家は、凄惨な光景が広がっていた。

「水野さん…」

血が、転々と続いていた。開け放された玄関の土間に、女性が倒れている。
エプロンについた血の赤、携帯電話を持っていただろう手が、床に置かれていて、その隣に血のついた携帯があった。
奥へと続く廊下に、水野の母よりも若い女性二人が壁を背に崩れ落ちている。そのすぐ傍にはゴールデンレトリバーが倒れていた。
生死を確認する必要はない。
壁や床に血の跡があり、生物の呼吸音がない。ただ静寂が支配するばかりのこの場で、生きていると思う方がおかしいというものだ。
水野の母親が口にした単語や、携帯が繋がらないこと、この家の惨状を見て、西園寺は理解してしまった。
プログラムだと。
警察を呼んでもどうしようもないが、呼ばなければ呼ばなかったで、近所の住民が騒ぎ出すだろう。
プログラムだと一言言えば、多少の時間は掛かるだろうが上層部に確認してそれでおしまいだ。公に報道されることもない。
そこでふと思う。では他の人はどうなのだろうか。
水野の母親に連絡が行ったのなら、父親は?他の子供の両親は?
政府に反抗さえしなければ、命は無事だろうと思う。すべての人間がおとなしく従うのかと言われれば親交のない西園寺には予想がつかなかった。
住所は知っている。時間は掛かるが、確認することくらいは出来るはずだ。子供たちの誰が参加させられているのかも。

「…警察ですか。人が死んでいます。」

殺人、とは言えなかった。公務執行妨害で報告に来た人間が殺したなら、それは殺人ではない。少なくとも、政府ではそうだ。
言いたかったけれど、言えなかった。政府がやっているプログラムだって、殺人じゃないかと。

「プログラムが、と言っていたのでおそらく…」

警察はそれで合点がいったのか、あーはいはい、と軽い返事をしたのにも苛立った。
早くしてくれ。駆けつけて、確認して、そして自分を解放してくれ。
死んだ人間を放置することは出来ないし、早く確認に行きたい。電話に出なかった子供が、本当にすべてプログラムに参加しているのか。ただ出なかっただけなのか。
…或いは、連行される時に暴れて、その場で死したか。
出なかっただけならいい、それが一番だ。けれど、大半がそうではないのだとわかっていた。
ただほんの少しの可能性にかけたかっただけだ。

「早く、早く来てください」

祈るように口にした言葉は、届いただろうか。

               

                           

 

 

 

第十話 相棒
ばったり。と言う単語が一番ふさわしかった。
とりあえず夜が明けるまで民家に潜もうと地図を頼りに走っていた。ようやく建物らしきものが見え、何件かの住宅が集合している場所に出た。一番目立たなさそうな家を選んでまた走る。
扉に手をかけ、中に入ろうとした時、会った。
おそらく向こうも同じように民家に身を潜めようとして、同じように目立たない家を選んだのだろう。
その道のプロの人間ではないのだ、気配に鈍くても仕方がない。
けれど武器を構えなかったのは、決して反応が鈍かったからではなかった。

「鳴海?」
「え、設楽」

何やってるか、なんてお互いに聞く理由もなく、とりあえずこのまま突っ立っている訳にもいかないと鳴海は声をかけた。

「あー…お前入るなら俺別んとこ行こうか?」
「いや、一緒でいいよ。鳴海がいいなら」
「んじゃさっさと入ろーぜ」

殺しあうのだとしたら、民家の中でも外でも同じだ。場所は知られている。
設楽もそれを理解しているのか、彼もおとなしく民家に入った。

家は思ったよりも広く、電気やガスがないことを除けばとても快適な空間のように思えた。
リビングと台所がくっついた部屋のソファに腰を下ろし、鳴海は背を曲げ、足の上にひじを置き、頬杖をついた。隣に設楽も座り、背伸びをしている。
のんきにテレビでも見ているような状況だった。
けれど今はプログラムの最中だ。殺し合いをするべきなのだ、本来なら。

「なあ、設楽どーすんの?」
「んー、何が?」

伸びをしたまま天井を仰いでいる設楽がおかしくて、苦笑いを浮かべて鳴海は言った。

「乗るか乗らないか」
「あー、乗ろうかなー」
「ふーん」
「お前も乗るだろ?」
「ああ、多分」

おとなしく殺される性格を設楽がしていないことは知っていたし、鳴海だってそうだ。
幾ばくかの沈黙が流れて、天井を見ていた設楽が鳴海に顔を合わせた。
その表情が、どこか楽しそうで、一瞬首をひねる。

「なあ、タッグ組まね?」
「ああ?」
「結構いいトコまでイケると思うけど?」
「残るの一人だろ」
「俺ら二人が残ったら、そん時考えりゃいいじゃん」

また沈黙が流れた。

「…お前の武器何だよ?」
「銃。リボルバー式の。カートリッジタイプがよかったなー」
「でもアタリ武器じゃん」
「そういう鳴海のは?」
「斧?」
「ぶった切る系かあ、似合いすぎてウケる」
「銃とかのがよかったよ、俺は」

はは、と笑って、それから。

「明日から、忙しいぜ」

設楽は言った。心底楽しそうに笑って言うものだから、鳴海も笑いながら、ああ、と返す。
自分たちの道は決まった。
組もうと言われてそれをすぐに信用することは危険なのかも知れなかったが、設楽に関してだけは大丈夫だという自信があった。こいつは裏切らないと言える自信があった。
恋人でも親友でも家族でもないけれど、おそらく悪友という表現が一番しっくりくるような間柄だけれど、お互いに嘘をついたことは一度もない。冗談を言うことはあっても、だ。
二人だけ残ったら、それこそその時にでも考えればいい。最後まで残るかどうかも怪しいのだ。そして今からどうこう考えるのは自分にも設楽にも向いていない。
だからこれでいい。

ぐ、と握った拳を互いに出して、こつ、と合わせる。
儀式と言うほど厳かではなかったけれど、どこかそんな心持で。

「こんなとこでも結局相棒だな、俺ら」

満足そうに笑う設楽に、こんなプログラムの中でも悲観的にならない自分たちでよかったと思った。

             

                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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