第六話 切なる願い |
忘れることが出来たなら、きっと、もっと、ずっと楽だった。 死ねば会うことさえ出来ない。殺されてしまえばそこで終わる。ほんの些細な願いさえ打ち砕かれる。想いを伝えられずとも、あの人の望む駒でありさえすれば、彼は自分に微笑みかけてくれたのに。 口の端を意識して吊り上げる。 生き残るんだ。 教室を出てすぐ、そのままの勢いで走った。 「…うわっ」 三上の足を引っ掛けるように伸ばされた足。気配さえ感じなかった。 そう。『まともに』やりあえば。 膝をついたままの体勢でその人物を見る。 「誰?あんた」 間延びした、掴み所のない喋り方。 「…俺を殺すの?」 しゃがみ込み、さも面白そうに笑う須釜に、三上の中で焦りが募る。 「…三上くんでしたっけ」 じっと見つめる須釜の視線。まるで品定めでもされているような気分だ。 「あなたキレーな顔してますねー」 と口の端だけで笑った。 「キレイな顔した三上くん。あなたは死にたくないですか?」 声のトーンが変わり、嘗め回すような視線は三上の目にしっかりと合わされていた。 「死にたくない」 その言葉に黙って頷く。 (ああ、そうだ) (自分が生きて帰るということは、) 「そうですか」 気に入りました、と笑んだ須釜にも、うまく反応ができない。だから力任せに頭を引き寄せられても抵抗することが出来なかった。 「…っ」 キスなんかで何も思いはしない。罰ゲームで男や女とキスをしたことだってあるし、特別に想わない相手といくらしたところで三上の心は揺れはしない。それがたとえ、キス以上のことだとしても。 「なんでも、…するんですよね?」 そっと頷く。 離された唇についた唾液を舐め取りながら、須釜を見つめて三上は呟いた。 「俺を殺さないで」 三上が意図せず作り出したアンバランスさに、須釜は一瞬息を詰めた。 「…殺しませんよ。安心してください」 感情の読めない声で須釜は言った。 「一緒に行きましょうか」 投げやりにもう一人の三上が呟くのとは反対に、三上は感情を殺しきれずに涙を零した。 「…っ…!」 (やめてくれ。そんな撫で方をしないでくれ) (生きていたくなる。生きて帰りたくなってしまう) 「あ、あああっ」 ほんの数回、あの人が三上の頭を撫でてくれたことがあった。 「大丈夫、落ち着いてください、殺したりしませんから」 混乱していると言ってもよかった。 「…っ三上くん!」 突然、今までとは違う須釜の声が三上の名を呼んだ。 「…落ち着いてください。何に怯えているのかは知りませんけど、ここで死にたくないなら、生きたいなら、立って、一緒に行きましょう?」 抱きしめられて、その温度に目を伏せると、涙が筋を作って流れた。 「行きますよ」 確認するように言って伸ばされた手に、三上は躊躇なく自分の手を重ねた。 「しばらくの間、よろしく」
常識なんか通用しない。殺人ゲームに禁忌は存在しない。 命を賭けて戦う。戦って。戦ったら。 あの人の元へ帰れなくても、魂はそこへ、辿り着ける気がした。
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第七話 最後の砦 |
生きていればいつか、笑える日が来るよ。 今日は昨日の続きじゃないから。 明日は今日の続きじゃないから。 いつかきっと、笑える日が来るよ。 …きっと。
生きていればのたとえ話なんて明日があるかもわからない自分達にはあまりも滑稽すぎて笑う気にもなれない。 思い出すのは一人きりで立ち尽くしていた内藤の姿。 しばらくして灯台の中に入り込んだ後。 ぽつりぽつり。 話す言葉に愛おしそうな音が紛れて切なくなる。 「きっと大丈夫だよ。まだ生きてるし。生きてるうちは大丈夫。きっと。…きっと、うん。…大丈夫だよ」 独り言のように小さな声は、まるで自分自身に言い聞かせるような調子で、口にしている言葉ほど強くなれない内藤を、柄にもなく抱きしめてやりたくなった。 「…最後の砦みたいだな」 呟かれた言葉を反芻する。
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第八話 余波 |
「どういうことだ」 開口一番零れたのはそんな何の変哲もない台詞だった。 「他他の参加者の自宅へご挨拶に回っていて、遅くなりましたこと、先にお詫びいたします」 眩暈がする。別れたとはいえ、子供は子供だ。そして彼はまだ幼い、親の庇護下にあるべき子供だった。 「…プログラムはいつ開催されるんだ」 参加の義務付けではなく、参加したという事後報告。 「他に桐原さんに関係のある方々も数名、参加されています」 閉じた眼を見開き、能面のような政府の人間の顔を見つめる。 「あなたが監督を務めるチームの方々ですね」 誰が、と問うまでもなく名簿をらしき書類を取り出して政府関係者は続けた。どうやら彼は政府の人間にしては饒舌のようだった。 「笠井竹巳、渋沢克朗、辰巳良平、中西秀二、藤代誠二、間宮茂、ええと、ああ、あと三上亮ですね」 力のあるメンバーだ。多少の不出来はあるとしても、自分が育ててきた大切な子供たちだった。それを、こんな形で。 「ご理解と納得はしていただけましたか?」 大抵の保護者が諦観の念を込めて呟くように、ああ、と投げやり気味に口にしかけ、ふと思い出した。 「…無理だ」 感情を露にすることが少ない訳ではなかった。けれどこれほど激情に突き動かされたのは初めてだった。憤りが収まらない。ここで食って掛かったら、それこそ本当に射殺されてしまうことくらいわかっているのに。 「どなたか一人でも帰ってくるといいですね。息子さんとか」 感情が、爆発した。 「返せ!今からでもまだ間に合うはずだ!あの子達はまだ、」 掴み掛かった瞬間、政府の人間の下卑た笑みが見えた。 「公務執行妨害につき、射殺します」 その声は、どこか嬉々とした様子で紡がれた。
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第九話 夢であれば |
「…どうしたのかしら」 選抜や学校の練習の兼ね合いを相談しようと翼に電話をかけたのに、一向に出る気配がない。 「……おかしいわ…」 さすがに誰にも繋がらないというのは奇妙過ぎた。 「はい」 見知らぬ番号だった。誰だろうと思いながら電話に出る。 「さい、おんじさん、ですよね」 と、どこか苦しそうな女性の声がした。 「そうですが、どちら様ですか?」 本当に苦しそうに途切れ途切れに話す彼女に心配になって声をかけるが、聞こえているのかどうか、彼女は西園寺の言葉を流し、ただ言葉を紡いだ。 「息子が、ぷろ、ぐ、らむに、他の…!げほ、げほっ!」 血の気が一気に引いた。 「水野さん、あの、すぐそちらに行きます、携帯はそのまま繋いでいてください」 言いながら、水野の自宅住所を手帳で調べる。選抜メンバーの子供たちの住所を聞いておいてよかった、とこの時ほど思ったことはない。 「ほ、かの子も…、」 車を飛ばし、クラクションを鳴らし鳴らされ、必死に急ぐ。スポーツカーのような車でないことが苛立たしかった。途中で携帯から聞こえる呻きが小さくなって、しばらくして聞こえなくなった。焦燥を掻き立てられ、アクセルを踏む。こんなにもベタ踏みしても、この程度のスピードしか出ないのか。制限速度をかなりオーバーした、ともすれば事故を起こしかねないスピードでさえひどくゆっくりと感じて、苛立ちと焦りは募るばかりだった。 「水野さん…」 血が、転々と続いていた。開け放された玄関の土間に、女性が倒れている。 「…警察ですか。人が死んでいます。」 殺人、とは言えなかった。公務執行妨害で報告に来た人間が殺したなら、それは殺人ではない。少なくとも、政府ではそうだ。 「プログラムが、と言っていたのでおそらく…」 警察はそれで合点がいったのか、あーはいはい、と軽い返事をしたのにも苛立った。 「早く、早く来てください」 祈るように口にした言葉は、届いただろうか。
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第十話 相棒 |
ばったり。と言う単語が一番ふさわしかった。 とりあえず夜が明けるまで民家に潜もうと地図を頼りに走っていた。ようやく建物らしきものが見え、何件かの住宅が集合している場所に出た。一番目立たなさそうな家を選んでまた走る。 扉に手をかけ、中に入ろうとした時、会った。 おそらく向こうも同じように民家に身を潜めようとして、同じように目立たない家を選んだのだろう。 その道のプロの人間ではないのだ、気配に鈍くても仕方がない。 けれど武器を構えなかったのは、決して反応が鈍かったからではなかった。 「鳴海?」 何やってるか、なんてお互いに聞く理由もなく、とりあえずこのまま突っ立っている訳にもいかないと鳴海は声をかけた。 「あー…お前入るなら俺別んとこ行こうか?」 殺しあうのだとしたら、民家の中でも外でも同じだ。場所は知られている。 家は思ったよりも広く、電気やガスがないことを除けばとても快適な空間のように思えた。 「なあ、設楽どーすんの?」 伸びをしたまま天井を仰いでいる設楽がおかしくて、苦笑いを浮かべて鳴海は言った。 「乗るか乗らないか」 おとなしく殺される性格を設楽がしていないことは知っていたし、鳴海だってそうだ。 「なあ、タッグ組まね?」 また沈黙が流れた。 「…お前の武器何だよ?」 はは、と笑って、それから。 「明日から、忙しいぜ」 設楽は言った。心底楽しそうに笑って言うものだから、鳴海も笑いながら、ああ、と返す。 ぐ、と握った拳を互いに出して、こつ、と合わせる。 「こんなとこでも結局相棒だな、俺ら」 満足そうに笑う設楽に、こんなプログラムの中でも悲観的にならない自分たちでよかったと思った。
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