いつか君が笑った。こんなことを言うのはらしくないかもしれないけれど、と前置きして。 「泣きたくなるくらい好きなんだ」
そう言って、笑った。
ああ、その言葉が自分に向けられて発されたのなら、どれ程幸せなことだっただろう。
息の根を止めてしまえたらいい。
(そうしたら誰も見ない)
心臓を抉り取ってしまえたらいい。
(そうしたら誰も想わない)
そんなこと、出来はしないけれど。
(そう、出来はしないのだ)
愛おしいから殺したいという気持ちは理解が出来ない。
狂おしいほど愛していても。
内蔵が、潰れそうなくらい想っていても。
だって。
そうしたら一生俺も見ない。
(動いてもくれない)
そうしたら絶対に俺を想ってはくれない。
(笑いかけてもくれない)
そんなこと、出来るはずがないのだ。
(そう、絶対に出来るはずなどない)
同じ部屋、すぐ近くで眠る三上に抱いている、邪でひどく汚らしい感情を持て余しぎり、と唇を咬んだ。
膝を抱え、頭を抱え、一体どうしたらこの思いは消えてくれるのだろう。
幾たびもの夜を苦しみ抜けば終わりは訪れるのだろう。
小さく軋んだベッドの音でふと横を見る。
寝ている三上。
何も言わない。
静かに眠る様は、まるで人形のようだった。
そろそろと起きあがり自分のベッドを後にする。
近づき、おそるおそると言った風情で手を伸ばした。
この指で、首を絞めてしまえたら。
(一生自分を見ることはないけれど)
この指で、身体を引き裂いてしまえたら。
(一生動くことはないけれど)
自分のものにもならない代わりに誰のものにもなりはしないのだ。
(そう、誰のものにだってなりはしないのだ)
そう考えて、それからすぐに馬鹿馬鹿しいと一人ごちる。
吐き出した溜め息はひどく重く、突き刺さるような沈黙を抱く室内はまるで拷問場のようだった。
膝を付き、頭を垂れて愛を請うことが出来たら、その目に自分を映してくれるだろうか。
出来もしない妄想ばかり胸を埋め尽くし責め立てる。
ぴくりとも動かない三上は本当に人形になってしまったかのように大人しかった。
殺すことだって出来る。
(迷いさえしなければ)
犯してしまうことだって出来る。
(その後のことを想像さえしなければ)
なんだって本当は出来るはずなのに。
(そんなことをしたくはない)
剥き出しにした薄汚い劣情を見せつけたらどうなるのだろう。
狂おしいほど思い詰めた恋愛感情は日を増すごとに傷を深くする。
堂々巡りな幾多の夜にはいつ終止符が打たれるのだろうか。
「ん…」
声が漏れた。
零れ落ちた、その、一つばかりの音に身動きを封じられる。
釘付けになる。
三上以外のものが、目に入らなくなる。
手が、操られるように三上の頬をなぞる。
眠っているためか体温は少し、高かった。
この頬を滑ったのだろうか。
(肌を滑らせたのだろうか)
誰も聞いたことのない声を聞いたのだろうか。
(睦言を囁く声も)
自分の知らない三上を知っているのだろうか。
(誰も知らない三上を知っているのかも知れない)
三上、と譫言のように名前を呼ぶ。
起きてほしい訳ではなかったけれど。
何度も何度も繰り返し呟いて髪を梳いた。
呆れる程愚かしい自分は、けれど一番本質に近い気がしていた。
屈み込んで顔を近づける。
吐息がかかりそうなほど、近く。
間近で見た三上の顔はひどく幼かった。
聞こえるのは三上の吐息と、窓越しの小さな風の音だけ。
口唇が触れるか触れないかの距離。
喰らいついてしまうには、あまりにも背徳的にすぎる餌が目の前にあった。
「み…
「なかに…し…」
浴びせかけられた冷水は刃を持って心を抉った。
呟いた名前に、三上は寝言を漏らしただけだ。
別に渋沢を傷付けるために吐いた毒ではない。
わかっている。勝手に傷ついているだけなのだ。
フェアじゃない触手を伸ばそうとして天然の棘に返り討ちを食らっただけのこと。
ただそれだけだ。
「いつだって、そうだ」
小さく、危うく発した自分でさえ聞き漏らしてしまうそうなほど、小さく、呟いた。
顔を離し、もう一度髪を梳く。
…このまま、夜が明けなければと思った。
キリリクもの。
中西と出来上がっちゃってる三上さんに片思いな渋沢。
寝言で名前を呼ぶとかどんだけ。可哀想な渋沢…(書いたくせに)。
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