『・・・好きだ』

 たった一言、意識が遠退く前に言われた。

 でも俺は返事をするどころか、単なる気休めだと言い聞かせて。

 アイツが寝ている間に、痛む身体を無理やり起こして船を降りて。

 静かに、その恋に終止符を打った。




「・・・はずだったんだけどなぁ〜・・・」


 はぁ、とため息を吐いて、俺はあちこちに転がるボールを集めた。

 全国大会へ出場するテニス部の練習は、夏休みに入って厳しさを増した。特に、ここしばらくレギュラーだけの練習が続いている。

 滴る汗が、暑さからなのか練習しているからなのか分からない。

「越前兄〜、ドリンクくれ〜!」

 ようやく休憩が言い渡されたらしく、次々と俺の手元からドリンクが離れていった。

 この暑さだ、定期的な水分補給をしなければ熱中症で倒れてしまう。

「あっちぃ〜・・・越前兄、タオル」

「はいはい」

 次々とカゴの中からタオルが消えていく。これはもう一回洗濯かな・・・。

「・・・どうしたんだ、越前」

「?何がです?」

 ふと、副部長が不思議そうな顔で俺を見つめる。

「何だか、眉間のしわが険しい気がするんだが・・・」

「あ〜、言われてみれば・・・手塚みたいだよ、

「・・・菊丸」

 後でグラウンド30周、と痛烈な罰を受けて菊丸先輩はぎゃーぎゃーと喚いた。

「・・・そんな顔、してますか?」

「あぁ。何かあったのか?」


「・・・・・今朝の夢見が、悪かっただけですので」


 じゃ、俺洗濯してきます。そう言って俺はコートを離れた。

「・・・はぁ」

 やっぱり顔に出てたか・・・と軽く呆れて、俺は洗濯機のスイッチを入れた。ガコガコと規則正しい音が聞こえ始め、その近くに座り込む。

 今朝の夢見は最悪だった。何故、2年も前のことを今頃見なければならないのか。

 この2年間、忘れることは出来なかった。けれど、夢にアイツは出てこなかった。この2年間、アイツの夢を見た覚えはない。

「・・・いや、違うか」

 見なかったんじゃない。見ないように、自分に暗示をかけていたんだ。

 それくらい・・・・俺は焦がれているんだ。


「・・・なぁ、リョーガ・・・」


 この気持ちを、どうすれば消すことが出来る・・・?

 俺は雲ひとつない空に向かって、呟いた。





「ただいま戻りました〜」

 たくさんの洗濯物を抱え、俺は部室に足を踏み入れた。夏場は洗濯物が多くて困るよ、ホント。

 半ば呆れながらもカゴを置いた俺に、菊丸先輩が抱きついてきた。

も行くよね、豪華客船の旅っ!」

「・・・・はぁ?」

 ・・・・とりあえず、抱きつくなっ。暑苦しい。

「・・・すいません、話が見えないんですけど」

 菊丸先輩の鳩尾に肘技を決めて身体を離し、俺は乾先輩に訊ねた。後ろで「のおーぼー!」と喚いているのは、無視だ。

「桜吹雪って言う大富豪が、船上でテニスのエキシビションマッチを開くんだけど、それに俺たちが招待されたんだ。招待状は10枚、越前兄の分もある」

「大富豪?」

 つまりは、金持ちのお暇潰しに俺たちは招待されたわけですか・・・全国大会前なのに、そんなもの受けていいのかよ。

 危うく言いかけた言葉を飲み込むと、俺はベンチに座り、洗濯物を畳み始めた。周囲は未だ、その話で盛り上がっている。

 豪華客船ねぇ・・・そんなに乗れるのが嬉しいかな・・・俺は正直言って乗りたくないぞ・・・叔母さんに連れ回されて飽きるほど乗せられたし。


 それに・・・そのたびに、2年前のことを思い出して・・・。


 ふと先ほどの乾先輩の言葉が頭の中に甦り、一つの疑問が生まれた。

 桜吹雪なんて名前の金持ち、いただろうか・・・?




 帰宅するなり、俺は部屋に閉じこもった。カバンを置くと携帯を取り出してある番号を押し始めた。

 規則的な機械音が数回なった後、優しい声色の女性が出た。

「もしもし・・・叔母上?」

ちゃん?どうしたの?南次郎にいじめられたの?』

「叔母上、それは飛躍しすぎ・・・ていうか、俺の用件ってそれに直結するの?」

 冗談よ、冗談。電話の向こうで叔母さんはそう言ったが、半分は本気だろう。

 亡くなった父さんの妹である彼女と南次郎おじさんは、俺を引き取るときに少々もめたらしい。結局は父さんの遺言で叔母さんは折れたみたいだが・・・

電話をするたびにそう言われたら、たまったものではない。何かと、彼女は南次郎おじさんを敵視しているから。

 隙あらば、俺を引き取ろうと考えているんだろう。

 まぁ・・・俺自身にそんな気は無いんだが・・・。

『それで?今日はどうしたの?』

「ねぇ、叔母上。桜吹雪っていう金持ち、知ってる?」

『桜吹雪?また随分とふざけた苗字ね』

 確かに、とつっこみながら俺は話を続けた。

「一週間後に、そいつが持つ船でテニスの試合があってね、俺たち青学テニス部が招待されたんだよ」

『へぇ、そう・・・でも、変な話ね。景吾の方ではなく、ちゃんたちの方を招待するなんて・・・』

 それに桜吹雪なんて聞いたことが無いわ。叔母さんの言葉に、俺はほんの少しだが、確信を持てた気がした。

「・・・その桜吹雪ってやつのこと、調べてもらえる?絶対に何かある気がするんだ」

 聞き覚えのない富豪の名前、氷帝ではなく青学を選んだエキシビションマッチ・・・どうも、裏がありそうだ。

『分かったわ。じゃあ、分かり次第連絡を入れるわ。それで・・・ちゃんは?』

「リョーマたちと船に乗ります・・・何かあったら、リョーマたちほっといてでも逃げますから」

 俺の台詞に叔母さんは笑いながら電話を切った。





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