わたしはくちびるにべにをぬつて、 あたらしい白樺の幹に接吻した、 よしんば私が美男であらうとも、 わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない、 わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいのにほひがしない、 わたしはしなびきつた薄命男だ、 ああ、なんといふいぢらしい男だ、 けふのかぐはしい初夏の野原で、 きらきらする木立の中で、 手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた、 腰にはこるせつとのやうなものをはめてみた、 襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた、 かうしてひつそりとしなをつくりながら、 わたしは娘たちのするやうに、 こころもちくびをかしげて、 あたらしい白樺の幹に接吻した、 くちびるにばらいろのべにをぬつて、 まつしろの高い樹木にすがりついた。 「恋を恋する人」 萩原朔太郎 〜月に吠える〜 より |
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