───刀身は既に、そこにはなかった。
乾いた音に一瞬遅れ。
まるで、枯れ枝を折るかのようにその刃はいとも簡単に、男の拳によってたたき割られ、宙を舞う。
それはなんでもないことと言わんばかりに、あまりに、あっけなく。あるべき場所から分かたれていた。
「───馬鹿、な・・・!!」
驚愕の声をあげる女性の姿もまた、相棒である魔剣の惨状と同じく、満身創痍。
自身の乱れた髪と同じ色の、身に纏った緋の騎士甲冑はいたる所破損し、装甲が砕け。
大きく裂けた胸元からは、彼女の豊満かつ健康的に張り出した胸を露わにしている。
その肌は擦り傷と、切り傷。更には火傷をあちこちに受けながらもなお、艶やかだ。
だが自身の双丘が晒されていることに羞恥を憶えている余裕など、今の彼女にありはしない。
「・・・こんなものか・・・」
「ッ・・・!?」
「話しに聞く烈火の将も、大したことはないね」
対照的に、向かい合う男には一切の傷も、汚れもなく。微笑みさえ浮かべていた。
「な・・・!?」
小奇麗な姿を保ったままの男は、今度は音もなく、その姿を彼女の視界から消失させる。
転移魔法でも、身を隠しているわけでもない。
ただ純粋な、スピードのみによって。
「っく・・・!!」
どこだ。どこへ行った。
焦り、混乱。圧倒的すぎる実力差に、戦士として恥ずべき怯えや戦慄さえ覚える。
キョロキョロと辺りを見回す彼女が幾多の戦闘の中で培ってきた危機に対する鋭敏な知覚も、
なんら役には立たない。
「せっかく、めいっぱい手加減してあげているのに。・・・残念だ」
「───!!」
「眠れ」
見え、なかった。
感じ取れなかった。
彼女の感覚、反応速度が、ついていけなかった。
「・・・っが・・・・」
男のその動きは、彼女が好敵手として認める少女のスピードすら、遥かに凌駕していて。
このままではまずい、そう思い振り返ることもできぬまま、背後からの声を聞いた彼女の意識は暗闇へと消えていく。
振り向きざまの中途半端な体勢の鳩尾に入った拳が、完全に意識を刈り取り。
直後、彼女の身体は男の放った白き暴力的な魔力の閃光に包まれて吹き飛ばされる。
「・・・まず、一人・・・」
殆どの着衣を魔力弾によって失い、裸に近い姿で瓦礫へと激突した彼女は、ぴくりとも動かなかった。
苦しげに歪んだ眉根のもと、双眸を閉じる目蓋が持ち上がることはない。
あられもない姿でただ、苦しげな呼吸に胸を上下させるだけだった。
「・・・さあ、お前達。上物だ、たっぷりと味わうがいいよ・・・」
男がなにやらつぶやくと同時に、地面を押し上げて何本もの触手が姿を現す。
気を失い、身動き一つしない敗残の騎士の全身へと、粘液を浴びせかけながらそれらは遠慮呵責なく群がっていく。
彼女の四肢が、てらてらとぬめるグロテスクな肉蔦によって贄に処されるのに、ほんの十数秒もかからなかった。
もう間もなく、宴が始まるだろう。
敗者を徹底的にいたぶる、陵辱の宴が。
烈火の将・シグナム───それが外気に柔肌を晒す敗北者の、その名であった。
* * *
「なん・・・やの、これ・・・!?なん、で・・・」
事件の発端はとある小さな次元にある、さして設備も規模も整っていない管理局の支局。
「そん・・・な・・・?」
一週間ほど前にその大したこともない、ちっぽけな支局が何者かの襲撃を受け、壊滅した。
生存者は、ゼロ。壊滅というより、全滅。
残されたのは瓦礫の山と、その上に残る死体の山。
男達は五体をバラバラにされ。
女性局員達は穴という穴を徹底的に犯し尽くされ、蹂躙された上で皆、絶命していた。
『んっ!!んぐ、ん!!んむぅぅ!!ぶはっ・・・はっ・・・ぁあ、くん!!ふぁ!!あ、ああ!!』
続けて、ひとつ。またひとつと同様の事件が繰り返され、死者と損害は加速度的に増えていく。
襲撃者の正体もわからぬまま、時空管理局上層部は各地の戦力の手薄な支局へと高ランク魔導師の増援を決定。
上司であるリンディ・ハラオウン、クロノ・ハラオウン。レティ・ロウランの各提督から指令を受けた
高町なのは達アースラゆかりの魔導師たちもまた通常業務を停止し、各々の割り振られた任地へと散らばっていった。
───だが。
『んはあああああぁぁぁっ!!!ああっ!!・・・・かっ・・・、あ・・・』
「これ・・・は・・・!?」
「っ・・・!?こ、これ・・・」
「一体、どういうことなん!?なんでシグナムが!!ヴィータが、ザフィーラが!!」
数日の時を置き、通信を受け再びアースラに集まった彼女達が見たのは、仲間達の変わり果てた姿。
本局のベッドで人工呼吸器をとりつけられ、点滴を受けながら昏睡する傷だらけのヴィータとザフィーラ。
そして粘液にまみれた触手状の魔法生物に嬲られ続けるシグナムの、
眼前のモニターへとリアルタイムで映し出される苛烈な陵辱の映像であった。
「エイミィさん、これどういうこと!?」
「・・・・」
もう、これ以上は見ていられないとばかりに顔を背け映像を切ったエイミィへと、
烈火の将の主たる12歳の少女──白と黒の防護服に身を包んだ魔導騎士、八神はやては涙混じりに問うた。
彼女を諫めるように、落ち着かせるように両脇に立つ二人も、青ざめた顔でエイミィへと戸惑いと疑念の視線を向けていた。
この、映像の贈り主の正体。シグナムを打ち倒した相手。様々な要素に対する不安を、高町なのはも、フェイト・T・ハラオウンも
それぞれに蒼白になった顔から隠し切れていなかった。
「・・・何者かはわからない。だけど誰かが本局の周波数に合わせてどこかの次元から流してきた、今も現在進行で起こっている映像・・・」
「・・・そんな・・・」
「手がかりは・・・おそらく、シグナムの出向してた支局からはそう離れてないだろう、ってことだけ・・・」
その発信源を特定するのは通信のエキスパートたるエイミィでも、不可能なほど高度なジャミングが施され。
静かな口調で言うエイミィもまた仲間の窮地に何もできぬ自分を責めてか、その肩を小さく震わせている。
「多分シグナムは、ヴィータちゃんやザフィーラを逃がすために一人で残ったんだと思う。
彼女達三人でも勝てない相手・・・その脅威を伝えるために」
「そんなん、どうでもええ!!助けな!!はよ、いかな!!」
「はやて!!ダメ!!」
飛び出していこうとするはやての腕を、フェイトが掴む。
「離して、フェイトちゃん!!シグナムが、シグナムが大変なんや!!やから!!」
「一人で飛び出して行って何になるの!?それに場所だってどこか・・・」
「場所ならわかる!!うちとあの子らはつながっとるんやから!!あの子が待っとるんや!!」
「ダメ、はやてちゃん!!」
モニターが消されたとて、愛しき家族の惨状は今もありありと彼女の目蓋のうちに残っていた。
何より主たるこの身には、彼女の苦しみが直接、微細な感覚となって伝わってくる。
シグナムが、苦しんでいる。辛い思いをしている。自分に、助けを求めている。
主として、家族として、行ってやらねば。
その思いが、フェイトの制止を振りほどく手に力を込めさせるとともに、彼女を平静でなくしていく。
潤んだ目が、忙しなく動き続ける。
「うち、行くから!!一人ででも、転送してもらえんでも、這ってでも行くから!!」
「はやて!!待って!!」
「はやてちゃん!!」
もう、二人の親友の声も、なんの効果も持たなかった。いてもたってもいられない。
はやてはなのはとフェイトの伸ばした手に、見向きもせず。
一目散に転送装置の元へと───許可されなければ自身の魔力で無理矢理にでも起動させる気なのだろう───、駆け出していく。
「ッ・・・!!はや、て・・・!!」
「ど、どうしよう、フェイトちゃん・・・」
「・・・・ああ、もう!!」
こうなっては、仕方ない。
「エイミィ、転送装置、起動させて。執務官権限!!許可するから」
「え、でも」
「大丈夫、私たちも行く。はやて一人でいかせるよりはよっぽど安全でましなはず」
「フェイトちゃん」
「念のためにアルフをこっちに残しておく。万が一のときは精神リンクで状況を伝えられるし。
本局の対策本部に行ってるリンディ提督と艦長が戻ってきたら、そっちの指示に従って行動して。
こっちも無理はしないから。なるべくはやてを説得して呼び戻す方向で行動を進めるから。いい?」
「・・・わかった」
「なのはも、いいね?」
「・・・うん。最優先がはやてちゃんを連れ戻すこと。あわよくばシグナムさんの救出・・・だね?」
「うん」
二人の少女は頷きあい、ブリッジに背を向けて先に行った少女を追いかける。
シグナムさえもが、いや、ヴォルケンリッター三人がかりですら敗れた相手なのだ。
はやて一人でいかせるわけにはいかない。
それにどのみち、シグナムのことを放っておくことなどできないのだから。
一人よりも、三人でいったほうがいい。
一人だけでは不可能なことでも、三人の連携ならばあるいは可能なこともある。
「二人とも、気をつけて!!無茶、しないでよ!!」
了承した、の意を右手を挙げて振り返らずに報せ、フェイト達ははやてのところへと急ぐ。
三人ならきっと大丈夫。そう、信じて。
それはけっして、過信ではない。
己の、仲間達の実力を知った上での、経験に裏打ちされた、確かな自信。
彼女達は互いのことを、誰よりも信頼していた。
だが。
いや、だからこそ。
見誤ることない自身らの力量が完膚なきまでに粉砕されるその刻が、
一歩一歩足音を立てて近寄ってきているということを、彼女達はまだ、知る由もなかった。
上には、上がいる───。その言葉の意味も、事実も。
ちゃんと、理解していたはずなのに。
三人は自ら己が絶望の方向へと、まっすぐ向かっていた─────