とある、平凡な金曜日の夕方のこと。
「たっだいまー」
金髪の少女は、妹から渡されていた鍵を使って、家の玄関へと入った。
白いロングスカートの制服がよく似合う、身長の低く幼い顔立ちは、人懐っこさを感じさせる愛らしいものだ。
「おかえり」
「……んお?」
少女の名は、アリシア・テスタロッサ。こう見えても、小学四年生。しかし年齢は12歳。
どう見てもせいぜい一年生や二年生にしか見えないのは、自覚している。
彼女は予想だにしなかったリビングからの返事に意外そうな表情を浮べ、
足にひっかけたスリッパで小走りにフローリングの床をぱたぱたと音を立てつつ進んでいく。
「・・・クロノ。帰ってたんだ」
「ああ。珍しく仕事がはやく終わったんでね」
───クロノ・ハラオウン。彼女の妹の兄に当たり、近日中にはアリシアにとっても兄になる予定───、という、
少女とは複雑極まりない関係にある少年がテレビの前に置かれたソファから首をこちらに向け、軽く右手を挙げて彼女を出迎えていた。
「そっちも、早かったんだな。なのは達と遊んでから帰ってきたんじゃないのか?」
「ぜーんぜん。みんな用事あったから、まっすぐ」
なのはとフェイトは、管理局の仕事。
アリサとすずかは、ヴァイオリンのお稽古。
後者ふたりはともかく、なのはやフェイトのスケジュールくらい同僚として把握しときなさいよ。
リビングを突っ切って自室へと向かうアリシアが背中越しに三つ上の兄(予定)へとその旨投げていくと、
彼は納得したような、微妙な「ふむ」とも「うん」ともつかない返事を返してくる。
ちらりと見ると、彼の手には一冊の雑誌があった。どうやら意識がそっちに集中しているらしい。
「母さんももうすぐ帰ってくるそうだ」
「ん、わかったー」
とりあえず、着替えよう。
彼女はノブに手をかけ、妹と寝起きを共有する子供部屋へと、入っていった。
手早く部屋着を箪笥から取り出し、制服と入れ替わりに身に着ける。
───アリシアが海鳴市で暮らすようになって、今日で大体、3週間が経つ。
きっかけは、単純。お引越し。
この世に肉体を持って戻ってきた彼女を、その妹・フェイトと同じように引き取ったリンディ・ハラオウン提督が、
近々の艦船勤務からの退役を決めたために、その下準備として異世界ながら知人の多いこの地へと生活の場となる居を移したからだ。
それに伴い高町家に居候していたフェイトも新たに海鳴のマンションに越したハラオウン家へと戻り、
アリシアと姉妹仲良く皆と同じ小学校に通っているというわけである。
書類や手続きの関係上あと数週間ばかりはアリシアはまだリンディともクロノとも赤の他人だが、
事実上は既に家族といってもなんら差し支えない状態といっていい。
・・・フェイトの反応を面白がって、彼女の前ではあえて余計にクロノに甘えてみせているのは、内緒だ。
「そーいえば、クロノと二人だけって、はじめて・・・かも」
お気に入りのピンク色のトレーナーに袖を通しながら、ふと思う。
とはいってもまあ、忙しくはあっても数週間も一緒に暮らしておいて人となりが掴めないほど、
彼は捻くれた性格はしていないけれど。
後ろ手に扉を閉めてリビングに戻ると、クロノはカップ片手にやはり雑誌を読み耽っていて。
邪魔になるかな、とは思いつつもアリシアはすぐ隣に腰掛ける。テレビはまだ点けなくていいだろう、アニメの時間にはまだはやい。
無意味に点けて、彼の読書の邪魔をすることもない。
「・・・学校は、どうだ?」
そしてクロノは、案の定というか、なんというか。
アリシアがだまっていると、退屈しないよう気を利かせて、話しかけてきてくれる。
「・・・ん、普通。ちょっと難しいとこもあるけど」
「そうか」
──実を言うとちょっと、ではなかったりする。
勉強好きのフェイトと違い、アリシアは元々勉強がさほど得意ではない。
フェイトですら苦戦した国語をはじめ、正直危機的状況な科目が、ちらほらとある。
よくできた妹や優等生の友人達のサポートがなければ多分、やっていけてないだろう。
「・・・他は何か困ったことはないか?身体は?」
「別に?健康だよー」
無愛想ではあるが気配りの人である彼らしく、
彼なりにアリシアのことを心配してくれているのがわかった。
何しろ死者の蘇生という前例のないことだ、不都合が生じたら大変ということもある。
「ふうん・・・心配してくれてるんだ」
「そりゃな。君はフェイトの姉なんだし、もうすぐ妹になる人間を心配しないわけないだろう」
「そっか」
顔はそれなりによい。
誰に対しても(ユーノ除く)やさしい。
単純に、戦闘魔導士として、強い。
細かな部分にまで気が利く。
(これでシスコン気味の気がなければなぁ・・・)
彼の人となりは、こんなところ。
まあつまるところ、フェイトがブラコンになってしまうのも頷けてしまう性格なわけで。
(んー、フェイトもがんばんないとねー・・・)
さっきも言ったとおり、クロノは兄として、すごくやさしいと思う。
「・・・ありがとね、クロノ」
「ん?ああ、気にするな」
「ううん、そうじゃなくて」
「?」
雑誌からあげられた彼の顔は、きょとんとしていて。
「ありがとう。フェイトのお兄ちゃんになってくれて、本当に」
きっとアリシアの心からの、真剣な感謝の微笑みなんて、予想だにしていなかったのだろう。
言葉を聞いた彼は少しばかりうろたえつつ、仄かに顔を赤く染めていた。
「あの子のこと、大切に思ってくれて」
「・・・よせよ・・・」
クロノがフェイトの兄でいてくれて、よかった。
フェイトの中から見ていた頃よりも、その想いは遥かに実感を伴っていた。
「何言ってるんだ、今更・・・」
「だってあたしは、フェイトのお姉ちゃんだもん。お礼、言っておかなきゃ」
兄として彼女に接する彼の姿は、彼女の姉として、嬉しかったから。
「別に・・・僕は、ただ。妹を守るのは兄として当然のことだから」
「ふうん」
「なんだよ」
「・・・照れてる?」
「うるさいな・・・いいだろ」
「照れてるね」
そして、今こうやって兄になる少年と共に語らうことの出来る自分が、嬉しい。
得られることはないと思っていた、穏やかな時間がそこにはある。それが、すごく。
「それじゃあさ」
「ん?」
嬉しくて、楽しい。
だから照れている彼に少し、意地悪をしたくなってくる。
「妹になったらあたしのことも、守ってくれる?クロノ・・・お兄ちゃん?」
「ッ・・・・!?」
狙いすました表情と言葉で、我ながらいたずらっ子だなぁ、とアリシアは思った。
そしてその予想通りにクロノは顔を余計真っ赤にして完全に落ち着きをなくしていて。
「なっ・・・なななな!!なに、いって・・・お、おに・・!?お!?」
おーおー、慌ててる慌ててる。
フェイトにはじめて兄と呼ばれた時といい、なんとも免疫のないことで、アリシアは吹き出しそうになる。
「あーれー?守って、くれないのかなー?お兄ちゃん、ひどーい」
「ちょ!!それは!!その・・・あの・・・!!」
「フェイトのお姉ちゃんとしてはやっぱり妹同様にお兄ちゃんに守って欲しいわけですよ」
がんばれ、がんばれ。
妹の意地悪に負けるな、お兄ちゃん。
「守るに決まってるだろ!君も、フェイトも!それにもう、妹みたいなもんだろう!」
「───おっ」
───うん。よくできました。合格。
「・・・これでいいか・・・?」
「そうだねー・・・・・・」
まぁ、顔を背けているのは減点だけれど。そこは特別に見逃してあげよう。
お兄ちゃんに対して厳しすぎても、よくないし、ね。
「・・・うんっ!!」
そう答えると、満面の笑顔で。
ご褒美とばかりに、アリシアは隣に座るクロノの胸へと飛び込んだのだった。
彼が余計に赤面し、その場が大いに混乱したのは、言うまでもない。
それはアリシアの、なんでもない一日の、それでいて大切な、小さな1コマだった。
end