「本当にごめんなさい、野暮なお願いなのに……」
「いいんです。僕みたいなので力になれるなら喜んでお貸しします」
沈痛な表情のリンディさんに努めて明るく、僕は返事をした。
僕の言葉に軽く頷きつつリンディさんは艦長席に腰を下ろした。側にあるコーヒーは湯気を上げることもなくそれがかなり前に入れられたものだと窺わせる。
ため息一つついてリンディさんはそれに口をつけた。ほんの一口、飲んでもとの場所に戻す。量はほとんど減っていなかった。
「でも時空管理局が対応できないなんて一体何があったんですか?」
「正確には対応できたはずなのよ。でも偶然が重なってそれが出来なくなった。それであなたの力を請う状況になった」
リンディさんがエイミィさんに一声かけると正面の大型モニターに映像が映し出された。一つは事件の起こっている場所の模式図。もう一つはどこかの研究施設みたいなものが映し出されている。こちらは随分と荒廃して廃棄されてから長い時間が経っているようだ。
「数日前からこの研究所付近に局所的な空間の歪みが発生したの」
模式図の方、建物のらしき所に赤い点がいくつかマークされた。
「もともとこの研究所付近はある事故の後から空間が不安定になっていたんだけど……」
リンディさんの言葉に続けて他の場所にもマークがついていく。その中で特に大きい点は二つ。一つは研究所、もう一つはそこからかなり離れた場所、位置的には空だろうか。
点の横には歪みの度合いを表す数値が表示され、その二つだけは三桁も他とは数値が違っている。考古学しか学んでいない僕でもそれが異常な事態とは一目でわかった。
「空のほうにはクロノとフェイトに何人か職員を、研究所の方には残りの職員を調査に回したんだけど……」
そこでリンディさんが言葉を詰まらせた。口元が苦虫を噛み潰したように歪んでいた。
軽く一息ついて言葉を続ける。
「ミッドチルダ時間13時38分。執務間、執務間補佐両名より連絡が途絶。同時刻B1ポイントの空間湾曲指数が増大」
B1――空中の方のマークが点滅する。
「ミッドチルダ時間13時42分。A1ポイントより全職員からの連絡途絶。こちらは空間の湾曲は見られず。現状は極めて困難で緊急を要する」
事務口調で締めくくりリンディさんは話を終えた。
艦長という立場のせいか幾分も動揺を見せないリンディさん。でも顔にはどこか悲壮感が漂っていて声もどこか重い感じがした。
「でも僕なんかより管理局に援軍を要請した方がいいんじゃないですか?」
「できればね。だけど今ミッドチルダ付近にいる艦はアースラ以外ないの。援軍を頼んでも一日、二日かかる。言ったでしょう? 事態は緊急を要してるの」
「だから僕を……」
「一番早くて、尚且つミッドチルダ出身、そして強力な魔導士。条件をクリアするのはあなたしかいないから」
本当に仕方なかったから、と言葉を足してリンディさんは立ち上がる。
そのままモニターの下まで歩いていく。もちろん僕も後に続いた。
「どちらかが最悪の事態になった時のことも考えて私が出るわけにもいかない。幸い、研究所の方はまだ空間が安定してるから今のうちに職員達の状況を、もし必要なら救出を――」
「僕にしてくれと」
リンディさんが無言で頷いた。
でも職員の救出ならアースラの転送システムを使えば容易に出来るはず。何か出来ない要因でもあるのだろうか。
ふと沸いた疑問を口にしよう僕は話しかけようと口を開いた。
「それなら――」
「アースラのシステムでは無理なの。職員達のいる場所がわからなければどうにもよ」
「空間の湾曲が一種のジャミングになってここからじゃ座標の特定が出来ないの。だから内部からアースラの座標に直接転送するしかないのよ」
今度はリンディさんが先手を打った。そしてエイミィさんが理由を続ける。
つまり僕に白羽の矢が立つのは当然のことなのか。確かに結界や転送魔法が得意の人間しか出来ない仕事だ。
「勝手な、大人の事情よね」
「そんな……、そんなこと言わないでください。困ったときはお互い様です」
「ユーノ君……」
「僕だってジュエルシードを探すお手伝いをしてもらったんです。なら今度は僕がリンディさんたちのお手伝いをさせてください」
別に借りを返したいとかじゃない。困っている人がいたら助けてあげるのは当然ことだ。
大人の事情とか、そんなの関係ない。僕に出来ることなら、力になれるならやるしかない。
「……ふふ、本当によく出来てるわね。きっとクロノもこのことを見越してあなたを呼んだんでしょうね」
「えっ……?」
「あの子、あなたに憎まれ口ばっかりだと思うけど、実力の方は認めてるのよ」
「クロノくん結構素直じゃない所があるからね」
「そうなのよね、誰に似たのかしら。備えのいい所だけでよかったんだけど」
ふっ、とリンディさんの顔から力が抜ける。
ここにきてようやく僕はいつものリンディさんを見ることができた。
ちょっと意外だったけどクロノにまで頼られているならなおさら投げ出せない。あいつに情けない所は見せたくないし。
でもクロノのほうは大丈夫なのだろうか。フェイトが一緒なら多分大丈夫だろうけど。心配の度合いなら親子であるリンディさんのほうがよっぽどだろうけど。
「まぁ、あっちは大丈夫。アースラの切り札はやわじゃないし、それにそのことくらいあの子だって十分にわかってるから」
「信じてるんですね、クロノのこと」
「当たり前じゃない、自慢の一粒種よ。私とあの人、親二人の血を引いてるんだから」
どこか誇らしげにリンディさんが呟いた。さっきのような重苦しい雰囲気はない。きっとこの上ない信頼があるからこんな柔らかな表情を浮かべられるのだろう。
強い絆で結ばれている二人。
「……じゃあ、そろそろいいわね」
「あっ、はい」
リンディさんの声に力が入る。表情もきりりと引き締まりいよいよを感じさせた。
もうそこに親としての姿を垣間見せたリンディさんはない。目の前にいるのは時空管理局提督リンディ・ハラオウンだ。
僕も私服だったものを魔導士としての服へ再構成させる。思えばこの服になるのも久しぶりだ。
「じゃあゲート開きます」
「よろしくねエイミィ」
エイミィさんが手元のコンソールを操作する。すぐに転移装置に光が満ち準備が整ったことを教えてくれた。
「それじゃ行ってきます」
一声かけると同時に光が僕を覆っていく。
今まで見えていたアースラの艦橋も光に塗りつぶされて何も見えなくなっていく。
そういえばミッドチルダに一応帰ることになるんだな、これって。
今更ながらそんなことに気づいたのは、僕の体がミッドチルダへ向け転送された瞬間だった。