無意識に足がたじろぎ後退り。
緋色の少女にとってそれは有り得ないものだった。
「盾……だ?」
自分とほとんど変わらない年恰好の少年。今でこそ凛々しさだけを湛えた瞳だが先刻の眼光だけは絶対に少年が自然と持ち合わせるものではない。
たった一瞬。刹那の眼力に少女の戦意はごっそりと奪い取られていた。
それでも負けじと少女は少年を睨みつけた。それでも相手は身じろぎ一つしない。
「ユーノ……くん」
「ごめん、少し遅くなった」
背中ごしの言葉でも少女は――なのはには十分だった。今の彼女にとってユーノは自分のピンチを救ってくれたヒーロー。
守ってくれる。それだけでなのはの心はもう一度息を吹き返す。
「なのは、大丈夫?」
「……フェイトちゃん」
気がつくと隣に親友がいた。凄く悲しそうな顔をしていて逆に自分の傷がそれほど酷いのかと心配になってしまいそうだ。
「大丈夫、そんなに酷い怪我じゃないよ」
笑顔を作って彼女を癒す。確かに打ち付けられて体中痛いけど大事になってはいないはず。引き換えにしたのはバリアジャケットくらい。
レイジングハートは全身ひび割れで、ともすれば触れただけで粉々になりそうな雰囲気を醸している。
でも今までの付き合い、このくらいじゃこの子はへこたれない。気にかける方が失礼だ。
「フェイトちゃん、わたしは大丈夫。それよりユーノくんを手伝ってあげて」
「うん、わかった」
向き直るフェイト。すでに目には闘志が燃え上がり彼女が少女から戦士と化したことを見るもの全てに教える。
「武器を置いて、今ならまだ悪いようにはしません」
「武器を置け……だぁ? 何様のつもりだよてめぇ」
割り込んできた黒衣の魔導師の言葉に少女が眉をひそめる。事実上の降伏勧告は少女にとってこの上ない挑発行為そのものだ。
声を荒げ毒気付きながら少女はユーノに通じなかった分までフェイトに眼光をぶつける。
「私は時空管理局執務官補佐、フェイト・ハラオウン。あなたの名前は?」
「……ヴィータ」
名乗られたからには名乗り返さねばならない。一端の騎士として騎士道は守らぬわけにはいかない。
「ヴィータ……うん、いい響きだね。じゃあもう一度言うよ。どんな理由があるのか知らないけど一度武器を下ろして。話、聞かせてくれれば力になれるかもしれない」
ふっ、と表情を崩しフェイトは愛杖を下ろした。誰だって必ず何かしら理由を持ってる。名前を言ってくれた目の前の子だってもしかしたら仕方なくこんなことをしているかもしれないのだから。
親友が昔してくれたと同じ様にフェイトは目の前の少女に心を開く。
「寝ぼけてんのか……力になんて」
『Flattern』
「なれるか!!」
ヴィータの足から魔力の渦が立ち昇る。彼女の姿が大きくぶれるのを意識が認識した時、既に彼女の目の前に鉄槌を振るうヴィータがいた――!
「フェイト!」
煌く緑光が槌の軌跡を再び阻む。フェイトでも反応しきれなかったヴィータの突進。行く手を塞いだのは他でもない隣にいたユーノ。
「話してみなきゃ分からないだろ! それなのに!」
「時空管理局なんて信用できるかっ!」
頭ごなしの否定。こっちの言い分はあくまで聞かないつもりか。
「僕は民間協力者だ!!」
魔力を一点に集中させ障壁を弾け飛ばす。不意の一撃はヴィータの体を軽々と吹き飛ばした。
「フェイト、あの子を頼む」
「わかった!」
黒い風が脇を駆け抜ける。体勢を整えようとするヴィータ目掛け躊躇なくフェイトは全身を叩き付けた。
絡み合うように二人は窓ガラスを突き破り外へと躍り出る。
「バルディッシュ!」
『Photon lancer』
「ファイア!」
ヴィータを突き放すと同時に雷光が空を駆ける。市街地での戦闘はあまり気乗りはしないがもうこうなってしまっては仕方がない。
後の始末をするであろう局員達に心の中で詫びを入れ、フェイトは次の一手のため戦斧を自慢の鎌へと変形させた。
* * *
温かな光は傷ついた体に隅々まで染み渡り、瞬く間に体中から痛みを取り去っていく。時間を巻き戻してしまうようなユーノの力はまさに魔法のようだった。
(って、魔法なんだよね)
心の中でなのはは笑って今も光を放ち続ける右手を、そして自分を見つめるユーノを見た。
「大丈夫? 多分痛みは取れたと思うけど」
当然のように目が合い、なのはは答えの代わりに笑って見せた。
「うん、もう大丈夫」
そう言って立ち上がる。治癒魔法が発動されて五分も経っていない。いきなり立ち上がられては魔法に集中しているユーノはさぞ驚くだろう。
だが驚いたのはユーノではなくなのは自身だった。
「すごい……」
悲鳴を上げていた体はどこへ行ってしまったのか。頭の命じるままに体は自由を取り戻し背中の鈍痛も今は全く言っていいほどない。むしろ戦う前より生気が溢れ出る気がした。
彼女の様子に傍らの魔導師は心からの安堵と共に頷いた。既に彼の仕事は終わっていたのだ。
「レイジングハートも修復できればよかったんだけど」
なのはに習って立ち上がるユーノは言うなり唇を噛んだ。人への回復魔法は上達したものの流石に無機体を修復する魔法まではユーノには習得できなかった。
ユーノの様子になのはは元気付けるように杖を掲げてみせる。
「大丈夫だよ。レイジングハートはこのくらいじゃやられないから」
『I understand myself better』
「……そうだね。彼女もそう言ってる」
宝玉が明滅し彼女が当然の答えを出した。それが強がりなのか、本当に大丈夫なのかは見ればほとんどわかってしまう。
けど彼女の性格だ。大丈夫といえば大丈夫。大丈夫にしてしまうのだ。
なのはもユーノも彼女に対する想いは同じ。不屈を冠する彼女の魂は決して砕けはしない。
「フェイトちゃんは?」
「今あのヴィータって子と戦ってる。アルフも今一緒にいると思うけど」
念話を試みる。これだけ大規模の、しかもミッドではない術式の結界を張っている。事を起こすにも一人で突っ込んでくる馬鹿はいない。必ず他の人間がいるはず。
(アルフ、そっちは大丈夫?)
(ユーノかい? ああ、なんとかチビはバインドでね。ただ――)
突然念話が途絶えた。まだ戦闘は続いているのか。
ヴィータは捕らえられたのだろう。ならば今彼女が相手にしてるのは誰だ。
沸いた疑問にすぐにアルフが答えを出す。
(新手がね! 向こうの使い魔らしい。それにもう一人、今フェイトと戦ってる!)
声が切迫した状況を手に取るように分からせる。ユーノの踏んだとおり敵は一人ではなかった。
フェイトとアルフのコンビに早々勝る相手はいない。知っている限りせいぜいあの小生意気な執務官だけだ。それが追い詰められている。いつの間にか天秤が向こうへ傾いていた。
「みんな大丈夫なの?」
「今のところは……でもすぐ援護に入らないとまずいことは確かだよ」
まずは見晴らしのいい所から現状を確認。こんなビルの中じゃ作戦もへったくれもあったもんじゃない。
「なのは」
「わたしまだ戦えるよ」
「うん、フェイトを助けなきゃいけないしね」
そう来なくっちゃ彼女ではない。一番彼女のことを分かっているつもりだから、ユーノは振り向くことなくフェイトたちが飛び出していった風穴から外へ飛び出した。
* * *
大の字で貼り付けにされた騎士の醜態に女は呆れながら指を鳴らした。
今まで頑なに手足を拘束していた光輪はあっけなく崩れ落ち捕らわれの少女は久方ぶりの自由を手にする。
「……ありがとよ、シグナム」
「なに、礼には及ばん。しかし」
言って女――シグナムは今さっき黒衣の魔導師を叩き落した場所を見た。大きく口を空けた屋上はそれだけシグナムの繰り出した一撃が壮絶だったかを語っている。
口の中には底なしとも思わせる闇が広がり何階か床を貫いて落ちたのは明白だろう。突然の来訪者にさぞあの建物も驚いているに違いない。いや、むしろ礼儀知らずな入り方に憤慨しているではないだろうか。
「ベルカの騎士たるものがこの程度では名が廃るぞ」
「二人がかりなんだからしょうがねーだろ」
シグナムの一言に悪態をつくヴィータ。やはり幼いせいなのかヴィータには騎士の自覚が足りない。騎士たるものいかなる状況も屈しないのが普通だというのに。
それでも多少手だれなら話は別か。本音を言えばそれ前提の一対二なら彼女が苦戦するのもしょうがない。
「だが今は私もいる。我らベルカの騎士、一対一で」
「負けはねぇ」
ヴィータの言葉にシグナムは僅かに口元を緩めた。それでこそベルカの騎士。
「ところでヴィータ。あれはおまえが持っているのだな?」
「当たり前だろ」
それだけ言うと懐を探リ始める。だがそこにあるべきものがなくなっていたことに今になってヴィータは始めて気がついた。
「……ない!? 闇の書どこいった!?」
確かにここに入れたはず。体中に手を回して何度も何度もそれがないか確認する。だけどない。どこにもない。
記憶を辿っても答えは出て来る筈もなく。あれがなければ課せられた使命を果たすことは絶対に出来ない。
「ど、何処で落としたんだ!? し、シグナム」
「私は知らんぞ」
慌てふためくヴィータにシグナムは憮然と突き放す。さっきの顔は何処へやら、いつの間にか歳相応な少女が必死になって探し物をしていた。
「まぁ、安心しろ。おまえはの探し物はちゃんと無事な所にある。あとあれだ、少し落ち着け」
今にも泣きそうな顔で体中を触り続けるヴィータの頭に、シグナムは彼女の大切なものを思い切りよく被せた。
「んな!? 前見えねぇ」
いきなり視界を閉ざされさらに慌てるヴィータ。どうにかこうにか被リ直してそれを思い出した。
「主の作ってくれた甲冑を粗末にするな」
「……わりぃ」
「修復はしておいた。今度は気をつけろ」
「……わかってるよ」
ありがと、とぼそりと付け足しヴィータはもう一度頭に乗った帽子の感触を確かめる。ガラス細工でも扱うようにその手つきは優しく、これがさっきまで大金槌振り回していました何て言ってもにわかには信じられない。
ヴィータのそんな姿を見ながらシグナムは改めて敵がそれなりの手だれだと確信する。我を失い前後の区別がつかなくなるまでヴィータはある意味追い詰められたのだ。そこまでする相手、用心はしなければならない。
と、ふと見た先にシグナムの目が止まる。どうやらその相手がやってきたらしい。
「ヴィータ、あの魔導師の相手を頼めるか?」
「ああ? 誰だよ」
シグナムの目線の先。そこには先ほど手負いにした白服の魔導師に自分の鉄槌を二度も防いだ魔導師がこっちに向けて飛んでくる所だった。
「あいつ……性懲りもなく」
「片方はそれなりにやられてるがもう一人は無傷か。……仲間か」
「盾らしいぜ」
聞いて仲間の一人が思い浮かぶ。あいつも自分達を守護する盾の獣。
こちらの世界の守り手がどれほどのものか興味が沸くが今は余興を楽しんでいる場合でないのは百も承知。
「そうか……ならおまえ一人でも少しは相手に出来るな」
「決まってんだろ。どっちもさっさとぶっ倒して魔力根こそぎ奪い取ってやる」
今度はやられはしない。決意と共にヴィータは鉄槌を強く握り締める。
「私はあの魔導師と決着をつけてくる」
爆風と共に大穴からもう一人魔導師が飛び出してくる。すぐに二人と合流し合わせて三人。
相手にとって不足なし。
* * *
「フェイトちゃん!」
「なのは!? 駄目だよ、休んでないと」
「大丈夫、サポートくらいはできるよ」
二人と合流したフェイトはまずなのはがユーノと共に来たことに驚きの声を上げた。
ユーノの治癒魔法が利いたのだろうか。見るからに元気そうなのはいつものなのはと寸分変わらない。それでもデバイスは相変わらずボロボロだし、バリアジャケットだってインナーシャツがむき出しになっている。どう見たって戦えるものではない。
「でも……」
逡巡しフェイトはユーノを見た。黙って彼は頷いた。
「僕が保障する。魔力も十分に回復できたし、それになにより僕がいるから」
僕がいるから――彼は言い切った。
そうだ、今はユーノがいる。この二人の絆の強さは誰よりも自分がよく知っているのだから。
考えることなんて始めからない。
「無理はしないでね」
「うん!」
「それでフェイトの方は大丈夫なの?」
ユーノに言われフェイトは少しばかり表情をこわばらせた。バリアジャケットは埃にまみれ体のあちこちにはいくつものかすり傷が負わされていた。
幸い戦闘を続行できないくらいの大きな傷がないのでひとまず安心できる。
「あの人強いよ。それに見たこともないデバイスを使ってる」
「うん、あの子も杖じゃなかった」
なのはもフェイトに同調する。見知らぬ魔導師のデバイスは最初から杖としての形を取っていなかった。鉄槌と剣、どちらも杖ではない完全な武器である。
「うかつに近づけないと思う」
フェイトは右手の杖を見る。今でこそバルディッシュは元の形に戻っているが、つい数分前まで斧と柄が泣き別れになっていたのだ。修復機能でなんとか持ち直しているがもし次にコアを砕かれてしまえば敗北が決定的となる。
「フェイト、相手とのスピードはどう?」
「多分、まだ私の方が勝ってると思う。それにあの人中距離間の射撃魔法とかないみたいだから」
「射撃はないか……」
逆に言えばフェイトの相手をした魔導師はかなりの余力を、下手をすればほとんど実力を出していないということだ。
フェイトは相手の力量を勘繰っている節がある。下手に飛び込ませたらそれこそ危険だ。
「なのは」
「あの子は射撃魔法はあるみたい。防御魔法もあるし、でも一番危ないのはフェイトちゃんと同じだと思う」
なるほど、二人の結論はどちらの魔導師も白兵戦が強みということか。
アルフが今戦っている相手もその分だとそちらに特化された使い魔である可能性が高い。
おそらくアルフは大丈夫だろう。問題は目の前の魔導師二人。
今まで対人戦なんてなのははフェイトや模擬訓練でのクロノくらいのはず。圧倒的に経験が不足している。
もちろんユーノにだってそんな経験はあまりない。リンディの下で魔法を学び、しばらくして回された別の管理局の艦。そのとき数件だけ人を相手に魔法を振るったぐらいだ。
「あっちが待ってくれてるのが救いだったよ」
不意打ちをされぬようある程度距離はとっているつもりだがあの二人にとってこの間を埋めるなんて造作もないだろう。
冷静に、的確に、そして迅速にユーノは頭の中で作戦を練っていく。次々にレーンへ乗せられていくプランを吟味しては破棄。少しでも使えそうなものは新たに来たものへ組み込み完成度を高めていく。
「この結界……破れるかな?」
「多分力押しでならいける。術式は違っても基本となる構造は同じだから」
見上げた空は今も不気味に蠢き、夜空とはかけ離れたくすんだ色で揺らいでいる。おかげでなのはの所に転送するまで痛いくらい時間を浪費した。
「でも結界を破壊するにはあの二人が邪魔すると思うよ」
いつでも飛びかかれるようにフェイトは敵を見据えている。既に光の鎌がフェイトの手の中で金色を放っていた。
あらゆる要素から導かれる可能性。その中でもっとも確実で全員が無事にここから脱出できる策。
二度、深呼吸をして小さな指揮官は一度視界に幕を下ろした。思い描く最高の形は結界のように強固で揺るがない。
――ああ、やってみせる。
幕が開いた。
「二人ともよく聞いて。あくまで僕たちはこの結界から脱出することを考えること。悔しいけど今の状態じゃ多分あの二人を倒すことは出来ないと思う」
わかっていたのだろう。フェイトは待っていたように頷き、耳にはなのはの相槌が聞こえた。
「まず時間を稼ぐ。僕となのはでヴィータって子の相手を、フェイトはあの女の人を」
二人が戸惑うことなく頷く。
「特にフェイトは中距離での攻撃を中心として距離をとって、接近戦だけはとにかく避けて時間を稼いで」
「わたしは?」
「なのははとにかく撃って。僕は隙を見て彼女を拘束する」
「うん、ユーノくんを信じる」
準備は整った。不確定要素は相変わらず頭の中を漂っているけど気にするまでもない。
「じゃあいくよっ!」
「うん!」
最初に動くのはフェイト。バルディッシュが唸りを上げ空を引き裂く。
「アーク……セイバー!!」
放たれしは金色の刃。
開戦――同時にヴィータが弾丸のように突撃を仕掛ける。もう一人は後ろで不動のまま。様子見ということか。
「フェイト!」
「分かってる! バルディッシュ!」
『Saber blast』
刃が一瞬の閃光と共に爆発する。瞬く間に目の前が煙幕に覆われお互いを隔てる壁となった。
『Divine shooter』
「シュートッ!!」
息つく間もなくフェイトの背後から光が飛び出し煙の中へ突っ込んでいく。炸裂音が次から次へ空気を振動させ煙の中で桜色の光が見え隠れする。
命中さえすれば動きは止まる。視界ゼロの状況の中、奇襲攻撃を障壁で受け止めたヴィータの横を何かが疾風となって駆け抜けていく。姿は見えないが魔力の波動で誰が後ろのシグナムに挑んだぐらいはわかった。
「だったらあたしの相手は――」
足が風の渦に飲み込まれる。まとわりつく煙を蹴散らしてヴィータは空へ、敵へと飛び出した。
「てめぇだな! 盾野郎!!」
『Schwalben Fliegen』
魔力を凝集させた銀弾を、相手を網膜に捉えると同時に発射。不規則な軌道を描きながら四方八方からユーノを取り囲んだ。そして突貫、爆裂。
完璧な包囲網。さっきみたいな壁一枚で防ぎきれるものではない。これで一人、あとは手負いだけ。
「いっけーーっ!」
声と共に光が降り注いだ。
頭上からの連続攻撃。弾の生成、槌による弾の加速、発射と二段の工程を踏まなくてはならないヴィータにとって半ば隙を突かれた格好となる。
「パンツァー!!」
ヴィータの周りを真紅の多面が取り囲む。甲冑を覆う更なる甲冑。物ともせず光の塊を弾き飛ばしていく。
集中砲火が途切れると同時にヴィータは左腕で空をなぞる。軌跡にそって生まれた銀弾は鉄槌によって命を吹き込まれなのはへ襲い掛かる。
赤が空を焦がし爆音が盛大に鳴り響いた。勝利の確信。だがヴィータのそれはすぐに否定される。
「バインド!」
「シューート!」
蠢く二つの煙球を貫いて二色の閃光が同時にヴィータへ牙をむく。
光鎖と光弾。光で編みこまれたそれぞれが最も得意とする魔法がヴィータを捕えようとする。
「なっ!?」
完全な油断を突かれた。これでは防御障壁を張る暇もない。
残された道は一つ。本能が体を突き動かし鉄槌が高らかに飛行魔法を詠唱する。
上下からの挟撃。それなら横に逃げればなんてことはない。思ったとおり、すんでの所でかわした。
「どうだ! こんなもん当たるわけ」
「ないよね!!」
声が号令となり轟音が大気を引き裂いた。
避けることは予測済み。ユーノの結界が解けると同時に煙を目くらましにしてディバインシューターを発射。すぐにフラッシュムーブでヴィータの逃げ道をなのはは塞いでいた。
ヴィータの位置、攻撃、移動のタイミングは全てユーノが教えてくれた。
今までの比ではない魔力の塊がヴィータを飲み込もうと口を空ける。
やられる!? そう思うよりも前に障壁がヴィータの前に立ちふさがった。
「アイゼン!?」
激流に赤の障壁はすぐに悲鳴代わりのヒビを入れる。だが幸いなのは自身が威力を抑えていたおかげで決壊一歩手前でヴィータは拷問から開放された。
「わりぃ……助かった」
従者は無言で感謝の言葉を受け取る。この時に限って何も言わないことが逆にヴィータには彼なりの叱咤激励だと感じた。
なんとしても勝て。騎士として恥じぬように。
「わーってる、よっ!」
発射後の隙目掛けて槌が風を薙ぐ――だが完全に外れた。相手は後ろへ大きく退きその一瞬でまた厄介な誘導弾を作り上げる。
「ちっ!」
なんてしても光が撃ちだされる前に取り付かねばお話にならない。飛んでくる弾丸は自らに当たるものだけを砕けばいい。多少傷つくのは覚悟の上だ。
右手から振るわれる一撃一撃が弾を捕らえ砕き、元の魔力へ強制的に還していく。
「ボロボロの癖に生意気なんだよ!」
だが口とは裏腹にヴィータは相手が打って変わって動きが鋭敏になっていることに困惑をしていた。
一瞬を狙った攻撃。まるでこちらの動きを読んでいるかのような的確な魔法の使い方。明らかな違い。さっきの相手とは思えなかった。
「じゃあ話を聞いてよ! 理由もないのに戦うことなんてないでしょ!?」
撃ちながら言えるような言葉か、それは。
なぜさっきの黒衣といい力になれるわけもないくせにこんな無責任なことを言えるんだ。
偽善、いい子ぶる、かっこつけ。頭の中に浮かぶ言葉は油となりヴィータの闘志を燃え上がらせていく。
「だったら魔法使うな! 和平の使者なら槍は持たねぇんだよ!!」
「そっちが始めに撃ってきたくせに!」
「おまえがヤル気満々だったからやったまでだ! 先手必勝って知らないのかよ!」
「そんなの滅茶苦茶だよ!」
その感情をぶつけ合うなのはとヴィータ。互いの主張は平行線を辿り果てない水掛け論が続く。どっちが加害者で被害者か。
「ちょろちょろ逃げんなっ! 卑怯者!!」
「卑怯じゃない! わたしは撃つのが専門なの!」
もはや魔導師の戦いではなく子供の喧嘩だ。
ひたすらに距離をとりなのはは攻撃を繰り返す。ヴィータは掻い潜り距離を詰める。
だが経験の差か、こういった戦い方を心得ていたのはヴィータのほうが一枚上手だった。
「なめんなぁ!!」
業を煮やしたヴィータが飛行魔法で一気に突撃を仕掛ける。迫りくる光弾の中を体に当たるのを気に留めず真っ直ぐに風を切った。
特攻めいた行動にこれはなのはも驚いた。確かにディバインシューターの威力はバスターに比べれば数段落ちる。
それでも威力はあるのだ。防御もなしに突っ込んでくるなど誰が予想できようか。
「これで終わりだ!」
冷静でいることが戦況を見極める最大のポイント。どこぞの魔導師はそんなことを言っていたが今は感情的になった方が勝者に近づけるというのはなんとも皮肉。
激情の一振りが今度こそ息の根を止めようと振るわれる。まだ障壁を張れば間に合うだろうけど結果は目に見えている。だからなのはは障壁はおろか防御もしない。
盾はいつだって隣にいるのだから。
「っ! いい加減にしろよ!」
三度目の攻撃も彼の壁の前には成す術がなかった。
こいつが来てから一度も後ろの魔導師に痛手を負わせられない。事実はあまりに非情。
「いい加減にするのは君だ! なんでなのはやフェイトの気持ちが分からない?」
「全部見透かしたつもりで見下しやがって! おまえらなんかに分かるか!!」
駆動音と共に柄から何かが吐き出される。円筒形の金属体、それは重力に引かれるまま大地へ消えていく。魔法弾の部類というわけではないようだ。
だがユーノがその正体を掴む前にヴィータの鉄槌が突如としてその形を変える。
今まで槌であった場所から鈍く輝く円錐が飛び出し、反対の槌が爆炎を吹き上げた。
「こんなもんであたしはぁ!!」
怯えるようななのはの念話が脳内を駆けた。これがなのはを一度は打ち倒したもう一つの鉄槌というわけか。
「ぶち抜けーーーっ!!」
右手の負荷がいきなり増した。怒髪天を衝く勢いでヴィータが絶叫。翠の輝きに亀裂が入った。
「ぐっ!?」
「ユーノくんっ!!」
じりじりと押される感触。魔力と魔力が正面切ってぶつかり、もはや鉄槌とかけ離れた先端が障壁に食い込み際限なく亀裂を増やしていく。
決壊するのは時間の問題。
「だい……じょぶ――」
これならなのはの守りが砕かれるのも当然だ。ただの魔力を武器に乗せ直接、炸裂させるなんて芸当ミッドチルダ式の魔法にはないに等しい。
結界のこともある。確信した。この魔導師たちは異世界の魔導師ということを。
だからといってそれが敗北の理由になんかならない。ユーノにとっては守り抜けないことこそ敗北なのだ。
「こっちもまだ、やれる! 大切な人を後ろにおいて退くわけには行かないだろ!!」
決意の声が右手に輝きと新たな障壁を与える。手首には環状の魔法陣が組みあがり唸りを上げた。
「多重障壁、凝集圧縮。空間……固定! 光の円のその内に、集え守護の調べ!」
呪文が激鉄を下ろし障壁全てが眩い白に飲み込まれる。生まれし強大な城壁はもはや何人たりとも進入を許しはしない。
せめぎ合う力が音と光の渦を生み出しなおもそれは膨張し続ける。
「ハァァァァッ!!」
拮抗するかに見えた槌と盾。だがユーノの気迫が逸早く鉄槌に息切れを起こさせた。
噴出す炎が収束し、一度大きく猛りを見せたのを最後に沈黙する。推進力の供給を絶たれ鉄槌は見る間に勢いを失い支えているのはヴィータの腕力だけ。
「悪いけどしばらく大人しくしててっ!」
左腕が印を描き天へ突き出された。掌から撃ちだされたのはユーノが得意とする拘束魔法。
ユーノは防戦しながら相手の魔法に潜む致命的な欠陥を見破っていた。それは攻撃へ全魔力を集中させるがためにあらゆる魔法効果が消失すること。
攻撃を受けながらもユーノは相手を分析する余裕を持ち合わせていた。今まで鍛錬してきた成果が現れているのだろう。
天を登る鎖が鎌首をもたげる。餌食になるのは哀れな敗北者。
鎖が軋みヴィータに襲い掛かる。避けようにもヴィータは体勢を立て直すこともままならない。
ラケーテンハンマーはヴィータの必殺。相手を倒してしまうのだから防御も何も必要ない。ただ倒す力さえあればいいのだ。
それを無に返された。後はない。
「うあぁ!?」
悲鳴が絞りだされた。
手足どころではない。鎖はヴィータの体を這いずり腕は体にぴったりと、足は綺麗に揃えられ、簀巻きにされて全ての自由を奪われた。
文字通りの完全拘束だ。
「て、てめぇ……こんなことしてタダですむと思うなよ!!」
「そのときはまた相手になるよ。悪いけどこっちも手一杯なんだ」
どれだけ虚勢を張っても負け犬の遠吠え。言うだけ余計虚しくなる。
剣ではない、銃でもない、盾に負けるなんて人生で初めての経験だった。屈辱を通り越して泣きたくなってくる。なんでこんな奴に自分は負けたのかと。
ユーノはヴィータを一瞥するとすぐにフェイトが激闘を繰り広げているだろう空を見た。紫苑と金色がぶつかり合っているのがはっきりと視認できる。
「じゃあ僕はフェイトのフォローしてくる」
「わたしも――」
「なのはは結界の破壊をお願い。流石に二人は守れるかわからないから」
なのはを制して続ける。
「僕はなのはの盾だけど、なのはの友達、大切な人みんなの盾にもなりたいから」
真っ直ぐな眼差し。ユーノの思いになのははすぐに頷いた。
「分担だね。あの時みたいに」
「そうだね、じゃあ」
「うん! 任せて」
互いに頷きあいなのはは立ち並ぶビル群の只中へ、ユーノは激戦の空へ飛んだ。
* * *
「あっ、はい……はい」
柔らかな声が風に流されていく。
「すいません……多分これから帰れますから」
電話の向こうの相手と話すたび声は気弱に、小さくなっていく。
自分達の主にはこの頃迷惑をかけてばかりだ。隠し事がよくないことは百も承知の上。これも主のためなのだから仕方がない。
「はい、じゃあ」
言って電話を切る。今までアンテナ代わりになっていた振り子がゆっくりと中指の指輪に収まった。
決して最新型の携帯電話ではない。彼女のアームドデバイス、クラールヴィントだ。
「数は一人多いだけなのに……なんで」
人差し指に嵌められたもう一つの指輪から天地逆さにさっきと同じ振り子が突き出し鈍い光を投げかけた。
形成される簡易モニターを通しあまり芳しくない戦況に唇を噛む。
ヴィータは拘束魔法でがんじがらめにされ空中に浮かんでいる。ザフィーラは敵の守護獣と思われる者と、シグナムは魔導師二人と戦闘中。
最初にヴィータと戦っていた魔導師は戦線を離脱したのかビル群へ消えた。
「実質二対三……か」
もう一度戦況の整理をしてみる。
ヴィータが蒐集対象とした魔導師と戦闘しこれを撃破。その後、応援と見られる相手に一時拘束されるもシグナムの援護により脱出。
その後先ほどの魔導師も合わせて三人と二人が戦闘を再開。
「まさかヴィータちゃんがやられるなんて」
唇に添えた指を噛み相手の力量を甘く見すぎていた自分を責める。
あの白の魔導師の少女ともう一人の少年魔導師。絶妙としか言い切れないコンビネーションの前にヴィータは敵うことなくあの有様。
「それに……」
あの三人が合流した時作戦でも立てたのだろう。シグナムと再戦している黒衣の少女の戦い方が明らかにさっきと違う。
中距離からの射撃魔法を中心に機動力でシグナムに狙いを定めさせないようにし、隙あらば少年が拘束魔法を放つ。
接近戦を避ける相手にシグナムが懐を取ろうとするも少年の魔法が簡単には許さない。入っても障壁に阻まれる。
「……やるわね、あの子」
まだあどけなさが抜けない少年が――もちろん残りの二人も子供らしからぬ動きで善戦しているのだ。管理局の人間とは違う、それよりもずっと手強い魔導師。
悔しいが敵ながら賞賛しないわけにはいかなかった。
だからこそ鼻に付く。管理局が動いているとなるとじきこの結界も突破されるだろう。
まさに時間の浪費だ。
「その前に一人でも蒐集しないと」
あくまで目的は魔導師からの魔力の蒐集。しかし今のままでは目的を完遂することも敵わない。
敵の参謀はよく頭が働いている。どうやって敵の頭を潰すか。
問題はそこだ。
「あんなに動かれちゃ動きも止められない」
下手に手を出して自分の存在が気づかれればそれこそ敗北が舞い降りてくる。戦闘力のない自分など倒してくださいと言ってるようなものだ。
「魔導師三人に守護獣一匹……一人は離脱……?」
自分の言葉に何か引っかかるものを感じた。
「まさか陽動……でも」
あの白の魔導師だけはシグナムともザフィーラとも戦わずこの町のどこかに身を潜めている。傷のために隠れたのか、遠方から狙撃するつもりなのか。
どちらの可能性も真っ向否定。さっきあんなに飛び回っていたのが手負いでないことを証明している。
狙撃するにも味方に当たる危険が大きい。狙撃をするにもあんな障害物の森からどうやって撃てようか。
ヴィータのことから考えても、こちらと徹底的に交戦する意思は感じられない。
だとすれば、浮上した疑問が直ぐに形を示していく。
「もしも結界の破壊なら……」
嫌な予感が走った。すぐさまクラールヴィントで結界内全体を魔力探知にかける。
「……驚いたわ」
振り子の水晶が淡く光り、モニターにデバイスを構えた少女が映し出された。
既に先端には光の塊が生まれ今この瞬間も成長し続けている。幾多の修羅場を潜り抜けてきたシャマルにとってそれは結界を簡単に貫く光だと一目で分かってしまった。
「確かにあの子の相手はいなくなる」
これならたとえ魔法の発動に時間がかかっても問題はない。きっと誰かが駆けつける頃には結界は破られた後だ。
「……でももう少し、ってところかしらね」
どう足掻いても勝ち目とは程遠い状況。だというのに彼女はいまだ余裕を持ち合わせていた。
いや、正確には今になって余裕が現れてきたというべきだ。
「動かないなら私には好都合だから」
少年はよく頑張っていたが今回はこちらの勝ちだ。
恨むなら自分の存在に気づかなかった己の未熟さを恨むといい。参謀は戦いの表と裏、どちらも常に見据えてこそ始めて成りえるものなのだ。
一瞬、彼女の口元に不敵な笑みが浮かんだような気がした。
「それじゃあ導いて……クラールヴィント」
『Ja』
左手にも嵌められた二つの指輪。それぞれは振り子を解き放ち、振り子達は自身を吊るす糸で空中に円を形作る。
描かれた円の只中は光りに包まれ、湖面のように揺らぎ始める。
「また会うかもしれないわね、小さな策士さん」
おそらくこの町にいる限り彼らとはこれから何度もぶつかり合うだろう。
その時、戦況を握るのは自分と彼。水面下での頭脳戦が幾度となく繰り広げられるはず。
「でもヴォルケンリッターの参謀は決して負けはしない。湖の騎士シャマルとして」
シャマル――それが彼女の名前。
「導け……旅の鏡――!」
遥か天空でユーノがシグナムの紅蓮を受け止める。
それに重なるようにシャマルの右腕は鏡の中へ吸い込まれていた。