瞬間、白刃が煌いた。
魔剣の切っ先は後ろに倒れこむクロノの前髪をかすめ、その幾本かが宙に舞う。
クロノはそのまま魔力による補助を受けたバック転で、常人からすれば驚異的な飛距離を以って距離をとった。
間髪要れず、追撃をかけんと魔剣の主は疾駆する。
地を這うような低い姿勢は、あたかも獲物を狙う獣のよう。
しかし、それを許すほど相手も甘くはない。
『Stinger Ray.』
無機質な声と同時に具現した光の弾丸が、地を駆ける剣士に襲い掛かった。
常人ならとっさに回避するその瞬間に、しかし騎士は後退を選ばない。勢いを殺さぬままに、襲い来る弾丸に真っ向からに飛び込んでいく。
わずかな角度の変更のみの回避。その程度で光弾をかわしきることは不可能。
しかし、受け流すことならば。
光の軌跡が騎士の鎧の肩部を掠めて通り抜けていく。
バリア破壊を目的とした、対魔導士用の弾丸。
しかし直撃を免れたならば、パンツァーガイストに守られた鎧には傷一つつけること叶わず。
そして騎士は更に加速をかけ、牽制の弾丸をかわされ無防備となった獲物に剣を横薙ぎに払おうと――
『Stinger Ray.』
無機質な声と眩い光が、彼女の思考を奪った。
更なる加速が災いして、なんだと、という驚きをもらす瞬間すら与えられず、光弾が直撃。
最新式のストレージデバイス・デュランダルが可能にする高速連続詠唱。
魔力による不可視の鎧によって、外傷そのものは受けていない。しかし、着弾の衝撃までは殺すことができなかった。
高速を保っていた姿勢が崩れ、体が傾く。凄まじい慣性がかかる中でのそれは容赦なく彼女のバランスを奪っていく。
――だが。
「この程度でっ!!」
そうだ。この程度で倒れるようではベルカの騎士は名乗れはしない!
自身の体重と速度、その乗である力をただの一足で受け止める。
魔法による強化がなければ腱や骨ごと断たれそうな力学エネルギーを全て相殺し、無理やりに横薙ぎの一閃を払った。
軽くはない代償。その代わりに得たものは、反撃の機会。
そのまま倒れていたならば襲い掛かってきたであろうトドメの一撃が形となるその前に、横薙ぎの一閃がクロノへと襲い掛かる。
「くっ!!」
(浅いか!)
服と皮、そしてわずかばかりの肉を裂く感触が、半身たる剣を通じて伝わってくる。
かろうじて斬撃をかわした若い魔導師は、そのままの勢いで再び距離をとった。
――強い。
分かっていたことだが、改めて思う。
強敵との戦いの歓喜に、思わずシグナムの口の端に笑みがこぼれた。
「……模擬戦? 今からか?」
艦船アースラ、自分の執務室でクロノは怪訝な声を出した。
椅子を回転させて振り返れば、そこには直立不動のシグナムの姿があった。
その後ろでは人間姿のザフィーラが控えている。
「ああ。この任務が終わり次第、私は主の下へ帰らねばならん。できるのは今だけだ」
「たしかに今は補給中だし、一部の局員には自由行動が保証されてはいるが……」
クロノは顎に手を当てて考えた。
今回の目的であるロストロギアは既に回収してある。後は補給が終わり次第本局へ輸送するだけだ。
11年前の闇の書事件のことを考えればまだ気を抜くことはできないが、その危険性は少ないだろう。
クロノにしたところで彼女ほどの実力者と訓練できる機会は惜しいし、できるなら彼の方からお願いしたいくらいだ。
しかし、まだ任務中には変わりはない。現在アースラの最大戦力である2人が同時に離れるのは好ましいことではない。
そう結論付けて、クロノは顎から手を離した。
「そこまで急がなくてもいいだろう。僕もこの任務が終われば休暇が取れるだろうし、それからでも遅くはないはずだ」
「それはそうだが、しかし……」
それでも引く様子を見せないシグナムを、クロノは疑問に思った。
シグナムは彼の知る限りでも物事を論理的に考えるタイプだと思っていたから、この反応は少し以外だった。
よく見てみると、わずかに焦りのような感情が伺えるのに気づいて、クロノは原因に思い当たった。
「……もしかして、今回の任務のことを気に病んでいるのか?」
「………………」
シグナムは黙ったままうつむいた。どうやら当たりらしい。
自分並み、あるいはそれ以上に生真面目なその性格は彼女のライバルであり、彼の妹であるフェイトにそっくりだなと、思う。
「あれは危険性を察知しきれなかった僕のミスだ。君に非はない」
「だが、私は守りきれなかった……!」
今回の任務は、ロストロギアの回収および、その研究を不法に行っている施設の制圧だった。
派遣されたシグナム、ザフィーラはそれぞれ先陣を切って武装局員の制圧路を開き、逃亡させないよう結界を張り、局員達の指揮をクロノが執る形で、制圧作戦は始まった。
作戦は順調に進んだが、問題が起こった。
半ば錯乱した研究員が、ロストロギアを無理やり起動させ、使用者が暴走してしまったのだ。
幸い、ロストロギアの脅威自体は、ジュエルシードや闇の書と比べれば大きなものではなかったが、それでも脅威であることには変わりない。
その場に居合わせた局員に出入り口を封鎖させ、シグナムがその封印に当たったが、いかんせん相性が悪すぎた。
ロストロギアによってシグナムに並ぶほどの魔力を得た敵は、彼女のライバル、フェイトに並ぶスピードを逃げ回るために使い、ひたすら遠距離からの攻撃に徹してきたのである。
間合いを詰めることで真価を発揮するシグナムには、天敵と言えた。
遠距離船の切り札であるボーゲンフォルムにしたところで、詠唱中に襲われればシグナムとて無事ではすまないし、そもそも猛スピードで逃げ回る敵に当てる自信はあまりなかった。
それでも、シグナム一人なら逃げ回る敵を誘導し、追い詰めることができたかもしれない。
しかしシグナムの後ろの武装局員が攻撃を受ければ無事ではすまない。
加勢に向かったクロノの到着をシグナムは武装局員を庇いながら待っていた。
それは最善の判断だとクロノは思っているし、それ以上の方策など、シグナム自身にも思いつかない。
しかし、シグナムとて限界はある。蛇腹剣が打ち落とし損ねた一撃が武装局員を直撃してしまったのである。
幸い、エイミィの迅速な手腕で強制転送された局員は命を落とさずにすんだ。
その後すぐに到着したクロノの援護を受け、シグナムはロストロギアの封印に成功したが、シグナムはその犠牲を許せないらしい。
「私は守護騎士だ。このザマでは主を守りきれないかも知れぬ……!!」
血を吐くように言葉をこぼすシグナムの愚直なまでの性格を、クロノは好ましく思っている。
しかし、それが今回は悪い方向に働いているようだった。
どうしたものか、と思う。
そうしてクロノが考え込んでいると、それまで後ろで控えていたザフィーラが初めて口を開いた。
「執務官。シグナムの頼みを聞いてやってはもらえないだろうか」
普段は寡黙な男だけに、彼が発言すると注目を浴びる。二人の視線がザフィーラに集まっても、彼は微動だにしなかった。
不意に、クロノが少し表情を変えた。
どうやら、ザフィーラが念話でクロノに対し説得を試みたらしい。
あえて声にしないと言うことは自分が聞くことではないだろうと思い、シグナムはそれを尋ねる真似はしなかった。
クロノは初め驚きを示したものの、すぐさま自省を取り戻して表情を改めた。
少しの間二人は話し合っていたようだったが、やがて決着がついたのか、クロノが小さくうなずく。
「……分かった、いいだろう。ザフィーラ、悪いが訓練用の結界は君が張ってくれ」
「了解した」
その表情が、ほんの少しだけ微笑んでいるように、シグナムには見えた。
そのような経緯で、現在ザフィーラの張った結界内で二人は息も付かせぬ攻防を繰り広げていた。
これは模擬戦である。相手に大怪我を負わせることなど許されない。命を奪うなどもってのほかだ。
だがしかし、今自分は切れ味では並ぶもののないレヴァンティンを使い、全力でそれを振り切っていた。
相手に痛みを感じさせずに胴を真っ二つにもできるであろう全力の一撃。
なぜ自分は、模擬戦で命のやり取りをしようとしているのか。
なぜこの相手は、それをとがめようとしないのか。
レヴァンティンを正眼に構えながら、シグナムは自問した。
そしてすぐに答えは出た。戦意にみちた歓喜とともに。
(その答えは単純だ。私とこの男は、『この程度で相手が死ぬはずがない』という力量に対する敬意がある!)
自分の全力を持って相手と対峙する。
シグナムのような騎士にとってこれ以上の喜びなど、ただ一つしか彼女は知らない。
「――参る!!」
声なき咆哮を魔剣に乗せて、シグナムは疾駆する――!
戦いは自然と、シグナムが攻め、クロノが守るという形になった。
無理からぬことであった。
近・中・遠距離をバランスよくこなすクロノと、近距離戦闘に特化したシグナム。
近接戦ではクロノがシグナムに敵う訳がなく、遠距離戦ではシグナムにはクロノに手の出しようがない。
自然、クロノは相手の不得手なロングレンジまで後退しようと機を伺い、シグナムはそれをさせじと爆発的な加速を持って間合いを詰める。
押しているのはシグナムだった。
カートリッジを駆使した爆発的な魔力を推力、そして斬撃へと変え、クロノの身体に少しずつダメージを与えていく。
対するクロノには、その魔力に対抗するだけの術を持たない。
下手に防御しようものなら、シールドごと吹き飛ばされるか、良くて魔力が枯渇するほどに消耗するだけだ。
だからクロノはけして真正面からぶつかることはしない。
回避と受け流しに専念して、ひたすら致命的なダメージだけを避け続けている。
フェイトの時のように、一瞬の交差が決着をつけるような、拮抗した戦いではない。
クロノはただ逃げ回っているだけで、こちらに対して何の有効なダメージを与えてはいない。
けれどなぜか、シグナムの騎士としての誇りは、それを惰弱とも卑怯とも思わなかった。
それは幾度目の交差であったか。
カートリッジを使っての突撃はまたもクロノに軽い裂傷を与えたに過ぎず、シグナムは舌打ちをしながら足を地面に滑らせ姿勢を入れ替える。
だがしかし、今までの突進は無駄ではなかった。
段々とクロノの回避パターンを読みきれてきている。事実、今回与えた刀傷は、今までのそれよりも僅かに深い。
そう遠くないうちに、刃はクロノを捉えるだろう。
そんな静かな自信とともに、提げた剣から薬莢をリジェクト。弾丸を再装填させる。
それを隙と呼ぶのは、あまりに酷な話だろう。
シグナムが全力を発揮するにはカートリッジは不可欠であり、そのためのリジェクトもまた不可欠である。
その上、クロノはその間ずっと逃げ回っているだけで、何のアクションも起こしていない。
油断など決してしないシグナムではあるが、ほんの少しの緩みもなく戦い続けられる人間など、存在するわけがないのだ。
だがたしかにその一瞬には、シグナムは本当に僅かに、相手からの攻撃を予測するのを忘れていた。
『Blaze Canon.』
「――なっ?!」
ブレイズキャノン。
クロノが使う魔法の中でも上位に入る威力の炎の砲撃がシグナムを襲う。
剣は提げているため、受けるには間に合わない。再装填の最中だから、障壁がもつか分からない。
シグナムに対してはこれ以上ないほどのタイミングで、クロノの一撃は解き放たれていた。
受けることは危険。頭で考えるよりも早く、シグナムはバックステップで後退しようと――
――ゾクリ。
それを言葉にするのは難しい。
夜天の魔道書の守護騎士プログラムとして長い間戦ってきた彼女の経験、いや本能が、目に見えぬ危険を察知した。
体勢が崩れることも厭わずに、無理やりに身体をひねって横方向へと倒れこむように回避する。
熱線が直撃したところ中心に急激な温度差が蒸気を巻き上げた。
その霧に紛れるようにシグナムは転がりながら回避を続ける。
一瞬の間をおいて、それを追うようにクロノのスティンガーレイが連射された。
「ちぃっ……!」
自分の横で次々起こる着弾の衝撃に、身体が幾度も揺り動かされる。それに眉をしかめながらも、決して回避行動は緩めない。
時間として計算したならばほんの一瞬、シグナムの主観としてはようやくにして再装填を終えたカートリッジの力でレヴァンティンをシュランゲフォルムへと形を変えさせる。
蛇腹剣として射程を遥かに延ばした剣は、曲がりくねりながらクロノを襲う。
それは回避行動中に放った、体勢不十分の一撃。
当然、正確な操作など望むべくもなく、鞭のようにしなった剣撃はあっさりとかわされた。
だが、シグナムが求めていたのはその僅かな時間。
クロノが回避行動に移った瞬間にジャックナイフ機動ですばやく起き上がり、油断なく剣を構えた。
クロノも飛びずさって後退し、デュランダルを構える。
にわかに訪れた膠着状態。
先に口を開いたのは、クロノだった。
「……驚いたな」
じりじりと油断なく間合いを計りながら、クロノがつぶやく。
言葉とは裏腹に冷静そのものの口調だが、内心がどうなっているのかまではシグナムには分からない。
「どうして、あそこで体勢を崩してまで横に逃げたんだ?
……いや、質問を変えよう。どうして、後退した先に僕の罠があるって分かったんだ?」
あの時、シグナムがとっさに後退していれば、クロノが仕掛けていたディレイドバインドによって拘束されていた。
そうなれば、次に襲い掛かってきたのは発射速度を優先したスティンガーレイなどではなく、もっと大技が彼女を襲っていただろう。
シグナムもまた鷹のような眼光でクロノを見据えたまま、答えた。
「……自分でもよくは分からない。ただ危険だと思った。それだけだ」
クロノは笑った。彼にしては珍しい、戦意むき出しの獰猛な笑みだった。
そして、自分に浮かんでいるだろう笑みと、まったく同じ笑みだった。
シグナムはようやくにして、この戦いを、逃げ回ってばかりいるこの魔道士を不快に感じない理由が分かった気がした。
この男は、この魔道士は、自分と相手の戦力差を理解し、その不利を認め、それでも勝つための意思を捨てていない。
自分・相手・その得手、不得手・地形・天候・果ては相手の心理までをも利用して勝利を模索している。
どんなに無様であろうとも、どんなにみっともなかろうと、自身の目的のために全力を尽くすその姿を、シグナムは自身に課していたし、それをなす相手にも敬意を覚えていた。
(……さすがはテスタロッサの義兄というわけか)
だがこの戦いは、フェイトの時とは違う。
自身の全力を持って相手を上回らんとする決闘ではない。
自身の全てをもって相手に勝とうとする戦闘だ。
その緊張感もまた、悪くはない。
そして二人は再び疾駆した。
その後は一進一退の攻防が続いた。
蛇の化身と化した魔剣がクロノを襲い、弾丸の魔力が尽きた瞬間を狙ってシグナムに光弾を打ち込む。
クロノとシグナムはお互いに隙とも言えないような一瞬の緩みを、相手の攻撃を避け、あるいは受けながら探り続けていた。
ほんの僅かな魔法の切れ目、一瞬のまばたき、めまぐるしく動く眼球の盲点。
そうした針の穴のような活路に、幾重もの魔法を、技をねじ込んでいく。
何十にも偽装したフェイントと力が絡み合うその先に、罠を仕掛けて誘い込む。
二人は全身全霊で戦っていた。力と魔力、そして意思が拮抗して見事な均衡を保っていた。
押しているのはシグナムなのには変わりはなかった。
だがしかし、戦闘を支配しているのはクロノだと、今のシグナムにははっきりと分かった。
(所持しているカートリッジは残り4発……これまでに決められなければ、私の勝利はない……!)
今更にして、クロノの狙いに気づく。
彼は闇雲に逃げ回っていたのではない。こちらのカートリッジの消耗を待っていたのだ。
カートリッジの装填による爆発的な魔力の増加がベルカの魔法の持ち味なら、ミッドチルダの魔法はその安定した出力にある。
弾丸の魔力が満ちた今なら彼を圧倒することもできるが、それがなくなればどうなるか、その要因を無視するほどシグナムは愚かではない。
自身は無傷。相手は両手の指では数え切れないほどの裂傷。
けれど追い詰められているのは自分の方だという戦況に可笑しささえ覚えて、シグナムは剣を振るう。
「予想はしていたが、ここまでとはな……!」
正直に認めよう。自分は彼を侮っていたと。
なのはやフェイトから、話は聞いていた。
若干14歳にしてAAA+ランクの魔道士であり、時空管理局執務官を勤める少年。
その魔法技術はフェイトに指導できるほどであり、アースラの切り札と称される若き魔道士。
だが少なくとも、1対1ならば自分の方が強いと言う自負があった。
彼の放った最大級の魔法、スティンガーブレイド・エクスキューションシフトはザフィーラのバリアによって大半を防がれたことは聞いていたし、戦闘技術で自分が彼に劣るとは思っていない。
技術が互角ならば、魔力量で劣る自分に負ける要素などないと思っていた。
なんと愚かな勘違いだろう。
たしかに彼は、魔力量ではベルカの騎士に及ばない。
火力ではなのはに及ばない。
速度ではテスタロッサに届かない。
格闘戦では自分にとって格下だ。
だが認めよう。
今目の前に立つこの男は、その誰にも引けをとらない、ともすれば上回りかねない強敵だということを――!
シグナムは節々が痛む身体を叱咤して、剣を鞘に入れたまま構えた。
カートリッジは残り3発。自分の最大の破壊力を誇るシュツルムファルケンは使えない。
だが、それでも全力を尽くさなければ、この強敵に対する礼に欠けることになる――!
「レヴァンティン。無茶をさせるが、いけるな?」
『Jawohl.』
半身の頼もしい返事に小さくうなずきを返し、カートリッジをロードする。
その数、3発。
許容限界を超えた魔力の奔流に、鞘に押さえつける手が震える。
荒れ狂う魔力を意思の力で押さえつけ、凝縮した魔力が刀身へと宿る。
先程を上回る魔力が身体を駆け巡り、ともすれば沸騰しそうになるほどに血液が駆け巡っているのを感じる。
「……決着をつけよう。クロノ・ハラウオン。
私は私の全力を持って、お前を打ち破ろう――!!」
「望むところだ……!!」
その頃にはクロノの魔法も完成していた。
彼の周りには100を超える光刃の群れ。その全てが、彼女に狙いを定めている。
スティンガーブレイド・エクスキューゼションシフト。
彼の持つ最大最強の魔法が、その展開を終えていた。
訪れる一瞬の静寂。
その一瞬にお互いが何を思っていたのか、知る術はない。
けれど、その力を解き放った瞬間はまったくの同時。
「疾れ閃光! 紫電一閃・改っ!!」
「突き破れっ! スティンガーブレイド・エクスキューゼションシフト!!」
神速の彗星と、光速の流星。
目を灼きつくすほどの勢いで、両者は交差し、烈光が弾けた。
突撃するシグナムの身体に、次々と刃が着弾しては弾けていく。
レヴァンティンの容量を超えた魔力を注ぎ込んだことによって限界以上に強化された不可視の鎧は、シグナム自身が予想していたよりも堅牢さを示してくれた。
だが、それとて限界はある。パンツァーガイストを突き抜けて直撃した光刃は計8発。
肩に二発、脇腹に一発、足に二発、構えた腕に三発。傷口が限界を叫ぶが、騎士の誇りを持ってそれを無視。
気を抜けば意識を持っていかれそうになる脱力感に耐えながら、着弾の煙をかきこえてクロノへと肉薄する。
この一撃に二の太刀は無し。防御も回避も不可能な、渾身の一刀。
避けようとしたならば、光のごとき踏み込みに間合いを詰められていただろう。
バリアで受けようとしたならば、魔法陣ごと粉々にされていただろう。
故に、迎撃を選んだクロノの判断に間違いはなく、しかしシグナムはそれを更に上回って見せた。
(――勝った!)
そう確信する紅き剣閃に対して、クロノは更なる苛烈さで答えるのを、シグナムは見た。
大魔法を使った直後で疲労しきっているはずの彼の右手に握られているのは、悠久なる凍土を生みだせし氷結の杖・デュランダル。
そして左手に握られているのは、彼が長らく愛用してきた質実剛健な杖・S2U。
主の命を受けた無機質な声が唱和する。
『『Blaze Canon.』』
「ぉぉぉぉぉぉおおぉぉぉおぉぉぉぉ!!」
無謀という以外の言葉はない二重詠唱。クロノほどの力量の魔道士が、苦悶に絶叫を上げるその様は、壮絶と評すより他はない。
そして具現化する二条の熱線は、主の苦悶を表すように歪な螺旋を描いて吸い込まれるようにシグナムへと迫る。
凄まじいまでの気迫のこもった迎撃。それ故に、騎士の誇りは逃げることを許さない。
一瞬たりとも目をそらさず、シグナムは炎の魔剣を構えて光条の中へと飛び込んでった。
凄まじいまでの魔力の奔流が、ザフィーラの張った狭くはない結界の中を荒れ狂っていった。
「……一つ、訪ねてもいいだろうか?」
片膝を地につき、荒れる息を抑えながらシグナムは尋ねる。
その鎧にはところどころヒビが入り、火傷のあとがのぞいている。
「……なんだ?」
対するクロノも満身創痍と言った状態だった。バリアジャケットはところどころ裂け、裂傷も両手の指では数え切れない。
少しでも気を抜けば倒れそうになる身体を二本の杖で支えていた。
結果として、渾身の一撃の交錯は痛み分けという結果に終わった。
ブレイズキャノンの二重照射は、その前の大魔法によって出力を落としたパンツァーガイストを貫通してみせた。
そのあまりのダメージに半ば意識を持っていかれながら、その衝撃に踏み込みの速度を殺されながら、対するシグナムはその剣閃を緩めなかった。
二重詠唱などという無茶はクロノにとっても限界を超えていたのだろう。その威力の大半が減衰されていたとはいえ、直撃を受けたクロノのダメージは自分と比較しても遜色は見られない。
滲む視界に耐えながら、シグナムはその疑問を口にした。
「なぜお前は、カートリッジを使わない?」
それは、戦っているうちに芽生えていた疑問だった。
クロノは強い。たしかに強い。転生を重ね幾多もの戦闘の経験を重ねてきた守護騎士たる自分と互角に戦えるほどに。
しかし、あくまでその強さは彼の戦闘技術によるものだ。魔力そのものでは総合的に見れば補えるとはいえ、最大魔力放出量という点では周囲に比べて高くはない。
だが、カートリッジならそれを補える。
そして絶対的な魔力量の差さえ補うことができたのなら、おそらく彼は……
「カートリッジか……考えたこともあったけど、結局やめたよ」
「……なぜだ?」
息も絶え絶えなはずなのに、クロノの声は妙に穏やかだった。
それが不可解で、思わず尋ねる。
「たしかにカートリッジシステムは便利だ。瞬間的にでも魔力を大幅に上げられるなら、僕もなのはやフェイトたちとの魔力量の差に悩むこともなくなるだろう。
けどその分、デバイスにかかる負担は大きくなる。なのはたちの選択が間違ってるとは思わないけど、僕はその負担を軽視できない」
「だがそれでは、我々のような相手が現れたとき、守りきれなくなる……!」
シグナムの言葉には自分に対する憎悪さえ入っていた。
武装局員を守れなかったとき、それが主だったら。そう考えてしまったが故の、大きすぎる無力感。
その絶望に抗いたくて力を求めた。どんな脅威からも絶対に主を守りきれる力が欲しかった。
その苦悩を、クロノはあっさりと超えて見せた。
「君達のような相手が現れたなら、それは君達に任せるさ。
けどもし、多数の敵を長時間相手にしなければいけなくなったときには、カートリッジシステムは大きな負担になる。
なのはや君達の協力が得られるようになった今、僕に求められているのは遊撃手としての役割だ。
それに必要なのはどんな状況にでも対応できて、安定した力を出せる力なんだ」
返す声はかすれて音にならなかった。
多分、クロノは微笑んでいる、そんな気がした。
「僕達は、一人じゃない。フェイトの苦手な相手なら僕は援護できる。
僕一人じゃ勝てない相手だって、なのはの砲撃があれば勝てるだろう。
他の魔道士が出られないときだって、アースラが対策を立てるための時間稼ぎくらいにはなる。
僕に必要なのはそのための力だ。
どんな時でも、どんな場合でも、状況に左右されずに戦える力だ。仲間や家族を助けるための、失敗しない力だ。
そのために必要なのは、不安定なカートリッジの力じゃない。
――だから僕は、カートリッジは使わないんだ」
シグナムはそれをただじっと聞いていた。正確に言うのなら、呆然としていた。
守護騎士として、その将として。
どんな時でも、どんな場所でも、主はやてを守るだけの力が欲しかった。そのために戦ってきた。
けど、そんなことなんてできる訳がないと、暗に、けれど明確に、彼はそう言ったのだ。
一人でできることなんて、たかが知れている。
だから、守護騎士は4人いたのではなかったのか。
だから、なのは達は力を合わせていたのではなかったのか。
自分は何だ。魔剣レヴァンティンの使い手にして、主はやてを守る守護騎士ヴォルケンリッターが将、シグナム。
その役目は立ちはだかる敵を切り裂くこと。主に近づくいかなる脅威をも焼き払う剣。
それこそが己の役目だ。そして、主を守るのは自分だけではない。
鉄槌の騎士・ヴィータがいる。
盾の守護獣・ザフィーラがいる。
湖の騎士・シャマルがいる。
自らの剣が届かなければ、鋼鉄の伯爵の鉄槌が下るだろう。
自らの剣で払い除けられなければ、白雪のごとき盾が現れるだろう。
自らの剣で救えぬのならば、静かなる風が恵みを運ぶだろう。
「……なるほど、強いわけだ」
何のことはない。クロノもシグナムと何も変わらないのだ。
ただ彼は、一人で何でもできるなんて幻想だということを知っていて、だから自分のできることを無心にやっているにすぎない。
なのはも、フェイトも、クロノも、ユーノも、ヴィータも、ザフィーラも、シャマルも、主も、そして自分も。
みんな、ただそれだけでしかないのだ。
それだけしかない人々によって、世界は今も守られているのだ。
そんな当たり前の事に気づけなかった自分の、なんと愚かなことだろう。
――けれど、悪い気はしない。
ふと力が抜けて、シグナムはその場に倒れこんだ。
それをずっと見守っていたザフィーラが見たのは、安らかな将の寝顔だった。
目が覚めると、白い光が目に入ってきた。
「……ここは……」
「医務室だ」
呟く声に、冷静な声がこたえる。
ゆっくりと上体を起こすと、ザフィーラが傍らに立っているのが見えた。
「……あれから、どれくらい経った?」
「そんなに時間は経ってはいない。せいぜい10分といったところだ」
「そんなものか……」
呟くと、身体が重石のようになっているのに気が付いた。魔力が枯渇している。
なるほど、たしかに時間は経っていない。
「執務官は?」
「お前より少し前に目が覚めた。今は隣で手当てを受けているはずだ。本人は必要ないといっていたようだったが」
あの強情な執務官のことだ。それは簡単に想像がつく光景だった。
そのまま、お互いに黙り込む。
先に口を開いたのは、ザフィーラだった。
「……気は済んだか?」
「ああ。我が迷いは晴れた」
その声は晴れやかだった。
それは最後のクロノとの会話によるものでもあったし、全力で戦えた爽快感によるものでもあった。
そして、今気づいた仲間の気遣いによるものでも。
「私は、まだまだ未熟だな」
「……我々は、主はやてによって必要とされた。我々という個が生まれたのは、今代からのことだ」
それは正確な表現ではなかった。彼らには正確なものではないにせよ、元から記憶も人格もあった。
だが、ザフィーラの意図することは、シグナムには自明のことだ。
主はやては、今まで道具として扱われてきた自分達を、家族として見てくれた。温かく笑いかけてくれた。
防衛プログラムである自分達が、義務ではなく自らの意思で、主の意思に反してでも主を守りたいと思った主は、はやてのほかには誰もいない。
シグナムはいっそ清々しい気分で照明を見上げた。白い光が、主の魔力を連想させた。
唇が緩む。
「――なるほど。つまり我々も、まだまだ子供と言うことか」
そして。
まだけだるい身体を引きずって医務室のベッドから起き上がったシグナムが見たのは、なんとも情けない顔で手当てを受ける執務官の姿だった。
「痛たたたた! エイミィ、もう少し丁寧に手当てしてくれ。これじゃ締め付けすぎで血が回らなくなってしまうぞ」
「ダーメ! 自由行動だからって任務中に模擬戦なんてした挙句にこんな傷だらけで帰ってくるような子にはいい薬」
呆れたようにエイミィに、クロノはなにも言い返せない。
これが先ほどまで自分と互角に渡り合った相手なのかと思うと、おかしくもあり、情けなくもあった。
自覚はあるのか憮然としたまま黙り込むクロノに気を良くしたのか、エイミィは頭に巻いた幅の広い包帯を後頭部で蝶結びにした。
傍から見ると、大きなリボンをしているようにも見える結び方だった。
少なくとも、これを見たアースラの職員たちが何を思うか、容易に想像が付く程度には。
クロノの眉根のしわが増える。
「エイミィ、これは……?」
「罰として、今回の勤務が終わってフェイトちゃんのところに帰るまでこのままでいること! もちろん、フェイトちゃんにもちゃんと見せるんだよ?」
「な! エイミィ、いくらなんでもそれは……!」
とても時空管理局執務官とその補佐のものとは思えない会話に、思わずシグナムは笑ってしまった。
真面目で堅物を地でいくシグナムがこのように笑うなど、滅多にないことである。
だが、今代の主と出会ってからは表れていたそれを、さっきまでは浮かべていないことに気づく。
そうしている自分を見たら、主が気にかけないはずがないことも。
その事に思い至って、シグナムは笑った。今度は苦笑だった。
――貴殿に感謝を。真に誇り高き者。
その言葉は、念話は使わず、ただ心の中に。
代わりに出た言葉は、心の底から思っていたことではあったけれど。
「信頼とはいいものだな、ハラウオン執務官」
「……この光景を見てそう言うのか、君は?」
クロノは心底不服そうにそうぼやくのを見て、シグナムはまた笑った。
主はやてに会いたい。心からそう思った。