「なんだかのど渇いたわね」
部屋で一人でくつろいでいると、アリサはふとそう感じた。時計を見ると3時過ぎ。
いつもなら鮫島が紅茶を持ってきてくれる頃なんだけど……。
「鮫島ー?」
呼んでも返事がない。聞こえなかったのかなと思い部屋から出て廊下を見渡しても、一向に姿は見えない。
まだ1階にいるのかもしれない。紅茶を入れてくれるよう頼みに行こう。
そう思ってトントンと階段を駆け降りて1階のリビングに行くと、鮫島はテーブルに座っていた。
「あ、鮫島ー……?」
呼びかける声が途中で止まる。なんだか鮫島がいつもと違う。なんというか、グッタリしている。
いつもはずっとシャキッとしてるのに。どうしたんだろうとちょっと心配になって側に寄ってみる。と、
――寝息が聞こえた。かなり気持ち良さそうにスースーと。
(寝ちゃってる……)
疲れてるのか、どうやら眠ってしまっているようだ。
そういえば今日は、お父さんが日帰り出張とかで、鮫島は遠くまで送りに行ってさっき帰って来たんだっけ。
車の運転はやったことないからよくわからないけど、やっぱり疲れるのかな。
紅茶を入れてもらおうと思ったけど、それだけのために起こしちゃうのも何だか悪いかも。
(そうだ!)
なら、たまには自分で入れてみよう。ちゃんとできるかどうかわからないけど、何事もチャレンジ。
まずはお湯を沸かそう。これくらいは簡単にできる。
というわけで、まずはやかんに水を入れて火にかける。しばらく待てば沸騰するはず。
(でも、けっこう暇ね)
数分もすれば沸騰するのだろうが、その数分が意外と長い。
特にやることは無いし、じーっとやかんを見つめても沸騰が早くなるわけでもなく。
かと言ってのんびり待つには短い時間で、結局ずっと立っててなかなかに疲れる。
それでもしばらく我慢すると、ようやくお湯が沸いた。次はお茶葉を用意する番。
戸棚からティーポットを出そうとする。……が、ちょっと高い所にあって届かない。
(どうしよう。ジャンプして――なんて無理よね。なにか台があればいいんだけど)
周りを探してみるが、それらしき物は見当たらない。アリサはうーんと悩む。
その時、「クゥーン」と犬の鳴き声がすぐ近くで聞こえた。飼い犬のジョンソンが側に寄ってきたようだ。
「ジョンソン、どうしたの?あっ、もしかして上に乗せてくれるの?」
「キャンキャンキャン!」
後ずさりしていく。台になってくれるのかと思ったがそういうわけではないらしい。
「そうよね、そんなことしたらジョンソンつぶれちゃうもんね」
「クゥーン」
再びジョンソンが擦り寄ってきた。足元をグルグル回る。これは、どこかについて来てほしい時のいつもの仕草だ。
何か見つけたのかな。ジョンソンが歩き出したのでついていってみる。やかんがピーと吹いているので少し急ぎ気味に。
「あ、これ!」
ジョンソンに連れられてキッチンから少し離れた部屋の前に行くと、そこには台が置いてあった。
ちょうど、あのティーポットまで手が届く高さの台だ。
「ジョンソン、見つけてきてくれたんだ!ありがとう」
あたしが困っているのを見て、探してくれたのかな。さすがジョンソン、ご褒美になでなで。
ジョンソンは嬉しそうに尻尾を振っている。しばらくしてジョンソンが満足した頃、アリサは思い出した。
「そういえば、お湯沸かしっぱなしなのよね。そろそろ戻らなきゃ」
というわけで、庭に放したジョンソンに手を振り、アリサは台を持ってキッチンに戻った。やかんがピーピー言っている。
台を使うと、ティーポットは簡単に取れた。さて、それじゃ肝心のお茶葉の用意……なんだけど、
量がよくわからない。入るだけ入れちゃっていいのかな。でも入れすぎると苦くなったりするのかな。
(――やっぱり、たくさん入れたほうがきっとおいしいわね)
しばらく迷った後、アリサはそんな結論に達した。
ティーポッドにお茶葉をどばどばと入れる。ちょっと溢れたけど気にしない。そしてお湯を注いで、
「できた!」
あとはしばらく蒸らせば完成。その間にティーカップを用意しよう。と、その時、
「アリサお嬢様?」
鮫島の声が聞こえた。キッチンにアリサがいることを不思議に思ったのか、心なしか驚いたような声だ。
キッチンに鮫島が顔を出す。アリサが何かを作っていることに気付き、
「申し訳ありませんアリサお嬢様、どうやら眠ってしまっていたようで」
「あ、鮫島おはよう。ねえ、鮫島も紅茶飲む?」
「紅茶――といいますと?」
「あたしが作った紅茶なんだけど、一緒に飲みましょ」
「ああ、紅茶をお作りになられてたのですか。はい、よろこんで」
「うん、じゃあ用意するからテーブルで待っててね」
そうして鮫島と一緒に紅茶を飲むことになり、アリサはご機嫌でティーカップを二つ用意した。
自分が入れた紅茶を飲んでもらえるのはなんだか嬉しい。もう紅茶は完成したかな。
蒸らしているティーポットを見る。……なんとなく色が濃いような気がする。
これ以上蒸らしておくと真っ黒になりそうなので、たぶんこれで完成なのかもしれない。
でき上がった紅茶をティーカップに注いで、鮫島が座っているテーブルに運んだ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます、アリサお嬢様」
「それじゃ、いただきまーす」
二人はズズッと紅茶をすすった。
「……」
「……」
「えっと……」
「いえ、おいしいですよお嬢様。目が覚めました」
「目が覚めたの……?」
リラックス効果のあるこの紅茶では普通目は覚めない、はずである。
「いや、あの……」
「……」
「……」
「もう……にがーい!」
あまりの苦さにアリサが叫ぶ。
なんでだろう、鮫島がいつも持ってきてくれる紅茶とは全然違うじゃない。
「ねえ鮫島、鮫島はどうしていつも上手に紅茶を入れられるの?」
「そうですね、昔にずっと練習してましたから、そのおかげでしょうかね」
「練習?」
紅茶を入れるのは、練習しなきゃいけないほど大変なことなんだろうか。
「はい、紅茶を入れるにはいろいろなコツがあるんですよ」
「どんな?」
「例えば、カップとポットは事前に暖めておくことや、葉によって蒸らす時間を少しずつ変えることなど、細かく挙げればキリが無いほどあるんですよ」
「そっか、そんなに大変なんだ」
全然知らなかった。お茶葉とお湯があれば誰でも簡単に作れるのかと思ってた。
だからきっと、初めてだけどおいしくできたと思ったんだけどな。
「あたしの紅茶はまだまだってことなのね……」
「でもね、お嬢様」
少し落ち込んだアリサを見て、鮫島は言う。
「紅茶を入れる時に一番大切なのは、技術でも知識でもなくて、まごころなんです」
「まごころ?」
「アリサお嬢様は、この紅茶をおいしく入れたいと思いましたか?」
「うん、おいしくできたらいいなって」
「でしたらきっと、アリサお嬢様はすぐにお上手になりますよ」
「――そうなの?」
「ええ。人を味や香りで楽しませることは技術さえあればできますが、一番大切な心を楽しませることは、まごころにしかできないんです。それをお持ちのアリサお嬢様なら、きっとすぐにでも。今度練習しましょうか」
「うん、する!」
やっぱりおいしい紅茶を入れたい。誰もがおいしいと言ってくれるような紅茶を入れられるようになりたい。
そしたら、なのはやすずかやフェイトにも、あたしが入れた紅茶を飲んでもらえるかもしれない。きっと楽しいだろうな。
そのためにも――練習、がんばろう。
「でもまずは、」
この紅茶を飲もう。
「んーっ、やっぱりにがーいっ!」
「いやしかし、この苦さもなかなか悪くないですよお嬢様」
「大人の味?」
「ビターですね」
「あははっ、なにそれー」
ほろ苦い紅茶をちょびちょびと飲みながら笑い合う、そんなある日の平和なティータイムでした。