花より色は17
「三治・・・」

新之助は芯から驚いたように三治の名を呼んだ。三治は叫んだ。

「新之助様!蕗様でございます!お子様でございます!急いで、急いでお連れ下さい!」
「蕗」

新之助は夢から覚めたようにハッとして、それからまっすぐに自分の所へと走りこんでくる蕗を抱きとめた。

「新之助様!」

蕗は赤ん坊を真ん中に、新之助にしがみついた。

「新之助様、坊です、坊でございますよ」
「お、おお、そうか。この子が。蕗、よくやってくれた。しかし、一体・・・」

新之助はわけが分からないという顔で子供と蕗を見比べている。時折三治の方へ何か言いたそうな視線を走らせるが、三治には何も言えなかった。一言で説明するのは無理なことだ。三治も驚いていた。なぜ新之助がここにいるのか、平太郎と一郎太はどうして一緒なのか、だが、新之助が蕗と子供を取り返すため、二人に相談を持ちかけ、どうしたらいいかと三人で話し合いながら門田の屋敷まで来てしまったと考えれば道理は通る。今はそれよりも、三治には新之助と蕗を無事に早川へ戻す事が肝心だった。

「お話は後で、早くお逃げ下さい!このままでは、お子様が」
「待て!」

ひときわ大きな怒鳴り声がして、ついに宗二郎が追いついてきた。三治は後ろへと新之助と蕗をかばいながら宗二郎に対峙する。

「またお前か!いい加減顔も見飽きたぞ!さっきまで俺の下でいい声を上げておいて、今更主人に顔が出せたとは余程の肝っ玉だ」

宗二郎は下品な笑い声を上げた。三治の身がすくみ、ひゅっと喉が鳴った。新之助だけには知られたくなかったがもう遅い。それに、子供さえ取り返せれば後はお詫びの為に死ぬ覚悟だったからもうどうなっても良いのだ。だが、三治の後ろで新之助が息を呑んだ気配がする。宗二郎の言葉、そして目の前の三治の姿で、何があったか分かったのだ。

「義弟よ、その子を寄越せ。その子供はお前の子ではない。蕗は何か勘違いをしておるのだ。その子供は俺の子供だ」
「何を、兄上!」

蕗が叫んだ。宗二郎はひるまない。

「お前には気の毒だが、蕗の子供は死んだのだ。生まれて一月だったかな、急に高熱を出して死んでしまった。だが蕗はそれを認めたくなくて、俺の子供を自分の子と思って抱いておるのだ。不憫だから任せていたが、早川に戻すと言うのであれば話は別だ。この子は門田の跡継ぎだ」
「嘘です!なぜそんなでたらめを・・・!新之助様、信じてはなりません。兄は跡継ぎが生まれないのでこの子を何とかして養子にできないかと画策しているのを私も知っていました。早く戻りたかったのですが、ゆっくりしていけばいいと言いながら強引に私を実家に留めて置いたのです。でも、まさかこんな事まで考えているとは・・・!」
「妹よ、気の毒だが子供が死んだのは本当だ。なあ、お前達、良く知っているだろう」

宗二郎は周囲の家来達を見回して言った。家来達も最初は顔を見合わせていたが、すぐに力強く頷いた。

「本当でございます。あの時の蕗様は取り乱して見ていられない程でございました。新之助様に申し訳が立たないと、ご自分も自害されようとまでなさって、宗二郎様はそれをお止めするためにご自分のお子様を蕗様にお渡ししたのです」

すらすらとさもあった事のように述べる家来に、蕗はほとんど絶叫した。

「嘘です!嘘です!なぜそんな・・・!この子は私と新之助様の子です!!新之助様、信じてはなりません!」

新之助は興奮して震えている蕗の肩をしっかりと抱くと、落ち着いた声で言った。

「分かっている。信じてなどいない。宗二郎殿のやり口は、昔から良く知っている。この子は私の子だ。早川の嫡子です」

最後は新之助は宗二郎に向かい、挑むように言った。

「奥方はいつの間にお子を生まれたのです。そのような話は聞いておりませんが」

横に控えていた平太郎も言った。平太郎は、つい最近家督を譲られて城に上がり始めたばかりだが、家柄が良いので宗二郎とも面識があった。

「おう、平太郎ではないか。なぜこのように落ちぶれた者と一緒におる。子供は体が弱くてな、健康な体になってから届け出ようと思っていたのだ」
「それでも、男子が生まれて届け出ないと言うのは腑に落ちませんね。次男三男ならともかく、門田様には嫡子になられるお子でしょう」

最近役所に勤め始めた一郎太も言った。一郎太は早川を離れてしまった道場の中で、今でも新之助を主家筋と慕ってくれている数少ない弟子の一人だった。

「フン、雑魚がごちゃごちゃと。誠と言ったら誠なのだ。話では埒が明かん。おい、お前達、子供を取り返せ」

言うなり、宗二郎はたちまち新之助達の方へと突進してきた。三治は咄嗟に新之助と蕗の前に立ちはだかる。

「どけ!勝手に人の屋敷へ入り込みおって、分かっているんだろうな、お前は死罪だ!」
「新之助様、お逃げ下さい!」
「どけ、叩き切るぞ!」
「三治!」

宗二郎の刀が躊躇いもなく三治の上に振り下ろされた瞬間、新之助の刀が瀬戸際でそれを受けていた。

「新之助様!」
「三治、脇へ!」
「新之助、貴様、やはり・・・」
「三治!蕗を、子供を!」
「は、はい、新之助様」

三治は、新之助と宗二郎が刀を合わせている下から這い出て蕗の元へ向かった。蕗は、他の使用人に囲まれて赤ん坊を抱きかかえて取られまいと座り込んでいる。

「蕗様、蕗様!」

三治は一郎太と平太郎と共に蕗を守るため、宗二郎の家来達を引き離した。だが、数が多すぎて相手にならない。見る間に、蕗の手から子供が奪い取られ、あっという間もなく家の中へと奪い去られてしまった。

「坊!坊!!」

蕗はその後を追いかける。一郎太と平太郎もその後を追った。この騒ぎで、ようやく番所から武家専用の同心がやってくるのが見えた。三治は同心の方へ駆け寄った。

「お役人様!新之助様のお子様が奪われました!取り返して下さいませ!」
「黙れ、奪おうとしたのはそち達ではないか!おお、岡村殿、騒がせてしまって申し訳ない。話は中で、さ、新之助殿も刀を下ろしなされ。新之助殿」

役人の前で取り繕ってみせる宗二郎にも、新之助は刀を納めようとしなかった。

「新之助殿。岡村殿の前ですぞ」
「・・・丁度いいではありませんか。このまま話を聞いていただきましょう。なぜこんな事になったのか。私の子供がここで死んだと言いましたね。どうしたのです。どういう状況だったのです。それに、私の使用人の三治がこんな姿になっているのはなぜです。何が起こったのです」
「新之助殿、こんな体勢では話もできん。話は家の中で。岡村殿に失礼ではないか」
「すぐに答えられないのは今すぐに作り話ができないからですか。どうして私の子供が死んだのか、それだけでもお答え下さい」
「流行り病だ。流行り病で死んだのだ」
「先ほどは急な熱でと申されましたが」
「流行り病で熱が出たのだ!」
「最近では流行り病の話は聞きませんが、何の病気です。医者には診せましたか。どこの医者です。今すぐ、呼びにやって下さい」
「新之助殿、私の言葉を疑うのか」
「何が悪いのです!」

新之助が怒鳴った。その腹の底から出る大声に、刀を合わせたままの宗二郎がビクッとした。

「もしあなたの言葉が本当なら、子供が亡くなってから二月も経っているのに父親の私には何の知らせも寄越さなかったと言う事ではありませんか!仔細を確かめたいと思って何が悪いのです!医者をお呼び下さい。そして、私の子供がなぜそのような事になったのか、得と説明をしてください!」
「・・・」

宗二郎にはもう何も言えなかった。ここへ来てようやく同心の岡村某が、新之助を諌めるように言った。

「何が起きたのか、説明はゆっくりしていただくとして、とにかく早川どのは刀を納めてくだされ。近所迷惑にもなろう」

岡村某に諭されて、新之助は宗二郎から視線をそらさないままようやく刀を下ろした。そして、全員が屋敷に集まって同心に申し開きをする事になったのである。


 事の次第を見守っていた三治は、できれば明るい場所へは出たくないと思っていた。暗いからまだ目立たないだろうが、三治の顔も体もそこかしこが腫れ上がっているのだ。気が張っているから立っていられるようなものの、三治の体は限界に近づいていた。だが、三治の知っていることを話すことで、新之助の有利になるならどんな事でも包み隠さず話すつもりでいた。

「・・・三治」

同心に促されるまま屋敷の中へ足を踏み入れながら、新之助は三治に声をかけた。三治は俯き、顔を上げずに言った。

「新之助様、申し訳ありません。私が考えなしだったばかりに。母君さまにも、ご不便をおかけした事でしょう」
「そんな事はもういい。お前が無事で・・・無事で生きていてくれて良かった。一時は死んでしまったのではないかとどれだけ心配したか」
「そんな・・・ご心配は」

三治は涙が出そうだった。無事だとは言えないが、とにかく生きていてくれて嬉しいと言う新之助の言葉が身に染みる。事が終わったら、お詫びの代わりに死ぬつもりでいた三治には余計に身に染みるのだ。新之助は静かに言った。

「辛い思いをしたのだろう。だが、もうこれからは私に黙って自分を痛めつけるような事は絶対にしてはいけない。お前は私の、私に仕える者なのだからな。お前の体を傷つけることも、私の許しなしにはしてはいけないのだよ」
「新之助様」

三治は思わず顔を上げた。新之助は、三治が死のうと思っていることを知っているのだと思った。新之助は優しい目で三治を見ている。その目には、腫れ上がった顔も、宗二郎の汚辱にまみれた三治の体も、表面に見えるものは何も映らない。新之助に見えているのは、三治の心であり、真の姿なのだ。三治の目から涙が零れ落ちた。新之助はそんな三治の背中を叩いて、そして背中を押すようにして門田の屋敷へと入って行った。









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