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しょうがなく抱えた包みは、重くはなかったが
たいそう、かさ張り邪魔だった。
飛行中もモノポッド内に充満していたカカオの、
甘ったるい匂いに、へきえきしつつ、
ようやくビバップのリビングに辿り着く。
見慣れた大柄な男は、いつものように
ソファの定位置でコンピューターに向って居た。
片腕を挨拶代わりに挙げたこちらを、ちらりと見たが、
憮然とした表情のまま、視線を機器に戻す。
・・また、請求書の束でも、届いたのかね。
荷物を放り出す。
「・・・当分、甘いものを喰いたくないな、
やるぜジェット、女や餓鬼にも分けていい。」
とりどりの工夫を凝らしたラッピングに包まれ、
カードが添えられた大量のチョコレート菓子を見て
相手は、眉を上げ溜息を吐いた。
「・・・タイミングの悪い奴だ。」
「ああ?」
アッシュブルーの淡い眼差しが眇められ
やれやれとでも言うように、首が振られる。
「なんだよ。」
「スパイク、鏡は見たか?」
「鏡?いいや。」
「だろうな。」
無造作に伸ばされた指先が、
俺の顔を拭い、付いた紅色を示して見せた。
残っていた、どうでもいい口紅の事より、
ためらいもなく、頬に触れて来るようになった相手と、
その体温を心地よく感じた自分と・・その事に気付かない
ジェットの朴念仁ぶりが可笑しかった。
「ったく・・・連絡も寄越さず、どこで
何をやってやがった、毎度毎度だが、お前ときたら・・。」
「・・・・言っとくが、誤解だぜ。」
「ああ?」
差し向いに腰を下ろして、煙草に火を点し
漂う紫煙を、空に吹き上げた。
「深夜まで例の賞金首を追ってた・・で、首尾よく
警察に引き渡して、一杯引っ掛けにバーに
寄ったら・・・コンパの集団に巻き込まれた。」
「・・・コンパ?」
眉を上げる相手に、頷いてみせる。
「昨日・・なんか、あったろ?
チョコレートを押し付けるような・・イベントが。」
「聖バレンタインだ、チョコレートってのは
・・菓子メーカーの陰謀らしいがな。」
「ああ、その・・『バレンタインお見合いコンパ』だ、
一杯だけの予定が、ドア潜ったとたんに、
ひっぱり込まれて・・酔っ払い女の集団に囲まれ、
ベタベタ触られるわ、チョコレート喰わせられるわ
あぶれた野郎共に絡まれるわ・・最悪だ・・今朝になって
ようやく抜けだせたんだ、当分、チョコレートは見たくないぜ。」
表情を変えぬまま、ジェットは
テーブルに山盛りになった包みをどけて、
一番下から紙皿と・・それに乗った物体を
引っぱりだし、俺の前に置いた。
「・・・・なんだよ?」
「チョコレートだ。」
「・・ああ、見れば解るが・・えらく・・・
でかいな・・こんなのあったか・・。」
「コイツは、お前が出掛けてから、フェイとエドが
半日掛けて作ったモンだ、俺達にだとよ。」
「・・・・・・ああ?」
顎を落とした俺に、苦笑して見せ、
相手は再び、『タイミングの悪い奴だ』
・・とつぶやいた。
かすかに焦げ臭い匂いのする・・・顔ほど大きさのある
ハート形のソレには、ところどころ指紋の跡も見えた。
「さっきまで、お前を待ってたんだがな・・
拗ねたのか、揃って出掛けちまったぞ。」
「・・・・・・・。」
絶句したままの俺に、穏やかな笑い声を響かせたジェットは、
その重そうなチョコレートを取り上げ、齧ろうとした。
・・・・腕を引き留める。
「どうした?」
「・・・いや・・・喰うぜ。」
「当分チョコレートは見たくないんじゃなかったのか?」
「チョコレートならな・・・・こいつは、どう見ても
・・・謎の物体だろ。」
「ぶっ・・・くっくっ・・・。」
笑いながらも、俺達は意地のように、
その謎の物体を引っ張りあい、
相手の口元に届かせまいとして、
手と頬を溶けたチョコレートでべたべたにした。
ようやく一口齧れば、また一層、
爆笑がこぼれる。
「か・・固いぜ・・こりゃ、岩かよ・・。」
「しかも・・・無茶苦茶に苦い・・。」
「ああ・・何だ・・あいつら何入れたら、
こんな味になるんだ?」
「・・・くっくっく・・うあはっはっっ!」
結局・・・500gはあろうかというソレを、
俺達は胃袋に納めた。
・・・・来年まで、もう、チョコレートはなくて構わない。
胸焼けに、げんなりしている俺に、濡れタオルが放られる。
「そいつで拭いて・・・いや、シャワー浴びて来い。」
「ああ?」
「チョコまみれの上、口紅も残ってて、香水臭いぞ、お前。」
「・・・・ジェット。」
「なんだ?」
「このナリで帰って来た俺を見て、妬いたよな?」
笑い飛ばすか・・罵るか・・。
一瞬、迷うように唇が開いて・・閉じ、
海色の瞳は、さざ波を思わせるような内面の
かすかな揺れを映した。
武骨な男は、結局・・・眉間に皺を刻んだ、
少し困ったような表情で、応えた。
「・・・・・ああ、そうだ。」
逸らされぬ、深く穏やかな眼差し。
身を起こし距離を縮めた、
戸惑い・・どちらへ動くか決めかねた相手を
逃さず、問答無用で口付ける。
「・・おっ・・おい・・。」
「口直しが必要だろ?」
「何言って・・。」
「匂いが気になるなら、アンタの匂いで
消せばいいさ。」
「・・お前なぁ・・。」
見返す男の声には、呆れたように口調にも関わらず、
照れくさくなる程の、情を含む響きがある。
抱え込まれて、揺れあやされる心地よさと、もどかしさ。
・・・心の裡にある、暖かなものと、凶暴なものに
火が灯り、駆り立てられそうになる。
・・・・叫びたい程に失い難い何かを、
露に突き付けられて。
「ジェット。」
「ああ?」
「妬かせて悪かった。」
「・・・・・・・馬鹿言ってろ。」
「・・・くくくくっ。」
「おい、こら・・ここじゃあ・・その・・駄目だ。」
「・・・・・・了解。」
・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・。
存分に充足した時間を過ごし、シャワーを浴びた。
ソファで仕事の続きを始める相棒の膝枕で、
極楽気分の惰眠を貪っていると、扉の開く音と共に
大漁の荷物を抱え、ハイテンションな女達が戻って来た。
「やっほーーーっ、旦那方っっ、土産よ〜っっ。」
「当たった当たった、当たったよぉぉぉう!」
「オンオンッ!!」
どさどさと、とめどなく落とされる
甘ったるい匂いのきらきらラッピング包み達。
「「ああ?!なんだこりゃー?」」
「商店街でやってた、福引き大会よ。」
笑っていながら、眼が笑っていない女が
ヤケ気味に箱を開けながら言った。
「当たりも当たり、大当たりの特賞!
アタシとしては、一等の500萬ウーロンを狙ってたんだけどね、
特賞・・・チョコレート一年分よ、一年分、あっはっは〜。
・・・景品選んだ責任者出て来いって感じね、
まだ、マシンに乗ってるから、さぁ、どうぞ、鼻血吹くまで
食べていいわよ、ヴァレンタインおめでとうってねー!!
アタシは目出度くないけどっ。」
ブランデーチョコをバリバリと喰う女の横で、
少女と犬はフィンガーチョコの包みにアタックしていた。
濃厚なカカオの香りが、リビングを侵食していく。
「なぁジェット、どうすんだ、コレ。」
「とりあえず・・・・・夕食はチョコレートだな。」
「・・・・・・・せめて、ビターにしてくれ。」
SWEET SWEET VALENTINE
おわじ
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