Étolie sérénade Le sixième mouvement

 

 

一月は行く二月は去る三月は逃げると昔の人は言ったらしい。あっという間に三月が過ぎて、四月になった。
「春だねぇ皆の衆。さて春といえば?」
「「進級」」
環の提案に揃って答えた双子は、いつの間にやらぐるぐる巻きにされている。
「ふ…っ、恐ろしい奴らめ…そんなにモリ先輩とハニー先輩を卒業させたいのか…。世間離れした時間軸で生きるのも良い男の宿命…」
「春といえば無論桜!!」
「ハア。フツーですね。何のひねりもなく」
「桜はこの時期だけだから、やっぱり特別じゃない?ハルヒ」
「そうかなあ。きれいだとは思うけど、春といえば桜ってのが安直なだけで…」
はフォローしたはずだったのだが、ハルヒの更なる打撃で環は部屋の隅でいじけている。
「どうせ…オレの考えることは安直ですよ−だ…」
「そんなことないありませんよ、環先輩。春はやっぱり桜ですよね」
にこっと笑いかけると、環はがばっと体勢を戻しての両手を掴んだ。
「そうだよな、分かってくれるか!お父さんは嬉しいよう」
「明日からは中庭に出ての接客になるぞ。桜が満開なのは今週一杯だしな。週末の雨で散るだろう」
鏡夜は明日からの接客の手配に忙しく、あちこちに連絡を取ってはノートパソコンに打ち込んでいる。
はハニー先輩やモリ先輩、ハルヒと一緒に水上で茶会だ。お茶を点てた経験は?」
「お点前ですか?一応、裏千家の上級資格を持っています」
家の跡取り娘として、考えうる限りの教養を身につけるようには教育を受けている。茶道だけでなく、華道や書道、日本舞踊に香道まで、道とつくものなら、ほとんどのものを学んできている。小さい頃からずっとだ。義務教育の間はもちろん学校に所属してはいたが、学校に行く暇などほとんどなかった。小さい頃から続けてきたおかげで、ほとんどは修了しており、今は学校と音楽に専念することが出来る。もちろん、今でも折りに触れて京都での茶会に出たり、求められて花を活けたりしていた。
「それなら安心して任せられるな。頼むぞ」
「はい、分かりました」
鏡夜の言葉に頷いて、は準備室の窓から外を覗いた。中庭に植えられている桜は今が見ごろ、丁寧に手入れされている枝ぶりも素晴らしく、遠くから覗くと白い雲のようだ。近くから見ると、また趣きが変わるのだろう。





翌日。
満開の桜の下より、ホスト部を始めさせていただきます。
桜蘭高校には、いろんな木や草花が植えられているが、桜がことに多い。学校の名前でもあるので、校庭の周りだけでなく中庭にも多数植えられていた。桜で囲まれている中庭が、今週のホスト部営業エリアだ。
「「「「「「「「いらっしゃいませ」」」」」」」」
常陸院双子と環、そして鏡夜の四人はギャルソンの格好で、光邦と崇にハルヒとは着物を身につけている。光邦が大島紬で亭主の格好をしていて、崇とハルヒそしては紬に袴姿だ。
中庭に設えたテーブルについているお客には、ギャルソンの格好をした環がお茶を運ぶ。
「お姫様、どのカップにお茶を?フォリー?ウースター?それともスージーのガーディニアで?」
「素敵。英国アンティークね。環様のお好みは?」
「こちらの姫をテイクアウトで」
「やだ、環様ったら…」
一方、双子の接客テーブルでは、いつもの光景が繰り広げられていた。すかさず鏡夜が営業している。
水上茶室チームでは、光邦が頑張ってお茶を点てている途中だ。あまりの勢いのよさに、ちゃんとあったはずのお茶がほとんど飛び散ってしまっている。
お茶は交代で点てているので次はの番だ。は次に点てる用意をしながら、はらはらと光邦のお手前を見守っている。何度か口を出しそうになったが、崇に止められた。
もう茶碗の中にはほとんどお茶は残っていないだろう。熱心に泡立てているもののほとんど泡は立っておらず、お茶が減るばかりだ。ハルヒやお客も心配そうに見やっている。
「…光邦」
崇が心持ち身体を光邦に寄せて、耳元にささやく。
「減りすぎだ」
心配そうに見守っていたハルヒとお客、それにがあっと目を見開いて光邦を見守る。光邦が悲しげに見つめる茶碗には、ほんの数滴ほどのお茶が残っていた。
「は、ハニーくんいただくわ!!!!すっごいおいしそうー!!!」
「そう!!ちょうどこのくらいの量がいただきたかったの!!すごいわハニー先輩、どうしてわかったの!?」
「ほんとぉ〜?」
今にも泣きそうだった光邦は、お客二人のフォローに笑顔を取り戻す。そのさまを見てお客だけでなく、崇や、ハルヒも内心ほっと息をついた。
「…ちょっとお手洗いに」
ハルヒがそう言って席を立つ。は次のお客のためにお湯の温度を確かめている。
くん、ずいぶん慣れてらっしゃるのね」
「ありがとうございます。お口に合えばいいのですが。お菓子をどうぞ」
のすすめで、お客たちは順に主菓子を取っていく。桜の名を冠した上生菓子で、もちろん極上の物だ。お菓子の後、点てた薄茶が回される。織部茶碗に入れられていた。
「まあ、美味しいわ」
「本当。お菓子とよく合って」
に光邦、崇はお客の様子を微笑んで見守っている。
「おーい、ー!」
「ちょっとこっち来てー!」
「失礼しますね、お姫様たち」
お客たちに目を合わせて笑い、それからは席を立って双子のところに急いだ。双子はハルヒを抱えている。
「ハルヒ、、今学期の選択教科決めたかー?」
「どうせなら一緒のとろうぜ、だってホラ」
「「僕たち同じクラスだし」」
「それはいいですね」
三学期の途中から来たは、双子やハルヒとあまり選択教科が被っていなかった。は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「フランス語会話はどうよ」
「うーん、そうだなー」
「んじゃコレは」
光はフランス語会話を勧め、馨はにドイツ語会話を勧めている。
「音楽やるならイタリア語も出来んだろ?」
「少しだけなら。楽譜に書いてある指示は大体イタリア語だし、たまにフランス語やドイツ語もあるけれど」
和気藹々と話す四人を遠巻きに環がいじけながら見ていた。
「…母さんや」
「…………………」
鏡夜は素直に返事をすることにためらいがあるのか、しばし黙った。尚も環が鏡夜の言葉を待っていることを悟って、長い息を吐く。
「……何かな父さん」
「これはあくまで仮説だが…今まで俺がやハルヒと年中一緒にいる様な気がしていたのは、部活シーンばかり露出していた為の錯覚に過ぎず…もしや同じクラスの双子のほうが、俺の知らないやハルヒを…」
「ああ、その件なら、ちょうどここに証拠写真が」
鏡夜は恐れ慄いている環に、売りさばいていた写真集を開いて見せてやった。そこにはクラスで過ごすハルヒと双子の写真や、音楽室準備室で双子と一緒にいるの写真がいくつも散りばめられている。ハルヒと双子が映っている写真の中に、さりげなく本来の姿をしたが映りこんでいた。
「…!!!!」
「一日の内、在校時間の約九時間以上をあの四人は共にしているが、お前とハルヒやの接触はたかが部活の二時間であり、接客時間を除けば一時間にも満たない。言い換えれば、お前が二人の人生に関われるのは一年間でも3%ぽっちという事に…」
衝撃を受けている環に追い討ちをかけるように鏡夜はすらすらと述べていく。
「おまけに、1Aのはホスト部部員と仲が良いともっぱらの噂だ」
とどめを刺した鏡夜のもとから泣きながら去った環は、すごいスピードで四人に近づいた。
「こっ、この不埒者がァ!!そこへ直れェ!!貴様らの悪事しかと見届けたァ!!」
「環先輩?どうしたんですか?」
いきなり環がカツラを被ってしかも着物スタイルで現れたのではびっくりして、目をぱちぱちと瞬かせている。
「…何かな、やっぱり頭が…」
「あの人最近時代劇にハマってんだよ」
「しかも庶民の味方系ね。大岡とか水戸の老人とかね」
双子やハルヒはに比べて対環の経験値が高いので、驚きもせずに普通の反応だ。
におハルよ!!そんな輩と付き合っちゃあならねえ!!今すぐ女に戻り女友だちに囲まれて暮らすのが父の願いというもの!!」
「……(おマル?)」
「(女の子だって)喋ってしまっていいのかな?」
とハルヒに迫った環は、尚も二人に迫る。
「さあ戻れ!いま戻れ!」
「「殿がご乱心じゃー。いつもだがー」」
「そう焦らずともどうせ近々…」
鏡夜がぼそりとそう呟くと、笑顔満面の光邦が二人に近づいてきた。
「ハルちゃん、ちゃん、二人のクラスの身体検査はいつ〜?背ぇ比べっこしようねぇ」
「え…」
身体検査。春に行われるお決まりの学校行事の一つだ。だが、ハルヒと、光邦に崇を除く全員がかっと目を見開いた。
「…それは…バレますね、さすがに」
ハルヒが女だとバレるのでは、と心配になった一同が接客どころではなくなってしまったので、中庭接客初日だというのに、早々にホスト部は店じまいをすることにした。いつものように鳳家スタッフが手際よく片付けていく。

もうお客は帰ってしまい、中庭に残っているのはの姿をした、残ったお菓子を食べている光邦、そしてその二人に付き合って残っている崇だけだ。崇の声には顔を向ける。
「…どうした」
「綺麗だから、つい見入ってしまって」
「そうだな」
崇ははかばかしい言葉を返さない。必要最低限以下ぐらいのことしか言わないのだが、それでもにはきちんと通じていた。崇も桜を美しいと思って今眺めていて、を呼び止めたことに他意はないということ。
「満開の桜の中で食べると、お菓子がいつも以上に美味しいよー」
「みっちゃん、お茶を飲む?薄茶でも紅茶でも」
「じゃあちゃんが点てたお茶が飲みたい!」
「分かったわ」
自分で持ってきた茶道具を残されていたテーブルに広げ、鳳家スタッフにお湯を持ってきてもらう。茶杓ですくった抹茶を温めた茶碗に移し、少し冷ましたお湯を注ぐ。そして茶筅でまんべんなくかきまぜた。しゃっしゃっという、小気味良い音だけが響く。ほどなくして茶筅を引き上げ、茶碗を光邦の前に差し出した。
「どうぞ、みっちゃん」
「お手前頂戴します」
光邦は英国アンティークの椅子に腰掛けているにも関わらずそう言って少し頭を下げ、同じくアンティークのテーブルに乗せられていた茶碗を丁寧に持ち上げて少し茶碗を回し、茶碗に口をつけた。幾度にも分けて薄茶を飲む。
「…やっぱり、ちゃんのお茶は美味しいね」
「ありがとう。崇くんもいるかしら?」
「……ああ」
は新たに茶碗を二つ出して、それぞれお茶を点てた。一つを崇の前に差し出して、もう一つは自分のもとに引き寄せた。
ちゃん、崇、主菓子いるでしょ?はいこれ」
光邦はたくさんのお菓子の中から、薄茶に合う上生菓子を二人に分ける。には桜の花びらを模した練りきりを、崇には萌黄を模したきんとんを。崇の前にある瀬戸黒の茶碗の横に萌黄のきんとんが、の前にある赤楽茶碗の横には桜の花びらの練りきりが添えられた。
「こうやって下から見上げる桜も素敵ね」
「そうだねぇ、きれいだね」
「ああ」
三人はしばらくの間、中庭で桜とお茶を楽しんでいた。




翌日。今日もホスト部は中庭での接客だ。今度はメンバーを入れ替えて、初日茶会をしていたメンバーがギャルソンの格好でお客さまをお出迎えする。
「今日はハルヒくんとくん、ハニー先輩にモリ先輩がギャルソンなのね」
「いらっしゃいませ、お姫様。こちらのテーブルへどうぞ」
はお客を案内して、椅子を引く。椅子を引かれて案内されるのが当然の立場で育ってきただが、営業終了後に環たちに教わってようやく出来るようになった。お客が腰掛けたところですっと椅子を押した。
「ねえくん」
「何ですか、姫」
ロイヤルリリーのカップにお茶を注ぎながら、が答える。お客の女生徒はしばし逡巡していたが、ようやく口を開いた。
「あのね、くんは一年生なのよね?」
「……」
「私、どうしてもくんに会いたくていつも探しているの。休み時間にも、登下校の時間にも。でもあなたはここでしか会えない…」
環先輩と鏡夜先輩の読み通りだ、とは思いながら女生徒に対して優しい笑みを浮かべる。『佐藤』のプロフィールを決めた後、環が言い出したのだ。
『しかし、ここまでプロフィールが分かっていて、所属クラスが分からないと不審がられないだろうか?』
『…それはそうだな。しかし、だからといってに授業を受けさせるわけにはいくまい。生徒一人作り上げるのは簡単だが、に授業を受けさせるためにを休ませるわけにはいかない』
『いつかお客様に訊ねられることもあるだろう。歯がゆいだろうが、学年もクラスも明かしてはだめだよ、。桜蘭は一学年四クラス、調べようと思えばすぐ調べられるのだから』
『ええ、環先輩。鏡夜先輩』
くん?」
「…お姫様。この世の中に全て答えがあって、全ての人にわかってしまうのだったら、それはとてもつまらないことだと思わない?」
女生徒はカップを片手にじっとを見つめている。
「教えてはくれないのね」
「あなたに教えてしまうのはとても簡単なことだよ。…私とここでこうして会う時間を大事にして欲しいと望むことは、過ぎた願いなのだろうか」
くん…」
「私のことを思って探してくれたことは、とても嬉しい。けれど、私はここでこうしてあなたと会っていたい。いけないかな」
は女生徒に本当のことを言えない苦しさで、少しだけ表情をゆがめた。それを女生徒は悲しい思いで見つめ返す。
「…分かりましたわ。困らせてごめんなさい、くん。あなたが誰であっても、私とこうして会ってくださる、このときが本当だと信じて良いのよね…?」
「もちろん。私のことを、私の音を信じてもらえれば、それ以上嬉しいことはないよ」
少しだけ口の端を上げて、無理に笑ってみせると女生徒はまなじりに涙をそっと浮かべた。
「…信じますわ。あなたの奏でる音は、澄んでいて清い音ですもの。きっとそれはそのままあなたの心なのだと、私は思っています」
「ありがとう…」
本当のことを言わないのは、自分のためだ。は女生徒に見られないように、小さく唇を噛む。『』としてホスト部にいたい。ピアノやバイオリンを弾いて、誰かが喜ぶ顔が見たい。部員と一緒にいるのが楽しい。光邦と崇の傍にいたい。全部自分のためだ。
自分のエゴを言葉で隠して、それでも尚信じるという人を見るのは心苦しい。けれど、これはおそらく罰なのだろう。『』として接客をしていく以上、お客をだましていることになる。彼女のように気づきそうになるお客を、その度に言葉でだましていかなければならない。ホスト部にいようとするのならば。いつだったか、鏡夜が『このままとして部にいるつもりか』と訊いた。それにはきっとこの覚悟を求める意味もあったのだろう。
けれど。
は空になったカップにお茶を注ぎながら、彼女のたわいない話に笑ってみせる。
ここにいたい。それが自分の望みだから、望みを叶えるためには覚悟を決める。いつだって、覚悟一つでやってこれた。の家の跡取りとして様々なことを求められることにも、渇望に近い音楽への欲求にも、初めて外の世界に出て学校に行きたいという望みにも、覚悟一つで立ち向かって、ここまできたのだ。
だますのならば、優しい言葉で最後まで。それがせめてもの礼儀だろう。いつだったか、そういう詩を読んだことがある。読んだときは、人をだますことを単純な悪だと思っていたから、ずいぶん身勝手な詩だと思ったものだ。自分が人をだます立場になるとは思わなかった。しかし、全てを手に入れようとするのは傲慢だ。誰も傷つけずに自分の願いを叶えられるなんて、きっとない。誰かの幸せは誰かの不幸せと縒り合わさっていることがほとんどで、人を傷つけまいとするが故に自分の願いを放棄できるほど、は博愛主義者でもなかった。人には優しく接したいけれど、大事なものを守れないぐらいなら、誰かに嫌われたっていい。周りの人を尊重するあまり、自己犠牲精神を発揮してみたり、全てを自分のせいにするのは賢い行いではないだろう。自己犠牲も、自分のせいにしてしまうのも、慣れれば気分が楽になるし、それなりの愉悦も得るのだが、決して解決にはならないし、自分を大事にしないことは周りの人を傷つける。
誰かのためを思うなら、まず自分を大事にして自分と向き合う。そしてその自分で人と向き合う。
閉鎖的ではあるが、厳しい環境で育ったが身につけた渡世の術だった。常に大人と渡り合うことを望まれ、出来の良い子どもとして振る舞うことを望まれ、時には将来の当主として振る舞うことを望まれる。小さな少女の姿で、中身だけ普通の子ども以上の成長を促されてしまった、結果だ。
「…くん、ほら、桜」
テーブルに舞い落ちてきた花びらを、手のひらに乗せて女生徒が笑う。
「きれいですね。ああ、あなたの髪にも」
そっと女生徒の頭から桜の花びらを取って、互いに見せ合った。目が合って、笑いかけると女生徒も晴れやかな笑顔を見せる。そんなと女生徒のことを、少し離れたテーブルから見ている人物がいた。環と、光邦、そして崇だ。
「環さま?いかがなさって?」
茶筅を動かす手が止まってしまったので、不思議がったお客に声をかけられる。慌てて環は我にかえった。
「ごめんよ、姫君。ついうちの子が気になってしまって」
「いいのよ、環さま。お優しいのね」
そう言いながら笑みを浮かべるお客に微笑み返しながら、環はもう一度のほうに目を向けた。きれいに笑っている。それはきれいに。けれど、環にはどうしてもその笑みが悲しげなものにしか見えないのだった。
はとても落ち着いていて、頭がいい。自分の大切なものを分かっているし、大事にする術も知っている。時折、環自身より年上に見えるほどだ。そこまでを精神的に大人にしてしまったのは、特殊な環境なのだろうが、それは幸せなことだろうか。はよく笑っている。光邦や崇の傍で、お客の前で、部員たちの近くで。今まで学校に来たことのなかったは、きっと友人たちに囲まれて幸せなのだと思っていた。単純に。けれど、笑顔を浮かべる以外の方法を知らないのだとしたら?
せりあがった気持ちが涙を連れてきて、環はぐっと茶筅を握る手に力を込めた。そんなの、寂しすぎる。
「……」
そんな環の様子にも、の様子にも三年の二人は気がついていた。もともと、部員の中では誰よりこういうカンに長けている。隣のテーブルで接客している光邦は、少しだけ環のことを見ていたが、すぐに笑顔で接客に戻った。
「お外で食べると、いつもよりもっともっと美味しいねぇ〜」
「そうですわね、ハニーくん」
「本当ですわ」
えへへ、と笑ってみせながら光邦はほんの一瞬だけ崇に目線を向ける。崇は目線を受けて無言で小さく頷いてみせた。彼女を守るのは、自分たちの役目だ。彼女を傷つける全てのものから守りたい。それは不可能に近いことだと分かってはいたが、それでもそう誓った。
武道を続けていて鍛えられるのは、身体より心だ。立ち上がれないほど苦しいときに立ち上がって稽古を続ける心、休みたいときにも稽古に取り組む心。継続だけが鍛えることの出来る心があって、二人とも小さな頃から鍛えてきた。次期当主と言われプレッシャーをかけられているのは二人とて同じだが、埴之塚銛之塚の当主と、家の当主では意味合いがやはり違う。小さな頃は、次期当主で良かったと思っていた。がここに来た当初も。二人にとって、を守るということは至上命題で、何よりの幸福だった。けれど、傍にいればいるほど、鍛錬を積めば積むほど、届かないと思わされる。物理的にを守ることは二人にかかれば簡単だ。不審者や狼藉者からを守るには、十分過ぎるほど二人は強くなっていた。しかし、の心はどうやって守ればいいのだろう。自分たちにとって何より大事な彼女を、どうやれば守っていけるのだろう。
「お茶持ってくるね」
光邦はティーポットを持って立ち上がり、お茶を淹れているの傍に近寄った。崇も自然な素振りでのもとに近寄る。

ちゃん」
「…二人とも」
はやはり二人に笑ってみせる。光邦は少しだけ眉を寄せて、崇は無言のままの頭に手を乗せた。
「どうしたの?」
ちゃん、お願いだから」
「俺たちには隠すな」
崇はの頭に乗せた手で、しなやかな髪ごと頭を撫でる。光邦はお茶を淹れ終えたの手を掴んだ。
「…心配かけてごめんね。でも、大丈夫。私はもう、覚悟決めてるから」
ちゃん…」
「……」
三人の様子を、三人のお客以外にもいろんな客が垂涎の思いで見つめていたことなど、鏡夜以外誰も気づいていなかった。



部活を終え、はいつものように準備室で女子制服に着替えてカツラをかぶる。双子の気まぐれで化粧までされてしまった。薄い化粧なら、という条件つきだったので、ほとんど素に見えるナチュラルメイクだ。
「ねえちゃん」
「なぁに、みっちゃん」
「僕の家でお夕飯食べない?」
崇はいつも一緒だけど、と言う光邦には笑って頷いた。
「みっちゃんのお家に行くのは、どれぐらい振りかしら。チカちゃんは元気?」
「元気だよ。部活が忙しそうだけど」
「…悟もだ」
「チカちゃんも悟ちゃんもずいぶん会っていないものね、会うのがとても楽しみだわ」
校庭に来ていた迎えの車に事情を説明し、荷物だけ持って帰らせる。そしてと光邦と崇は一緒に埴之塚家の車に乗り込んだ。車に乗ってしまえば、埴之塚の本邸はそう遠くない。近くに銛之塚の本邸がある。
「お坊ちゃまがた、お帰りなさいませ」
広い日本家屋の玄関には、ずらりと使用人が並んでいる。一番奥に、執事が控えていた。
「ただいま〜」
「ただいま戻りました」
「お邪魔いたします」
「…そちらのお嬢様は…もしや様でいらっしゃいますか!?」
「ええ。です。お久しゅうございます」
にこり、と笑んで少しだけ頭を下げる。長い髪が揺れた。
様、どうぞお戻し下さいませ、私ごときに頭をお下げになるなどとんでもございません」
光邦がぽけっとしていて連絡するのを忘れていたので、いきなりの家次期当主の登場に埴之塚家は大騒ぎになっていた。使用人たちは現当主に急いで報告に行った後に、厨房へも連絡、そして客間や食堂の掃除まで大忙しだ。
「こちらにいらしておいでだとはお聞きしておりましたが、当屋敷へおいでくださるとは…旦那様もお喜びなさいましょう」
「おじ様にお会いするのもずいぶんと久しぶりですわ。おじ様は今どちらにいらっしゃいまして?」
「旦那様は今、応接間でお客様とお話中でございます。どうぞ、こちらで」
光邦と崇が付き添うようにして移動して、客間に入る。ほどなくしてお茶が運ばれてきた。
様、こちらでは学校に通われておいでだとか。いかがでございますか?」
「光邦くんや崇くん始め、みなさんお優しくていらっしゃいますので、とても楽しく過ごしておりますわ」
執事に向かってはやはり笑顔を浮かべる。光邦と崇は複雑な思いでを見つめた。
「それはようございました。…旦那様」
さま、よくおいでくださいました。お久しぶりでございます」
埴之塚の現当主が現れ、の正面に腰を下ろして頭を下げた。もちろん、が上座だ。年上なのはもちろん光邦の父だが、埴之塚は家に仕える家。この場合の目上はのほうだった。
「おじさま、お久しぶりです。こちらに参りましてから、いつかお目にかかろうと思っておりました。急なことで申し訳ありません」
「とんでもございません、さま。何も無い、狭いこの屋敷ではございますが、いつでもおいでくださいませ」
「ありがとうございます。光邦くんと崇くんがいるおかげで、いつも楽しく学校で過ごせています」
「愚息どもでお役に立ちますのなら、いくらでもお使いくださいませ。もとより、四人はさまをお守りすることが使命でございますから」
光邦の父がするどい視線を光邦とその後ろに控えている崇に投げかける。
「光邦、崇、分かっているな」
「はい、父上」
「…はい」
二人は揃って当主に頭を下げた。自分たちの役目は分かっている。小さな頃から教え込まれてきた。稽古をするのは惰性でも習慣でもなく、家、ひいてはのためなのだとずっとそう言われてきた。それは分かっている。しかし、近くにいればいるほど、方法が分からなくなってきた。
「旦那様、お食事の用意が整いましてございます。靖睦坊ちゃまも悟ぼっちゃんもお戻りで」
「そうか。さま、靖睦や悟にお会いなさるのはずいぶんと久しぶりでございましょう」
「ええ、そうですね。私は二人の小さな頃しか存じませんから…」
「二人ともまだまだ未熟ではございますが、以前に比べましたら、少しはお役に立つかと思います」
執事の先導で食堂に向かっていたが、一人の使用人が光邦の父を呼び止める。
「なに?…そうか。分かった、すぐ行く。さま、大変申し訳ありませんが、私はここで失礼させていただきます。光邦、崇、失礼のないようにな」
「はい」
「はい」
光邦と崇が頷いたのを見届けた光邦の父は、その場を急いで去っていった。四人で食堂に向かう。
「おじ様、お忙しそうね」
「…さまにお会いできて、嬉しいのだと思います。いつもより機嫌が良かったみたいですから」
「みっちゃんがそう言うならそうなのね、良かったわ」
は光邦の口調に少し戸惑ったが、それを表には出さなかった。当主の前では敬語を使う、と光邦は前から言っていたからだ。
「こちらでございます」
執事が食堂の中に案内する。中には靖睦と悟が座って待っていた。
さま!」
二人は声を揃えたものの、表情には違いがあった。悟はそれこそ満面の笑みだったが、靖睦は厳しい表情のままだ。けれど、よく見れば靖睦も喜んでいることが目の表情で分かる。もちろん、には分かっていた。
「チカちゃん、さーちゃん、元気だったかしら?」
「はい」
「はい!さまもお元気でいらっしゃいましたか!?」
「ええ。二人とも元気そうで」
三人は揃って椅子に腰を下ろす。が上座で、埴之塚と銛之塚の二人はそれぞれ向き合うように並んでいる。
「二人ともすっかり大きくなったのね。たのもしいわ」
さま、ずいぶん前からこちらにいらしていたのだと聞いていますが」
「そうね、越してきたのは一月ですから、もう三ヶ月前になりますわね」
靖睦の言葉にがそう返すと、靖睦は顔を俯かせた。
「チカちゃん?」
「…どうして、お会いになって下さらなかったのですか…?」
眼鏡をかけても大きく見える靖睦の目には、うっすらと涙がたまっている。
「靖睦、さまを困らせるな。さまだってきっとお忙しかったんだ、そうですよね、さま?」
「チカちゃんのことも、さーちゃんのことも、忘れていたわけじゃないのよ。ずっと会いたかったけれど…ごめんなさいね」
言い訳はいくらでもあった。初めて学校に行きだした上に部活まで始めて忙しくなった、休みには京都の本邸やヨーロッパに行っていて時間がなかった、招きもないのに埴之塚の家に行っていいものか悩んだ、全部本当だがは何も言わない。本当のことであっても、言い訳は言い訳だ。それ以上にもそれ以下にもならない。
「桜蘭は、中等部も同じ敷地にあるのよね、みっちゃん」
「そうだよー。初等部も幼等部も同じ敷地なんだー」
「それじゃあ、みんなはずっと一緒だったの…。いいわね」
たちの前には、既に食事が並べられていたが、誰も手をつけない。
「そんな!確かに俺らはずっと同じ学校でしたけど、でも、これからずっと一緒じゃないですか、さま」
「…さーちゃん」
「悟の言う通りです。もとより、俺らはさまのためにいるのですから」
「チカちゃん」
二人の言葉にはようやく笑みを見せて、いただきましょう、と声をかけた。揃って手を合わせる。
「いただきます」
埴之塚の料理人が腕を振るった料理はどれも美味しかった。は全てに感想を述べながら食べていく。
「これも美味しいわ。…チカちゃん?」
靖睦の箸が止まっていることに気づいたが声をかけると、少し俯き気味だった顔を上げた。
「…これからも、お会いしてくださいますか?さま」
「もちろんよ。ここに来るお許しはおじさまに頂いたし、私の家にもいつでも遊びに来てちょうだい。時々本邸に戻ったりヨーロッパに行ってるから、事前に言ってくれたら待ってるわよ。それに」
は箸を置いて、にっこりと笑ってみせる。
「学校では同じ敷地なんだから、いつだって私のところに遊びに来ていいのよ?」
クラスは1Aね、と言うと靖睦は少しだけ表情を綻ばせた。
「ありがとうございます」
「俺も遊びに行っていいっすか、さま」
「もちろんさーちゃんもね。近いうちに銛之塚のお家にもお邪魔しようかと思ってるわ」
「ほんとですか!?」
「…悟、こぼしてる」
「あ!」
元気良く返事をした悟は箸から食べ物をこぼしていて、崇の冷静な指摘に頬を染めた。
「みんな一緒にご飯が食べられるなんて夢みたい。やっぱりみんなで一緒にご飯を食べると余計美味しいわね」
「そうだな」
崇はの言葉に頷き、汁物をすする。
「チカちゃんとさーちゃんの話が聞きたいわ。二人とも今どんなことをしているの?」
「俺は剣道部主将で、靖睦の空手部にも顔を出しています!」
「…空手部主将で、柔道部の練習もしています」
話は盛り上がったのだが、が帰った後に『さまに馴れ馴れしい口をきいた』という靖睦の言い分で埴之塚兄弟にはバトルが勃発したのを、は知らなかった。




→第七話



やっと…やっと原作沿いぽいことが出来ましたァ!(環風)
お嬢様、いかがだったでしょうか。なんていうか、この連載は心理描写が多くなる傾向ですね…。

お付き合い有難う御座いました。多謝。
2006 6 25  忍野桜拝









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