白の舞姫 第十一話
一番隊の大広間には、既に数多く隊長格の死神たちが姿を見せていた。隊首会と言っても過言ではない面子に、広間の下座にいる十番隊の席官や中庭にいる他隊の死神たちは一様に緊張した面持ちをしている。
「お待たせしました」
大広間の外から掛けられた声は松本のもので、引き戸に手をかけたのだろう、小さな音が続いた。軽やかな音を立てて戸が開けられ、静々とが入ってくる。松本が少し後に続いてそっと戸を閉めた。
「……隊長、なんでそんなしかめっ面なんですか?、可愛いでしょ?」
「あいつ、ああいう着物持ってたのか?お前のか?」
いつもと変わらぬ上司の眉間の皺を指して松本が尋ねると、日番谷は不思議そうな顔でに視線を向ける。いつも、初めて会ったときと変わらない白の袿袴姿だというのに。
「まだ隊長には言ってませんでしたね」
「何だよ」
「あれをに贈ったのは朽木隊長です」
「……!?」
松本の声に驚いて日番谷はまたに視線を送った。は正面で辞儀をした後、舞うために扇を手に持ち姿勢を整えている。眩しいほど煌びやかな着物の中には、いつもの白い小袖を着ていて袴もいつもと大して変わらないように見えた。ただ、表に羽織った着物だけが浮き出るようにきらめく。
「私のお給料じゃとてもじゃないですけど買えないですよ、あんなの」
日番谷はそうだな、と生返事をして離れた場所にいる朽木と阿散井を見やった。朽木はいつも感情が表情に出ないから、今もいつもと同じ表情に見える。阿散井がいやにそわそわしているな、と思ったが仲が良いみてぇだから心配でもしてんのか、と勝手に納得した。
姿勢を正したが、右手に持った舞扇を片手で音を立てて開く。ぱん、と小気味の良い音がしてそれがはじまりの合図になった。
「よく似合うておるな」
朽木がもらした言葉の意味は分かったが、表立って同意する気持ちになれなくて恋次は頷いて見せただけで何も返さなかった。似合っていないわけではない。が着ている小袖も袴も白くて、は顔も手もどちらかといえば色白だ。朽木が贈った着物は地の色がはっきりと分からないほど、刺繍がびっしりと施されていてひどく目を引く。羽織った着物に長い髪が尾を引くように流れ、結い上げられた髪の上部にはきらりと銀色に輝くかんざしがあった。昨日手渡した物のように恋次には思えたが、遠目なのではっきりとは分からなかった。そうであってくれたらいい、という願望なのかも知れない。ふっと浮かんだ思いを打ち消すことが出来ず、恋次は押し黙ったまま鋭ささえ込めた目つきでの舞を見ていた。
大広間には、楽を奏する者もいなければ隊舎の中に普段飛び交う声も届いてこない。が舞う際に裾を引いた着物が板張りと微かな音を立て、髪の動きにつられてかんざしが小さく涼やかな音を出す他はほとんど無音だ。見物している死神たちも、息を詰めるように黙ってみている。くるり、と一回転したが舞扇を翳すように掲げた。ゆるゆるとの霊圧が練られて密度を増していく。
そのとき。
大広間が激しく揺れ、やがてけたたましい警報音が瀞霊廷中に鳴り響いた。中庭にいた死神たちが互いに顔を見合わせる中、慌てて大広間に駆け込んできた死神の姿があった。
「報告いたします!」
「何事じゃ」
「只今、瀞霊廷上空から旅禍と思しき一団が侵入いたしました!遮魂膜と衝突した後、瀞霊廷内に散らばったと見られます!」
深く頭を下げた死神の言葉を聞いていた総隊長以下、隊長格の死神たちが一斉に立ち上がる。
「緊急の隊首会を行う。総員、直ちに警戒態勢に着け」
所在を無く立ち尽くすを尻目に、隊長格以外の死神は姿を消して行った。各隊の隊長もまた、隊首会のために大広間を後にする。
「……乱菊」
「大丈夫、心配しないでもは私たちの側にいれば安全だから」
「そうじゃないの」
の側に残った松本と恋次は首を傾げた。
「旅禍って、どういう意味?悪い人っていうこと?」
リョカ、と言われても言葉の意味が分からない。分からないけれど、旅禍と呼ばれる人物たちに心当たりがあった。
「招かざる輩、ぐらいの意味だな。正しい手順でこっちに来ていないヤツのことはまとめてそう呼ぶ。まあ、異分子は何かの禍の予兆だ、みたいな風習だ」
「私は、その旅禍って人たちを知ってる」
「!?あんた、何言って」
「まさか、現世の知り合いか!?」
肩を掴んだ恋次にも、顔を掴まれた松本にも頷いてからは顔を俯かせる。いくら、ここ瀞霊廷が霊圧に満ち溢れているからといって、友人たちの気配を忘れるはずなどない。かなり強い一護の霊圧の他にも、石田、織姫、チャド、そして黒猫であるはずの夜一の霊圧さえもには感じとることが出来た。
「私の友人が五人、来たみたい。二人は恋次も知ってるよ。一護と石田くん、覚えてるでしょう?戦った相手だもの」
「あいつ、何で……まさか」
「ルキアを、助けたいんだって。ソウルソサエティに行った、とは聞いたけど……」
「、旅禍が来るのを知ってたの?」
二人の視線をまともに受けることが出来ず、は両手で顔を覆った。いつ行ったのか、どういう方法を使ったのか、浦原が教えてくれた日から今日までどこにいたのか、何もは知らない。知らないが、ルキアを助けるために来るのなら瀞霊廷に来ることは分かっていたことだ。
「詳しい話はここじゃない方がいいわ。隊舎…じゃなくて、私の部屋まで戻るわよ。、その着物貸して」
松本はから白哉が贈った着物を脱がせて、簡単に畳むと腕に抱える。
「恋次、あんたはを抱えて。急ぐわよ」
「了解っす」
恋次は事も無げにを両手で抱えて、瞬歩で姿を消した乱菊の後を追った。
松本の家に二人が着いたのは直後だ。家に入るなり、松本はすぐさま鍵を掛ける。
「は旅禍と知り合いなのね。目的は朽木ルキア虜囚の奪還?なぜ?」
「……ルキアを、守りたいから。一護が来た理由は多分そうで、あとの四人はちょっと分からない。一護についてきたのか、他にも何か目的があるのか。ねえ、乱菊」
抱えてきた着物を衣桁にかけた松本に向かって、は真っ直ぐ両の手を揃えて差し出した。
「?」
「私は旅禍が来るのも知ってたし、目的も大よそ知ってる。黙っていたのは、私もルキアを助けたかったから。でもそれは同罪になるんだよね。ルキアの処刑にどれだけ私たちが納得いかなくても、それはこちらの法でこちらのルールなんだもの。禍って言うぐらいなんだから、一護たちはきっと捕まえられるんだよね?」
「……捕まるかどうかは別にして、な」
「じゃあ、ここで私を捕まえて、山本総隊長さんなり日番谷さんなりに報告して。私は友人を売るような人でいたくないし、乱菊たちをこれ以上裏切りたくもない。一護たちが来ることを黙っていた罰なら、ちゃんと受けるから」
そう言いながら、は目を閉じる。ルキアのことを助けられるのは一護だ、あのとき占いで見たオレンジの光はきっと一護のこと。一護の他にも、織姫、チャド、石田、それに夜一がこちらに来ている。いずれ彼らとの関係も分かるだろう。その時、一護たちの荷物になるような真似はしたくなかったし、卑怯者にもなりたくなかった。旅禍が来ることを告げなかったのは、おそらく罪だろう。その罰でどうなるとしても、世話になった人たちや好意を寄せてくれる人たちを裏切り続けるよりは、ずっとましだ。
恋次は松本と顔を見合わせて、目を閉じて両手を差し出したままのを見た。知らず、唇を噛む。
「旅禍とは、遅からず戦闘になる。それでもお前はそいつらと同罪だって言うのか?俺らと戦うってのか?」
「戦わない。の一族は死神と戦わない、それだけは絶対。でも、私は友人を売るような真似もしたくない。……我儘で、ごめんなさい」
目を閉じたまま、俯く。瀞霊廷に来てから、いろんな死神と出会って笑顔をたくさん見てきた。彼らを傷つけるのが一護たちで、一護たちを傷つけるのが彼らになるのだろうか。それが戦いで、お互い守るものが別ならそれは仕方のないことなのかもしれない。けれど。
「このまま一緒にいたら、乱菊や恋次も疑われるかもしれない、それだけは嫌だから早く……え?」
ぎゅっと抱き寄せられた感覚があり、目を開こうにも柔らかい何かに押し付けられているようで目を開けない。鼻先をよく知った甘い匂いが抜けた。
「あんた一人ぐらい、守れないと思ったの?バカねえ。隊長にだけは報告するけど、隊長もきっと同じこと言うわ」
「乱菊、そんなことしたら後できっと怒られるから、だから…」
「お前は何も悪くねぇ。つうか、ルキアを助けるためだっつーなら俺が罰でも罪でも受けてやるよ」
「恋次」
やっとのことでが顔を上げると、目の前にある乱菊の笑顔の上横に恋次の照れたような顔がある。
「いい?あんたがその友だちを守りたいように、私も恋次もあんたを守りたい。隊長もきっと同じ。だから、もうそんなこと言っちゃダメよ?」
「でも……」
尚も言い募ろうとするの頭上に手を置いて、恋次は首を振った。手を置いた側に、昨日渡したかんざしが飾られている。
「その話は乱菊さんと日番谷隊長に任せろ。お前は勝手なことするなよ。俺も出来る限り、協力するからな」
でも、と尚もは言おうとした。そんなことをして、二人は罰せられたりしないのだろうか。二人の上司である日番谷と白哉にも迷惑がかかるのではないだろうか。世話になった十番隊の死神たちは。口を開こうとして、そのまま口ごもる。
「ルキアが絡んでんじゃ、朽木隊長に言っても無駄だと思うんで乱菊さんお願いします」
恋次は幾度かの頭を撫でてから、一度乱菊に頭を下げた。一人のことなら、どうにかなったかもしれない。けれどそれにルキアの処刑が関わっているのなら、今回の異例すぎる妹の処刑に対して全く異を唱えなかった白哉が力になってくれるとは思えなかった。白哉は規則や上層部の決定など、定められた物は徹底して遵守する。恋次は四十六室が今まで下した決定や、護廷十三番隊に関する細かい法を知らない。が言っているように、のしたことはひょっとしたら罰則ものなのかもしれなかった。だとしたら、白哉に教えるわけにはいかない。旅禍さえ捕まえることが出来れば不問になるかもしれないのだから、教えるのはその後でもいいだろう。
「まかしときなさいって。恋次、あんたそろそろ戻った方がいいんじゃない?隊長も戻ってきそうだし」
「そうっすね。……」
戸口に立った恋次の声に、は顔を上げて目線を合わせた。恋次は小さく笑う。
「それ、つけてくれてありがとな。似合ってる。……じゃあな」
応えようとが口を開きかけた時には既に恋次の姿は無かった。何を言おうとしていたのか、恋次の姿が消えた今になっては自身にもよく分からない。
「隊舎に戻るわよ。もうそろそろ隊長も戻ってくる頃合でしょうから」
「……うん。あの、乱菊」
「なぁに?またおかしなこと言ったら怒るわよ?」
「あの、ね。旅禍って、もし捕まったらどうなるの?前にも捕まった人がいたの?」
「四十六室の決定次第ね、おそらく。こんなに大仕掛けで…というか空から来た旅禍なんて私は聞いたことないわ。の友だちはすごいわねぇ」
十番隊の隊舎に松本とが戻った時には、隊舎の中は空だった。執務室に日番谷の姿があるだけだ。
「隊長、今戻りました」
「ああ。……旅禍の数は全部で六、とりあえず十一番隊が表立って出ることになった。警戒態勢はそのままだが、まだ俺たちには帯刀命令が出ていない」
「分かりました。隊長、ちょっと宜しいですか?」
松本はをソファに座らせて、日番谷の側に移動する。机に置かれている白紙に、さっと指で文字を書いた。
「?」
首を振る松本を見て、意図を察した日番谷はソファに座っているに視線を移す。
「、さきほどの舞はどういうものだったんだ?」
「え?……えっと、あれは…」
てっきり、旅禍のことを聞かれるのだと思っていたは面喰ったが、そのまま舞の説明を始めた。日番谷と松本は尚も紙の上で文字を書いている。
『は旅禍の知人です』
『現世での知人か』
『旅禍の目的は朽木虜囚の奪還』
『現世で朽木妹と会ったんだな、旅禍は』
『おそらく』
『をどうしますか』
松本がそう記した後、日番谷は視線をちらりと横にいる部下に向けた。陽気で人当たりが良いはずの部下は、挑むような目線を日番谷に向けている。ややあって、日番谷は頷いた。
『どうもしない。は十番隊預かりだ』
『了解』
そこまで書くと二人とも手を止めて、日番谷は立ち上がる。
「、一つ頼みがあるんだが」
「何でしょうか」
今度こそ、一護たちのことだとは身体を固くした。
「せっかく練習していたようだし、観客が二人になっちまったが舞を見せてくれねえか?隊首室に招いたことも無かったしな」
「……?」
「ね、見せてよ!あんなに頑張って練習してたんだもの、いいでしょ?」
「ええ、もちろんです」
そしてそのまま、十番隊隊舎を後にして、日番谷の私室である隊首室に移る。隊首室に移って初めて、松本が大きく息を吐いた。
「あー、もう緊張したー。あんなこと初めてですよぉ」
「しょうがないだろう。場合が場合だ」
「あの?」
意味が分からず首を傾げるに声をかけようとして、松本は日番谷に視線をやる。日番谷が頷いたのを確認してから、喋り始めた。
「さっきはごめんね、外にどうも隠密機動がいたみたいで」
「隠密機動の中に、内部の情報を探るヤツらがいる。普段ならあっちも仕事なんでほっとくが、お前の件があったからな」
「それで、何か書いてたんですか?」
「証拠を残すわけにいかねえし、霊圧を動かせばすぐにバレる。とりあえず、これで無関係だと一応思わせることには成功しただろう」
が舞の話をしていて、それに頷いているようにしか見えなかっただろうし、舞を見せてくれと言って隊首室まで連れてくることに成功した。一応は安心だと言っていい。隊首室に向かおうとした時点で、隠密機動は姿を消した。
「大丈夫よ、。もういないから」
「そんなことして、その、大丈夫なんですか?やっぱり私がここにいたら迷惑がかかるんじゃ……」
「あのな、」
座るように示した日番谷に従って、は腰を下ろした。日番谷も向かい合うように腰を下ろす。
「迷惑をかけたくない、というのは殊勝な心がけだ。悪くない。だがそれは俺たちと自分は無関係だ、と言っていることと近いぞ」
「そんな!私、そんなつもりじゃ」
無関係じゃないからこそ、迷惑をかけたくないのだ。日番谷は首を振った。
「遠くにいるヤツには、迷惑すらかけらんねえんだ。近くにいて、関わりあってんなら大なり小なり迷惑をかけあうことは自然で、頑なに拒絶するほどのことじゃない。人と関わるってことはそういうことだ。良い事、綺麗なものばっかりを交わし合うだけじゃいられないだろう」
「にはたくさん助けてもらったじゃない、隊務でも。だから今度は私たちがを助ける番なの」
「でも……私は、ここに来てからずっとお世話になってて、少ししか手伝いも出来なくて、なのに」
「命令があったとは言え、お前を家族から預かってきたのは俺だ。俺はお前をきちんと現世の家族の所へ帰す義務がある。それまでは、俺が守るから」
の目線より少し下の位置にある、日番谷の顔は真面目そのものだ。大きなエメラルドのような目がまっすぐを見ている。
「日番谷さん」
「俺が、じゃなくて私もですってば。でも隊長にしては成長したセリフ!」
「お前な」
「冗談ですよう。恋次もこのことは知ってますけど、朽木隊長には言えないってんで今のとこ三人だけです」
茶化した松本の声に顔を引きつらせた日番谷だったが、すぐに長い息を吐いた。
「朽木か……妹が関わってる以上、あいつには何も言わないのが賢明だろうな。阿散井と俺とお前だけか。ま、何とかなるだろ」
「隊長、これからどうします?捕まってからならともかく、騒動起こしてる最中の旅禍とを鉢合わせさせるわけにはいかないでしょう」
「当たり前だ。俺たちに出撃命令が出るまでは、お前の側から離すなよ。……」
「はい」
「旅禍の目的は朽木虜囚の奪還で、旅禍は俺たちと戦う用意があるんだな?」
「私が聞いた限りでは、そうです。最初、彼らは私も連れていきたかったと後で聞きました」
「何?」
日番谷が片眉をきれいに吊り上げる。松本も驚いたように声を上げた。
「彼らをこちらに渡した人が、そう言ってました。でも私たちは死神の人たちと戦う気はありません。だから、その人が前もって止めたと」
「ひょっとして、俺たちがお前を招来に行ったのはその後なのか」
「数日も経ってません、多分。でもここに来ても彼らの霊圧が無かったから、別のところにいるのかと思っていたんですけど、さっきの騒ぎで彼らの霊圧を感じました」
「なるほどな。、旅禍は俺たちと戦う用意がある。護廷十三番隊も旅禍を排除するのが仕事だ。お前は、平気なのか?」
知り合い同士が、目前で争うことになって。黙ったに日番谷は尚も続ける。
「何だったら、この騒動にかこつけて現世に戻すことを進言してもいい」
日番谷の言葉には首を振った。その必要は、無い。
「一護たちは、ルキアを守りにここへ来ました。私だって、ルキアを助けたい。でも、日番谷さんだって乱菊だって恋次だって、戦う理由があって守るものがあるんだから、私の気持ちぐらいのことで邪魔をしたくはないです」
もし、自分が戦う術を知らないただの人間だったら、止めてくれと言ったかもしれない。大事な人たちが争うところを見たくないと。けれど、は自分の意思で虚と戦うことを選んだ。虚になってしまった魂を、襲われる人たちを守りたい。誰だって、戦う理由があって守りたいものがある。だとしたら、他人が情に流されて横槍を入れるなんて失礼なことだ。
「俺たちがお前の友人を斬っても、か?」
「死んでほしくはないです。本当は傷ついてほしくもない。でも、それは一護たちだって日番谷さんたちだって一緒です。……戦おうとする人にそんなこと言うのは失礼なんだってことも分かってるつもりです」
「……そうか。お前は十五、十六の娘にしちゃ肝が据わってんな」
「お祖父ちゃんの受け売りなんですけどね」
先代である祖父は、一族としての舞を幼い頃からに教えてはいたが虚を祓う方法や手段を一切教えようとしなかった。が自分から頼んで、教えてもらったのだ。戦うということの意味や覚悟から教わった。戦う覚悟を持つ者に水を差すことが無礼であることも。祖父が虚を祓いに出かけて怪我をして帰った時、幼いは大好きな祖父が傷つく姿に耐えられずにわんわん泣いた。けれど、祖父は泣くにこう言ったのだ。
『何の罪もない人たちが仮面(虚)に襲われて傷ついてもいいのか?暴走してしまった魂である仮面にさらなる罪を重ねさせてもいいのか?』
難しい言葉の意味は分からなかったが、大好きな祖父が傷つくのも嫌だが知らない誰かが仮面に襲われて傷つくのも嫌だし、仮面も苦しそうで可哀想だ、とが答えると祖父は頷いた。
『仮面を祓うことは我らの役目、わしが自分で決めたこと。覚悟を決めた者に周りが出来ることは数少ないのだといつか分かる』
が家の人間である以上、死神たちとひいてはソウルソサエティと争うことは許されない。ソウルソサエティと敵対することは現世にいる一族を危険にさらすことになりかねない。だから一護たちと同行するわけにはいかない。たとえ目の前で日番谷が一護を斬ることになり、一護の斬魄刀が乱菊や恋次に傷をつけてもには止める権利など、無いのだ。互いに守るものがあり、戦う理由があり、覚悟を決めているのだからどちらの味方にもなりきれないは、どんなに苦しい思いをしても目をそらすことさえ、許されない。
「イチゴ、ってんだな。旅禍の名は」
「はい。確かルキアから死神の力をもらって、死神になったと聞きました。そのせいでルキアが罪に問われたから、一護はどうしてもルキアを助けたいんだと思います」
「能力の譲渡は重罪だ。死神になるには正式な手続きがいるからな。護廷十三番隊の管轄外に死神がいるんじゃ、現世とこちらのバランスが崩れることにもなりかねない。……それにしても、今回の処刑は変だが」
「変?」
「朽木ルキアが重罪だ、それは分かる。だが、ただの平隊士に双?を使用する必要は無い。おまけに朽木妹が現世から連れ戻されて、刑が決まるまでが早すぎる。中央四十六室が決定した以上、誰も覆せない事実であることは確かだがな」
覆せない事実。その言葉がの胸中に重く沈む。一護はきっとルキアを助けることが出来る、と信じていても処刑だの重罪だのと聞けば心が沈んでしまうのは仕方のないことだ。沈んだ心に沿うように俯いたを横目で見た日番谷は、一つため息をついて立ち上がる。
「あら、隊長?お出かけですか?」
「風呂だ」
「はーい」
いつの間にか勝手に夕飯の調理を始めている松本を止めもせずに日番谷は姿を消した。主のいなくなった部屋に、松本が調理する音が響く。
「ねえ、」
返事は無く、松本は少しだけ肩をすくめるようにしながら調理を続けた。
「あんたの覚悟は立派だと思うわ。お祖父さんの教育も立派だと思うけど、あんたはまだちっちゃい女の子なんだから。辛かったら泣いていいのよ」
「ちっちゃいって、もう十五だよ?」
やちるちゃんじゃないんだから、とが言うと松本はからからと笑う。
「あのねえ。やちるは外見がああだし中身もああだけど、よりずーっと年上よ。隊長も」
「え、そうなの?乱菊も?」
「年なんて数えてないけど、確か総隊長が真央霊術院を作ったのが二千年前で初めてそこから出た死神で隊長になったのが浮竹隊長と京楽隊長よ」
「二千年?え、ええ!?」
外見の年齢と松本が言う年月とが噛み合わず、どこか慌てたように目を瞬かせるに笑ってみせながら、支度を終えた夕飯を卓袱台に並べた。
「隊長もすぐ戻ると思うから、先にいただいちゃいましょ」
松本が言ったように、二人が食事を始めてほどなく日番谷は戻ってきた。先に食べ始めている部下に型通りの注意をしただけの日番谷は食べ終えてすぐに自室へ引っ込む。今日はひとまず泊まっていけ、と言われたは居間の卓袱台を片付けていた。松本は台所に立って食器を片付けている。
「乱菊は日番谷さんよりもかなり年上なの?」
「やだ、またその話?そうねぇ、隊長がまだ西流魂街にいてこれぐらいだった頃、私はもう今と変わらないぐらいにはなってたわね」
これぐらい、と松本は手を下に示して昔の日番谷の背丈を教える。やちるより小さいぐらいだ。
「そっか…時間の流れ方が違うのかもしれないね。それとも身体の成長がみんなゆっくりなのかな」
「現世の人と比べたことが無いから分からないけれど、身体の成長が遅いんじゃないかしら。任務で現世に降りてこちらに戻っても、同じだけの日数しか経たないから」
「そうなんだ。じゃあ私がいつかこっちに来たら、日番谷さんは今よりもっと大きくなってるかもしれないんだ」
「うーん、今のと同じぐらいにはなってるかもしれないわねえ。隊長は背を伸ばすのにすごく必死だから、それぐらい時間が経てば報われてもいいんじゃないかしら」
「必死、なの?なんか可愛い」
そう言われてしまうから尚のこと必死になるのだ、と気づけないに松本はただ笑ってみせた。気配にも音にも聡い日番谷には、この会話もある程度聞こえていることだろう。襖障子の向こうで眉間の皺をいつもよりさらに深くさせているに違いない。気に障っていても、表立って文句を言えないところが可愛いわよね、と思いながら松本は片付けた台所を後にする。
夜半、隣で寝ている松本から寝息が聞こえてきたのを確認したはそっと身体を起こした。枕もとに置いた銀色のかんざしに目をやって、首を振る。どうか怒らないでくれるといいのだが。
守ると言ってくれた三人の言葉や力を疑っているわけでも、信じられないわけでもない。昼間に話した覚悟が揺らいだわけでもない。
ただ、この心苦しさに耐えられない。
自分がしたことの責任を自分だけでなく人にまで求めるようなことが出来ない。もし自分のしたことが罪で、それを庇った三人にも罪が及ぶようなことがあればどう責任を取ればいいのだろう。
音を立てないように居間を抜け、閂を外して外に出た。夏だが、夜中にもなれば涼しい夜気が辺りに漂っている。は知らずに身を微かに震わせて、振り向かずに歩こうとした。
「どこへ行く」
「!?」
突然掛けられた声に、身が竦んだ。後ろから掛けられた声は、足音になって近づいてくる。
「一番隊の隊舎に行くつもりか」
「日番谷、さん……」
「総隊長に報告するつもりか?ならば、お前が知っていることを全て吐かされるぞ。そういう部隊もいるからな」
「私は」
「旅禍がすぐ捕まるならともかく、捕まらないとなればお前をダシにしておびき寄せるようなこともするだろう。こちらの世界で旅禍が力に訴えてきた以上、正しいのはこちらだ。……守ると、言っただろう。信じられないか」
の眼前に回りこんだ日番谷は、少しだけ眉尻を下げてを見やった。力が抜けたように座り込むに視線を合わせる。
「出会ってそう経たない俺たちを信じろと言っても難しいのかもしれない、命に関わることになれば尚更な」
座り込んだは長い髪を振るように、頭を振った。違う、と細い声が聞こえる。
「違うんです、そうじゃなくて、信じられないんじゃないんです」
「じゃあ何故だ」
「耐えられないんです。私がしたことの責任を私が取るのならともかく誰かに求めるようなことに、耐えられないんです」
私は弱いから、と続けたは両手で顔を覆って俯いた。
「……。お前は何故、朽木の妹を助けたいと思うんだ?」
「だって、ルキアは友だちで、いくら重罪だって言われても友だちだから助けたいんです」
「朽木の妹がしたことは、規定違反だ。その責任を朽木ルキア自身で負わなければならないと言うのなら、処罰されるのは当然の成り行きだろう。お前や旅禍たちがしようとしていることは、お前が言っていることと矛盾している。気づいているか?」
「あ、……でも…」
弾かれたように顔を上げたの前で、日番谷は静かに笑う。
「俺は単なる世話役だが、お前がどうなってもいいと言い切れるほど冷血漢じゃない。松本も阿散井も、お前を親しく思って大事に思うから、お前を守りたいと言うんだ」
「……日番谷さん」
「お前は前に義に殉じる覚悟がある、と言ったことがあったな。お前の言う義というのが何なのか、俺にははっきり分からない。けれど、俺はここでお前と戦ってでもお前を止めるぞ。それが正しいと、俺は信じる」
どうする、と日番谷は真正面からを見つめた。月明かりが微かに日番谷の白銀の髪を照らす。
「もし、お前を守ろうとしたことで俺たちがいつか責を受けたとしても、それはお前のせいじゃない。捕まえてくれと言ったお前を強引に匿った俺たちの自責だ。ただ守られていろ、というのは苦しいことなのかもしれねえ。お前みたいに、自覚があって力もあれば尚更そうなんだろう。それでも、俺たちはお前を守りたい、と言う。お前が傷つくところを見たくはないから」
祖母を守るために家を離れ、死神になった今は雛森と祖母、そして自隊を守ることで日番谷は精一杯だった。総隊長の命で渋々ながらを招来して面倒を見ることになったが、を側に置いていると突然の訪問者である彼女に他隊の者が構いたがる理由が少し分かってきた。凄烈なまでに白い霊絡に見合う潔白な精神はどこか危うさを秘めていて、他人より自分を傷つけようとする幼さや頑ななまでの覚悟がその要因なのだろうと気づいた。何も出来ない、無知な子どもというわけでは無いのになぜか世話を焼こうとしてしまうのは、その危うさにあるのかも知れない。痛々しい、と言ってもいいほど彼女は自分自身の心や身体を守ろうとしない。誰かが傷つくのなら、その傷を自分につけてしまおうとする。傍から見ているとこちらが痛いほどで、どうにかしてやりたい、と思ってしまう。今も。
「誰かに自分を預けるのは、本当は怖いことだ。だが、その怖さが分かっているお前だから守りたいと思うんだ。俺も松本も、阿散井も」
日番谷の言葉に頷いて、はぐっと両手を握り締める。誰かに自分を預ける怖さも自分のせいで誰かが傷つく恐ろしさも、自分で受け入れなければならない。今ここで日番谷と戦い、一護たちの所へ行けないのならば。そしてが家を負う限り、それは出来ないことなのだ。
「日番谷さん」
「……なんだ」
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけします」
深々と頭を下げたの肩に手を置いた日番谷は、肩に掛かっている髪の冷たさに驚いて手を離す。
「昼間言っただろ、迷惑なんて掛け合うのが普通で一々思っちゃいねえよ。冷えてきたから戻るぞ」
「はい」
は頷いて立ち上がった。日番谷はもう戸を開けてを待っている。そして家の中で、笑う松本の顔が見えた。
さん、いかがだったでしょうか。日番谷隊長頑張ったの巻(笑)。一護たちが来たところも書けたし、使いたかったセリフも使えたので個人的には満足しています。
こっからはいよいよ動乱編というか原作沿いですね。一護たちと会うかどうかはまだ決めてません。
お付き合い、有難う御座いました。多謝。
2008 2 11 忍野桜拝