白の舞姫 第六話
十一番隊の隊舎を出た後で十二番隊の隊舎も通りかかるが、日番谷はそのまま通り過ぎた。渡す書類も無かったし、涅に会わせたくなかったからだ。生きている人間なんて珍しいので、涅なら実験体にすると言いかねない。その横の十三番隊舎には珍しく浮竹の姿があった。
「冬獅郎、どうしたんだい」
「書類渡しに来たついでにこいつの挨拶周りだ」
日番谷は後ろで書類を抱えているをずいっと押しやる。浮竹は目を細めてその様を見やった。は浮竹から見たら本当にほんの子どもにすぎないのだが、清らかな雰囲気のせいか、人に侮らせないところがある。
「珍しい茶菓子があるんだけど、お茶でもどうかな」
「え…」
自分に言われていると分かったは困り顔で日番谷の方を見た。日番谷はくっと眉間の皺を深くする。
「まだ渡す書類が残ってるんでな。こいつは当分こっちにいる。いつかお前の体調の良い日にでも誘えばいい」
「そうか。そりゃ残念。ところで冬獅郎」
日番谷ははっと後退る。浮竹の口調がいつもと同じだったからだ。
「飴がたくさんあるんだけど、もらってくれるかい?君も」
病人のはずなのに、と日番谷が不思議に思う強引さで浮竹は飴を日番谷とに押し付けた。は驚いたが日番谷が大人しく受け取っているのでそうしたほうがいいのだろうと思い、小さく頭を下げた。
「浮竹…人の世話する前にお前は自分の体調を慮ったほうがいいだろう」
邪気の無い浮竹の純粋な好意を無碍に出来ない日番谷は渋々そう言いながら受け取って、十三番隊の隊舎を後にした。
「浮竹隊長はなんでかうちの隊長を気に入っちゃって。いつも浮竹隊長のとこ行くとお菓子受け取ってくるの。断れないとこが可愛いわよね」
「そうね。体調が良い日に、って普段は体調が悪いことが多いとか?」
松本に合わせてくすりと笑ったはそう疑問を口にした。さっき見たときは普通の人のように思えたのに。
「小さな頃から肺の病なんだと聞いたことがあるわ。でも他の隊からの信用も篤い人よ」
それはそうだろうな、と同意しては少し軽くなった書類の束を抱えなおした。本当に人が良さそうな方だった。飴もくれたし。私こどもに見えるのかな(は死神が恐ろしく長生きなことを知らない)。
十三番隊の隊舎から逆方向に戻って、十番隊の隊舎を通り過ぎ、九番隊の隊舎についた。隊舎の入り口近くでは檜佐木が何か他の隊員に指示を出しているところだった。
「じゃあな、気をつけて行けよ」
「はい」
隊員とすれ違いに隊舎に入った日番谷たちは檜佐木に迎えられた。松本がさっそく書類をいくつか隊員に渡している。
「日番谷隊長に乱菊さんじゃないっすか。どうしたんですか」
「書類渡しとこいつの挨拶周りだ。俺が招来した人間」
「ああ、隊長から聞きました。あんたが…」
檜佐木はそこで言葉を切ってを見た。はまじまじと見られているのでなんとなく気恥ずかしくなって目を合わせられない。
「いや悪い。瀞霊艇に生きてる人間が来るなんてあんまねえことだからつい、な。俺は檜佐木修兵。ここの副隊長だ。よろしく」
「です。よろしくお願いします」
いくらか軽くなったとはいえ書類の束を抱えているので握手は出来なかった。檜佐木はが抱えている束の中から九番隊の書類を見つけたらしく、少しだけ取って自分の机に置いた。
「書類はこれで全部よ。次は八番隊ですね」
「京楽んとこか…」
日番谷はなんとなくそこを通り過ぎたい気分になったがそうもいかない。書類はあるのだし。
「じゃあな檜佐木」
「はい。えっとだっけか。暇になったら遊びに来いよ」
「え…、あ、はい」
刺青の謎を聞き忘れたは今度会ったときに聞こうと決めたのだが、日番谷は依然渋い顔だ。
「ちょっと七緒ちゃーん」
隊舎から情けない男の声がして日番谷は頭を抱え、松本は笑い出した。
「隊長が日頃しっかりやってくださったら、今頃やっていただかなくても結構なんですよ。深酒なさって隊務に影響が出るから…」
延々と続くと思われた伊勢の説教をストップさせたのは隊舎入り口に現れた日番谷たちだった。
「あら日番谷隊長に松本副隊長。どうなさいましたか」
「書類を届けにきた。ついでにこいつの挨拶周りだ」
伊勢の眼鏡がくいっと指で押し上げられ、は眼鏡越しに伊勢と対面した。真面目そうな人だな。
「八番隊副隊長伊勢七緒です。さんですね」
「ええ。です。よろしくお願いします」
書類が少なくなったので少しだけ頭を下げることが出来た。伊勢は真面目な顔つきのまま、うちの隊長の口車に乗ったら駄目ですよ、と前置きした。
「ちょっとなにして…あれ、さっきの美人さんだ」
これだからお前にこいつを会わせたくなかったんだよ…。日番谷はふーっと長い息を吐いた。
「いやあ、七緒ちゃんも美人だけど、違うタイプの美人さんだねえ。おじさんは美人さんならいつでも大歓迎。遊びに来てよ」
「はあ…」
間に日番谷が挟まっているとはいえ、顔を至近距離にまで近づけられて、はそう答えるしかなかった。日番谷は両の手で京楽の腹辺りを押しやる。
「お前仕事あるんだろ。伊勢に迷惑かけるなよ」
三番隊と同じだ、と思いながら似たような言葉をかける。伊勢も吉良と同じようにそっと心中で日番谷に感謝した。
「なんならおじさんの家まで…痛た、痛いってば七緒ちゃん」
「総隊長のお客人に何仰ってるんですか!仕事なさってください!」
伊勢は呆れているようだが、傍から見ると悪くないコンビだ。は少し面白く思った。日番谷は既に先に行っている。
「あ、待ってくださいよ隊長ー!」
「失礼します」
がなぜか律儀に頭を下げ、松本を追ってそのまま八番隊隊舎から離れた。
「七緒ちゃん妬いてるの?」
「違います!」
それからまた伊勢の説教がスタートし、京楽は大きな身体を縮こまらせて大人しく聞いていた。
七番隊に渡す書類がなかったので、そのまま通り過ぎて六番隊へ移動する。六番隊は隊長の気質を反映してか、仕事もきっちりしていて、書類が遅れるとうるさいのも六番隊だ。
「あ、日番谷隊長に乱菊さん…とお前っ」
恋次は日番谷の後ろにいるを見て食べかけの鯛焼きをなぜか袋にしまった。慌てた素振りで日番谷たちを迎える。
「恋次、これが書類。まだ期限は十分だから」
「うっす。隊長は今席外して…って隊長おかえりなさい」
の後ろに人影が出来、が首を捻って見上げるとそこに白哉がいた。白哉はが持っている書類を丸々持ち上げた。
「えっと…」
「大丈夫か」
「あ、はい」
いや大丈夫ですから、その書類返してください…と言えずにはそのまま白哉の行動を見守った。
「隊長それうち宛の書類なんすか?……違うじゃないすか。これが三番隊でこっちが五番隊…」
なぜか仕分けまで始めてしまった恋次も意外に六番隊の気質に染まっている。松本は礼を言ってからその書類を自分で抱えた。
「ああ、そうか、お前たちは面識があるのか」
白哉の行動を疑問に思っていた日番谷は自分の記憶を引っ張り出してきてようやく納得がいった様子だった。最も、それでも白哉の行動には疑問が残ることは確かだが。他人の世話などあまり見ない白哉が書類を代わりに持つなど、日番谷は初めて見た光景だ。
「」
「はい?」
フルネームで呼ばれたことにびっくりして、先の行動にもびっくりしているは手ぶらのまま小首を傾げた。
「汝の都合の良い時にここを訪れよ」
「あ、はい…」
思わず承諾してしまっただが、まずかったのかと日番谷を見やる。日番谷はそれこそ珍しいものを見るような目つきで白哉を見ていて、の困惑には気づけなかった。
「じゃあ五番隊のとこ行きましょう、隊長」
「あ、ああ…」
失礼します、と頭を下げて日番谷を追ったを見ながら、恋次はぽつりと呟いた。
「なんか隊長がおかしい…」
五番隊隊舎は隊長・副隊長ともに揃って仕事中だった。
「邪魔するぜ」
日番谷が入り口に立つと、わざわざ藍染が迎えに出た。後ろに雛森も続いている。
「やあ日番谷くん。松本くんも。なにかな」
「これが書類です、藍染隊長」
松本はさっき恋次が仕分けした書類から五番隊の分を抜き取って雛森に手渡した。雛森は受け取って仕分けを始める。
「あとこいつの挨拶周りだ」
「君がくんだね。さっきは不躾に失礼した」
「いえ。私みたいな存在が珍しいんだってことはよく分かりました。お気になさらず」
藍染はまた眼鏡をくいっと指で押し上げ、の霊絡を見つめた。人間だから白いのだが、あまりに白い。凄烈なまでの白。
「現世の話など聞きたいな。私はあまり現世に下りることがないからね」
「あまり面白いお話が出来るかは分かりませんが、私でよければ」
「私も聞きたいです!ちゃんって呼んでいい?私は雛森桃。五番隊の副隊長で、日番谷くんの幼馴染なの」
雛森の言葉には頷いて、日番谷と雛森を代わる代わる見やった。暗に身長を見比べているのだと悟った日番谷は機嫌が悪くなる。
「よろしく、雛森さん」
「桃でいいよ!よろしくね」
にこにこと笑う雛森につられても笑顔になる。それを藍染が暖かな眼差しで見守っていた。居心地の悪くなった日番谷はさっさと歩き出した。
「あ、待ってくださいよ、隊長!、行くわよ」
「はーい、じゃあね、桃」
雛森に手を振られたので手を振り返しながら、急ぎ歩きで松本の後を追う。四番隊隊舎を通り過ぎて、三番隊の隊舎手前で日番谷は立ち止まった。
「日番谷さん?」
「隊長?…分かりますけど、行かないと」
「」
「はい」
日番谷の声がいつになく強張っていたので、自然との返事も硬いものになる。
「これから会う三番隊の隊長にはあらゆる意味で気をつけろ。易々と誘いに乗るんじゃない」
松本は内心、それは言いすぎ…と思うのだが、いろいろ前科のある市丸なので弁護もしてやれないのだった。
「はあ。他の人たちは大丈夫なんですか?」
ここで駄目だと言えたらいいのだが、日番谷は本当に考えこんでしまった。浮竹はまあいいだろう。更木は戦うと言い出しかねないが、十一番隊自体は問題ない。東仙は問題ないし、京楽は少し難がある。狛村は問題ないが接点もないだろう。朽木と阿散井は顔見知りなのだし、藍染も少し気に掛かるが問題ないと思いたい。
「……おおよそ問題ないな。第一お前は総隊長の客人なのだから、無理を言うヤツもいまい。あいつを除いては、な」
そのあいつ、が三番隊にいるのだと分かったは少し身構えた。その後ろで松本が取り成すように笑った。
「隊長はああ言うし、現に問題がないわけじゃないんだけど、そこまで悪い人じゃないわよ。ギン…市丸隊長は、私の恩人なの」
「そうなんだ」
松本の言葉での警戒はほとんど解けてしまったに等しい。松本の恩人だというのなら、悪い人ではないのだろう。
「なあイヅル〜お散歩行かせてぇな」
「だめです。今日こそは書類を上げていただきます。もうとっくの昔に締め切りが過ぎてるんですよ!他の隊から苦情も出てますし。書類を仕上げてくださったら、お散歩でもどこでも行っていただいて結構ですから」
さっきも似たような会話を聞いたような…と思いつつは隊舎に近寄る。
「おい、吉良」
「あ、日番谷隊長。乱菊さんも。どうなさったんですか」
市丸の前に仁王立ちしていた吉良は日番谷の声に隊舎入り口までやってきた。
「書類だ。あとこいつにここら辺を教えててな」
「君がさん?こんにちは」
「こんにちは、です。よろしくお願いします」
「吉良イヅルです、ここの副隊長だよ」
吉良と仲良く挨拶をした…次の瞬間には別の人が目の前に立っていた。はびっくりしてその人物を見上げる。銀髪に細い目、人の良さそうな口元。
「君がちゃんやろ。なんや十番隊長さん、わざわざちゃんに会わせてくれはったの?」
「…こいつの挨拶周りで、お前に会わせに来たつもりはないが」
「ちゃん、よろしゅうな。さっきも言うたけど、市丸ギンて言います。ここの隊長やねん。近くで見るとほんまべっぴんさんやねえ」
市丸は日番谷の言葉を聞かずにノンストップでに話しかけている。はやや押され気味だ。
「名前も可愛らしいし。なあお茶飲んでいかへん?お菓子もあるよって」
「え…でも…」
日番谷のほうを見ると日番谷はいつになく渋い顔をしている。眉間の皺は解けそうにない。
「駄目ですよ、隊長。隊長にはお仕事があるんですから。さあ仕事に戻っていただきます。日番谷隊長、乱菊さんさん失礼します」
吉良が市丸を半ば引きずるようにして執務室に連れて行く。日番谷はとりあえず一息ついて、のほうを見た。は唖然としている。
「あの人が乱菊の恩人?」
「そう。昔、お腹が空いて倒れてたあたしを拾って食べ物をくれたの。ここでは普通の人はお腹が空かないけど、霊力が高い人間だとお腹が空くのよ」
「へえ…」
そう言われるとお腹が空いたような気もする。日番谷はお腹に手を当てたを見て、街に寄っていくか、と提案した。
「いいですね。なんかお茶菓子でも買って帰りましょうか」
同意した松本は内心珍しいな、と思っていた。口に出すと日番谷が拗ねてしまうことは分かっていたので黙っていたが、日番谷がこうやって隊務の帰りに寄り道をするのは本当に珍しいことだった。いつもなら、さっさと帰って他の仕事に手をつけるか、早く上がるかどちらかだ。
瀞霊艇の外には流魂街があるが、瀞霊艇の中にも街は存在する。貴族や死神たちの商業の場だ。護艇十三番隊の隊舎並びを抜けるとそこには街が広がっている。
「はどんなお菓子が好きなの?」
「お団子かな。乱菊は何が好き?」
洋菓子も無論は好きなのだが、ここにはないだろうと思って和菓子から選んだ。特にみたらしだんごが好きで、空座町の和菓子屋にもちょくちょく行っている。
「そうねえ…あたしは羊羹かしら。隊長は上生菓子ですよね」
「ああ」
茶にうるさい日番谷はもちろん茶菓子にもいろいろこだわる。甘みがすっとほどけていく程度のものが好きで、甘みの強い羊羹や大福などよりは練りきりのようなものが好みのようだ。
街にはいろんな店屋が並んでいて、が知っている時代では江戸の町並みが近いだろうか。反物屋、細工屋といった装飾品から甘味処までいろいろ揃っている。日番谷は久利屋の前で足を止めた。
「松本、お前どれにするんだ」
「えーっと…水まんじゅうと水ようかんで悩んでるんですよー」
夏らしいお菓子の並ぶ見世棚の前で乱菊が少しだけ眉を寄せている。は店の向こうでお菓子を作っている風景に釘付けだ。
「…しゃあねえな。両方買ってやるよ」
「えっ、いいんですか隊長」
松本の困惑をよそに日番谷は手馴れた様子で注文していく。顔見知りのようだ。
「岩清水と水牡丹、あと水まんじゅうと水ようかん。おい、お前はどうするんだ」
「え…みたらしだんごが」
乞われるままに答えただが、自分がお金を持っていないことに気づいて慌てた。現世のお金が通じるとは思えないし、この身体になったときには財布など持っていなかった。
「それとみたらし2本でよろしく」
「はい、いつもどうも」
日番谷と顔見知りらしい若い店員はてきぱきした様子でお菓子を詰め、それを松本が受け取った。代金を日番谷が懐から支払い、店を出る。
「あの、ありがとうございます」
「ああ…いや、これからお前はうちの隊が世話するんだから、気にしなくていい」
「だめですよ」
嗜めたのは本人だった。日番谷がびっくりしている。自分が気にしなくていいというのに、何を言っているんだろうか。
「これからしばらくお世話になるとしてまた同じようなことがあるとしても、それでも買って頂いて嬉しかったんですから、お礼を言わせて下さい」
「…分かった」
渋々頷いた日番谷にはにっこりと笑いかけた。
「は真面目というかあたしよりよっぽど大人ねえ」
「見習え松本」
日番谷は照れかくしなのかそっぽを向いてそう答えただけだ。松本はお菓子の袋を持ったままくすくすと笑っている。
「とっとと帰るぞっ」
「待ってくださいよ、隊長ー」
何故か急ぎ歩きになった日番谷とそれを追う松本を追っかけても自然と早歩きになった。十番隊の隊舎に戻ると初めて中にまで案内された。最初戻ったときは入り口で書類を集めてそのまま挨拶周りに出たので、が隊舎の中に入ったのは初めてのことになる。
「客間はまだ掃除してねえから執務室でいいか。こっちだ」
すたすた歩いていく日番谷の後ろに、松本はお茶の用意をしている。お菓子を皿にあけて茶の入った盆を持った。
「準備できましたよー」
執務室のソファに並んで腰掛けている日番谷とがなんだか一対の雛人形のようで、少しおかしく思えた松本はくすりと笑いを零しながら、皿とお茶をテーブルに用意する。
「それじゃあいただきます」
「いただきます」
松本との声に日番谷は無言で皿と黒文字を手に取った。は嬉しそうにだんごの串を持ち上げる。
のどかな、尸魂界の夏だ。
→第七話
さんいかがだったでしょうか。死神紹介+日番谷隊長とお茶、です。本当は一護たちが最初やってくる(門番倒してギンにやられるとこまで)を書きたかったのですが、そこまで行かず。乱菊姐さんは小豆好きみたいなことになってますが、こんなに甘いものが好きでお酒も好きなんだとしたら本当の酒豪だよ姐さん…。日番谷が注文したお菓子は現世に存在します(笑)。
お付き合いありがとうございました。多謝。
2005 10 23 忍野さくら拝